◇32◇ 落差【ライオット伯爵視点】
◇ ◇ ◇
――――一方、その頃。
道端に停めた馬車の中から、密かにウェーバー侯爵邸を見張る、ライオット伯爵の姿があった。
謹慎中なので、時間はたっぷりある。
フランカの失踪にウェーバー侯爵が関係しているであろうと、せっかくの手がかりを得たのだ。
いても立ってもいられず、メイス侯爵夫人の別邸を訪れた次の日から、ウェーバー侯爵邸を見張っている。
…………そして、毎日驚愕している。
(なんだ、なんなのだ、これは……)
ウェーバー侯爵家には毎日違う、うら若き令嬢たちが乗った馬車が押しかけてくる。
多くは門前払いをされているが、時に、来客として招かれている様子もある。
さらに、貴族令嬢だけではない。どこかの女使用人やら、通りすがりの女やらが、ウェーバー侯爵家の前を通りかかっては、首を伸ばして、こっそりと中の様子をうかがっている。
一体なんだというのか?
(ウェーバー侯爵め…………王国最高の美女を妻にしながら、若い令嬢たちにとっかえひっかえ手を出そうとは……なんという……)
ライオット伯爵は、まったく的はずれな見解で悔しがっていた。
独身の貴族令嬢は普通、結婚まで処女を死守する。ましてや既婚者相手に普通は軽々しく近づかない。
そして、この家には評判の美男子の息子たちがいる。
少し考えれば息子のほう目当てだろうとわかるはずなのだけれど……冷静な判断ができず、憎悪と嫉妬と様々なものがごった煮になった感情を、ウェーバー侯爵に向けるライオット伯爵だった。
(だいたいあいつは……若い頃から、我々の同年代で一番パッとしない、小肥りのモサい醜男で……)
そもそもあんな男が、絶世の美女のガイアと結婚できたのは、そのおかげなのだ。
◇ ◇ ◇
20年前、なかなか世継ぎが生まれないことに業を煮やした国王は、アダマス侯爵家に娘のガイアを公妾として自分に仕えさせるように命じた。
公妾としてはむしろ身分が高すぎたのだが、王家の血を引いていたことや、ガイアの輝くばかりの美貌に国王が惹かれたことが決め手となった。
名家のアダマス侯爵家はかなり抵抗したようだが、最終的に折れた。
そして、我が国では慣習として、国王の愛人は既婚者でなければならないとされている。
独身の令嬢を愛人にして、王妃と愛人がそれぞれ子を産めば、王位争いの可能性が高くなる。既婚者なら、そのリスクが下がるからだ。
公妾となるためには、結婚する必要がある。
その時点で前の妻と結婚していたライオット伯爵は、歯噛みして悔しがった。
侯爵令嬢だったガイアと釣り合う身分で独身の令息たちの中から、最終的に選ばれたのは、名門ウェーバー侯爵家の令息。候補者のなかで、見た目的には最もパッとしない男だった。
『ガイア嬢が夫を愛さずに、ずっと国王陛下にお仕えするように、陛下はわざとあんな男を選んだんだな』
『かわいそうに、あの方は、絶世の美女を妻にしながらベッドをともにすることもできないでしょうねぇ……』
などと、王宮じゅうの口さがない噂雀たちは、ウェーバー侯爵家令息を嘲笑ったものだ。
しかし周囲の予想に反し、クロノス王子を産んだ後のガイアは即、公妾を辞めることを願い出て、以後二度と王の閨に上がらなかったというが……。
◇ ◇ ◇
「しかし……また令嬢たちが来ているな。そして、ウェーバー侯爵は不在か」
ウェーバー侯爵邸の門をふさぐように、四つも馬車が並び、門番に令嬢たちが何事か交渉している。
邸を見張っていても、フランカの居場所の手がかりどころか、ウェーバー侯爵自身が何をしているかさえわからない。
邸を出入りするのは息子たちばかりだ。
(あの令嬢たちに訊けば、何か手がかりを得られるかもしれない)
ライオット伯爵は馬車を降りた。
謹慎中ではあるが、令嬢たちに口止めすればよいと軽く考えていた。だが。
「これはこれは、お嬢さん方、おそろいでお出かけかね?」
令嬢たちに声をかけると、一瞬こちらが誰だかわからないような、戸惑ったような顔になる。
「髭が延びたせいか…………ほら、私です。ライオット伯爵ですよ」
皆急にひきつったような表情になった。あからさまに怯え、下がるような娘さえいる。
「…………皆、どうしたのかね」
「いえ、問題ございませんわ。ライオット伯爵、大変ご無沙汰をいたしておりますわね、ご機嫌麗しゅう」
令嬢たちのなかで年長の者が礼をする。表情が気になる。
どうして皆、すぐにでもここを立ち去りたいという顔をしているのか?
(――――フランカの件が…………広まっている?)
ようやく、ライオット伯爵はそれに思い至った。
令嬢たちがこちらに向けていた表情は、あからさまな警戒だったのだ。
「では……殿方と勝手に外で話してはならないと言われておりますので、失礼いたしますわ」
「わ、わたくしも」
「ライオット伯爵、ごきげんよう」
「失礼させていただきますわ」
それぞれに令嬢たちが後ずさりし、自分の馬車へ戻ろうとする。
こちらに、まるでゴミを見るような目を向けながら…………
(なんという女たちだ!
この私に向かって……!!)
令嬢たちは皆知った顔だ。親を叱りつけて後悔させてやろう……降格されて伯爵の身だが、なんとかなるだろう……。
そう考えたライオット伯爵の耳に、新たな馬車の車輪の音、馬のテンポ良く歩く足音が聴こえてきた。
まもなく姿を現したのは、ウェーバー侯爵家の紋章が入った馬車だ。
「どうされましたか?」
馬車のなかから、怪訝そうな顔を見せたのは、ウェーバー侯爵だった。の、はずだった。
(…………!?
これが、あのパッとしなかった醜男か?)
小肥りな体つきや顔つきは変わらない。
しかし40歳になったウェーバー侯爵は、顔色が良くそれでいて脂ぎっていない。
髪も、一目見て良い腕の美容師の手によるものとわかる。
仕立ての良い服はピッタリと体に合い、そして、何よりも、少し前よりも遥かにオーラが増していた。
王政の中核を担う人間としての貫禄さえ身につけている。
「おじさま!」
「ウェーバー侯爵!!」
令嬢たちが馬車のもとに駆け寄る。ウェーバー侯爵は鷹揚に微笑んだ。なんということか、慈悲深き王の微笑みのようだ。
「皆さん、また私の息子に会いに来てくれたのですか? いつも申し訳ないが、やはりまだ忙しいのですよ。しばらくはご遠慮ねがえますか。
……ええと、そちらの男性は?」
(貴様も、一目で私だとわからんのか!?)
ライオット伯爵は舌打ちした。だが、自分でも理由はわかっていた。
日々鏡を見ていれば、少し前の自分よりもどれだけ自分の見た目がみすぼらしくなったか、自覚せざるを得なかった。
(…………それにしたって、酷い屈辱だ!)
まさか、ウェーバー侯爵ごときに見た目で劣等感を覚えさせられるなど……最悪だ!!
ライオット伯爵は、憤然と、自分の馬車に向けて走り出した。
しかし心は思った以上にうちのめされていた。
一刻も早く自分の邸に、誰にも見られないところに帰りたかった。
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