滅びの狂宴【1】
ヒリヒリと灼けつくような瘴気の中。一歩歩みを進めるごとに、渦巻く熱気のような魔術が、まるで身を焦がすようだった。坩堝に入ってすぐは、死体も魔物の姿もなかった。だが、隊列を崩さぬように進む一行の前に、それは現れた。
「気をつけよ! 街道にいた個体とは違うようだ」
アデライドが進行を制止し、前方を見据える。街道で相対した魔物は、まだ合成されたものの名残を残していた。だが、目の前にいた5体の魔物はどうだろう。
一見すると、崩れかけた泥人形のようだった。それが腐りかけた肉だとわかると、途端に不快感が増す。四つ足でのそりと歩く様は滑稽だが、その全身からは度々瘴気と腐臭が撒き散らされる。
「あれはなに?」
ヴァレリーが杖を構えアデライドに尋ねる。
「わからぬ。最早存在が変質しておる。だが、竜種のようにも見えるな……」
アデライドの視線の先、魔物の背には黒く濁った骨組みだけの翼が見えた。申し訳程度に残る翼膜も、まるでぼろきれのように骨からぶら下がっている。破れた翼では、もう飛ぶこともできないのだろう。時折魔物からは苦しげな呻き声が聞こえてくる。
「随分と小さいですね、セバスチャンと変わらないようですが……」
「小さい個体もおるだろうが、よもや幼生か……?」
アデライドが奥歯を噛みしめる。オルガも悲しげに杖を構え、魔物と対峙した。
「みなさん、なるべく離れずに。アデライドさん、指示を」
「ヒーラーは下がれ。腐りかけのあれらに、半数は炎の魔術を。残り半数は追撃に備えよ!」
アデライドの号令に、魔術師たちが隊列を整える。そうする間にも、魔物たちはその距離を詰めてくる。
「準備できたわ!」
ヴァレリーの言葉とともに、ヴァレリーと魔術師たちが魔力を解き放つ。地面を舐めるように炎が魔物に向かい、たちまちのうちに魔物たちを飲み込んだ。肉の焦げる臭いが、辺りに立ち込める。
「オルガ、障壁を」
言われるよりも早く、ヒーラーたちの法術は組み終わっていた。目の前に光のヴェールが顕現し、数秒後に黒煙をあげる肉の塊が障壁に衝突した。障壁が、まるで悲鳴のように不明瞭で耳障りな音を立てる。数人で補強しあった障壁と、魔物が触れている部分から白煙が上がる。
「下がるのだ。ヒーラーの半数、下がった先で再び障壁を。魔術師の残りは詠唱を終えておるな?」
アデライドが指示を飛ばす。魔術師たちは静かに頷き、アデライドの指示に従いそれぞれ後退する。ヒーラーが2つ目の障壁を発動すると同時に、1つ目の障壁が粉々に砕け散った。だが、相変わらず魔物の動きは緩慢だ。2つ目の障壁に辿り着く前に、魔術師たちの炎が魔物を飲み込む。
断末魔ともとれる咆哮が響き、炎が消えた後には身を横たえ黒焦げになった魔物が残っていた。
「し、死んだの?」
ヴァレリーが尋ねる。アデライドは見定めるように目を凝らしていたが、ややあって頷いた。
「要所にこの手の魔物が……いや、あるいはもっと強いものがおるだろう。隊列を乱すでない」
アデライドの言う通り、中心部へ至るまでに似たような魔物に何度も遭遇した。坩堝の構造と遭遇した魔物の特性のおかげで、背後からの急襲はそれほど警戒しなくてもよかった。それでも一時間ほど進み、中心部へ到達した頃にはさすがに疲労の色が見えた。
「ここが……これが、核ですか……」
オルガが思わず顔をしかめる。禍々しく熱量を増す瘴気は、気を抜けば精神を病みそうなほど荒れ狂っていた。この世の狂気と悪意を全て詰め込んだかのような渦巻く闇の魔術に、魔術師たちからもどよめきが起こる。
「あれを見て……!」
ヴァレリーが、ドーム状になっている坩堝の上空を指差す。一体のブラックドラゴンが飛んでいた。巨大な翼を広げ、青年たちが待っているであろう坩堝の外へ向けて。
「こちらに気がついておらんのなら、破壊が先だ。ルーたちならば大丈夫であろう」
「そうね……わかってる」
ヴァレリーが頷き、胸の前で杖を握りしめる。早く核となる輝石を破壊しなければ、いつ他の魔物に襲われるとも限らない。
「みなさん、始めてください」
オルガの言葉に、10人の魔術師が準備を始める。アデライドのように1人で破壊するだけの魔力は、人間である彼らにはない。
「残りの者たちは全力で死守せよ」
アデライドの尖った耳が、ピクリと動く。アデライドは目を細め、輝石の向こうを見た。
奥から現れたのは、いつかクレイアイスへ続く洞窟で青年たちを襲撃した、不気味な魔物だった。のたうつ触手が、まるで吟味するようにヴァレリーたちに向けられる。
「化け物め……ヴァレリー、儂とお主であれを引きつける。オルガ、サポートを。残りのものは坩堝の破壊と警戒を」
アデライドはそれだけ言うと、魔物の方へ駆け出した。ヴァレリーとオルガも後を追う。
まるで歓喜するように、魔物の水死体のような身体が震えた。
「風の精霊よ、我が声に応えよ」
アデライドの言葉に、杖の先から竜巻のような風が巻き起こる。魔物の巨体に傷をつけるまでには至らないが、その動きが明らかに鈍る。
「ヴァレリー、補助するから……」
オルガが祈るように瞳を閉じると、ヴァレリーとアデライドの身体が淡く発光した。一時的に対象の魔力を術者の魔力で増強する奇跡の技。
「これで……貫いて!」
ヴァレリーの魔力に呼応し、周囲の岩がボコボコと持ち上がる。まるで吸い寄せられるようにアデライドが起こす竜巻で速度を増した無数の岩が、魔物の巨体にぶつかっていく。骨が砕け、飛び出し、血飛沫をあげる。地面に落ちた血液が土を溶かしながら蒸発する。
「まだ倒れないの……?!」
相当な魔力をここまでに消費してきたヴァレリーが、肩で息をする。魔物は倒れず、血を撒き散らしながら尚も近寄ろうとしていた。
「大気に宿りし精霊よ、その力もて我が敵を調伏せん……」
アデライドの呪文が終わると、杖の先から出ていた竜巻がたち消え、代わりに青白い光を放つ稲妻が走った。人間では扱えるものが少ない、エルフだからこそ自在に操れる魔術。大気の魔術だ。膨大な魔力が魔物を押しつぶし、肉を、骨を、血液を沸騰させる。悲鳴をあげることすらできず、魔物の巨体は地に沈んだ。
「す、すごい」
「世辞はよい。それより、向こうも終わったようだ」
アデライドが振り返ると、輝石が砕け散るところだった。魔術師たちが坩堝の破壊に成功したのだ。坩堝の中にあとどれほどの魔物が残っているのかはわからないが、1度後退し青年たちと合流する必要があった。
「行くぞ。魔女にもこれは知られよう」
「そうですね、ルーさんたちも無事だといいのですが……」
オルガの呟きに、晴れていく瘴気の向こう。青年たちがいるである方を見て、ヴァレリーが不安げな表情をしていた。




