表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
vivre―黒い翼―  作者: すずね ねね
2章 les derniers adieux
48/82

婚礼式典【3】

人で賑わうホールより、テラスは夜風が通る分涼しかった。

散々マイトに連れまわされたヴァレリーは、なんとか言い訳をしてマイトから離れ、今はテラスの手すりに身を委ねながらぐったりとしている。

その横に、青年が冷たい紅茶を持って現れた。

透明なグラスに氷が3つ沈んでいる。

レイダリアで氷は貴重なものだったが、クレイアイスからの贈答品の中には氷も含まれていた。

水の魔術と風の魔術を応用し氷が作れないこともないのだが、味が違うのだという。


「大丈夫か?」


グラスを差し出しながら尋ねると、紅茶を受け取りながらヴァレリーは力なく微笑んだ。


「ちょっと疲れちゃった。こんなヒールの高い靴も普段履かないし」


そう言ってドレスの下から差し出された素足は、赤く腫れていた。


「歩けるか?」


「どうかな、ちょっと休んだら平気だと思う。私も癒しの魔術が使えたらよかったのに」


ひんやりとした大理石に素足を投げ出すと、少しだけ痛みが遠のく気がして、ヴァレリーは微笑んだ。

ホールからは、賑やかな音楽が聴こえ楽しそうな貴族たちの笑い声が響く。


「お前は、何か悩んでるのか?」


唐突に投げかけられ、ヴァレリーはグラスを握り締め思わず目を伏せた。

考えないようにしていたことを、よりによってその原因に尋ねられたのだから。


「ん……なんでもないよ」


胸の内を悟られまいと精一杯の虚勢をはって落とされた言葉は、青年にとって納得できるものではなかった。

ヴァレリーが背を預ける手すりに、ヴァレリーを挟み込む形で詰め寄ると、そのエメラルドの双眸でヴァレリーを見つめる。

跳ね上がる鼓動に、ヴァレリーはグラスを取り落としそうになりながら青年を見つめる。

薄暗がりの中でもわかるほど、ヴァレリーの頬は上気し切なげに呼吸が揺れた。


「……? やっぱり具合が悪いんじゃないのか?」


間近で青年に問われる。

あとほんの少し近付けば、お互いの唇が触れそうな距離。

ヴァレリーは動悸で目尻に涙すらためつつ、ゆっくりと首を横に振った。


「じゃあどうしたんだ」


わからない、と言いたげに青年が尋ねる。

ヴァレリーはその言葉に、何か答えるべきか悩んでいるようだった。

意を決したように息を吸い込むと、痛む足に力を込め、僅かに背伸びする。

ちょうどヴァレリーの顔を覗き込んでいた青年の唇に、ヴァレリーの唇が優しく触れた。


永遠とすら思えるような。

一瞬、2人の周りの音が消えたと錯覚するほどの僅かな時間。

潤んだ瞳でヴァレリーが身を離すと、青年が驚いたようにヴァレリーを見つめていた。


「……ごめんなさい、うまく言葉に出来なくて」


はにかんだような笑顔で、ヴァレリーが呟く。

青年がはっとしてヴァレリーを見つめると、急に真剣な顔になった。


「お前は……」


今度は青年が言葉を探すように目を伏せた。

ヴァレリーは不安げに青年を見つめる。


「あ、あの!べつにルーさんの彼女になりたいとかそういうんじゃなくって……」


泣きそうになりながら必死に弁解するヴァレリーを手で制すと、青年が小さな吐息を零した。


「それに関しては後だ。お前に話さないといけないことができた」


青年はそう言うと、ヴァレリーが何か言うより早くヴァレリーの腰に腕を回し抱き上げた。

そのままテラスの手すりに跳躍すると、下に広がる庭園へと身を翻した。


「……ぅあ……」


恐怖で情けない声が漏れる。手から滑り落ちたグラスが、遠くでカシャンと悲しい音を立てたのだけがかろうじて聞こえた。

青年はヴァレリーを抱き上げたまま、音もなく庭園に着地した。


夜の庭園には人影はなく、青年は手近なベンチにヴァレリーをゆっくりと降ろすと困ったように、だが優しく微笑んだ。


「すまない、あまり他の人間に聞かれたくないんだ」


青年の言い方に引っ掛かりを覚えつつも、ヴァレリーは頷いた。


「何から話すべきか……」


青年は逡巡する。ヴァレリーが心配そうな顔で見つめているのに気がつくと、青年はややあって口を開いた。


「ヴァレリーは、俺が人間じゃないと言ったらどうする」


静かに尋ねられた言葉に、ヴァレリーは身じろぎせず青年の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「気にしないよ」


静かな言葉。それは、セバスチャンやピィにも人間と変わらず接するヴァレリーらしい答えだった。

青年はどこか安堵したかのように頷くと、ヴァレリーの横に腰掛けた。


「俺は、クレイアイスの山脈に棲む、竜だった」


ぽつり、と落とされたその単語に。

ヴァレリーはいつか見た青年の肌を覆う美しい鱗を思い出した。


「ピィちゃんと一緒の?」


「そうだ。それでもお前は、俺にさっきみたいな反応をするのか?」


「……ルーさんが鈍いのとか、変なところが世間知らずだったのはそういう理由だったんだ。でも、もう遅いよ」


なんでもないと言いたげに、ヴァレリーは微笑んだ。

走り出した気持ちは、そう簡単に拭いされるものではない。


「私、もうこんなにあなたのことが好きなんだもの」


「好き……」


青年が戸惑ったように呟く。


「ブラックドラゴンは、恋をしないの?」


ヴァレリーの問いに、青年は困ったように笑う。


「いや、恋はする。だが、俺の知る限り人間と契った例は知らない」


「そうなんだ。でも、ルーさんは今はドラゴンじゃないよ」


「そうだな。だが、俺は元に戻る方法を探すために旅をしているんだ」


「それが、ルーさんの目的なのね。もしかして、魔女を探しているのって……」


「そうだ。俺に呪いをかけ、こんな姿に変えた……」


青年が目を細める。ヴァレリーはそんな青年の手をそっと握ると微笑んだ。


「うん、決めた。あのね、返事は保留でいいわ。そのかわり、私は最後までルーさんの旅を見届けたい」


「いつ終わるかもわからない旅なのにか?」


驚いたように目を見開くと、青年はヴァレリーのことを見つめた。


「そうよ。だって、人間の一生は短いもの」


「どうしてもか」


「どうしても!置いていくなんて言ったら、絶対探し回るんだから」


ヴァレリーの言葉に青年は一瞬悩む素振りを見せるが、すぐに諦めたように息を吐いた。


「お前の気持ちに応えられるとは限らないからな」


「うん、ありがとう」


今のヴァレリーにとっては。

こうして青年の側に居られるだけで満足なのだ。

人と竜という、本来であれば交わることのないもの同士の縁が、こうして芽吹いてゆく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ