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私が役目を一先ず終え、舞台袖に戻ると、蓮見がスタンバイをしていた。
先ほどの衣装にマントがつけられている。うわあ、本当に王子様っぽい。
そして、いつも下ろしている前髪がきっちりと上げられていた。
オールバックによって、蓮見の端正な顔立ちがより一層際立つ。
最近見慣れてきた気がしていた蓮見の顔だけど、私は思わず見惚れた。
本当に、かっこいい。
私、初めて蓮見のことを格好いいと思ったかもしれない。
客観的にイケメンだとは常に思っていたけれど、私の主観で格好いいとは思っていなかった。
私がぼんやりと蓮見を見ていると、蓮見が顔をしかめた。
「……似合わないでしょ?この髪型」
「え……?」
「わかってるんだけど、どうしてもこれがいいって言うから……」
蓮見は言い訳がましく上げた前髪を触りながら言う。
前髪を触ったせいで、数本前髪が落ちる。
ほんの少し乱れただけだけど、それだけでもぐっと印象が変わる。
ああ、どうしよう。本当に今の蓮見は格好いい。私好みかもしれない。
「いえ……とてもお似合いですわ」
「……お世辞はいいよ」
「お世辞なんかじゃありませんわ、本当です。私、初めて蓮見様のことを格好いいとおも……」
あ。
慌てて口を塞ぐが遅すぎた。
ついうっかり、口が滑って本音を言ってしまった。
どうしよう。恥ずかしい。きっと私今、顔真っ赤だ。
私は恐る恐る蓮見を見る。
蓮見は目を見開いて私を見ていた。
その顔は、少し赤い。
気まずい沈黙が流れる。
どうしよう。なんて言えば。
私が混乱していると、蓮見が小声で「ありがとう……」と言うのが聞こえた。
私は小さく頷くので精一杯だった。
ちょうどそのとき、蓮見が呼ばれた。
蓮見の出番のようだ。
私は恥ずかしさを抑え、顔を上げて蓮見をしっかりと見て言う。
「頑張ってください。応援してますわ」
「ああ。行ってくる」
蓮見は小さく微笑み、舞台に向かっていく。
私はマントをなびかせて歩く蓮見の後姿を見送った。
お姫様が眠ったあと、妖精たちが現われて、城にいる人を全員眠らせ、お城を茨で覆った。
100年後、王子様がお姫様を目覚めさせるその時がくるまで。
そして月日は流れ、王国があったことも忘れ去れた100年後、一人の勇敢な王子が現われる。
王子は茨で覆われた城の近くに魔物が出ると聞き、その魔物の退治に供を連れてやってきた。
ここからが蓮見の出番である。
魔物退治にやってきた王子様が茨に覆われた城の近くを通りかかったとき、妖精が現われてこう言った。
「勇敢な王子様、どうかこの先で眠る王女様をお助けください。王女様は悪い妖精の魔法によって眠りの呪いにかかっています。その呪いを解くために貴方の力をお借りしたいのです」
王子様は迷いなく頷いた。自分で力になれることがあるなら、力になってあげたいと思ったのだ。
すると、茨がすっと開かれた。王子様が一歩茨の中に入ると、茨はたちまち元通りになり、一緒に来た供と離れてしまった。
戻ろうにも戻れない。王子様は意を決して進みだすと、いつの間にか見たことのない城の中に入っていた。
城のあちらこちらで人が倒れていて、王子様は慌てて近づき呼びかけるが、返事はない。
みんな、深い眠りについているようだった。
王子様は不思議に思いながらも先に進む。
しかし、庭に出たところで、悪い妖精が現われ、王子様の行く手を阻む。
「先に進みたいのなら、わたくしを倒しなさい!オーホッホッホッホ」
またもや、ノリノリの悪女カイトの登場である。
蓮見は表情をまったく変えずにカイトを見つめる。
「邪魔をしないでくれ。僕は貴女と戦いたいわけではない。王女を救いたいだけなんだ」
真剣な目で悪い妖精に訴える王子様を、悪い妖精は笑う。
「なら、なおのこと。王女に呪いをかけたのはわたくし。王女の呪いを解こうとする貴方を通すわけにはいかないわ」
そして悪い妖精は王子様に襲い掛かる。
チャンバラか繰り広げられるのをもっと見ていたかったが、私もそろそろ出番だ。
大人しくスタンバイをしていよう。
チャンバラが終われば、すぐに私の出番。
王子様のキスによってお姫様が目覚めるシーン。
一番緊張して、一番心臓に悪いシーンだ。うまくできますように!
チャンバラを終えた蓮見がお姫様のいる部屋に入る。
私は一足先にベットで横になっている。
「王子様、王女様を目覚めさせるためには、貴方の口づけが必要なのです。さあ、王子様、王女様に口づけを」
妖精がそう言って、王子様に口づけをするように促す。
王子様は頷き、お姫様が眠るベットに近づく。
「おお、なんて、美しい姫なのだろう」
蓮見の声がすぐ傍で聞こえる。
もうすぐキスシーンだ。寸止めだけど。
恥ずかしいから早く終われ!
このキスシーン、長いのである。
キスシーンそのものはそんなに長くないのだが、キスシーンに入るまでが長い。
じれにじれに焦らせて、やっと王子様はキスをする。
その間がつらいのだ。じっとしている身としては。
いつキスシーンが終わるのかそわそわしてしまう。
私の寝ているベットが軋み、ああいよいよキスシーンなのだな、と私は気持ちを引き締める。
キスシーンのあとにも台詞があるし、きちんとしないと。
蓮見の顔が近くにあるのがわかる。
寸止めとはいえ、顔は息がかかるくらい近づける。
いよいよキスシーンだ。さあ、どんどこい!
私はじっとキスシーンが終わるのを待つ。
その間、私は内心でそわそわしていた。
まだかな……。
もう目を開けても大丈夫かな。
いや、まだか。
そして、唇に柔らかいものが触れた。
え?
なにが、起こったの?
本当は何が起こったのかわかっている。だけど、頭が理解するのを拒んだ。
私が恐る恐る目を開くと、蓮見の顔がすぐ近くにあった。
熱のこもった瞳に見つめられて、私は激しく動揺した。
知らない、知らない。こんな瞳、私は知らない。
そんな瞳で、私を見ないで。
私は知りたくない。そんな気持ち、知らなくていいの。
どうして、どうしして?
私は混乱していたが、ふと、周りを見れば観客席が見えた。
そうだ。まだ、劇の最中だった。
私は蓮見に視線を戻す。蓮見はいつもと変わらない表情ながらも、戸惑った様子だ。
あれは、事故。そう、事故なのだ。
私は自分になんとかそう言い聞かせ、ゆっくりと微笑む。
「お待ちしていましたわ、貴方が生まれる、ずっと前から」
私は上手く笑えているだろうか?
蓮見の瞳に写る私は、それなりに笑えているように見えた。
「……お慕いしていました。僕が生まれる、ずっと前から」
蓮見も微笑んだ。
そして、お城の呪いは解かれ、大団円を迎える。
私たちは舞台の中央に集まり観客席に向かって一斉にお辞儀をしたあと、舞台の幕が下りた。
舞台の幕が下りて、みんな一斉に気を緩めた。
そして口々にあそこが良かった、ここのタイミングが……と感想を言い合う。
私は、私の隣立っている蓮見の方を向き、蓮見に声を掛ける。
「蓮見様」
蓮見がゆっくりと私の方を向く。
そして私は、蓮見の頬を思い切り、叩いた。
パン!と乾いた音が響く。
みんなが一斉に私たちの方を向くが、私は気にしなかった。
蓮見は叩かれて赤くなった頬はそのままに、私をただ、見つめた。
「最低ですわ……!」
瞳が潤んでいくのがわかる。
さっきは劇の最中だから、事故だと思って我慢したのだ。
―――はじめてだったのに。
ファーストキスがアレだなんて、あんまりだ。
私だって、ファーストキスはこんなシチュエーションで、なんて、夢を見てた。それなのに。
私はくるりと蓮見に背を向け、みんなの視線も気にせず舞台から走り去った。
瞳から涙が零れていく。拭っても拭っても涙は止まらない。
私は人気のない場所まで行くと、その場に屈んだ。
ひどい。ひどい。
なんで?どうして。
同じ言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回る。
私は唇に指で触れる。
こんなに悔しいのに。
―――どうして、蓮見にキスされたことを、嫌だと感じないの。




