極東の姫女王【6】
予定通り、3日間を休養にあてた。マタタビ酒を城に運ぶというミネルヴァに案内され、青年たちはヴィラエストーリアの中心に建つ王城へやってきた。
いつもは従業員のケットシーたちに運搬を頼むのだが、今日は青年たちがかわりに引き受けた。
滞りなくマタタビ酒を受け渡すと、担当の貴族にミネルヴァが進み出た。
「お願いしてあった件、大丈夫ですニャ?」
「ふむ……俄かには信じがたいが、魔術師に確認をとらせたところ、クレイアイス王室から確かにマルグリット様であるとの回答がきた」
そう言って、貴族がオルガを見る。オルガはいつもの冒険者用のローブではなく、クレイアイスを出るときに着ていた喪服のドレスを着ていた。
女王への謁見にはそぐわないが、今用意できるドレスがこれしかなかった。レイダリアやクレイアイスの仕立て屋とは違い、ヴィラエストーリアの貴族向けの仕立て屋は冒険者が気安く立ち寄ることができないのだ。
「女王陛下は、ぜひお逢いしたいと」
半信半疑なのか、貴族は値踏みするようにオルガを見ている。オルガはヴェールの奥から微笑むと、頷いた。
「急な申し出であるうえ、このような訪問になったこと、女王陛下の温情に深く感謝します」
「では、召使いに案内させましょう。連れのものは……」
「彼らはわたくしの騎士です。せめて、発言はせずとも同席させていただきたいのですが」
「確認しましょう。では、こちらへ。ミネルヴァ、お前はダメだ」
「わかりましたニャ。それではみなさん、お先に戻ってますニャ」
貴族がオルガを誘導し、召使いに何事か指示をする。貴族はオルガに一礼すると、部屋を出て行った。かわりに、召使いが青年たちを案内する。
しばらく廊下を進み、木製の扉を召使いが開く。中は応接になっていた。
「どうぞ、準備が整い次第お声をかけさせていただきます」
召使いが部屋を出て行く。
「ひとまず、女王には会えそうだな」
青年が呟くのを見て、オルガが安堵の吐息を零す。
「クレイアイス王室が私の身元を保証してくれて助かりました」
「儂が連絡を入れておいた故な。出てくる時も相当に叱りつけておいたから、今頃慌てておろう」
アデライドが不敵に笑う。アデライドの剣幕を間近で見ていたオルガが、思わず苦笑いを浮かべる。
「あの時は、助かりました」
「よい。だが、これでお主がエミリアンを無事に奪還すれば王宮でのお主の発言権もあがろうな。まさに聖女なのだから」
「そんなもののために、ここまで来たわけではないのですけど……」
オルガが困ったように笑う。アデライドは、しかしゆっくりと首を横に振る。
「そんなものも、お主が望むエミリアンとの生活には必要であろう。少々の無理ならば通ろう」
オルガがハッとする。オルガが望むのは、エミリアンとの静かな生活だった。政治や謀略の道具にされぬ、穏やかな。
「そう、ですね。エミリアン様を連れ帰れたら……」
オルガが微笑む。
「儂も尽力しようぞ」
アデライドが優しく微笑むと、部屋の扉が叩かれた。召使いが、準備が整ったことを知らせる。
「では、参りましょうか」
オルガの表情が、マルグリットのそれへと変わった。
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青年たちが通されたのは、玉座ではなく女王の執務室だった。部屋にはまだ誰もいず、そこで待つように言うと召使いが出て行った。
程なく、部屋の奥に造られた扉が開き、愛らしいドレス姿の少女が姿を現した。
「よくぞ参られた、マルグリット!」
少女が嬉しそうに声を上げる。
赤を基調としたドレスは、女王というよりも少女らしいフリルやリボンがあしらわれたものだった。華奢な身体をコルセットで締め上げているのか、小さな身体のわりに腰の部分がくびれている。
ゆるく巻かれた豊かな金髪が歩くたびに揺れた。晴天の空のような瞳が、幼いながらも知的な輝きを放っていた。
「女王陛下、この度は急な申し出であるにも関わらず……」
オルガが恭しく頭を垂れると、少女……アンジェリーヌ・ロゼ・ヴィラエストーリアは、にっこりと笑うと頷いた。
「よいよい。マルグリットは伯母上であろ? 気安く名前で呼んでくれてよいのじゃ。お主らも、妾のことは気安くアンジェリーヌと呼ぶが良い!」
「まぁ……そんなわけには……」
オルガが苦笑いを浮かべる。アンジェリーヌは不服そうであったが、慣れているのか悲しげに笑うと部屋の中央にあるソファを勧めた。
「それで、マルグリット。何故妾の元を?」
オルガがソファに腰掛けるのを見て、アンジェリーヌが尋ねる。当然だが、青年たちは立ったままだ。
「アンジェリーヌ女王陛下は、クレイアイスが魔物の群れに襲われた折、エミリアン王子が拉致されたことはご存知ですか?」
「聞き及んでいる。その際、伯父上が亡くなられたと聞いた」
オルガがエドワールを思い出し、一瞬悲しげに顔を曇らせる。
「そうです。では、その魔物の群れが坩堝より飛来し、エミリアン様を攫ったのが災禍の魔女であると言ったら……信じますか?」
「なんじゃと?」
アンジェリーヌが思わず立ち上がる。オルガは真っ直ぐアンジェリーヌの瞳を見つめる。
「……なんたること。坩堝といえば、その稼働には恐ろしい量の魔力と複雑な式、それと贄が必要であるという。グレミア台地にも今、坩堝が出現しておるというに……」
「わたくしたちは、それも災禍の魔女の仕業ではないかと思っております」
「マルグリット……」
アンジェリーヌが動揺しながらオルガの名を呼んだ。
「確かなのか?」
「わたくしたちは、陛下にグレミア台地へ赴く許可を頂きに来たのです」
「それは……そんな、危険な場所に伯母上を送り出せるわけが!」
悲鳴に近い声で、アンジェリーヌが叫んだ。細い肩が震え、瞳には涙が浮かんでいる。
「アンジェリーヌ様、どうかわたくしの願いをお聞き届けください。これは、アンジェリーヌ様の御身の安全のためでもあるのです」
「どういうことじゃ?」
「レイダリアの儀式や加護の話は、アンジェリーヌ様はご存知ありませんか?」
「……母上と共にレイダリアよりきた乳母が、そのようなことを言っておった」
アンジェリーヌが怪訝な顔でオルガを見つめる。その瞳は、何の関連があるのかと言いたげだ。
「魔女は、わたくしとアンジェリーヌ様を亡きものにしたいのです。魔女はわたくしたちに触れられませんが、もしも王宮に入り込んでいればどうなるかもわかりません。ですから、こちらからグレミア台地に趣き、魔女の根城を叩きます」
「何故じゃ……何故、魔女がグレミア台地におると?」
「待っている、と言っていました。わたくしを殺す算段があるのでしょう」
淡々と落とされた言葉に、アンジェリーヌが首を横に振る。とうとう、瞳からは大粒の涙が零れた。
「何故そんなにも強くいられるのじゃ……妾は、こんなにも恐ろしい」
「女王陛下は、こうなってはいけませんよ」
オルガが悲しそうな顔でアンジェリーヌを見つめる。恐怖を怖いと言えることは、アンジェリーヌが愛され大切に暮らせている証だ。オルガも愛されてはいたが、素直になれず、エドワールや父王ユークリッドに助けを求める強さをもてなかった。
アンジェリーヌは疑うことを知らず、素直なのだ。オルガは遠い地で女王として戦っている小さな姪を、誇らしく思った。
「陛下、どうか」
オルガの嘆願に、アンジェリーヌは乱暴に涙を拭った。そして、女王らしく居住まいを正すと小さく頷いた。
「あいわかった。じゃが、一つ条件がある。我が国の騎士団と魔術師の同行を命ずる」
「ありがとうございます」
オルガが微笑むと、アンジェリーヌは不安そうな顔になる。それでも女王としての態度は崩さず、一つ頷いた。
「よい。では、編成と出立に関しては追って連絡をいれさせようぞ」
アンジェリーヌが立ち上がり、オルガに身を寄せた。血の繋がった人間は、アンジェリーヌが住むヴィラエストーリアにはいない。
「マルグリット、必ず戻ってきてね……」
女王としてではなく、アンジェリーヌとしての願いと言葉に、オルガは思わず腕を伸ばした。アンジェリーヌの身体が震え、すぐにオルガに身を預ける。小さな嗚咽が、アンジェリーヌから漏れた。孤独を感じないわけがないのだ。この小さな肩に、国が一つ乗る重圧。
「必ず、またお会いしましょう」
「約束じゃ」
オルガはアンジェリーヌを解放すると、安心させるように微笑んだ。




