◇39◇ 何が起きたの!?
◇ ◇ ◇
ウェーバー侯爵邸へ馬車が滑り込む瞬間、窓から女性たちの姿が見えた。
どの方も、お顔に覚えがあった。社交界でお会いしたことがある。
どの方も、私よりも身分が高くて、お金のあるお家で、美人で、求婚も引く手あまたで、何より醜聞のない女性たちだ。
「ヘリオスと結婚したくて仕方がないお嬢さんたちが、ヘリオスに会いたくて家に押しかけてくるのよ」
苦笑いしているガイア様の言葉を聞いても、納得しかなかった。
ヘリオスにはいくらでも相手がいる。
いくらでも綺麗な女の子を選べるんだわ。
それに、王太子殿下の異父弟君ともなれば、その結婚相手はかなりの注目を集めることになる。
変な相手を選ぶことはできないだろう。
そう、特に醜聞があるような娘は……。
(………………)
自分が醜聞持ちだという事実が、重くのしかかる。
ただ、現実に直面しているだけなのに。
今までヘリオスとの距離が、近すぎただけ。
本来の距離を実感してショックを受けるなんて、おこがましいのに。
ヘリオスは、いずれ他の女性と結婚する人。
だから私は、これ以上好きにならないように、いずれ決定的になる時までに少しずつ心の距離を意識して開いていかないと。
気持ちをヘリオスから離していかないと。
あなたの優しくて魅力的な手は、もう、とれない。
◇ ◇ ◇
なのに、いま私は、ヘリオスのおうちの中で、ヘリオスに抱きしめられている。
(――――何が起きたの?)
助けられたわけでもないし、今回は本当にわからない。
なんで、手の甲にキスしてくれたのかもわからない。
だって、それって、テイレシア様みたいな素敵な女性がされることじゃないの?
『言わないとわからん』ごめん、それこっちの言葉です。ヘリオスは何がわからないと思っているの?
……それでも何も言わずにいたら、このままずっと抱きしめてくれるのかしら。
「それとも、俺に触られんのは嫌か?」
「違っ……」なんと言ったら良いんだろう。自分のなかでも感情が錯綜していて、いい言葉が出てこない。
男性に抱きしめられるのは、貞操的に、きっと決定的にアウトなことだろう。
それでもいいと思えるほど、いま抱きしめられていることは幸せ。
でも、私につきまとう醜聞の相手はライオット伯爵のまま。ヘリオスで上書きされてくれるわけじゃない。
「…………ヘリオスなら、良かったのに」
好きな人が抱き締めてくれているのをいいことに、その優しい胸に顔を埋めながら言う。
「フランカ?」
「醜聞の相手、ヘリオスだったら良かったのに」
そうしたら、叶わなくてもせめて、ヘリオスのことが好きだと堂々と言えたのに。
ヘリオスに名誉を傷つけられるのなら、受け入れられたのに。
「……王都の貴族が私のことを、ライオット伯爵に恋した女だと思っているのが、嫌」
それを想像するたび、心のそこから、ぞわぞわとした気持ち悪さが這い上がってくる。
そんな事実は一瞬たりとも存在しなかったのに、誰にも私の心のなかを証明できないから。
出来ることなら、王都中の貴族の頭のなかを綺麗に拭いて記憶を消して回りたいぐらい、嫌すぎる。
「さっきから変だったのは、それが理由か?」
「……変?でした?私」
「嫌われたかと思った」
「なんで私がヘリオスのこと嫌いになるんですか!?」
びっくりした。どうしてそうなるの? あなたのことが好きで好きでぐるぐる悩んでるのに。
『言わないとわからん』…………私の耳に、さっきのヘリオスの言葉がよみがえる。
そっか…………。
言わないと伝わらない、というよりも、言わないでいると間違ったことが伝わってしまう、っていうことなんだわ。
――――それは、嫌だ。
ヘリオスに何かを求めたいわけじゃない。でも、間違ったことが伝わるのは、嫌だ。私が好きな人のことも。私がヘリオスをどう思っているかも。
「ヘリオス。顔が見たいです」
そう言うと、ヘリオスは、抱きしめた腕をほどいた。
私は顔を上げる。綺麗な顔が、困ったように私を見下ろしている。
告白したらもっと困った顔になったら、そのときは謝ろう。修復不能なことには、まだならない気がする。
深呼吸する。よし、覚悟は決めた。
ヘリオスの腕にふれながら、彼のアイスブルーの綺麗な瞳に、真っすぐ目を合わせる。
「嫌いになったり、絶対にしないです。私のこと、今までたくさんたくさん助けてくれて。あなたの存在がすごく支えになりました。
だから私、ヘリオスのことが……」
「――――――兄様!!」
廊下に響く、びっくりするほど大きな少年の声に、言いかけた『好き』は思いきりさえぎられてしまった。
少し遠くから男の子が、廊下をとっとっとっと軽く走ってくる。
「お取り込み中悪いけど、えーとフランカさん? こんにちは。弟です」
「あ、あの、はい、はじめまして!」
ヘリオスとほとんど背が変わらず、瞳の色が違うのと髪色が淡いミルクティー色なのをのぞけば、容姿もよく似た15歳ぐらいの男の子。
ニコッと笑って気軽な感じで会釈してきた。
やっぱりガイア様似の圧倒的な美形。肖像画に描かれていた三男の方だろうか?
「兄様たち急いで。父様が帰ってきたよ。
フランカさんへのお客をつれて」
「…………私へのお客??」
思いきりさえぎられて肩透かしを食らって、一世一代の覚悟が吹き飛んで複雑な気持ちだったのだけど……でも、『私へのお客』とは誰だろう。
私を訪ねてお客としてやってきそうな人の心当たりが一切ない。
いったい、どういうことだろう?
◇ ◇ ◇




