氷の都【3】
翌日、クレイアイスからエドワール宛の書状を持った兵士が旅立った。
「あなたは、よかったのですか」
オルガがエミリアンに尋ねる。
城のバルコニーには、今はオルガとエミリアンの2人しかいなかった。
「貴女はどうなのです」
エミリアンが微笑む。
オルガは何と答えるべきかわからず、顔を背けた。
「わたくしは、いつかどこかへ嫁ぐのが当たり前だと思っていましたから」
嘘ではない。
ただ、それが今突きつけられるとは思っていなかっただけで。
実際には、これから国王同士の腹の探り合いが始まる。
本当に嫁ぐことにならないこともあるが、オルガがクレイアイスにいる以上どうすることも出来ないだろう。
それがわからないほど、オルガは愚かではない。
「こんなことを言ったら笑われるかもしれませんが」
エミリアンが困ったように笑う。
「私はずっと、マルグリット様のことを想っていましたよ」
掛けられた言葉に、オルガは思わず顔を赤らめた。
オルガも王女として生活してきて、愛の言葉を囁かれたことがないわけではない。
ただ、こうして面と向かって飾り気のない気持ちを告白されたことは初めてだった。
情緒も何もあったものではないが、自らを讃えるどんな美辞麗句よりも甘美な言葉に聞こえたのだ。
オルガはそんな自分を恥じ、思わず俯いていた。
「ずるいですね、あなたは」
「知っています。これがチャンスだと思う私を、嫌ってくれても構いません」
オルガの腕を引き、抱き寄せる。
間近に迫ったエミリアンの顔に、オルガは身動きが取れずにいた。
頬を染めたままエミリアンを見上げると、彼はオルガの頬に口付けた。
「そんな顔をしないでください、困ってしまいます」
あぁ……、とオルガは妙に納得していた。
これが、恋に落ちるということ。
数週間後、レイダリアの灰狼騎士団が華々しくクレイアイスへ訪れた。
先頭を馬で進むエドワールに、国民たち……特に女は見とれた。
予め舞踏会を開く旨を触れ回っていたお陰か、国民たちの動揺も少ないようだった。
「お久しぶりです、エドワール様」
国王に謁見を済ませたエドワールの部屋を、オルガが訪れた。
エドワールは久々に会うオルガを抱きしめた。
「すまなかった、マルグリット。まさかこんなことになるとは」
「いいのです。それより、ルードの件はどうなりましたか?」
「こちらで身柄は預かった。ディディエは部下が確保に向かっている頃だろう」
「そうですか、良かった」
「それから、マルグリットの仲間だが……」
「エドワール様が来てくださったので、彼らの身も自由になるかと思うのですが」
オルガが不安げに言う。
名目上は従者ということになっている以上、ヴァレリーには会えていたが青年とファブリスには暫く会っていなかった。
「それは後ほど掛け合ってみよう。まずは、マルグリット。君の件だ。陛下が心配していたよ」
「申し訳ありません……」
「祖父も一緒に来ているから、後は交渉次第だが」
エドワール難しい顔で俯いた。
「わたくしはいいんです。それより、ルーさんやファブリスさんに、一言お礼が言いたくて」
「君は他人のことばかりだな」
エドワールがオルガの頭を優しく撫でた。
青年たちはこの数週間、クレイアイス城に足止めを食らっていた。
オルガが結婚を承諾したということはヴァレリー経由で知っていたのだが、具体的な交渉やルードの引き渡しを見届けるまで動けずにいた。
そんな彼らの元へ、エドワールが訪れた。
「久しぶりだね。ご苦労だった」
「すまない、こうなる予定じゃなかったんだが」
「いや、仕方ないことだ。まさか君たちが実行犯を捕まえているとは思っていなかったしね」
エドワールが肩をすくめる。
「それと、一つ頼みがある。恐らくマルグリットの婚礼は進めることになるだろう。そこで、婚礼の準備の為にマルグリットもレイダリアに戻るのだが、その旅に同行してほしい」
「それは構わないが、俺はこの国の隠者にも野暮用があるんだが」
「急がないならこちらが片付いてからにしてくれないか?」
エドワールの頼みを、青年は聞き入れることにした。
「ただいま!って、エドワール様!お久しぶりです」
ヴァレリーが慌ててお辞儀をする。
ヴァレリーはこうして、日に何度かセバスチャンと子竜の様子を見に行っていた。
子竜の容態はすっかり良くなり、セバスチャンの毛皮に埋もれて昼寝をするほど懐いていた。
「やあヴァレリー」
改めてエドワールは青年に協力を頼み、部屋を出て行った。
「どうするの?ピィちゃんのこともあるし……」
「……」
元々隠者の森に行く理由は通信のためだったが、背年は子竜の親探しを隠者に頼もうかと思っていたのだ。
魔術は万能ではないが、やれることも多い。
少なくとも、青年が知る隠者はその手の技術に秀でていた。
だが、こうなってしまった以上子竜の母親探しは後回しにせざるを得ない。
青年は仕方なく、レイダリアに戻ることを決めたのだった。
一章 終了。




