氷の都【2】
ヴァレリーが侍女のように振る舞う。
衛兵は尚も信じられない様子でいる。
「そのような話は聞いていないが」
「お忍びのご旅行でございます」
「少し待っていろ」
衛兵が一人、城の中へ入っていく。
自分では判断できなかったようだ。
暫くして、衛兵ともう一人、若い男が出てきた。
「マルグリット様がおいでだと聞いたが?」
つかつかとヴァレリーに歩み寄った男は、よく通る声で言った。
若葉のような髪色に、藍色の瞳の美青年だ。
「あの……」
ヴァレリーが戸惑って声を掛けると、男は微笑んだ。
「マルグリット様の共のものか。私はエミリアン。マルグリット様とは何度かそちらの国の舞踏会でお会いしている。この衛兵がマルグリット様の顔を知らないというものだから、私が代わりに」
エミリアン・ルイス・クレイアイス。
それが彼の名だった。
このクレイアイスの第三王位継承者。
「あ、そうだったんですか……」
若干面食らってヴァレリーが頷く。
どうすべきか青年の顔を伺うと、青年が頷き馬車の扉を叩いた。
中からオルガの返事が返ってきて、青年はそれを確かめると扉を開いた。
青年がオルガの腕をとり、ゆっくりとオルガが馬車から降りる。
胸元のペンダントが揺れ、静かに輝いた。
「おお」
エミリアンが感嘆の声を上げる。
オルガは青年に腕をとられながら、ゆっくりとエミリアンの前に進み出た。
「お久しぶりでございます、エミリアン様。急な来訪にも関わらず、こうしてお目通り叶ったこと、深く感謝申し上げます」
ドレスの裾を優雅に摘み、深々と頭を下げる。
その所作の美しさにエミリアンは思わず見とれていたが、すぐに笑顔で頷いた。
「お久しぶりです。これで貴女が本物のマルグリット様だと確認できたわけです。さあ、ここは寒いでしょう。中へどうぞ」
エミリアンが優しくオルガの腕をとり歩き出す。
「お前たち、マルグリット様の共の方々にも休息を」
エミリアンが指示すると、衛兵の一人が先に駆けて行った。
「あ、あの。ヴァレリーも一緒でいいですか?」
「ヴァレリー?ああ、侍女の娘だね。いいでしょう、来なさい」
ヴァレリーは慌てて2人の後を追いながら、青年の方を振り返った。
青年は、ただ頷いているのみだ。
エミリアンに伴われ場内を進む。
広い廊下は不思議と暖かく、オルガとヴァレリーの緊張も幾らか和らいだ。
豪奢なレリーフが施された扉の前で、エミリアンが立ち止まる。
当たり前のようにここにも衛兵が2人立っていた。
衛兵は扉をゆっくりと開くと、室内の様子が見えた。
会議室のような巨大な丸テーブルが置かれており、その一番奥に初老の男性が立っていた。
見事な白髪にゆったりとした衣服を身につけ、エミリアンと同じ藍色の瞳が柔らかい笑みの形をとっている。
「陛下、レイダリアの王女マルグリット様がおいでです」
「おお、お忍びのご旅行とか。はるばる良く参られた。どうですかな、クレイアイスは」
「国王陛下、この度は……」
オルガが急な来訪を詫びようと口を開くと、王は緩やかに首を横に振った。
「エドワール様から、書状を頂いておる。困ったことがあればなんなりと言いなさい」
オルガは驚いてヴァレリーと顔を見合わせる。
エドワールがこうなる可能性を見越して、既に先手を打っていた。
「……では、国王陛下。いくつかお願いがあるのです。まず、私が乗ってきた馬車にルードという男が乗っています。この男は我が国での罪人で、しばらくの間陛下の元で預かっていただきたいのです」
「ふむ。エミリアン、牢は現在あいておるか」
「はい、陛下」
「であれば問題はなかろう」
国王が頷くと、オルガは安心したように続けた。
「もう一つは、エドワール様がルードを引き受けに来る許可と、陛下とわたくしからの書状をレイダリアに送ること」
これには国王も少し難色を示した。
エドワールが来るということは、騎士団としての遠征になる。
元々軍事力としては水準の高くはないクレイアイスとしては、国民の混乱を避けるために何かしらの手をこうじる必要があった。
「……交換条件を飲めるのなら、いいだろう」
国王が重い口を開く。
オルガの表情に緊張が走った。
「いいかな、若い姫君よ。こと、これは国交、いや国政に関わること。一国の代表としての依頼ならば、相応の覚悟を持って考えられよ」
そして王の口から出た言葉は、オルガを悩ませ、縛るものだった。
「あいつら大丈夫かねえ」
オルガとヴァレリーがエミリアンと場内に消えてすぐ、青年とファブリスは召使い用の休憩室に通されていた。
ルードもしばらくは一緒にいたのだが、後から来た兵士に連れて行かれた。
恐らく、オルガの交渉が上手くいっているのだろう。
「オルガなら大丈夫だろう」
青年が呟く。
ファブリスも頷くと、沈黙が訪れた。
ややあって、休憩室の扉が開く。
入ってきたのは浮かない顔をしたヴァレリーだった。
「おう、どうした。うまくいったのか?」
「ファブリスさん……どうしよう」
ヴァレリーが狼狽える。
青年が立ち上がり、ヴァレリーの肩を掴んだ。
「何かあったのか?」
「オルガが……オルガが結婚させられちゃうかもしれない」
「は?」
ファブリスが禿頭をガシガシと掻く。
「交換条件なの。エドワール様をここまで導くには、オルガがこの国の王子様と結婚するのが条件だって」
「おいおい、随分一方的すぎやしないか?第一、あっちの王様が納得するのかね」
ファブリスが困ったように呟く。
「断ればエドワール様が来れないし、それにレイダリア側から見ればオルガが人質になっている図式だから、どちらにしろオルガは……」
ヴァレリーが悲しそうに呟く。
万が一オルガ奪還のために本当に戦争にでもなれば、多くの血が流される。
それはオルガとしても避けたいことだろうし、国王もそれを見越しての条件なのだろう。
「オルガは?」
青年が尋ねる。
「一晩考えるって。でも、こんなの……」
だが、これはオルガにある種宿命付けられていたものだ。
王女として産まれたオルガは、選ばなければならない。
それは、他の誰にも代わることのでいないものなのだ。
こうなっては、青年たちも迂闊には動けなかった。
名目上は王女マルグリットの従者ということになっている。
勝手に王都から出れば、あらぬ疑いを掛けられかねない。
オルガの決断を、待つより他なかった。




