表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
vivre―黒い翼―  作者: すずね ねね
4章 vivre
80/82

ベアトリス【2】

 あまりにも凶悪な魔力の波に、青年は咄嗟にヴァレリーとオルガを守るように身を投げ出した。ブラックドラゴンの硬質な鱗を剥ぐ勢いの魔力が収まると、エミリアンが即座に駆け出す。手には、いつの間に抜いたのか剣が握られていた。


「エミリアン様!」


 オルガの悲鳴が響く。青年は舌打ちをすると、軋む身体に鞭打ってエミリアンの初撃を剣で受けた。正気を失ってはいても、所詮は人間の力だ。青年が本気で切り崩しにかかれば、エミリアンを討ち取ることは造作もない。

 だが、それは望むところではなかった。


 剣撃の音が響き、エミリアンの攻撃は容赦なく青年を襲う。ヴァレリーとオルガはふらふらと立ち上がると、顔を見合わせた。


「止めないと……」


 ヴァレリーが杖を握り直す。青年が庇ってくれたとはいえ、ヴァレリーたちも無傷ではなかった。肌に僅かに血が滲む。それでも今は、痛みに臆している場合ではなかった。


「ベアトリスに言葉は届かないのかしら……」


「オルガの加護をベアトリスに返すって、どうすればいいのかな」


 ヴァレリーの問いに、オルガが目を伏せる。


「ベアトリスがそう望んでくれさえすれば可能だと思うのだけど……」


「どうして今まで、神性の返還を望まなかったのかな」


 ヴァレリーが悲しげに呟く。ベアトリスが話さない以上、そこは想像の範囲をこえることはない。

 エミリアンの剣の応酬をいなしていた青年が、エミリアンの剣を弾き飛ばした。


「オルガ! 少々荒っぽくなるが構わないな!」


 オルガの返事を待つよりも早く、青年がエミリアンの懐に潜り込む。強烈な拳を鳩尾に叩き込むと、エミリアンの身体が痙攣し倒れ込んだ。青年はエミリアンを受け止めると、ベアトリスに向き直る。


「本当に、こんな手で俺を止められると?」


 ベアトリスは何かに怯えるように震え、青白い顔で唇を噛んだ。明らかな様子の変化に、青年はエミリアンを地面に横たえると一歩一歩歩き出した。


「やめろ……私は」


「もう諦めろ。お前だってわかっているはずだ。本当のお前が望んだことはなんだ?」


 青年の諭すような言葉に、ベアトリスがハッとする。だが、すぐに否定するように顔を歪め首を横に振った。


「もう、遅い……今更……私は」


 震えるベアトリスからは、最早殺気は感じられない。だが、ヴァレリーは見た。ベアトリスの身体から滲み出る、黒い瘴気を。


「様子が変よ……」


 エミリアンを抱き締め様子を伺っていたオルガも、訝しげな声を上げた。青年も歩みを止め、ベアトリスを見つめる。


「あぁっ……」


 哀れな喘ぎ声を上げ、ベアトリスの身体が仰け反った。禍々しい瘴気がうねり、ベアトリスから溢れ出ていく。人が押し付けた「災禍の魔女」という悪意を、ベアトリスが……いや、女神キルギスの残った神性と理性が押さえつけていたのだ。

 それが、今。本物の災禍の魔女として、解き放たれる。


 瘴気はやがて人の形をとった。ベアトリスによく似ていたが、髪は黒く瞳は赤い。肌は青白い、生気のないものだった。


 完全に分離してしまった2人は、色の違う双子のようにも見えた。ベアトリス……女神キルギスは立ち上がると、震えながら自身が抑えていた災厄を見つめる。


「なんてこと……」


「あぁ……やっと自由になれた。哀れな人間に救済を与えなくては。祝福を。祈りを。私が愛し、育み、そして壊す……破壊こそ我が愛。我が慈悲。我が救い……」


 災禍の魔女が笑う。これもまた、女神キルギスの一部ではあった。最早歪み、形を変えた。


「もうやめて……私はそんなことしたくはないのです」


 女神キルギスの叫びに、魔女は失笑で返した。


「お前が望んでいたことでもあるのにか?」


「それは……」


 動揺する女神キルギスを制し、青年が足を踏み出した。


「アレを止めるにはどうすればいい?」


「わ、私がやります……ですが、永き時を経て私も力を失いつつあります。どうか、私の愛し子たちから神性を返してもらう間、時間を稼いでいただけませんか……」


「何か、手伝えることはありますか?」


 ヴァレリーが女神キルギスの側に立つ。女神キルギスは驚いたようにヴァレリーを見つめ、微笑んだ。


「ありがとう、優しい娘よ。ですが、ここより先は人の身には余るもの。踏み込めば、人を捨て去ることになります。あなたは、そんな業を背負う必要などないのですよ」


「ヴァレリー、下がってろ」


 青年の言葉に、ヴァレリーは首を横に振る。


「女神様、殆ど力がないんでしょう? 私の魔力でよければ、使って欲しい。女神様が傷ついてこうなったのも、元はと言えば人間のせいなんでしょ?」


「ヴァレリー……」


 青年が絶句する。他者のために献身することは、時に美談ではない。ヴァレリーが背負おうとするものは、特に。


「話は終わったのか? 無駄なことを」


 魔女が自身の周りに、闇の魔力を練り上げた。


「ちっ……ヴァレリー! 無茶はするなよ」


 青年が駆け出し、魔女に肉迫する。青年の剣をかわしながら、魔女は遊んでいるかのようにひらりひらりと身を翻す。

 魔女と青年の攻防を見守りながら、オルガが立ち上がった。


「お返しします。そして、私の力も使ってください」


「オルガはダメよ」


 ヴァレリーが珍しく、きつい口調で言い放った。オルガが怪訝そうにヴァレリーを見つめる。


「私、オルガはそのままでいなくちゃダメだと思う。守らないといけない人たちが、いるでしょ」


 もう一度、今度は含みのある言い方になる。オルガはそれで悟ったかのように、エミリアンに視線を落とした。


「いつから……」


「内緒」


 ヴァレリーは微笑むと、女神キルギスに向き直った。


「何故、そこまで?」


 女神キルギスの問いに、ヴァレリーは笑みを崩さない。


「ルーさんが背負うものを、軽くしてあげたいの。できれば一緒に、背負いたい」


 共に生きる。その選択をした時から決めていたことだった。


 青年と魔女の攻防は続いていた。魔女は巧みに魔力の塊を操り青年に傷を負わせていく。時間はあまり、残されていなかった。

 女神キルギスは悲しげに頷くと、瞳を閉じた。


「一時的にあなたと私を感応させます。一瞬でも、私と同質の存在になるということ。きっと、あなたにも何か変化が起こるでしょう……ですが、ありがとう。きっと止めてみせましょう」


 女神キルギスとヴァレリーの身体が、淡く光る。同時に、オルガの身体から光が溢れ女神キルギスへと吸い込まれていった。


「あぁ……ヴァレリー……」


 オルガの瞳から涙がこぼれる。身体から抜け落ちた神性の影響か、失っていた記憶が溢れ出す。それは嬉しくもあり、悲しいことだった。親友のことを忘れていたという事実が、今になってオルガに重くのしかかる。


「お前も消えるつもりか!」


 女神キルギスの変化に気がついた魔女の顔に、明らかな動揺の色が滲んだ。


「準備は終わりました」


 空から降りてきた淡い光は、アンジェリーヌのものだろうか。それが女神キルギスに吸い込まれると、女神キルギスは眩い光を放ちながら一歩足を踏み出した。同時に、ヴァレリーが地面に倒れ込む。オルガがヴァレリーを抱き起こすと、気を失っているようだった。


「大丈夫、すぐに目をさまします」


 女神キルギスは微笑むと、災禍の魔女を見つめた。青年が、肩で息をしながら女神キルギスを見る。


「もういいのか……」


「はい。あとは、私が」


 青年が退いたのを見届けると、女神キルギスは歩き出した。災禍の魔女は、まるで地面に縫い付けられたかのように動けない。女神キルギスが怯える魔女を抱きしめると、一層強い光で満たされた。

 青年とオルガは、その眩しさに思わず目を閉じていた。遠くで、誰かの泣き声が聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ