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vivre―黒い翼―  作者: すずね ねね
3章 changer
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つかの間の休息【2】

青年と手を繋いだまま、ヴァレリーは大通りを歩いていた。ヴィラエストーリアの首都であるヴィレスは、昼時を過ぎても人通りが多かった。食料品を買いに行くために、第1層の市場を覗くことにした。

時間が遅くなってしまったからか商品はまばらだったが、必要なものの買い付けを頼んだ。


「仲がいいねえ」


青果店の女将が目を細める。ヴァレリーが赤面しながら俯いた。


「彼氏さんは亜人さんかい?」


女将が青年のマントから覗く翼を目に止める。ヴァレリーはあたふたと青年と女将とを見比べる。


「そんなようなもんだ」


青年が答えるのを見て、女将が微笑んで頷いた。


「そうかいそうかい、幸せそうでいいねえ。そうだ、あんたたち冒険者だろ? 第2層にある鐘撞堂には登ったかい?」


女将が指差した先には、白塗りの壁の立派な塔が建っていた。ヴィレスの王城を抜かせば、一番高いその建物は、鐘撞堂という名だが大きな時計がついていた。ミリューの職人に造らせたという時計は、白地に金の文字盤が陽の光に燦然と輝いていた。


「まだなんです」


ヴァレリーが答えると、女将が鐘撞堂から見える景色が素晴らしいと教えた。それに、と女将が続ける。


「あそこの展望台から夕日を見た2人は、永遠に幸せに暮らせるって話だよ。今から向かえば、間に合うんじゃないのかい」


「そうなんですか、ありがとうございます……」


ヴァレリーが困ったように笑った。下町の人間というのは、人情に厚いが時にお節介だ。


「行くぞ、ヴァレリー」


青年に促され、ヴァレリーはもう一度女将にお礼を言い歩き出した。


「どこに行くの?」


ヴァレリーがソワソワしながら尋ねる。青年が足を止め、鐘撞堂の方を見た。


「行きたいか?」


「い、いいの……?」


ヴァレリーの顔がパッと明るくなる。青年が優しく笑い、ヴァレリーの頭を撫でた。


「わっ……なにするの」


ヴァレリーが抗議の声をあげながら、乱れた髪を空いている方の手で直す。青年がそんなヴァレリーを見て笑った。


「もう……。ルーさん、変わったね」


ヴァレリーが横目で見ながら呟く。青年が不思議そうにヴァレリーを見つめた。


「そうか? わからない」


「変わったよ。初めて会った時は、ちょっと怖い人なのかなって思ってたんだもん」


ヴァレリーは歩き出しながら笑う。鐘撞堂へと続く道は、冒険者や旅人が歩いていた。


「怖い、か。必要以上に他人に踏み込むことを避けていただけだ」


「うん、今ならわかるよ。ルーさんはたまに鈍くて困っちゃうけど、本当は優しい人なんだって」


「鈍いか……俺には、人間の。ヴァレリーが望むような反応は中々難しい」


青年が困ったように呟く。ヴァレリーはにこりと笑うと、首を横に振った。


「人間みたいにする必要って、ないんだと思う。私ね、ルーさんのことを好きになって……色々びっくりすることも多かったけど、本当に良かったなって思うんだ」


ヴァレリーの繋いだ手に、思わず力がこもる。鐘撞堂の真下で立ち止まると、ヴァレリーは青年に向き合った。


「私とルーさんじゃ、望むものもその結末も違うのは仕方ないよ。だけど、2人でどうするかゆっくり考えるのも、悪くないかなって」


ヴァレリーは真っ直ぐに青年を見つめていた。青年もまた、静かにヴァレリーを見つめる。


「お前は強いな……」


青年がふっと微笑んだ。ヴァレリーが思わず照れ笑いを浮かべると、鐘の音が鳴り響いた。


「あ……大変、早く登らないと夕日が沈んじゃう」


ヴァレリーが焦ったように顔を上げる。いつの間にか、日差しが朱に染まっている。


「ほら、ルーさん急いで!」


ヴァレリーが青年の腕を引いて駆け出す。鐘撞堂の鐘が鳴り止んだ螺旋階段を、息を弾ませながら駆け上がる。途中何組かのカップルを追い抜かし、展望台に出た頃、ちょうど地平に日が沈みゆくところだった。


「ま、間に合った……」


暴れる心臓を抑えつつ、ヴァレリーが満面の笑みを浮かべる。その隣で、青年がじっと夕日を見つめていた。


「ヴァレリー」


夕日を見つめたまま、青年が名を呼ぶ。ヴァレリーが青年を見上げると、青年がゆっくりとヴァレリーを見下ろした。


「ヴァレリーは、全てが終わったらどうするつもりなんだ」


ヴァレリーの心臓がどきりと鳴った。青年の瞳が、真っ直ぐにヴァレリーを見つめている。


「ルーさんが、竜に戻ったら?」


ヴァレリーの問いに青年が頷く。聞かれるまでもなく、それはヴァレリーの中では決まっていた。


「ルーさんが行くところへ、私も行きたい」


「お前はそればかりだな……」


青年が困ったように笑った。ヴァレリーは不服そうに唇を尖らせる。


「だが、それが揺るがないなら……ずっと考えていたことがある」


青年が手すりの方へ歩き出しながら続けた。


「俺と、約束をしてほしい」


「約束?」


ヴァレリーが首をかしげる。


「契約ともいうかもしれない。難しいな、お前たちの言葉は……つまり、ブラックドラゴンがつがいになるときに……」


「ちょ、ちょっと待って」


ヴァレリーが慌てて青年を遮る。青年が驚いてヴァレリーを見る。見つめられたヴァレリーは、瞳に涙を溜め赤面していた。薄暗くなり始めてもわかるその変化に、青年が不思議そうに首をかしげる。


「また、変なことを言ったか?」


「変じゃないよ……変じゃないけど、それって、あの」


ヴァレリーが言葉にならない言葉を探し、喘ぐ。


「困ったな……あぁ、そうだ……ファブリスが、プロポーズだと言っていた」


「ファブリスさん何教えて……って、そうじゃなくって……! えっと、それじゃあ。意味はわかってるってことだよ、ね?」


確認するようにヴァレリーが尋ねる。青年が、ゆっくり頷いた。


「ど、どうしよう……」


ヴァレリーの瞳から、涙がこぼれる。一度決壊した涙は簡単に止まってくれず、青年を動揺させた。


「お、おい」


「ご、めんね……嬉しくって……」


ぐすぐすと涙声で答えるヴァレリーを、青年が抱きしめた。


「本当は、互いの心臓を交換するんだ……だが、人間のお前にはできないだろうから……」


青年が、おずおずとヴァレリーの唇に自分のそれを重ねる。不器用な所作に、ヴァレリーは恥ずかしがるよりも思わず笑っていた。


「それも、ファブリスさんが教えたの?」


名残惜しそうにしつつも唇を離し、ヴァレリーが尋ねる。青年が頷くと、真面目な顔をしてファブリスに相談する青年を想像しヴァレリーは微笑んだ。


「どうしてこんなにお節介なのかしら! でも、ありがとうって言わなきゃ」


ヴァレリーの言葉に、青年が安堵したような表情になった。2人は固く繋いだ手を離さないように、夕日が沈んだ辺りをしばらく眺めていた。

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