【コミックス発売記念】蓮見のとある休日
『ロールケーキが食べたいので、よろしくお願いします』
神楽木からそう連絡があったのは三日前。
この三日間、なんやかんやと予定があり、ロールケーキ作りに着手できなかったが、ようやく予定が空いた。
今日はちょうど日曜日だ。
ゆっくりロールケーキ作りができる。
どんなロールケーキにしようか、とまずは考える。やはりスタンダードな生クリームのロールケーキがいいだろうか。それともフルーツがたくさん入った、女子受けしそうなものがいいか。
悩んだ結果、神楽木に女子受けなんて考える必要はない、という結論に達した。
彼女は美味しければ文句は言わない。それに、特に細かい注文が入っていないということは、ロールケーキでありさえすればなんでもいいということなのだろう。
そうでなれば彼女のことだから、はっきりと「フルーツの入った可愛いロールケーキ」とかそんな感じで言ってきただろし。
作る物が決まれば、次は材料の用意だ。
卵は確か家にあった。だけど……生クリームはない。そういえば、この間のミルクレープでバニラエッセンスも使い切ったんだった。
粉砂糖も足りなさそうだ。小麦粉はまだあるから大丈夫だろう。
必要な物をスマホのメモ帳に入力し、買い出しに出かけようとしたとき、電話が鳴った。
スマホの画面に表示された名は『東條 昴』。嫌な予感がしながら、俺は電話に出る。
「……なに?」
『やあ、奏祐! ちょっと買い物に付き合ってよ』
「いや、俺は今から出かけるんだけど」
『あと十分くらいで着くから! よろしく!』
そう一方的に言って昴は電話を切った。
人の話を聞かないところは相変わらずだ。もう慣れたとはいえ、やっぱりムカつく。
ため息をつき、仕方なく昴が来るのを待つ。
それから電話で言った通り、十分くらいで昴はやってきた。ニコニコと笑顔を浮かべて、「お待たせ」なんて言う。
おまえが待たせたんじゃないか……。
不機嫌な俺とは正反対にご機嫌そうな昴は、鼻歌を歌って歩いている。
昴に連れてこられたのは、高級食材や珍しい食材を取り扱うスーパーだった。
「……なんでスーパー?」
「僕お気に入りのデスソースが切れちゃって。その買い出しついでに、新規開拓をしてみようかと思ってね」
「……へえ」
昴は大の辛党だ。
常にマイデスソースを持ち歩き、辛いものが食べたくなったときにはそれを適当な物に掛けて食べている。
その適当な物の中には普通の饅頭も含まれている。昴は甘い物だろうがなんだろうが、ところ構わずデスソースを掛けるバイオレンスな奴だ。
昴から食べ物をもらうなかれ。
それが美咲と俺の密かな掟だ。破ったら痛い目に遭うのは自分なので、俺たちは徹底的に守っている。
ちなみに、昴の言っていた「新規開拓」とは、いつもとは違うメーカーの激辛ソースを買ってみようと思うの意だ。
……まあ、スーパーに来たのはちょうどいい。
ここで足りない材料を揃えようと、買い物カゴに手を伸ばす。
「あれ。奏祐もなんか買うの?」
「まあ、ちょっとね……」
「……ああ! 神楽木さんのおやつを作るんでしょ? 『蓮見様は私の専属パティシエなので』って前に神楽木さんがドヤ顔で言っていたよ」
「……」
神楽木のドヤ顔が目に浮かび、俺はため息を堪えた。なんだよ、専属パティシエって。そんなのになった覚えはない。
覚えはないが……まあプリンに釣られた俺が言えた立場ではない。
「奏祐もマメだよねえ。僕には考えられないよ」
それはそうだろう。
昴は我が道を突き進む男だ。誰かのためになにかする、という思考はこいつにはない。ましてや、誰かのためにお菓子を作ろうなんて思いつきもしないだろう。
そもそも、お菓子を作るという発想がないのではないだろうか。昴にとってお菓子は食べる物で作る物ではない。
「今回はなに作るの?」
「……ロールケーキ」
「ロールケーキかあ。それなら僕も食べられるかもなあ」
こいつ、食べる気なんだろうか。
あげるなんて一言も言ってないんだけど。
甘さは控えめでね、なんて言う昴をスルーし、目的の売り場へ向かっていく。
買う物は珍しい物ではない。すぐに目当ての物は見つかり、買い物カゴにいれる。
お菓子の材料コーナーの隣には昴の目的であるデスソースが置かれていた。
明らかに配置がおかしいと思うのは俺だけなんだろうか。普通、お菓子の材料コーナーの隣にこんな激物を置くだろうか。正反対な代物なのに。
「あったあった〜! とりあえず……あるだけ全部買おうかな」
そう言って棚に並べられているデスソースをカートの中に次々と入れていく。
禍々しい赤色のパッケージでカートの中が埋め尽くされる。これレジに通すとき、店員はなんて思うんだろうか……俺ならドン引きだな。
「他には……あ、これ知ってる。『サドンデスソース』。すごく辛いやつだ」
「いや、デスソースの時点ですごく辛いだろ……」
「デスソースの中でも辛いので有名なんだよ。ここであったのもなにかの縁だし、一本買ってみよう」
昴は他にも『大魔王』だの、『アフターデスジョロキア』だの、いくつかの激辛ソースをカートに入れた。
そしてレジで会計をするとき、店員が三度見くらいしていた。まあ、気持ちはわかる。
俺も会計を済ませると、両手いっぱいにデスソースを抱えた昴が待っていて、問答無用で俺にデスソースの一部を押し付ける。
そうか、俺を買い物に付き合わせたのは荷物持ちをさせるつもりだったのか……。ただ一人で買い物をするのが嫌なだけだと思っていた。そう言うことも多々あるのが東條 昴という男である。
昴の家の車に乗り込み、たくさんのデスソースを買えてご機嫌な昴はサドンデスソースのスコヴィル値について熱く語っていた。
まったく興味がないのでスルーした。
俺の家につき、じゃあと別れようとしたのに、なぜか昴がついてくる。
「……なに?」
「このデスソースを試そうと思ってね!」
さっきの店でインスタントラーメンを買っておいたんだ、とニコニコとして昴は言う。
「いや、それは自分の家で……」
「ほらほら、早く食べようよ!」
ウキウキした様子の昴に帰れと言ってみたが、それで素直に帰る男ではない。
仕方なく、一口だけと約束をしてインスタントラーメンを作った。ちなみにラーメンの味はしょうゆだ。
なんの具も乗っていないラーメンに昴がサドンデスソースをかける。
一口……一口耐えればいいんだ。
覚悟を決めてラーメンを一口食べ──猛烈に後悔した。
やっぱり食べるなんて言うんじゃなかった! たとえ一口だとしても、こんなもの人間の食べる物じゃない!
辛いのを通り越して痛い。口も鼻も痛くて、ゴホッゴホッとむせる。用意していた水を飲んでも痛いのは収まらない。
……これ、胃腸薬を飲んでおくべきだな……。
俺のリアクションを見て、昴は目を輝かせる。
「そんなに辛いんだ! 楽しみだなあ。いただきまーす」
ズルッと麺をすする。
しばらく普通に食べていたが、少ししてゲホッとむせだした。
「か、辛いね、これ……! 想像以上だ……! うん、いいね!」
……なぜ「いいね」になるんだ?
まったくもって昴の感覚がわからない。わかりたくもないけど。
「はあ……辛かった~! ごちそうさまでした」
辛い辛いと言いながら、昴はラーメンを完食した。
俺はといえば、ようやく痛みが引いてきたところだ。なんてものを食べさせられたんだ……。
辛さは味覚ではなく、痛覚だと聞く。
これが好きな昴はつまり……いや、やめておこう。自分の幼なじみが変態なんて思いたくない。
「付き合ってくれてありがとう、奏祐。じゃ、帰るね!」
お邪魔しましたーと言って、あっという間に帰っていく昴を見送り、俺はまた水を飲む。
……今日はもう、ロールケーキ作れそうにないな……。
翌日、ロールケーキを持ってこなかった俺に神楽木ががっかりしたのは、言うまでもない。




