慈雨【3】
王都ガレイア付近に着く頃、再び雨が降り出した。
地を叩く激しいものではなく、優しく包み込むような雨。まるで空が泣いているようだとヴァレリーは思った。
ブラックドラゴンの背は乗り心地が良いとは言えなかったが、それでも恐ろしく早いスピードで王都ガレイアまで辿り着くことができた。
街から少し離れたばしょに降下すると、セバスチャンが遅れてやってきた。
長距離を移動した割には、セバスチャンにもあまり疲労の色がない。
クレイアイスから戻ったファブリスやアデライドと、ここで落ち合う予定になっていた。
「助かった」
青年がブラックドラゴンに声をかける。ブラックドラゴンは静かに頷くと、目を細め青年を見つめた。
「あぁ……そうだな」
青年も目を細め、頷く。ヴァレリーが不思議そうに青年を見上げると、青年は微笑んだ。
「ピィを連れ帰りたいそうだ」
「あ……」
ヴァレリーが腕の中のピィを見下ろした。ピィも別れを理解したのか、母竜とヴァレリーを交互に見つめか細く鳴いた。
「また会えるよ」
ヴァレリーがピィの頭を撫でると、ピィは名残惜しそうにしながらもブラックドラゴンの元へ飛んで行った。
母竜の首元にちょこんと乗ると、ピィがもう1度可愛い声で鳴いた。ブラックドラゴンが別れの咆哮を上げ、翼を広げ飛び立つ。
遥か上空まで昇ると、別れを惜しむように1度旋回して北の空へ向け飛び去った。
ヴァレリーはその姿が見えなくなるまで見送る。ピィとの思い出が胸を詰まらせた。
「またね」
小さく呟き、滲んだ涙を拭う。懐かしく思える魔力を感じたからだ。
「アデル」
目の前の景色が不自然に歪み、揺らぎから現れたのはファブリスとアデライド、そしてオルガだった。
「無事に着いたようだな……」
ファブリスが冷や汗をかきながら呟いた。魔力の素養が少ないファブリスに、長距離の転移門は堪えたようだ。
「オルガ、大丈夫?」
ヴァレリーが声をかける。喪服に身を包んだオルガは、いつもよりも儚く見えた。
「大丈夫。アデライドさんが助けてくれたから……」
オルガが力無く笑う。ヴァレリーはそれ以上追求することができず、悲しげに頷いた。
「まず、ガレイアの様子を見るか?」
「いいえ、私はすぐに東の大陸へ向かわなくては」
青年の提案をきっぱりと拒否し、オルガが首を振る。
「だが、エドワールの葬儀があるんじゃないのか」
「あの方は民がその死を悼んでくれます。それに、女神キルギスも慈しみの雨を降らせている」
オルガが静かに空を見上げる。雲の切れ間から日が降り注ぐ、不思議な雨だ。
女神の慈雨。レイダリアではそう呼ばれる、雨でも晴れでもない天候。
「詳しい話は道すがらお話しします。もしも手伝っていただけるなら、ですが」
「当たり前でしょ、オルガ。だから、そんな顔しないで……泣きたいときは、泣いていいんだよ」
ヴァレリーが我慢できずに声を上げた。オルガの顔は、感情が消えてしまったかのように無表情だった。ついこの間まで幸せそうに微笑んでいたのに、エドワールを失った悲しみがこうまでオルガを変えてしまったのかと。
「泣いている暇なんて、ないから」
絞り出すように出した声は、掠れてしまっていた。オルガはいつだって、苦しくて悲しくて潰れてしまいそうな時ほど無理をする。
ヴァレリーは、そんなオルガをよく知っていた。
初めて魔術学校でオルガと出会った時。オルガは今日のように表情が乏しかったのだ。
微笑みを浮かべてはいても、本当の心は見せない。壁を作っている。
「懐かしいね」
ヴァレリーが呟く。オルガは何が、と言いたげに眉根を寄せた。
「オルガは覚えていないけど、魔術学校で初めて出会ったって言ったでしょ」
「それが、なに?」
「あの日のあなたも、そうやって無理してた」
ヴァレリーは微笑むと、荷物の中から短剣を取り出した。
銀色に輝くそれは、儀式に臨むオルガがヴァレリーに渡したものだった。
「それは、私の……?」
オルガが驚いたように目を見開く。失くしたものと思っていたのだ。
「オルガが私にくれたの。私たちが離れていても一緒だっていう約束。だけど、きっと今のあなたにはこれが必要だと思うから」
「これは、エドワール様が私の誕生日にくださったもの……」
オルガの声が震えた。もう泣かないと決めていたのに、短剣を受け取ると自然と温かいものが頬を伝った。
あぁ……と、オルガの口から吐息が漏れる。それが嗚咽に変わるのに、そう時間はかからなかった。
ヴァレリーはオルガを優しく抱きしめ、一緒に涙を流した。青年たちは、それを遠巻きに見守る。女神キルギスも共に泣くかのように、ただ優しい雨が降り注いでいた。




