哀惜の花嫁【2】
クレイアイス城下街はまさに地獄絵図だった。
人々の怒号や悲鳴が響き、至る所で煙が上がる。
母親とはぐれた幼子の泣き声が響く傍らで、誰のものともつかない血飛沫が散る。
クレイアイス騎士団は人々の救助と魔物の討伐に奔走していた。
街に滞在していた冒険者たちも果敢に戦いを挑んでいたが、圧倒的な物量に攻防は困難を極めた。
自らの騎士団を率いていたエドワールも現場で陣頭指揮にあたり、その側にはエミリアンもいた。
「君は戻ったほうがいい」
普段から騎士団を率い国の治安を守るエドワールとは違い、エミリアンは文学や音楽を愛する性格だ。
形式的な剣術は習っているとはいえ、やはり圧倒的に実戦が足りない。
「我が国のことです、レイダリアのあなたに任せっきりでは……」
鎧に身を包み、剣を携えてはいても。
自然とこの惨状に目を逸らしそうになる。
それでもエミリアンは毅然と前を向くと、なんとか形勢を優位にできないものかと頭を悩ませた。
「殿下! 2ブロック先で負傷者多数です。このままでは押し切られます!」
エドワールの部下の報告に、エドワール自身も顔をしかめた。
「魔術師を護衛しながら投入しろ、民の避難を優先し、クレイアイス騎士団を援護するのだ」
「はっ!」
部下が去るのを見届け、エドワールはもう一度エミリアンの目を見つめた。
「もう一度言う。戻るんだ。エミリアン王子、マルグリットを1人にするおつもりか?」
「ですが、あなたにもしものことがあればマルグリット様になんと言えばいいか」
「エミリアン王子を失うことと、私を天秤にかけることこそ無意味だ。戦場では自らの身を守れないものから死んでいく。あなたは戻るべきだ。おい、殿下を城内へお連れしろ」
エドワールが別の部下に声をかける。
部下は粛々と頷くと、エミリアンに立ち去るように促した。
渋々城内に戻ったエミリアンを見送ると、エドワールの顔色が険しくなる。
「私も討って出る! これ以上魔物どもの狼藉を許すな!」
エドワールが声高に言い、愛馬に跨る。
騎士達が雄叫びをあげ、馬を駆るエドワールに続く。
城下で人を食らうヴィーヴルの群れを切り崩しながら活路を見出す様に、クレイアイス騎士団も徐々に勇気付けられていくようだった。
「エドワール様」
将軍ベルクが、負傷しながらも近づいてきた。
「ベルク将軍。戦況は?」
「大分数は減らしましたな。だが、我が国は魔術師が少ない……空に逃げられては」
言いながら空を見上げる。
まだ相当な数がクレイアイスの空を舞っていた。
「かといって、王城の警護はこれ以上減らせぬ。民を王城で受け入れている以上、なんとかここで持ちこたえねば」
悔しそうに歯噛みするベルクに、エドワールは笑顔を向けた。
「それでもやらなくては。ベルク将軍、まずは手当を。私はもう少し前線へ」
「お気をつけて。魔物ども、数に物を言わせて無茶をしてきますぞ」
「ご忠告、肝に命じておきます」
ベルクと別れ、瓦礫が増えてきたブロックを抜けると。
灰狼騎士団が数匹のヴィーヴルと戦っている最中だった。
魔術師の詠唱の間、騎士達が必死にヴィーヴルの気をそらす。
隊長の男がひっきりなしに指示を飛ばす怒号、ヴィーヴルの尾に吹き飛ばされた騎士の悲鳴。
エドワールは隊長の側へ行き馬を降りると剣を抜いた。
「状況は?」
「ご覧の通りです。あの尾が厄介だ、すでに何人か使い物になりません」
「なるほど。お前たち、尾の攻撃に注意しつつ加勢するんだ」
ついてきた騎士達は、それぞれ散開しヴィーヴルのもとへ駆けていった。
「現在、民の避難はほぼ完了したようです。クレイアイス騎士団が本格的に鎮圧に乗り出しました」
飛来したヴィーヴルを斬り伏せながら、隊長が言った。
「こいつの鱗は脆いのか」
地面に落ち、翼をもがれたヴィーヴルを見てエドワールが呟く。
首を切り落とすべく刃を突き立てると、あっさりと血飛沫が舞った。
「ええ、ですがやはり空を飛ぶことと尾の一撃は恐るべきものがありますね」
見れば、魔術師たちの魔術でヴィーヴルたちが討伐されたところだった。
「殿下、ここはもう大丈夫でしょう。クレイアイス騎士団も間もなく応援にきます。殿下も城内に避難を」
「だが、誰が指示を出す?押し返しているがまだ終わったわけでは……」
「殿下!」
エドワールの頭をその時よぎったのは、油断したことへの自身へ対する叱責だった。
握っていた剣が宙を舞うのが、やけにゆっくりと見えた。
「殿下を離せ!」
騎士たちが怒りを露わにする顔を見て、エドワールは理解する。自身の肩口に食いつくヴィーヴルの存在に。
魔術師の放った魔術がヴィーヴルに当たり、痛みのためかヴィーヴルの咆哮がこだました。
よろよろと数歩歩いたエドワールを、隊長の腕がしっかりと支えた。
鎧を貫通したヴィーヴルの牙が、どうやら身体まで到達しているようだった。
「殿下、すぐにヒーラーの元へ」
隊長の言葉が痛みのあまり遠くに聞こえる。
エドワールは朦朧とする意識を必死に繋ぎとめようとしていた。
「鎧を外しますよ、殿下。さあ、もう大丈夫です」
建物の影に寝かされ応急手当てを受けながら、エドワールは自嘲の笑みを浮かべた。
エミリアンに説教を垂れた自身への。
なんとか繋ぎとめようとしていたエドワールの意識は、そこでぷっつりと途絶えた。
その知らせを、オルガは城のホールで聞いた。
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運び込まれる怪我人の治癒をかってでたのは、自分も何か人のためにしたかったからだ。
運び込まれる様々な人たちを聖堂のシスターや冒険者のヒーラーたちと癒して回る。
マルグリット自らドレスが汚れるのも厭わずに出向くことが、結果的に民や騎士たちの希望となった。
「マルグリット様! こちらにいらっしゃったのですか……お兄様が、エドワール様が」
召使いが震えながら告げた言葉に、オルガも青ざめた顔で立ち上がった。
覚悟していなかったわけではない。
だが、自然と身体が震える。
「どこです?」
「こちらへ」
召使いが案内した先は、ホールの一画に簡易的に作られた病室だった。
布で目張りされ、外から様子を伺うことはできないが中から人の気配がした。
「マルグリット様をお連れしました」
召使いに促され中に入ると、悲しげな顔をしたユークリッドと目があった。
「陛下……」
オルガが声をかける。ユークリッドはゆるゆると首を横に振ると、何も言わずにその場を後にした。
「エドワール様……」
震える声で名を呼ぶ。
運び込まれたベッドに横たえられていたのは、確かにエドワールだった。
傷口には布が当てられ、医者やナースが必死に治療をしていた。
何人かのヒーラーも必死に治癒の魔術を施していたが、エドワールの血が止まらないようだった。
「エドワール様は……大丈夫なのですか?」
オルガは恐ろしいと思った。
その答えを聞くことを脳が拒否しつつも、それでも聞かねばならない。
「出血が多いです。魔物の毒のせいです。必死に治療していますが、今夜が山でしょう……」
吐き出された言葉に、オルガはゆっくりとエドワールの手を握った。
腹違いにも関わらず、本当の妹のように接してくれていたエドワールを思うと自然と涙が溢れた。
「死んではダメよ……」
氷のように冷たいエドワールの手を包み込み、オルガは静かに泣いた。
「さあ、マルグリット様。あとはお任せください」
ヒーラーの1人がオルガを支える。
外ではエミリアンが待っていた。
「マルグリット様……」
「エミリアン様、エドワール様は……」
大丈夫、きっと大丈夫だから」
オルガを抱き寄せ、月並みな言葉を並べることしか出来ない自分に、エミリアンは歯噛みした。
外ではヴィーヴルの群れが淘汰され、騎士達が歓声をあげる。
そうして、クレイアイスの長い1日が終わろうとしていた。




