哀惜の花嫁【3】
クレイアイス城に避難する人々は、一様に暗く沈んだ顔をしていた。
ホールは灯りが落とされ、民達には暖かい毛布が配られていた。
人々は言葉少なで、時折聞こえる子供の泣き声や怪我人の呻き声が響いていた。
騎士団は夜になっても交代で街を巡回し、2度目の魔物の襲撃を警戒していた。
「結界の効力が打ち消されていた?」
エミリアンの一番上の兄であるジェインが言った。
年老いた王の代わりに、陣頭指揮を執っているのだ。
「すぐに魔術師に結界の修復を手配させろ。大事な客人を迎え婚礼を行っている日に、なんということだ」
双眸を険しく歪め、報告に訪れていた召使いを叱責する。
「すぐに手配致します」
召使いが部屋から出て行くのを見届けると、ジェインは重い溜息を吐いた。
「大丈夫で、ございますか?」
ガウンを肩からかけた、線の細い女が奥の部屋から現れた。
プラチナブロンドの髪を緩く一本にまとめ、濃紺の瞳が気遣わしげにジェインを見つめている。
ジェインの愛妾、ベアトリスだった。
「あぁ、すまない。大丈夫だ」
安心させるようにジェインが微笑むと、ベアトリスの双眸が細められた。
「結界が破られたとか……」
「問題ない。すぐに修復させる。私も戻らなくてはならん。お前も後宮で避難しているんだ」
ジェインがベアトリスの頬に手を添えると、ベアトリスは困ったように笑った。
「お妃様方と私では、身分が違いすぎますわ……。ジェイン様のお情けでおいて頂いている身。そんな扱いなど……」
「構わん。マルグリット様は民への偏見もないと聞く。彼女は今、兄上の具合に心を痛めている。側でお支えするという役目を頼みたい」
可愛い弟の為でもある、と言い含め、ジェインはベアトリスの唇を奪った。
されるがままに任せながら、ベアトリスは頷いた。
「よし、では案内させる。母上や他のものが何か言ってきても、私の命令だと言えばいい。エミリアンもいるはずだから、2人の側から離れないように」
ジェインに言われた通りに、ベアトリスは後宮にあるオルガとエミリアンがいる部屋へと案内された。
他の貴族や王族、客人たちも避難しているのだろう。
そこかしこの部屋からすすり泣きや怒号が聞こえる。
ノックをすると、ドアが内側から開かれた。
エミリアンが驚いた顔をして立っていたが、ジェインからの命令だとわかると快く受け入れた。
「マルグリット様、ベアトリスだ。兄上の……」
「初めまして、ベアトリス様」
泣き腫らした目で、それでもオルガは立ち上がって微笑んで見せた。
ベアトリスも恭しく礼をする。
「ベアトリスです。マルグリット様、私に敬称など不要ですわ」
ベアトリスが微笑み、オルガの手をとろうとする。
瞬間、2人の指先に僅かに火花のようなものが散った。
「……?」
オルガが不思議そうに手を見つめると、ベアトリスは慌てたように手を戻す。
「や、申し訳ありません……乾燥していたようですわ」
「まぁ……そういえば、冷えますものね」
オルガが少しだけ笑みを浮かべたので、エミリアンも安心したように微笑んだ。
「さあ、2人とも座ろう。エドワール様は強い方だから大丈夫」
「ええ……」
オルガが頷き、再び椅子に腰掛ける。
ベアトリスは暫くオルガのことを見つめていたかと思うと、急にくつくつと笑い始めた。
その変化に、オルガとエミリアンは互いに顔を見合わせる。
「ベアトリス?」
エミリアンが声をかけると、ベアトリスは先刻までの儚げな微笑を捨て去り冷徹な笑みを浮かべて立っていた。
「永い間、待っていた甲斐があった」
淀んだ暗い声で、ベアトリスは言った。
「まさか、エミリアン王子のお相手がレイダリアの姫君だったとは。ジェインは中々教えようとしないから困っていたところなんだ……ディディエも捕まったようだし。だが、私の思惑通りになったようでよかった」
値踏みするような目で見つめられ、ほとんど反射的にオルガは立ち上がっていた。
「ディディエを、何故知っているのです?」
「さあ、何故だろうねえ。当ててごらん」
試すような表情のベアトリスに、オルガは厳しい目を向ける。
「あなたが、仕組んだのですか?エミリアン様……誰か人を」
「おっと、そんなことをする必要はない。私の目的はマルグリット、貴様だが。どうやら女神の加護は思ったよりその身に恩寵を与えているようだ。だから、利用させてもらう」
しなやかな動きで、ベアトリスの腕が動いた。
闇色の魔力が蛇のように蠢き、それがエミリアンの身体に纏わりつく。
「エミリアン様!」
「マルグリット様! 来てはダメだ」
踏み出しかけたオルガの足が止まる。
ベアトリスはにんまりと笑うと、窓辺へ足を向けた。
「こいつは預かっておこう。なあに、簡単なことさ。東の果てにある大陸のどこか。そこに私の根城がある。お前は私の側まで来るんだ」
「何故そんな回りくどいことを……」
「わからないのか?お前に私の魔術はきかないのさ。忌々しい女神の加護」
ベアトリスが魔術を練り上げ窓を割る。
窓枠に足を掛けたベアトリスに、オルガが追いすがった。
「待って! あなたは誰なの!」
ベアトリスがくるりと振り向いた。
その顔は、暗い海のように底なしで、何を考えているのか計り知れない。
「魔女さ。災禍の魔女、ベアトリス」
微笑み、窓の外に身を躍らせる。
魔術に拘束されたエミリアンも共に。
「エミリアン様!」
窓枠から身を乗り出すと、飛来した一匹のヴィーヴルが2人を受け止め東の空へ飛んで行った。
「そんな……」
オルガが床にへたり込むと、召使いが駆け込んでくる。
「マルグリット様、何事ですか?!」
「あぁ……私……」
動揺して揺れる瞳のオルガを助け起こしながら、召使いは彼女を椅子に座らせた。
「大変です、マルグリット様!」
別の召使いが青い顔で部屋に飛び込んできた。
一瞬部屋の惨状に目をみはる。
それでも召使いはオルガの前に進み出た。
「エドワール様が……」
その言葉に、今度こそオルガは泣き崩れた。
たった1日で、愛する人を2人も失ったのだ。




