つかの間の休息【1】
アンジェリーヌとの謁見が終わり、あれから2週間が経っていた。懸念されていた魔物たちからの被害も今のところは報告されていず、青年たちはひとまず安堵した。
ファブリスも治療院からの退院が許され、子猫の尻尾亭で合流していた。
「驚異的な回復力だな、本当に人間か?」
半ば呆れながら、アデライドがファブリスを見やる。子猫の尻尾亭の、酒場でのことだ。
絶食がとけたファブリスも交え、昼食をとっていた。
「どこからどう見ても人間だろ?」
ファブリスが豪快に笑い、「いてて」と言って顔をしかめた。まだ傷が引き攣るらしい。服装も、いつもの鎧姿ではなくゆったりとしたシャツに下履きというラフなものだ。
「しかし、大丈夫なのか?」
青年がファブリスを見る。簡単な状況説明を終わらせると、ファブリスが当然のように自分も行くと言い出したのだ。
「なあに、問題ない。これくらいの痛みなら、動くのに支障はないさ」
「無駄だ、ルーよ。どうせ此奴は言ってもきかぬ」
アデライドが腕を組みファブリスを睨みつける。ファブリスは苦笑を浮かべると、ひとつ頷いた。
「ま、そういうこった」
「馬鹿者め」
アデライドがぷりぷり怒っていたが、青年は構わず話を続ける。
「今朝早く、ヴィラエストーリアの騎士団から伝言が届いた。3日後には出発できるそうだ」
「いよいよか」
ファブリスが唸る。坩堝の中に騎士団と青年やファブリスは入れない。ヴィラエストーリアの魔術師たちとヴァレリー、それに今回はオルガが坩堝の破壊を行う。
「坩堝の規模はわからぬが、ジャレイン諸島にあったものよりは強力であろうな」
「アデル1人で破壊できるのかな」
ヴァレリーの疑問に、アデライドが首を横に振る。
「破壊は魔術師にさせる。儂は中の魔物の相手をしよう。ヴァレリー、お主もだ」
「え、ええ……それはもちろんだけど」
ヴァレリーが頷くのを、青年が心配そうに見つめる。だが、ここまで来て止めるようなことはしない。
「私は障壁の維持をしつつ、魔術師さんたちを守ればいいんですね」
「そうだ。ヴィラエストーリアのヒーラーも同行するであろうが……」
「中には怨霊みたいなのがいたけど、今回もいるのかな」
「そうだな……贄に人間を使っておれば」
アデライドの言葉に、ヴァレリーの表情が曇る。
「俺たちは?」
ファブリスが横から声をかける。
「お主は病み上がりであろうが。坩堝から漏れ出す魔物は騎士団に任せよ。坩堝の消滅とともに、儂らと合流か」
青年の意思を確認するように、アデライドが青年に視線を移す。青年が静かに頷き、立ち上がった。
「もし戦場ではぐれたら、とにかく逃げて安全の確保を」
青年の言葉に全員が頷く。ついに、因縁の終わりが見え始めていた。それぞれが戦う理由を胸に掲げ、災禍の魔女へと至る道を思う。平坦な道ではないが、最早到達できなければその先に待つものは明白だ。
クレイアイスにおこった破壊と殺戮が、今度はヴィラエストーリア、そして世界に及ぶ。
「3日後。騎士団と合流し、作戦会議をする。絶対に生き残るんだ」
かつての青年ならば、仲間をつくることもなく孤独に戦い、その結果命を落とすことになっても悔いはしなかっただろう。だが、今は違う。この旅の中で、孤独だった青年の中に仲間たちとの思い出が生きていた。
散っていった人や、必死にもがき苦しみ、それでも生きようと努力する人間たちを見た。
名もないブラックドラゴンの一頭にすぎなかった青年が、ヴァレリーとオルガに出会ったことで。
「じゃあ、3日後まで自由時間かね? おれは鎧を買ったり、もう少し休養したりしておくか」
食事を終えたらしいファブリスが、ゆっくりと立ち上がる。オルガも慌てて立ち上がると、ファブリスの隣に並んだ。
「病み上がりなんですから、私もお伴します。アデライドさんはどうしますか? できれば、坩堝で有効なアイテムを教えていただきたいんですけど……」
「ふむ、そうだな。では儂も行こう」
アデライドが頷き立ち上がる。
「あ、私も」
ヴァレリーが立ち上がると、オルガが微笑んだ。
「ヴァレリーの分は私が用意しておくから、今日はゆっくり休んで。ずっと動き詰めで、疲れてるでしょ?」
「大丈夫だよ?」
ヴァレリーが不思議そうに首をかしげる。アデライドが何かに気がついたのか、優雅な笑みを浮かべた。
「疲れておらぬのなら、ルーと食料品の買い付けにいっておけばよい。注文して、後で届けて貰えばよかろう。食料品に関してはお主に頼む他ない故」
「お、そうだな!」
ファブリスが同意する。ヴァレリーは困ったように青年に視線を送る。
「俺は構わんが」
「ですって、ヴァレリー。デート、楽しんでね」
オルガがウインクし、酒場の出口へ歩いていく。その背に、顔を真っ赤にしたヴァレリーの絶叫が響く。
「で、デートじゃないよ?!」
「気をつけろよー」
ファブリスとアデライドが、オルガの後を追い出て行く。残されたヴァレリーが、気まずそうに青年を見た。
「デートか、悪くないな」
青年が立ち上がる。ヴァレリーが困惑したように青年を見上げる。
「デートって何かわかってるの?」
「あぁ、ファブリスから聞いた」
「そ、そうなの……」
情報提供者に一抹の不安を感じつつ、ヴァレリーは頷く。
「でも、いいの? もうすぐ大事な……」
「いいんじゃないか。今度ばかりは、どうなるかわからない」
「そうだよね……」
「よし、行こう。まずは買い物か……」
青年が手を差し出す。ヴァレリーが驚いたように青年と手とを見比べる。
「繋がないのか? ファブリスはそうしろと言ってたんだが」
青年が、出した手を戻そうとするよりも早く、ヴァレリーがぎゅっと手を握った。ばくばくと脈打つ心臓を静めるように、ヴァレリーが深呼吸する。
「本当に、ルーさんってずるい」
泣きそうな顔でヴァレリーが呟く。青年は困ったように笑うと、ヴァレリーの手を引いて歩き出した。




