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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第12章「ハーメルンの笛、高らかに」
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【12ー5】錯綜

 グロリアス・スター・カンパニーは医薬品の研究・開発をしている会社だ。施設を歩いていると、いつだって薬のにおいがする。クロウはこのにおいが嫌いだ。だから、施設を歩く時は自然と呼吸が浅くなる。

 特ににおいがきついのが、月島の研究室だ。特に今は新薬の開発をしているのか、複数の匂いが混ざっている。換気は充分にされているのだろうけれど、それでも壁紙に染みついたにおいというのは、簡単には落ちないものだ。

(……おまけに、今日はホルマリンのにおいが混ざってやがる。何の研究をしてやがった)

 顔をしかめながら月島を睨むと、キャスター付きの椅子に足を組んで座っていた月島は、肘掛に頬杖をついてクロウを見上げた。

「やぁ、よく来たねクロウ。決勝進出おめでとう……不戦勝だけどね」

 クロウは言葉の代わりに舌打ちを一つ返す。そんな横柄な態度を月島は咎めたりはせず、喉を震わせて鷹揚に笑った。

「燕が失踪したらしいじゃないか。運が良かったねぇ。君じゃ勝てるかどうか怪しかった。まぁ、何にせよ決勝の相手がイーグルであることには変わりない。イーグルより成績が悪ければ君は……」

「黙れ」

 クロウは月島の言葉を鋭く遮った。

 だが、月島は喋るのを止めない。その笑みがますます深くなる。

「廃棄はされたくないよねぇ?」

「黙れと言っている!」

「いいものをあげようか?」

 月島は引き出しを開けて、そこから薬の包みを取り出した。数種類の薬が個別に包装されているビニールの包みは、いつもクロウが受け取っている生命維持のための薬である。

 だが、それとは別に見覚えのない薬が一錠だけあった。やや大きめのピンク色の錠剤だ。

「いつもの薬と……これは初めて見る奴だな」

「トキは覚えているかい? 初戦でウミネコに敗退したあの子さ」

 あぁ、あの生意気なガキか……とクロウは少し前の記憶を辿る。

「ウミネコにトラウマ植えつけられて、泡吹いてひっくり返ったチビだろ。そういやあいつもグロリアス・スター・カンパニーだったな」

「あの子は改造手術はせずに、投薬だけで身体強化したんだ」

 そういえばそんなことを言っていたな、とクロウは思い出す。

 同じグロリアス・スター・カンパニーの所属なのに、クロウとトキの面識が無かったのは、強化のアプローチがまるで違うものだったからだ。

 キメラとして、複数の生き物と掛け合わされたクロウと違い、トキは薬だけで身体能力を強化している。

 正直に言うと、クロウはキメラ化ほど効率の悪い強化方法は無いと思っている。実験に耐えられず死んでしまう個体が殆どだし、実験に耐えて生き延びても、戦闘能力が必ずしも高くなるとは限らない。

 例えば鱗と鋭い爪を持つクロウの手は、人間のそれと骨格が変わってしまっているせいで、繊細な作業をするには向かないし、銃器の類も扱いづらい。

 もし、戦争で役に立つ生物兵器を作りたいのなら、もっと銃器の扱いに不自由しない作りにするべきなのだ。

 端的に言って、キメラは圧倒的にコストパフォーマンスが悪い。それなら、一般人を投薬だけで強化する方が遥かにデメリットが少ない。

 そういう意味で、トキの強化方法は割と理にかなっているとクロウは密かに思っている。

「考えてごらんよ、クロウ。ただの中学生が薬だけで、フリークスに匹敵する力を身につけた……なら、改造手術を受けたフリークスがこの薬を飲めばどうなると思う?」

 トキは高い身体能力を持っていたが、戦略が拙かった。なにより、体の動かし方に無駄が多かったように思う。恐らく、トキは自分の体の効率の良い動かし方を知らなかった……その身体能力を持て余していたのだ。

「トキは元々、戦闘経験の無いただの子どもだ。だけど、君は違うだろう?」

「……オレに、これを飲めってか」

 月島は「ご名答」と、三日月のように弧を描いた口で笑う。

「薬の成果を見せてくれたら、君の寿命を三年は保証してあげよう」

「随分、太っ腹だな」

「ただし、無様な負け方をしたら……分かっているね?」

 どうせクロウに拒否権はないのだ。それなら、やるしかない。勝つしかない。

 クロウは自分の身体能力がイーグルより遥かに劣ることを理解していた。

(……勝つためなら……なんだってやってやる)

 クロウは革手袋をした手で、月島の手から薬を受け取る。

「薬の効果はどれぐらいで出る」

「服用して一時間ぐらいかな。即効性がないのが難点でね、現在改良中なんだ。試合開始前に忘れず飲んでおくんだね」

「分かった」

 手渡された生命維持に必要な薬は、きっかり三日分だった。つまり、負ければそこから先はない。



 ──試合が終わればそれでおしまい。君はサンドリヨンの王子様にはなれない



 不意に、笛吹の言葉が頭をよぎる。クロウはその声を振り払うように、頭を振った。

 試合が終わった後のことを考えている場合じゃない。今は勝って生き残ることだけを考えるべきだ。

 クロウが薬をポケットにねじこむと、月島が足を組み直しながら言う。

「決勝戦を楽しみにしてるよ」

「けっ。観戦もしない癖によく言うぜ」

「おや、前の試合を観に行かなかったから拗ねてるのかい? ウフフ……流石の私も決勝戦は観に行くさ」

 眼鏡の下の黒い目を怪しく輝かせて、月島は笑う。

 まるで、お気に入りの選手の試合を前にした子どものような、いっそ無邪気とも言える笑顔で。

「特等席で……ね」



 * * *



 グロリアス・スター・カンパニーを出て、フェリー乗り場に移動した頃にはすっかり日が暮れていた。秋の夜の冷たい風が、クロウの頰を撫でる。

 子どもの頃は寒いのが嫌いで、北風が金色の枯葉を巻き上げる度に、彼はマフラーに顔を埋めて寒い寒いと震えていた。

 キメラになった今では、すっかり暑さ寒さに鈍くなってしまったが、それでも寒さを気にすることを思い出したのは、いつも隣にいるサンドリヨンが寒がりだからだ。

 彼の姫はひどく寒がりで、最近は実家に冬物コートを送ってもらうべきか否かを葛藤している。コートぐらい好きなだけ買ってやると言っても、頑として聞き入れないのだ。

 それなら、フェリーに乗る前に防寒具の一つでも買っていってやろうか……そんなことを考えていると、ポケットの中でスマートフォンが振動した。

 見れば、メールが一件届いている。サンドリヨンからかと期待したが、違う。知らないアドレスだ。

 本文はなく、添付ファイルが一つ。

 いつもなら、こんな怪しいファイルは開かない。だが、メールのタイトルが気になった。


『件名:サンドリヨンと……』


(サンドリヨンと……なんだ? このメールを送ってきた奴はサンドリヨンに何をした?)

 サンドリヨンがモズにさらわれた時のことを思いだし、クロウの背すじがざわついた。

 考えるよりも早く、指が添付ファイルを開く。画面に写し出されたのは一枚の写真。

 森らしき場所を歩く若い男女。男は立派なスーツを着た焦げ茶の髪の青年、イーグル。そして、イーグルと手を繋いで歩いている若い女は……サンドリヨンだ。

「なんだこれ……」

 写真は隠し撮りらしく、画像が荒くて二人の顔はよく見えない。

 もしかして、これはサンドリヨンではなく、馬鹿妹の方じゃないのか? という考えが頭をよぎったが、クロウはすぐさまそれを否定した。

 女の方の服装には見覚えがある。サンドリヨンが着ていた服だ。

(そういえば、燕が失踪した日、サンドリヨンは森に散策に行っていたな……)

 その時にイーグルに会ったとサンドリヨンは証言していた。だが、彼女は少し話をしただけだとも言っていたはずだ。

(なんだって、こんな、手を繋いで……)

 クロウが画面を凝視していると、スマートフォンの画面がパッと切り替わった。着信だ。

 発信者の名前は笛吹。

 嫌なものを感じつつ、クロウは通話アイコンをタップした。

『やぁ、写真は気に入ってもらえたかな?』

 ノイズ混じりの笑い声が、クロウの神経を逆撫でする。

「笛吹! どういうつもりだ!」

『ふふっ、君のお姫様の浮気現場を偶然見ちゃったから、教えてあげようと思って』

「ふざけるな! どうせ、この写真もお前が小細工したものだろう!」

 あぁそうだ。画質が悪いし、この程度の加工なら素人でもできる。おおかた、イーグルと美花の写真に笛吹が加工をしたのだろう。

 ……そうに決まっている。

『そう思いたいなら、そう思っておけばいいよ。だけど、予言してあげる。遠からず、真実は明るみに出る。君は絶望するだろうね。フフッ、アハハッ!』

 耳障りな笑い声を残して、通話は一方的にぶつりと切れた。

 クロウは舌打ちをして、スマートフォンを睨みつける。

 サンドリヨンに電話をして、問いただすべきか? だが、もし本当にサンドリヨンがイーグルと懇意になっていたら?


 ──オレを裏切っていたら?


 そんな筈が無いと思いつつ、一欠片の不安が胸にこびりついて離れない。

(……いやだ)

 胸の奥から込み上げてきたのは怒りではなく、強い恐怖だ。そして、時に恐怖は思考を麻痺させる。

 クロウはスマートフォンをポケットに押し込み、早足で歩き出した。

 考えることを放棄し、フェリー乗場へ向かって、ただただ前へ、前へ……そうしないと、自分が何をしでかすか分からなかったのだ。

 その時、肩に何かがぶつかった。

「あいたっ!」

 すぐそばで誰かが小さく叫ぶ。どうやら周りを見ずに歩いていたせいで、誰かとぶつかったらしい。ぶつかったのは、まだ若い女のようだが、暗くて顔がよく見えない。

「周りを見ていなかった。すまない」

 幸い、相手に怪我は無さそうなので、クロウは手短に謝罪し、早足でその場を立ち去る。

 今はただ、サンドリヨンの顔が見たかった。




 立ち去るクロウの背中を眺めて、アンパン大使こと里見穂香は、クロウの肩にぶつけた額をなでる。

「ぶつかった相手の顔もろくに見てないとか……随分と余裕が無いんだなぁ」

 子どものように唇を尖らせていた穂香は、うーむと唸って眉を寄せる。

「……それにしても、今から非行に走りそうな少年みたいな顔してたな、あいつ」

 アンパンが足りてないんだな、と大真面目に呟き、穂香はどこかへ向かって歩き出した。



 * * *



 洞窟を出て、クリングベイル城に戻ってきた優花は、イーグルやグリフォン達と別れ、クリングベイル城別館の客室に戻っていた。

 時刻は既に二十時を回っているのだが、クロウはまだ戻っていない。

 優花はソファにもたれて、ぼんやりと天井からぶら下がるシャンデリアを見上げた。

(……なんか、この一ヶ月、いろんなことがあったな)

 始まりはコンビニのバイト中に美花に間違われたこと。

 それから美花の代わりにフリークス・パーティに参加することになり、色んな人に出会い、色んな出来事があった。

 モズに誘拐されたり、エリサやサンヴェリーナと仲良くなったり、ドロシーに嫌われてひっ叩かれたり、アンパン大使に励まされたり、どういうわけか馬鹿親父と再会したり。

 ……そして今、優花はフリークスパーティの裏で行われている実験の存在を知り、アリスの兄を助けるため、イーグルに協力している。

 ほんの一ヶ月前まで、優花の世界は家族と職場、それだけで完結していて、それ以外のことに興味も関心も無かった。生活に余裕が無いだなんて、ただの言い訳だ。

 心のどこかで、家族以外の他人に壁を作って拒絶していた。

 それでも、クロウと出会ってから大切な人が増えて、それを無くしたくないと思っている自分がいる。

 決勝戦まであと三日。試合が終われば、この生活も終わってしまう。

(終わってしまうとか思っているあたり、名残惜しいのよね、私)

 決して楽しいことばかりではなかった。怖い思いもたくさんしたし、痛い目にもあった。

 それでも奇妙な名残惜しさがあるのも事実だ。

(エリサちゃんやサンヴェリーナちゃんは、今どこで何をしているんだろう)

 燕と一緒にいなくなったサンヴェリーナは、いまだに行方が分からない。エリサはウミネコの試合が終わったと同時にいなくなってしまった。

 このまま日常に戻ったら、もう会うことはないのだろうか。

 優花はトートバッグから携帯電話を取りだし、アドレス帳を開く。

 家族と職場とわずかな知人と、クロウの連絡先だけが登録されていたアドレス帳。そこに追加されたE(イーグル)G(グリフォン)の名前。

(アリス君のお兄さんを助ける約束をしたけれど、私に何ができるだろう)

 優花はただの一般人だ。クロウみたいに戦えるわけではないし、フリークスパーティの事情に詳しいわけでもない。

 優花は目を閉じて、洞窟の隠し部屋で見た物を思い出す。

 地下の施設。おぞましい研究。クラーク・レヴェリッジの野望と、その後継者の存在。

 死してなお動き回る、自我を失った本物の異形。

(……あの恐ろしい薬の研究をしている人間が、運営委員会の中にいる)

 手がかりは一つだけ。

 生物の身体能力を極端に高め、死してなお動き回る化け物にされる禁忌の薬。

 地下で見つけた、あの甘ったるいにおいのするピンク色の錠剤「Kf-09n」

 例えば、運営委員会の人間で、あのにおいがする人はいないか、においを嗅いで回るのはどうだろうか。

(……いやいや、それはちょっと、かなり……すごく不審者だわ)

 うんうんと唸りながら、なんとなく窓の外に目をやると、外は雨が降りだしていた。シトシトと静かに降る細い雨だ。

 いつも手ぶらのクロウは、きっと折り畳み傘なんて持っていないだろう。彼は基本的に鞄の類を持ち歩かないのだ。

(……なんで男の人って手荷物少ないのかな。私なんて携帯もお財布も全部鞄に入れとかないと落ち着かないのに)

 その時、ガチャリと扉の開く音がした。見れば、ずぶ濡れになったクロウが水滴を滴らせたまま、扉の前に佇んでいる。

「おかえり。やっぱり濡れちゃったのね」

 客室のバスルームにタオルを取りに行こうと思ったが、それをクロウは「いい」と短く制した。

「シャワー、浴びてくる」

 そう言ってクロウはコートを椅子に引っかけると、バスルームに入っていった。

 優花はむぅっと腕組みをして、バスルームの扉を睨みつける。

(……何か、嫌なことでもあったのかしら)

 クロウは意外とマメで、細かいところでキチンとしている(多分、育ちが良いのだろう)だが、機嫌が悪かったり、落ち込んでいる時は所作がほんの少し雑になるのだ。

 物を出しっぱなしにしたり、今みたいにコートをハンガーにかけずに放り投げたり。

 これはクロウなりのSOSなのかもしれない。

(……お風呂上がりに、ちょっと話を聞いてみようかな)

 とりあえず椅子に引っかけられたコートが気になったので、優花はきちんと皺を伸ばしてハンガーにかけた。そして気づく。コートをかけていた椅子の下に小さなビニール袋が落ちていることに。

 透明な袋の中身は薬の錠剤で、種類ごとに小分けにして小さいジップロックに収められている。

 クロウは体の維持に薬が必要と言っていたので、きっとその薬なのだろう。恐らく、コートを椅子にかけた時に、ポケットから落っこちたのだ。

 大事な物だから、きちんと戻しておかなくては……と、ビニール袋を手に取った優花は、目を見開き動きを止めた。

「……え?」

 優花はクロウが薬を飲んでいる姿を何回か見たことがある。

 クロウが毎日飲んでいる薬は四種類。白い錠剤、薄い橙色の錠剤、白と赤のカプセル、白一色のカプセル。この四つだ。

 だが、今手元にあるビニール袋の中には、いつもの薬とは別に、見覚えのない濃いピンク色の錠剤が見える。

(……地下で見つけたあの薬がピンク色だったから、意識しすぎてるのかな)

 地下で研究されている薬「kf-09n」は、強靭な肉体の代償に人格を破壊する危険なものだ。そんな物をクロウが持っている筈が無い。


 だけど……躊躇いは一瞬。


 優花はビニール袋からピンクの錠剤が入った包みだけを取り出した。

 市販薬と違い、小さめのジップロックに入れられた一錠だけのピンクの錠剤。その表面にはよくよく見ると、薄く文字が刻まれているが、半ば潰れかけていて読みとれない。

 ただ、目をこらせば、最後の数字が「09」であることだけは見てとれた。

 嫌な予感は一気に膨らみ、優花の頰を汗が伝う。

 優花はジップロックを少しだけ開けて、鼻を近づける。

 甘いにおいがした。熟れすぎた果物のような、胸を焼く甘ったるい香り。

 ……それは地下で見つけた「kf-09n」と全く同じ香りだった。

「う……そ……」

 何故クロウがこんな物を持っているのか? クロウはこの薬の正体を知っているのか? もう飲んでしまったのか?

 まずはクロウに全て話すべきだ。それが一番良い。

(だけど……もし、すでにクロウがこの薬を飲んでいたら?)

 優花の心臓がざわつき、鼓動が早くなる。

 地下で見た異形。自我を失った破壊者。もし、クロウがああなってしまったら……

(駄目、それだけは絶対駄目!)

 イーグルなら、ワクチンが作れると言っていた。

 だが、イーグルの協力を取りつけるためには条件がある。

『クロウに話すなら、君たちに協力はできない』

 クロウに話したら、イーグルの協力を取りつけられなくなる。

 エディを助けるためにも、万が一クロウが「kf-09n」を飲んでいて、ワクチンが必要になった時のためにも、イーグルの協力は必須。

 優花はゆっくりと顔をあげて、バスルームを見る。シャワーの音はまだ続いていた。

 優花は鞄から携帯電話を取り出すと、なるべくバスルームから離れて、部屋の隅で携帯電話を開く。

 そうして、Eと登録された電話番号を呼び出した。

 響くコール音がこんなにも長く感じたのは、きっと初めてだ。

(繋がれ……繋がれ……お願い……繋がって!)

 優花は祈るような気持ちで、拳を握りしめ、額に押し当てる。まだシャワーの音は続いている。


『やぁ、サンドリヨン。君から電話をしてくれるなんて嬉しいよ』


 イーグルの声が聞こえた瞬間、優花の緊張の糸がぷつりと切れた。

 何から話すべきか、電話をかける前に優花なりに色々と考えていた。

 だが、イーグルの声を聞いた時、優花の口から飛び出した言葉は、頭の中を占めていた自分勝手な一言。

「……お願い……クロウを助けて……っ!」

 クロウが地下で見た異形みたいになってしまったら。自我を無くしてしまったら。

 イーグルに頭を潰された異形の末路を思い出す。

(そんなの嫌だ。絶対に嫌だ)

 不安ばかりが頭をぐるぐる巡って、まともな言葉が出てこない。

 かわりに喉からこぼれ落ちたのは、みっともない嗚咽だけだった。

 えぐっ、うぇっ、と見苦しい嗚咽を噛み殺していると、イーグルが穏やかな声で言う。

『泣かないで、サンドリヨン。大丈夫、大丈夫だよ。僕が何とかしてあげる。まずは何があったのか順を追って話せるかな?』

 穏やかに促す声に、優花は頷きながら自分が見たものを話す。

「クロウのポケットにあのピンク色の薬が……kf-09nがあったの……クロウがもう飲んでたら……どうしよう……っ」

『君は今どこにいる?』

「……客室」

『クロウは?』

「……シャワー浴びてるわ」

『発見したkf-09nを持って、抜け出せる? 噴水のある庭園前で待ってる』

「分か、った……」

『……うん。待ってるよ、サンドリヨン』

 優花はいつもの癖で携帯電話を鞄に戻すと、ピンク色の錠剤が入ったビニール袋だけを握りしめて部屋を飛び出した。



 * * *



「……うん。待ってるよ、サンドリヨン」

 とろりと甘い声で囁き、イーグルはスマートフォンに口づける。

 そうして堪えきれない笑みを隠すように、口元にスマートフォンを当てた。

「イーグル、なんだかご機嫌だね〜?」

 ソファに寝そべって煎餅をかじっていた彼の姫オデットが、イーグルを見上げて不思議そうな顔をする。イーグルはスマートフォンをポケットに戻して、いつもの紳士的な笑みをオデットに返した。

「そう見える?」

「電話中、すっごく優しい顔してたよー。誰と電話してたのー?」

 あぁ、やっぱり。彼女は勘が良くて、頭の良い子だ。

 ……だからこそ、ここが潮時だろう。

「君のお姉さんだよ、()()()()()()

「……え?」

 彼女の顔は一瞬無表情になったが、すぐにいつもの陽気な笑顔を浮かべた。

「イーグル何言ってるの? フリークス・パーティ中はオデットって呼ぶんでしょ?」

「やっぱり否定はしないんだね。どうやら君は白鳥(オデット)ではなく、黒鳥(オディール)だったようだ」

「私、バレエとかよく分かんなーい」

 オデットは煎餅の最後のひとかけらを飲み込み、ソファから立ち上がる。その前に立ちふさがり、イーグルは彼女を見下ろした。

「君はお姉さんとはよく似ているらしいね。見た人みんなが口を揃えて言っていたよ」

「似てるかどうかは、その人の見方次第じゃないかなー。私は全然似てないと思うよ?」

 誤魔化し方が板についている。

 明確な断言はせず、話を逸らして別の話題をかぶせるのは彼女の得意技だ。だからこそ、話題が変わる前にイーグルは告げた。

「シラを切る気だね。でも、これは誤魔化せない。君は羽毛アレルギーだ」

「なんのことー?」

「君のお姉さんから聞いたんだよ。食物アレルギーも多いらしいね」

 オデットの笑顔が次第に強張っていく。そうして険しい顔をすると、びっくりするぐらい彼女の姉とよく似ていた。

「隠していたのはどうしてかな? 誰かの振りをするのに都合が悪かったから?」

「…………アハッ」

 オデットは体の後ろで手を組んで、軽く小首を傾げて、とびきりチャーミングに笑った。

 そして次の瞬間、後ろ手に掴んだクッションをイーグルに投げつける。イーグルの動きが一瞬止まったその隙に、オデットは部屋を飛び出した。

 イーグルはあえて受けたクッションをポイとソファに放り投げ、物陰に隠れて様子を見ていた周防に声をかける。

「手筈通り頼むよ。大事なのはタイミングだ」

「かしこまりました」

 周防は一礼すると、オデットの後を追って走り出した。




 美花は廊下をバタバタと駆け下りながら、内心パニックになっていた。

(ヤバいヤバいヤバい、超ヤバい。なんでバレたのー……って、優花姉が原因か。直接話したって言ってたし。あーん、でもいつの間にー!)

 いずればらすつもりではいたけれど、まだ早すぎるのだ。

 本当はイーグルがクロウを倒してから、全てを打ち明けるつもりだったのに!

 背後からは、イーグルの部下の周防が無表情に追いかけてくる。

「待て! 止まれ!」

「い〜や〜!」

 叫びながら、美花は非常口を飛び出し、非常階段を駆け下りた。外は雨が降り出していて、体は濡れるし、化粧は落ちるし、足元は滑るし、とにかく最悪だ。

(美花、超ピンチじゃん! イーグル、マジギレするとヤバそうだしー! ヤバいヤバい超ヤバいー!)

 階段から滑り落ちないように気をつけて駆け下りつつ、美花は必死に頭をフル回転させる。

 そして思いついた解決策は……

(こういう時はー……うん、やっぱアレだよね! 優花ねぇに助けてもらおう!)

 きっと姉はめちゃくちゃに怒ることだろう。正座をさせてお説教をされるかもしれない。

 それでも、姉は絶対に美花のことを見捨てたりはしないのだ。

(優花ねぇは、最後は絶対に美花のこと助けてくれるもん!)


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