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vivre―黒い翼―  作者: すずね ねね
3章 changer
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慈雨【2】

辺りがすっかり暗くなった頃、ヴァレリーが目を覚ました。

セバスチャンが尾を乾かし、それで包んでいたお陰か少し体調もいいようだった。

濡れてしまった服を着替える間、セバスチャンの背面に回る。


「何故戻ってきたんだ?」


ヴァレリーのいる方に向かって、青年が声をかけた。


「心配で」


「だからといって、倒れていたら」


青年の語気が強くなる。ヴァレリーの行動が腹立たしく感じた。ヴァレリーに何かあったら。そう考えると、何故か気持ちが落ち着かなくなる。


「ごめんなさい、でも離れないって決めたから」


声に熱がこもる。青年はそれをざわつく心を静めるように聞いていた。

衣擦れの音が闇夜に響き、セバスチャンの背後から着替えを済ませたヴァレリーが戻ってきた。

まだ少し顔は赤いが、先ほどよりは顔色も良かった。


「火にあたって」


青年が毛布を差し出す。雨雲が去った空は、満天の星空だ。

ヴァレリーは毛布に包まると、ぼんやりと焚き火を見つめた。


「……ルーさんは、わかってないね」


ぽつりと落とされた言葉に、青年は首をかしげる。


「ルーさんは、どうして私を逃したの?」


「それは」


適切な言葉を探し、言葉に詰まる。


「……怪我を、させたくなかった」


「私も、ルーさんに怪我をしてほしくないよ」


ゆっくりと顔を上げ、青年の顔を覗き込む。ヴァレリーの双眸が青年をとらえた。


「だから、私怒ってるんだから」


真っ直ぐに見つめ、胸中を吐露する。それは、青年が言いたかった言葉に近いような気がした。


「俺も、お前が怪我をするんじゃないかと……」


「あのね。ルーさんが私たちとは考え方が違うことはわかってるんだよ。私を守ってくれようとしたことも。だけど、私はルーさんから離れないって決めたんだから、その私の気持ちは無視しないでほしい」


「それじゃあ、俺の気持ちはどうなるんだ」


狼狽して口をついた言葉に、青年自身が驚いた。

ヴァレリーを特別だと認識していることに。


「ねえ、それって……」


「いや、これは……」


沈黙が訪れる。ヴァレリーが、細い指を青年の頬に添え、微笑んだ。


「うん、ごめんね。今は、それだけでいい」


そのまま青年の首筋に抱きつくと、毛布がばさりと肩から落ちた。


「ルーさんの体温は低いんだね。ひんやりして気持ちいい」


「また熱が上がったんじゃないのか?」


困惑した顔で青年が呟く。


「そうかな? そうかも。でも、この熱はいい熱だから」


ヴァレリーが笑う。青年は落ちていた毛布を掴むと、ヴァレリーごと包まった。


「いい熱はない、とアデライドが言っていた。もう寝ろよ」


「うーん、わかった……そういえば、あのドラゴンは?」


「まだ眠ってる。もう暴れることはないと思うが、一応みておくよ」


青年が視線を移すと、ブラックドラゴンの側でピィ眠っていた。


「ピィちゃんの家族なのかな」


「ピィが言うにはそうらしい。母親だ」


「……当たり前だけど、ルーさんはピィちゃんの言葉がわかるのか。いいなぁ」


ヴァレリーが目を細め、小さく欠伸した。


「セバスチャンと寝たらいい」


「ルーさんどっか行っちゃいそうだから、今日はこうやって寝るんだから」


「……じゃあもうそれでいいから、早く寝ろ」


無理やり会話を打ち切った青年を見上げ、ヴァレリーはもぞもぞと毛布に潜るようにして目を閉じた。

やがて聞こえてきた寝息に、青年は安堵の吐息を零すとヴァレリーが寝やすいように抱え直した。

青年には人間の細かい感情の機微を理解することが難しかったが、今日わかったことが一つだけあった。

ヴァレリーを危険な目に合わせたくない。それは、ブラックドラゴンにもある感情だ。


パートナーや子供に対する気持ちと同じものだ。


「こんなに、中途半端な存在の俺が……?」


苦悩の表情で呟かれた言葉に、一部始終を見守っていたセバスチャンが悲しげに鼻を鳴らした。




+++++++




翌朝優しく揺り起こされたヴァレリーは、間近に迫った青年の顔に悲鳴を上げかけた。更に、昨夜の自らの大胆不敵な行動に恥じ入り、赤面しながら立ち上がった。

既にブラックドラゴンは目を覚ましており、悠然と身を横たえ青年たちを見ていた。


「あっ……き、昨日はごめんなさい! もう、傷は大丈夫かしら……」


動揺を悟られまいと、ヴァレリーは慌ててブラックドラゴンに尋ねた。


「大丈夫だろう」


「よ、よかった。でも、どうしていきなり暴れていたの?」


「記憶がないらしい。ピィを探していたことは覚えているらしいが、何故俺たちを襲ったのか……」


「アデルに聞いてみないとわからないかな」


「だろうな。さて、彼女が王都ガレイアまで送ってくれるらしい。セバスチャンは乗れないが、お前は自分で走れるな」


セバスチャンが任せろと言わんばかりに頷く。


「え……ブラックドラゴンに、乗るの?」


「あぁ。大丈夫だ、彼女はゆっくり飛ぶから、セバスチャンとはぐれることもない」


「そうじゃないの!」


ヴァレリーが震えながら首を横に振る。空を飛ぶなんて、想像するだけで恐ろしい。


「怖いのか?」


青年が困ったように尋ねる。ヴァレリーが震えながら頷くと、ピィが胸に飛び込んできた。


「ピィ……」


「ピィちゃん……」


「無理にとは言わないが、歩くよりは早く着く」


ヴァレリーは迷っていた。だが、ややあって頷くと、青年の腕をつかんだ。


「オルガの力になりたい。だから、彼女の背中に乗る……」


「よし、じゃあ急ごう」


青年は頷くと、荷物をセバスチャンの背に預けた。


「場所はわかるな?後で合流しよう」


セバスチャンは頷くと、先に走り出した。いくらセバスチャンの足が速いといっても、ブラックドラゴンの飛行速度には敵わないのだ。


「さあ、行こう」


ヴァレリーを抱き上げると、青年はブラックドラゴンの背に駆け上った。ゴツゴツとした突起が幾つか生えており、青年はその間に腰を落ち着けた。


「え、こ、このまま?」


「ちゃんと掴まって」


青年がブラックドラゴンの背を叩くと、翼を羽ばたかせた。突風のような風が巻き起こりゆっくりと巨体が浮かび上がる。

ヴァレリーは眼下を見ることができず、青年の首にぎゅっと抱き着いていた。

ごうごうという風の音が唸りを上げ、あっという間に草原は遠くなる。


「懐かしいな……」


風の音の向こうで、青年が確かにそう言うのをヴァレリーは聞いた。

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