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 爽やかな笑みを浮かべて現れたヘタレは、この学園の王子様(プリンス)のように見える。

 ああ、そういえばなんかこういうシーンあったな。

 もっとも、漫画のこのシーンでは凛花(ヒロイン)の味方はヘタレだけだったけれど。


 ヘタレの登場に、私を囲んでいた蓮見ファンの人たちが一歩ずつ後ろに後退していく。

 それだけ、ヘタレはこの学園にとって影響力のある人だということだ。

 今のいままで忘れていたけれど、本来の東條昴とは、そういう人なのだ。

 私の前だとヘタレの印象が強すぎるだけで。



「みんな揃って、なにをしているのかな?」

「と、東條様……」

「神楽木さん、その頬はどうしたの?」

「これは、私が勝手に動いた結果受けた名誉の負傷ですので、気になさらないでください」

「名誉の負傷?まぁ、今はいいか……。ところで、僕の耳に、君たちが神楽木さんを呼び出して酷い暴言を聞かせている、という話が入ってきたんだけど、それは本当の事?」


 ヘタレはそう言って、私を囲んでいた蓮見ファンの人たちを見つめた。

 笑っているのに、その瞳は笑っていない。


「あ……そ、それは……」

「もしそれが本当なら」


 言い訳をしようとする彼女たちの言葉を遮ってヘタレは言った。


「どんな理由があるにしても、多くの人が聞いてしまう可能性の高いこの場所で、彼女の名誉を傷つけることを言う君たちの正気を疑う。神楽木さんは、僕の大切な友人だ。そんな彼女の名誉を傷つける君たちを僕は許せない」


 ヘタレが鋭く彼女たちを睨む。

 彼女たちはひっと叫んで、後ずさった。


 美咲様の気持ちも、ヘタレの気持ちも嬉しい。

 正直に言えばいい気味だと思う。

 だけど、私はここまでして彼女たちを断罪したいとは思わない。

 これ以上、私のために彼女たちを追い詰めなくていい。

 彼女たちを悪役にしなくていい。


 いや、今の美咲様やヘタレの表情を見るに、美咲様やヘタレの方が十分悪役っぽいのだけど、今は置いておこう。



「東條様、美咲、もう十分ですわ」

「でも」

「もう、いいの。あなたたち」


 私は橘さんと彼女たちを見つめた。

 彼女たちは強張った表情で私を見る。


「これ以上、私に関わらないでください。それを約束できるなら、あなたたちを許します」


 蓮見ファンはコクコクと頷く。

 橘さんは俯き、なにかぶつぶつと言っている。


「こんなはずでは……あの人の話とちがう……」

「橘さん?」

「あ……。……私は別にあなたに許してもらおうだなんて、思っていないわ。だって、私は後悔なんてしていないもの。だから、あなたの許しなんて、いらないわ!」


 そう言って橘さんはくるりと私たちに背を向けて走り去っていった。

 私はそんな彼女の姿に、思わず笑みをこぼす。

 なんというか、彼女らしいな、と思ったのだ。

 ある意味、潔い。


「凛花、その頬を冷やさないと……腫れてきているわ。保健室に……」

「俺が連れていく」


 それまで黙っていた蓮見が私の手を取る。

 そしてヘタレと美咲様に言う。


「昴、美咲。あとは、頼む」

「わかったわ」

「任せて」


 美咲様とヘタレが頷いたの確認すると、蓮見は私の手を引っ張って歩き出した。

 私は蓮見に引っ張られるまま、歩く。

 無言のまま保健室まで行く。

 ちょうど保健の先生はいないようだ。

 蓮見は勝手に保健室を漁り出し、保冷剤を引っ張り出した。

 適当なタオルに保冷剤を包み、私の頬に当てる。

 ひんやりとしていて、気持ちいい。


「ありがとうございます、蓮見様」

「……これくらい、当然だ。俺のせいなんだから」


 蓮見は痛々しそうに顔をしかめて言った。


「ごめん。ついカッとなって……」

「いいえ、謝らないでください。私が勝手にやったことなのです。東條様にも言いましたけれど、名誉の負傷ですわ」

「でも」

「きっと、あのまま橘さんを叩いていたら、蓮見様は今以上に後悔していたはずですわ。だから、これで良かったのです。私は頑丈ですし、ね。だから、そんな顔をしないでくださいな」

「…………」


 蓮見は黙り込む。

 どうしたら蓮見の気持ちを楽にできるのだろう?

 考えても、いい案が浮かばない。




「俺が姫樺を追い詰めていたんだな……」


 やがて、蓮見がぽつりと呟く。


「蓮見様……?」

「君がこうして、姫樺やあの女子生徒たちに嫌がらせを受けていたのは、もともとを辿れば俺が原因だ」

「違います。そんなことありません」

「そんなこと、あるんだよ。俺が、姫樺の気持ちに気づいてやれなかったから……だから、こんなことに……」


 蓮見は拳を握りしめた。

 強く握りすぎて、手が白くなっている。

 私は蓮見の手を取り、両手で包んだ。


「蓮見様、そんなに自分を責めないでください。人間ですもの、すべて完璧になんて、できるはずがないのです」

「神楽木……」

「それに、きっとそんな鈍感な蓮見様を橘さんは好きになったのだと思いますわ。気づいてほしいけど、気づいてほしくない……きっと橘さんはそんな葛藤を抱いていたはずですわ。今のままでいたいけど、もっと進んでみたい。今の関係を壊すのが怖い。そんな風に、思ってしまうのです。乙女心は複雑なのですわ」

「そういうもの……?」

「ええ、そういうものです。先ほど、橘さんは蓮見様を責める言葉を仰ってましたけど、あれは本心ではないと思いますわ。もう一度、橘さんと話し合ってください」

「……わかった」


 蓮見がぎこちなく頷くのを見て、私は思わず笑う。

 そんな私をムッとしたように蓮見が睨む。


「なんで笑うんだよ……」

「だって。ふふ……ごめんなさい。蓮見様、とても可愛いですわ」

「は?」


 ぽかんとした顔で私を見つめる蓮見は、とても可愛い。

 今まで蓮見のことを可愛いなんて思ったことなかったけれど、今はとても可愛らしく見える。

 なんというか……年相応に見えたのだ。

 いつもは大人びて見えるのに。


「……可愛いと言われても嬉しくない」

「ふふ。前に弟にも同じことを言われましたわ」

「あっそ……」


 ふて腐れたように蓮見はそっぽを向く。

 ああもう、可愛い。蓮見が可愛すぎる。

 これが母性本能をくすぐられるという現象か。

 思わずぎゅっと蓮見を抱きしめたくなる。

 弟になら迷わず抱きしめるのだけど。


 私は強く握られた蓮見の手をゆっくりと解いていく。

 そして蓮見の大きな手を両手で握る。


「……大丈夫です。大丈夫ですから。きっと、橘さんとのことも、上手く収まります」

「……神楽木……ありがとう」


 蓮見が微笑む。

 私も微笑み返した。


 いいえ。本当は、お礼を言わなきゃならないのは、私のほう。

 私を庇ってくれて、ありがとう。

 こんな私に、弱いところを見せてくれて、ありがとう。



 また、蓮見に対する“好き”の気持ちが、膨らんだ。






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