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『あー。やっぱり、あいつ、桜丘学園に編入したんだ』
「菜緒、知っていたの?」
『ううん。ただ、なんとくそう思ってただけ。あいつ、凛花のこと気に入ってるから』
「そうかしら……」
カイトが編入してきたその夜、私は早速、菜緒に電話をした。
桜丘学園に編入してきたと言えばもっと驚くかと思っていたのに、菜緒はたいして驚いていない様子だ。
『凛花、あいつには、カイトには気をつけてね。あいつ、普通じゃないから』
「そう?そんなことはない思うけれど……」
『あいつは猫を被っているの。いつ化けの皮が剥がれるかわからないから、常に警戒していた方がいいわ』
「猫を被っている……」
そんな風には見えないけどな。昔からあんな感じだったし。
カイトは、私と菜緒の幼馴染みで、菜緒の従兄弟にあたる。
菜緒のお父さんとカイトのお母さんが兄妹なのだ。
ちなみに、カイトのお父さんとうちの父には親交があり、プライベートの付き合いもある。
その関係で、カイトとも昔から交流があった。
菜緒は私よりも前からカイトと顔見知りで、実の兄妹か、というレベルでお互いのことを理解しあっている。カイトのことは菜緒がよく知っているのだ。
そんな菜緒が、カイトは猫を被っていると言う。
私に普段見せているカイトは、本当のカイトじゃないのだろうか?
『そう。それに、凛花は大丈夫なの?』
「……もう、昔のことだもの」
『割り切れているならいいけど……あまり無理はしないでね』
「うん。ありがとう、菜緒」
私は少し痛む胸に気づかないふりをして、菜緒にお礼を言った。
カイトは、私の初恋の人なのだ。
当時の私は周りに仲の良い男の子はカイト以外にはおらず、いつも明るく優しいカイトに惹かれた。
トラブルメーカーで騒ぎばかり起こす彼が物珍しくて、物怖じしない彼の態度に憧れた。
そんな彼が父親の仕事の関係でイタリアに引っ越すと知った私は、一大決心のもと、彼に告白をした。
私からの告白を受けた彼は「ありがとう」と言って、そのまま引っ越してしまった。
私の告白の返事をせずに。
当時の私にとってとてもショックな出来事だったが、それと同時期くらいにこの世界がセカコイの世界だと気づいたショックの方が大きくてそれどころではなくなった。
まあ、お陰で初恋を吹っ切ることができたわけなのだが。
あれ。そういえば、凛花の幼馴染みって、菜緒だけじゃなかっただろうか?
セカコイは、学園生活でのストーリーがメインだったため、それ以外の描写が少なかった。
確かに、電話で幼馴染みに相談をしている描写はあったが、イタリアに幼馴染みがいるということは作中では書かれていなかった気がする。
最近、だんだんと前世の記憶が曖昧になってきている。頭の中で1巻から漫画を開くことができた前とは違い、今ではだいたいのストーリーしか思い出せない。
うーん。公式の設定であったのかなぁ。思い出せない。
それとも、これは異常なことなのだろうか?
判断できない。
『凛花、なにか少しでも変わったことがあったら、私に言ってね?絶対よ?』
「う、うん。わかったわ」
やけに菜緒が念押ししてくる。
そんなにカイトがなにかやらかさないか心配なのだろうか?
さすがに高校生だし、もう昔みたいに窓ガラスをうっかり割ったりだとか、バットを真っ二つに折り曲げるようなトラブルは起こさないと思うけれど。
しかし、あまりにも菜緒が真剣に言ってくるので、私は素直に頷いておいた。
「まぁ、矢吹様は、あのマッカナグループの総帥のご子息だったのですか」
「そうなんだよ。驚いた?」
「ええ、とても驚きましたわ」
カイトは早速クラスに溶け込んでいる。社交性の高い奴だ。
女子にばかり囲まれている印象があるが、男子ともそれなりに交友を深めているようだ。
まだ編入してきて一週間も経ってないのに、あっという間に馴染んだ。純粋にすごいと思う。
お金持ちの子息令嬢はプライドが高い子が多い。そんな中で誰とでも気兼ねなく話すカイトは異常と言えば異常だ。
まあ、彼は自動車の有名企業であるマッカナグループの総帥の息子ということもあって、家で取引のある子も多いから、というのもありそうだが。
「リンちゃん、聞いたよ。もうすぐ文化祭なんだって?」
「ええ、そうよ」
「うちのクラスってなにやるの?」
「まだ決まってはないけれど……そうね、やるとしたら、何かのアトラクションか講堂のステージを借りて劇でもするか、かしら」
「へー!楽しそうだね!」
カイトは目をきらきらさせて言った。
こいつ、文化祭で何かやらかさないだろうな?無茶苦茶心配だ。
私とカイトが文化祭の話をしていると、蓮見がやってきた。
「神楽木、今から生徒会室に来てって、相模さんから伝言」
「朝斐さんから?まあ、なにかしら」
「さあ?文化祭の話じゃない?俺も呼ばれているし」
「蓮見様も、ということはもちろん飛鳥くんも呼ばれているのでしょね」
「おそらくね」
「わかりましたわ、行きましょう、蓮見様」
私が席を立とうとすると、カイトが不意に私の腕を引っ張る。
「カイ……?」
「ねえ、リンちゃん。それ、誰?リンちゃんとどんな関係?」
いつもにこにこと笑っているカイトが、今は無表情だ。
いつもと様子が違うカイトに私は戸惑う。
なんだが、カイトが知らない人みたい。
「俺は、蓮見奏祐。君と同じクラスなんだけど?」
「あ、そうだっけ?ごめん、まだクラス全員の顔覚えてなくて。で、リンちゃんとどんな関係なの?」
「クラスメイトで生徒会役員で、友人」
「ふーん……友人、ね」
カイトが意味ありげに蓮見を見る。
蓮見はいつものポーカーフェイスでカイトの視線を受け止める。
しかし、カイトはすぐにニコッといつもの笑顔を浮かべ、蓮見に手を差し出した。
「これからよろしくね、ハスミ」
「あぁ、こちらこそ」
蓮見はカイトの手を取り握手をする。
さっきまでの変な雰囲気はなくなっていた。
私はそのことにホッとする。
蓮見は私の方を向くと「行こうか」と言った。私は頷きカイトに「行ってくるわ」と告げて蓮見と歩き出す。
が、私はふと足を止めてカイトを振り向く。
カイトはいつもと変わらない笑顔で手を振る。私も笑顔を返し、また歩き出す。
あれは、きっと私の見間違い。
カイトがあんな表情をするわけがない。
―――あんな、冷たい笑みを浮かべて、蓮見を見てたなんて、私の気のせい。
そうだ、そうに違いない。
だって、カイトは人当たりがよくて、誰とでも仲良くなれる、社交性の高い明るい人なのだ。
私は胸に小さく息づいた違和感に気づかないふりをする。
そして、私はその違和感から意識をそらすように、蓮見に話しかける。
「ふふ、嬉しかったですわ、蓮見様?」
「なにが?」
「友人、と言っていただけて。とても嬉しかったです」
「……それしか、言いようがないでしょ?」
蓮見の少しふて腐れたような顔に私は笑みをこぼす。
そして小さな違和感に、蓋をした。




