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vivre―黒い翼―  作者: すずね ねね
2章 les derniers adieux
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ナゲキノコエ【2】

翌朝、予定通りに関所を後にした一行だったが、進行は順調とは言えなかった。

青年たちの懸念通り、この辺りではあまり見かけることのない魔物が洞窟内を闊歩していたのだ。30人ほどで構成されていたファブリスの部下たちも傷つき、精鋭と謳われていたエミリアンの率いる騎士団も、負傷し立ち上がれなくなるものが多くいた。


ファブリスは元々一介の冒険者に過ぎず、あまり組織的な戦略には向いていないことが自分ではよくわかっていた。

加えて、薄暗く見通しの悪い洞窟内部だ。

負傷した騎士達を庇いながら、いつしかピィと出会ったホールへと追い詰められた。


怪我人を庇うように青年やファブリス、残った騎士達が陣形を整える。

狭い通路よりは立ち回りがしやすいだろうか。


薄暗く湿った通路の奥から現れたのは、東の沼地に棲息するおぞましい魔物だった。


青白い、ぶよぶよとした……例えるならば、水死体のような。

だが、驚くほど巨大な体躯。腹の部分には、開いたり閉じたりを繰り返す大きな口。

全長で言えば5メートルは優に超えるであろう身体に、不自然な甲殻類の脚が6本。

本来腕があるであろう部分は、太く黒いぬめぬめとした触手が生え、その先は割れ、鋭い牙が覗く。

皮膚は弾力性のある脂肪に覆われているのか、狭い通路でも形を変え、無理矢理に移動できるようだった。

何より不気味なのは、その頭だった。


身体の大きさとまるで釣り合いの取れていない、人間の頭部ほどの大きさ。

だが、禿げ上がったその顔は、無数の瞼のない眼球がびっしり、忙しなくホールを見つめていた。


「う、うわ……くるなぁ……」


騎士達が恐怖に慄く。

それだけこの魔物がおぞましい瘴気を放ち、常人であれば発狂たらしめる可能性をはらんでいた。


「落ち着け!弓と魔術で牽制しろ!俺とファブリスが引き付ける!」


青年の叱責に、戦意を失いかけていた騎士達がそれぞれの武器を手に取る。

迷っていては、ただ無慈悲に蹂躙されるのみだ。


「ルーさん……!あ……なに、あれ」


騎士達の様子の変化に、怪我人の手当てをしていたはずのヴァレリーが恐怖の悲鳴を上げた。

側にいたセバスチャンが、気遣うようにヴァレリーに擦り寄った。


「ヴァレリー!ただの魔物だ、だが近寄るなよ」


「わ、わかった……私に出来ることは?」


動揺しそうになる自らを奮い立たせるように、駆け出していく背に声を掛ける。


「魔術で援護を。遠慮は必要ない」


青年の言葉に、ヴァレリーは頷いた。

恐怖に足が震える。それでも、ここで泣き叫んで逃げ惑えば、怪我人やオルガたちの身が危険になるのだ。


ゆっくりと、値踏みするように近づいてきていた魔物は、青年とファブリスが視界に入ると歓喜するように震えた。

甲殻類の脚の1本が、ファブリスを狙って振り下ろされる。


硬い地面が削れる音が響くが、ファブリスは最小限の動きで難なくこれをかわしていた。


「おい、ルー!俺のハンマーじゃあこいつの脂肪は叩き潰せんぞ!」


「わかってる。だが、脚を砕くことはできそうか?」


青年が触手を避けながら尋ねる。

魔物の動きは緩慢で、青年やファブリスにとって避けきることは難しいことではない。


「まぁ、やってみるが……」


だがそれは、あくまで避けることに徹すれば、の話だ。

ファブリスのように重装備の場合、ことハンマーなどの武器は威力が高い分攻撃も大ぶりだ。

当然そこに隙が生じやすく、相手の動きを読みながら攻撃に転じねば結果は想像に難くない。

魔術師たちやヴァレリーが炎や氷の魔術で牽制しているとは言っても、中々に厳しい。


「ええい、儘よ!」


肩口を狙い澄ましてきた触手をいなし、ハンマーを魔物の脚、その横っ面に叩き込む。

破壊まではいかないが、魔物は打ち据えられた脚を持ち上げ仰け反った。


脚が持ち上がる瞬間、青年が滑らかな曲線を描き跳躍する。

魔物の肩のあたりに着地すると、魔物の瞳が一斉に青年を捉えた。


「ルーさん……!」


ヴァレリーの悲痛な声が響く。

青年の背後から、触手が唸りを上げて襲いかかる。

だが、青年にそれが届くことはなかった。


いつの間に飛び乗ったのか、セバスチャンが触手を噛みちぎり、地面へ着地する。

唸り声を上げ触手だったものを吐き出すと、再び跳躍の体勢にはいったようだった。

警告のつもりなのだろう。


青年はそれを見届けると、剣をなめらかに滑らせた。


音も無く、魔物の首が飛ぶ。


次いで、漆黒の体液が切断面から雨のように降り注いだ。


「離れろ、酸性だ」


青年が声を掛けながら飛び降りる。

ファブリスとセバスチャンも慌てたように後ずさった。


体液が落ちた部分は、そこだけ溶け出したような黒い染みができ、陥没していた。


「ヴァレリー、セバスチャンの口の中を、念の為消毒してやってくれ」


見れば、少し体液が付着したのかセバスチャンの口の中が火傷のようになっている。


「助かった」


労うように撫でてやると、セバスチャンは満足したようにヴァレリーの後をついて行った。


しかし、被害は甚大だった。

少なくとも、ここから先進んだ結果同じ魔物に出くわせば、狭い通路で迎撃することは困難だ。

だからといって、ここで手をこまねいていることも得策ではない。


進退極まり、青年とファブリスはどうすべきか思案していた。


「どうした、困っているのか」


唐突に掛けられた声に、青年とファブリスが声の主を探す。

目の前には、目の覚めるような美女が立っていた。


豊満な身体のラインを隠そうともせず、鮮やかな赤いロングドレスに身を包む。

緩やかな巻き毛の金髪は腰ほどまであり、翡翠のような瞳は切れ長で、一層女の美しさを強調していた。

左腕はすらりと伸びていたが、右腕は長い袖に隠されて窺い知れない。

何より特徴的なのは、その耳だ。


「エルフ?」


誰のものともとれないどよめきが起こる。

その希少で美しい種族は、滅多に人前に姿を現さない。


「なんだ、それが問題か?さて、儂がここまで出張ってやったんだ、何か礼の言葉でもないのか、ルーよ?」


目の前の美女とルーが知り合いだとわかり、再び大きなどよめきが起こった。

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