【9-2】さぁ、祭りの始まりじゃーい!(ソイヤッソイヤッ)
クロウが駆けつけた時、サンドリヨンは思いつく限りの罵詈雑言を口走りながらピジョンに殴りかかろうとしていた……が、今はとりあえず理性を取り戻したらしい。
サンドリヨンはゼェハァと荒い息を吐きながら、ギラギラ光る目でピジョンを睨んでいる。
サンドリヨンは割と頭に血がのぼりやすい性分ではあるが、ここまで怒り狂っているのも珍しい。
「あいつと何かあったのか? 例えば親の仇とか……」
クロウの問いに、サンドリヨンはクロウからもピジョンからも目をそらして、ボソボソと言った。
「……まぁ、似たようなものね」
むしろ親そのものだなんて知る由もないクロウは「そうか」と頷き、槍を握り直す。
「お前の親の仇はオレが取る。だから、下がってろ」
「クロウ……」
サンドリヨンは感極まったようにクロウを見上げ、グッと拳を握りしめた。
「なるべく苦しめる方向でヤっちゃって」
「本当にどうしたお前!?」
その時、クロウの背後で何かが膨れ上がるような気配がした。クロウは咄嗟にサンドリヨンの手を掴み、その場を飛び退く。
間髪入れず、クロウが立っていた位置にトンファーが唸りをあげて振り下ろされる。トンファーはそのまま勢い余って地面に突き刺さった。ズゥ、ン、という重い音がその威力を物語っている。
青ざめるクロウに、ピジョンがトンファーを構え直し、手の中でクルクルと回しながら鳴いた。
「ポッポー!」
「『よくかわしたな』だってさ」
離れたところでインゲルが通訳をするのが、なんともシュールだ。
だが、クロウにはもう二人にツッコミを入れる余裕も無い。
クロウは今のピジョンの一撃を見て、その威力を理解してしまった。
(こいつ……ウミネコ並みの腕力だ)
一撃食らうだけで致命傷になりかねない。まずは距離を取って、慎重に隙を狙わなくては。
必死で頭を回転させて攻撃パターンを思案するクロウを嘲笑うかのように、ピジョンが鳴いた。
「ポッポポッポ、ポッポポー!」
「『どうしたどうした、攻めてこんかい!』だとさ」
「やかましい!」
インゲルの通訳に怒鳴り返しつつ、クロウは槍を振るう。それをピジョンはトンファーで器用に受け流す。クロウは槍の攻撃は流されるのは承知の上で、裏拳を打ち込んだり、拳を振るったりと拳打を織り交ぜて攻撃を仕掛けた。
致命傷になる攻撃は全てトンファーで受け流されているが、合間に混ぜてる打撃は確実に当たっている。だが、ピジョンはまるでダメージを受けた様子がない。
(……なんつータフさだ)
ピジョン=ハヤブサかどうかはさておき、この大男は恐らくウミネコと同じパワータイプの先天性フリークスだ。
単純な腕力だけならウミネコの方が上だろう(この大男より怪力なウミネコの異常さは、今さら言うまでもない)
だが、頑丈さでは圧倒的にピジョンが上をいく。
「なら、こいつでどうだ!」
攻撃を仕掛けると見せかけて、相手の横をすり抜け、槍を旋回。ピジョンはマスクをしている故に、視界が狭い。ならば狙うは視界の外からの一撃。
(命までとる気は無いが、腕の一本は覚悟してもらう!)
クロウの槍は間違いなくピジョンの左腕を切り裂く筈だった……が、左腕の手前にトンファーが割り込み、クロウの槍を受け止める。それも、万全の体制で受け止めているわけじゃない。全身の力を使わず、手の力のみでクロウの槍を受け止めているのだ。
「……馬鹿な、今のは完全に死角を突いた筈なのに!」
「ポッポポー」
陽気なピジョンの鳴き声をインゲルが翻訳する。
「『殺気を感じた』だとさ」
(詐欺か!)
声に出さずに叫ぶクロウは、次の瞬間凄まじい悪寒に襲われた。足を踏ん張り、全身の力を使って振り下ろされたクロウの槍を、ピジョンが手の力だけで押し返してきたのだ。
「ポッポポッポ♪」
「『そろそろ、こちらから行くぞ』」
インゲルの翻訳と同時にピジョンの巨体が動く。
ピジョンが放ったのは、太い腕で無造作にトンファーを横に薙ぎ払う、ただそれだけの一撃。
クロウはとっさに槍の柄で受け止めたが、衝撃を完全には殺しきれず、その体は薔薇の茂みにまで軽々と吹っ飛ばされた。
「……っ! ぐぁっ!?」
全身に鋭い痛みが走り、あちらこちらから血が滲む。薔薇の刺にしては、やけに深く肉を抉ると思いきや、薔薇の茂みに有刺鉄線が巻き付けられていた。嫌なギミックだ。電流が流れていないだけ、まだマシだが。
よろよろと立ち上がり、茂みから這い出ると、サンドリヨンが悲鳴をあげた。
「クロウ! 血が!」
「大した怪我じゃない」
そう、有刺鉄線なんて大した怪我じゃない。問題はピジョンの超重量級の一撃。
トラックの衝突かと思うぐらい重い攻撃を受けたせいで、右の手首を痛めてしまった。もしかしたらヒビぐらい入ったかもしれない。
……まぁ、それでもウミネコよりはマシである。これがウミネコだったら、手首にヒビでは済まない。確実に粉砕骨折だ。
手首をさすりながら、そんなことを考えていると、ピジョンがその巨体を小刻みに震わせた。
……笑っている?
「くくっ……はは……ワッハッハァッ!」
ピジョンはマスクをかぶったまま陽気に笑った。鳩の鳴き声からは想像できない、腹の底からよく響く声だ。
インゲルが「あーあ、喋っちゃった」と肩を竦めるが、御構いなしにピジョンは声を張り上げる。
「楽しいのぅ! これまでの試合のやつらはみーんな今の一撃でKOしよった……やっと骨のあるやつと遊べそうじゃ!」
ゾワッとクロウの背筋が冷たくなる。巨大な敵を前にした時の凄まじいプレッシャーに、勝手に体が震えだす。これは悪寒だ。
「ゆくぞぃ!!」
ピジョンが再びトンファーを降り下ろす。まともに受ければ先程の二の舞だ。
(……ならば受け流す!)
「甘いわ!」
先程の振り抜くような一撃とは違うのだと気づいた時には遅かった。
トンファーは振り抜かれぬまま、くるりと回転し、クロウの槍を絡めとる。
「しまっ……」
「漢の喧嘩にこんなもん無粋じゃい!」
ピジョンはクロウから奪いとった槍を大きく振りかぶると、あろうことかそれを適当な方角へとぶん投げた。デタラメなフォームの癖に槍投げもかくやという勢いで、クロウの槍は薔薇迷宮の遥か彼方に消えていく。
「ダッハッハァ! これでよし!」
唖然とするクロウの前で馬鹿笑いしながら、ピジョンは自身の武器であるトンファーをポイと無造作に投げ捨てた。
(……どういうつもりだ?)
「さぁ、こっからが、漢同士のガチンコバトルじゃあ! どっからでもかかってこんかい!」
そう言ってピジョンは自身の胸をビターン! と勢い良く叩く。
槍を取り上げられたクロウは、ただただ呆然としながら、声なき声で叫んだ。
(なんなんだ、こいつは!)
* * *
『ピジョン選手が言葉を発しましたぁ! しかし、あの声、あの口調……まさか、あの男が……伝説の男ハヤブサが帰ってきたのかぁぁぁ!』
実況のドードーの叫びに、燕がゴクリと唾を飲む。燕はハヤブサとは面識が無いが、その名前ぐらいは流石に知っているのだろう。
「あれが伝説の男……」
「そのような方が本当にいらっしゃるなんて……」
サンヴェリーナも口元に手を当てて震えている。
そんな燕とサンヴェリーナの様子を一歩離れたところで眺めながら、エリサは一人思案する。
十年前に引退した伝説の男。ウミネコのライバル……何故、このタイミングで復活したのだろう?
(……偶然にしても間の悪い……いえ、本当に偶然?)
別室の方から凄まじい歓声が聞こえてきた。この試合を観戦しているゲスト達が、伝説の男の復活に盛り上がっているのだ。
建物全体を震わすようなハヤブサコールを聞きながら、エリサは唇を噛みしめる。
(……偶然かどうかなんて関係ない。私は私の目的を果たすまでです)
* * *
「うぉぉぉぉおぉぉおおおおお!! いくぞぃ!!」
雄叫びとともにピジョンが繰り出したのは強烈なボディブロゥ。まともにくらえば内臓破裂は必至。
クロウはそれを最小限の動きでかわし、隙を見て拳を叩き込み反撃した……が、あまりダメージにはならなかった。
手首を痛めているのも理由だが、それ以上に目の前のこの男が頑丈すぎる。拳打じゃ牽制にしかならない。
ピジョンが「どっせぇい!」と叫びながら太い腕を振るう。それをクロウはまたギリギリでかわし、伸ばされたピジョンの肘の部分に肘打ちを叩き込んだ。これで、関節が壊れた筈……
「効かぁーん!」
(こいつの骨はどうなってんだ!)
クロウは青ざめながら、一度距離を取る。荒い息をしているクロウと違い、ピジョンは息切れ一つしていない。
「わっはっは!楽しいのぅ!」
心底楽しそうに笑う顔がウミネコの笑い顔に重なり、寒気がした。
(……まずい)
先天性フリークスの特徴は戦闘に熱中するほど興奮状態になり、凶暴化すること。
すなわち、先天性フリークスの「楽しくなってきた」は、彼らが血に酔い始めた前兆なのだ。
「わしのとっておきを見せちゃるわ! そーれ、夏祭りスペシャルじゃあ! そいやぁ!」
ピジョンが腰を落として、クロウとの距離を詰めた。
実況のドードーがマイクを握りしめて声を張り上げる。
『出たぁ! ピジョン選手……いや、伝説の男ハヤブサお得意の夏祭りスペシャル! グリフォンさん、技の解説をお願いします』
『つまりはただの連続パンチだ』
『はい、身も蓋もない解説をありがとうございました!』
『まぁ、ただの連続パンチではあるが、まともにくらって立っていた奴は一握りだな。例えば、このオレとか……』
元騎士であり、現役時代にハヤブサと戦っているグリフォンが懐かしむように言葉を続ければ、ドードーがグリフォンの昔語りをぶった切って解説を挟む。
『ちなみにこの必殺技、夏祭りスペシャルですが……』
「そいやッ! そいやッ! そいやッ! そいやぁ―!」
『このかけ声がなんか夏祭りっぽいから、というのが技名の由来だそうです!』
『その内、ワッショイとか言いそうだよなこいつ』
『強烈な連続攻撃にクロウ選手押されてます! クロウ選手、これはピンチ!』
「ぐっ、うっ……くそがっ!」
クロウはかわしきれなかったピジョンの攻撃を何発かは腕で受けたが、完全にはガードしきれなかった。腕が指の先までビリビリと痺れる。これでしばらく腕は使い物にならない。
けれど連続攻撃の後には必ず大きな隙ができるはずだ。そこを狙うしか勝ち目はない。
元々、鳥ベースの合成獣であるクロウは殴りあいが得意ではない。
近距離戦でのクロウの武器は蹴り。それを普段あまり使わないのは、拳打と違って蹴りは隙ができやすいからだ。
特に全力を込めた攻撃の後だと尚更。使うのは、ここぞという時だけだ。
今は耐えて、機を待つ。しかし……
「そいや、そいや、そいや、そいやぁーーー!!」
(この技……かけ声がうるさいのは何とかならんのか!!)
* * *
テレビ画面を食い入るように見つめながら、サンヴェリーナは拳を握りしめた。
「クロウ様が押されてますわ……」
「体格差がありますし、武器がないとクロウさんは圧倒的に不利ですねぇ」
相槌を打つエリサに、燕は短く「そうでもない」と口を挟む。
クロウと直接戦った経験の多い燕は、クロウの戦闘スタイルを熟知していた。
「クロウは近接戦でもそれなりに戦える。特に足技はカーレン以上の威力だ」
「えっ、それ、かなりすごいじゃないですか」
エリサが驚きに目を丸くした。
カーレンは脚力特化型の先天性フリークスである。その蹴りはギロチンのごとく凶悪だ。そして、クロウはそのカーレンを超えるだけの脚力を持っている。
「ですけどお兄様。わたくし、クロウ様が足技を使っているところを、あまり見たことがないのですが……」
サンヴェリーナの言うとおり、クロウは戦闘中に率先して足技を使ったりはしない。あくまで槍を使った戦闘が主体で、足技はその補助だ。
キメラとして改造された際に手の形が人間のそれと違うものになってしまったため、彼は武器を選べなかった。槍を習得するのにも、相当な時間がかかったという。それでも、彼は足技を主体で戦おうとはしない。
「足技は体勢の立て直しがきかず、隙ができやすいのだ。だからこそ、クロウもここぞという時しか使わない。今はその機を狙っているのだろうな」
カーレンのように、隙ができてもサポートをしてくれる相方がいるのなら、気兼ねなく足技を使えるのだろうが、クロウは基本的に一人で戦い抜くことを想定している。だから、足技を主体にはしない。しかし……
「クロウの悪い癖だな。強敵と戦う時ほど慎重になりすぎて、全力を出しきれない」
燕の呟きに、エリサが頷いた。
「それ、ウミネコさんも言ってました『出し惜しみしすぎるのが、クロちゃんの悪い癖だ』って」
「出し惜しみ……ですか?」
サンヴェリーナが不思議そうな顔をする。クロウは基本的に生真面目な男だ。試合で手を抜いたりしない。だからこそ「出し惜しみ」という表現が、サンヴェリーナにはピンとこないのだろう。
「クロウは確実な一撃を狙うあまり、様子を見すぎるのだ。クロウが負ける時は、攻撃のタイミングを失い、押し負けた……というパターンが多い」
事実クロウは前回のシングル戦、イーグルとの試合でも、全力を出す前に負けている。
思い当たる節があるのか、エリサが「うーん」と唇をへの字に曲げた。
「慎重なのが完全に裏目に出てますねぇ……」
画面の中では、クロウが案の定ピジョンの隙を突こうと慎重に立ち回っている。
ここが、転機だ。
「クロウの次の攻撃で戦局が変わる。俺の代わりによく見ておけ、サンヴェリーナ」
* * *
「これでフィニッシュじゃあああ!」
ピジョンが叫びながら拳を大きく振りかぶる。
ここだ、とクロウは狙いを定めた。強く地面を蹴り、右足を振り抜く。
ヒクイドリ並の脚力から繰り出される必殺の一撃は、大抵の生物なら内臓破裂させられる威力だ。
ズン、と重い音をたててブーツがピジョンの脇腹にめり込む。
(これで、倒れろ!)
だが、振り抜こうとするクロウの足を、ピジョンの腹筋が食い止める。ピジョンは倒れない。
「ガッ、ハッ………ハッハァ! やるのぅ小僧!」
「!!」
右足を掴まれる。まずい、と思った時には体が浮き上がっていた。
『でたぁぁぁ! これは、ジャイアントスイングだぁぁぁ!』
「さぁ、ぶん投げ祭りじゃあああ!」
視界が回る。
全身の血の気が引いていくのは、振り回されているせいじゃない。目前に迫る死を予感してしまったからだ。
ピジョンはウミネコに匹敵する馬鹿力の持ち主だ。地面に叩きつけられたら、きっと頭蓋骨も背骨も容易く砕け散る。
「そぉぉぉぉぉぉぉい……っくしょぉい!」
クロウを振り回しながらピジョンがくしゃみをした瞬間、その手からクロウの足がすっぽ抜けた。クロウの体はちょっと冗談みたいな軽さでピューンと宙を舞い、薔薇の茂みに落っこちる。
地面に叩きつけられるのは免れたが、薔薇の棘と仕込まれた有刺鉄線のせいで、着地した背中がひどい有り様だ。破れた服の隙間から千切れた羽がハラハラと落ちると、ピジョンがまたくしゃみをした。
「なんじゃ。お前、鳥だったんか。どぉりで鼻がむずむずすると……っくしょぉい! わしゃあ、羽毛アレルギーなんじゃー」
ちなみに鳥頭のマスクは羽毛は使っておらず、百パーセントゴム製なのだと、ピジョンは胸を張って語った。ものすごくどうでもいい情報である。
クロウが体に絡みつく有刺鉄線を引き剥がしながら立ち上がると、少し離れた所からインゲルがピジョンに声をかけた。
「おーい、ピジョン。大丈夫か。なんかイイ一撃を貰ったみたいだけど」
「おぉう、今のキックはなかなか効いたのぅ! だが、あれぐらいで倒れるほど柔じゃないわ! ガハハハハッ!」
今の攻撃が効かなかった。隙を突いてぶち込んだ全力の一撃が。
(……どうする……どうする)
反撃覚悟の全力の攻撃が効かなかった。他に手は? 何か無いか?
……駄目だ、無い。
クロウの小細工を、この男は片手で受け止めて叩き潰せる。それだけの圧倒的な力がこの男にはある。
(……勝てない)
直面した現実に、クロウの目から光が消えた。
* * *
「……ウミネコさん並の化け物じゃないですか」
エリサの呟きは尤もだ。
先天性フリークスの中でも、パワータイプというのは然程珍しくない……が、ピジョンもといハヤブサは、その実力が頭一つ突き抜けている。
それは、ただ力が強いとか技術があるとか、そういう話ではない。
圧倒的な存在感と威圧感。王者としての風格。
その覇気に気圧されず、まともに戦えるのなど、戦闘狂のウミネコぐらいのものだろう。
最早、クロウからは覇気が消えていた。彼は気づいてしまったのだ。その圧倒的かつ絶対的な力の差に。
(ひとたび勝てぬと思ってしまえば、勝てる相手にも勝てなくなる。ここで膝を折れば勝負はそれまで)
燕は静かに実況の解説に耳を傾ける。
『おおーっと! ピジョン選手、更に怒濤の連続攻撃! クロウ選手はかわすのが精一杯だぁぁ!』
「クロウさん、フラフラじゃないですか!」
「このままだとクロウ様が!」
クロウは慎重だ。だが、時にそれが裏目に出る。慎重すぎて分の悪い賭けに出られない。それがクロウの弱点。
(だからこそ鍵となるのは……)
燕はサンヴェリーナを呼び寄せ、訊ねた。
「サンドリヨンは、今、何をしている?」
「サンドリヨン様ですか? えっと、丁度カメラから切れて…………えぇぇっ!?」




