極東の姫女王【3】
炭化した黒い塊から、黒煙が上がる。ヴァレリーとアデライドから放たれた魔術の炎は、合成生物の硬質な肌すら燃やし尽くしていた。
魔物に組みついていた青年は、驚くことに無傷であった。皮肉なことに、魔女の呪いが青年を完全な人の身に変じることができなかったためか。ブラックドラゴンの鱗が、炎を防いだのだ。
服は燃え尽きてしまったが、おかげで仲間たちは青年の身に起きた変化に気がつくことができた。
「ルーよ、それはどうしたのだ」
アデライドが、魔物の側に座り込んでいる青年に声をかけた。青年の背には、一対の竜の翼が生えていた。
「わからん。だが、これがなければ顔が焼け爛れていたな」
青年が肩をすくめる。ヴァレリーが羽織っていた冒険者用のマントを、青年の頭から被せる。
「どうしよう、もう他の人たちは避難しちゃったし、荷物も一緒だよ」
青年の着替えがない上に、オルガが治癒を施しているとはいえファブリスの容態もあまり良くはなかった。
「門を開くか……温存しておきたかったが」
アデライドが考え込む。
「少し待てばヴィラエストーリアの騎士団が派遣されると思いますが、ファブリスさんは至急治療院へ連れて行くべきです。止血はしましたが、私だけでは……」
「だが、ファブリスが転移門の負荷に耐えられるか……」
オルガとアデライドがあれこれと相談するが、どちらにせよファブリスの身が危険であることに変わりはない。
セバスチャンは魔物であるが故傷にも強いが、ファブリスはあくまでも人間なのだ。
「……いい、門を」
うつ伏せに寝かされていたファブリスが、掠れた声で言った。オルガがハッとして見下ろし、アデライドがファブリスの側に跪く。
「近距離といえ、今のお主にはきついぞ。気を失うだけで済むとも限らぬ」
「俺を、誰だと思っているんだ? なあに、大丈夫、さ」
一言一言噛みしめるように呟くファブリスを、アデライドが悲しげに見下ろす。
「……わかった。オルガ、障壁を」
「……わかりました。ファブリスさん、門をくぐる間は治癒を施せません。血は止まっていますが、痛みは強くなります。門から出たら治癒を再開しますから、頑張って……」
オルガがファブリスに魔術をかけるのを見つつ、アデライドが立ち上がる。
転移門を開くために、魔力を練り上げていく。
「ルーさん、立てる?」
ヴァレリーが心配そうに尋ねる。ヴァレリーのマントの向こうから、青年が頷いた。
「だが、裸だ」
「え、あ……そうだね。でも、仕方ないよ」
ヴァレリーの反応が不可解なのか、青年が首をかしげる。
「今度は怒らないのか」
「えっ……。あ、だって、燃えちゃったなら仕方ないよ。それより、私のマントじゃ全部隠れないよね、どうしよう。それに、その翼……」
ブラックドラゴンの翼が、青年の背で広がっている。小さく畳んだとしても、人の服は着られないだろう。
「ピィちゃんのよりは大きいのね」
青年がブラックドラゴンでどれほどの大きさをもつのかヴァレリーにはわからなかったが、その黒い翼は広げれば両腕の長さよりも長い。
「準備が整った。ルーよ、これを」
アデライドが自身の外套を投げ渡す。青年はそれを受け取ると、下半身に巻きつけ立ち上がった。
「代わろう」
青年がオルガの反対側に回り、ファブリスを支え起こす。近づいてきたセバスチャンも、ファブリスがふらつかないように横に立っていた。
酷い痛みなのだろう。ファブリスの額に汗が浮かび、流れ落ちていく。
「行こう」
青年の言葉に、門へ足を踏み入れる。魔力があるヴァレリーやオルガにはどうということのない移動手段でも、やはりファブリスにとっては負担だった。
転移門の外へ出ると、眼前に城塞が飛び込んできた。青年の肩に、ファブリスの体重がずっしりとかかった。
「ファブリスさん!」
オルガが慌てて治癒の魔術を再開する。青年は荒い呼吸を繰り返すファブリスをもう一度地面に横たえると、門を閉じていたアデライドを見た。
「もうすぐ夜が明ける。すまないが、ヴァレリーと治療院の人間を探してきてくれ」
「かまわぬが、お主はどうする」
「俺はこのままじゃ動けないだろうしな。オルガもだ。ここで待っていよう」
「ルーさん、オルガをお願いね」
ヴァレリーが声をかける。ずっと治癒をし続けるオルガの額にも、玉のような汗が浮いていた。相当な負担であることは間違いがない。
「あぁ、ヴァレリーも気をつけろ」
「うん」
「子猫の尻尾亭にも寄ってこよう」
アデライドの言葉にヴァレリーが頷く。空が白み始め、夜の終わりを告げていた。
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ヴィラエストーリアの王都は、レイダリアの王都と同じく城塞都市だ。
三重もの堅牢な城郭が、都市と城を守っている。城塞の第1層には市民街や市場が、第2層には冒険者ギルドや商人ギルド、治療院などの施設、第3層には王城と貴族の屋敷や貴族の利用する商業施設。大まかに分けるとそんな造りをしている。
第1層の門番に、ヴァレリーがファブリスの容態を説明する。既にキャラバンの冒険者が報告していたのか、すぐに治療院へ連絡をしてくれた。
「あの、子猫の尻尾亭にも用事があって」
「ではそちらにも使いのものを出そうか?」
「いえ、大丈夫です。場所さえ教えていただければ」
「では案内させよう。治療院からの連絡も、そちらへやるように言っておく」
門番の指示で、他の兵士が案内をかってでた。ヴァレリーたちがついたのは、王都の東ブロックの端だった。子猫の尻尾亭は南ブロックの外れに建っている宿屋と酒場、それに酒蔵をもつ大きな施設だった。
案内の兵士が役目を終え去っていくと、ヴァレリーとアデライドは明かりのついている酒場へ足を踏み入れた。
独特な酒の匂いが充満する室内は、人間だけではなくリザードマンやケットシー、エルフなどの亜人や妖精の姿があった。
その中で、真っ白な毛のケットシーがエプロンをかけて忙しなく働いていた。
「邪魔するぞ」
アデライドがつかつかと歩み寄ると、白いケットシーは目を細めた。
「いらっしゃいませニャ、お食事ですかニャ?」
「違う。これを預かってきた。力になってもらいたい」
アデライドがアノルーから預かった紙を出すと、白いケットシーは目を見開いた。
「ニャア! 正式なご依頼ですニャ? どうしましたニャ」
「人間の男用の下穿きと靴、それにリザードマン用の上着を用立ててほしい。詳しい話は後でしよう。その着替えを、東の城門の外にいる仲間へ届けてもらいたいのだが」
「わかりましたニャ」
白いケットシーは頷くと、パタパタと尻尾を振りながら奥へ駆けていった。
「これで、後はファブリスの怪我次第だが……」
「あの魔物はなんだったのかな。それに、ルーさんは呪いであの姿になっていたのに、どうして翼が?」
「魔物に関していえば、坩堝の影響やもしれぬ。この地にも坩堝があるのやも。だが、詳しく調べてみるしかない。ルーはそうだな、魔女の呪いが弱まったか、生命の危機に瀕し呪いを一時的に凌駕したか……」
「呪いが弱まるということもあるの?」
「そうだな……それはものによるな。だが、わからん。少なくとも儂に解くことはできなかったが、長き時の経過が呪いを弱めたということも考えられぬことではない」
アデライドが呟く。どれほどの年月を、青年が人として生きることを強いられていたのか。
「いずれにしても、あの魔物があそこにおったのは、恐らく偶然ではあるまい」
アデライドの言葉に、ヴァレリーは顔をしかめた。魔女の存在が、ほんの鼻先に突きつけられたような。そんな薄ら寒さを感じたのだ。




