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あの日をもう一度(side:蓮見)

前話の蓮見視点です。



 ずっと気になっていたことがあった。


 彼女と気持ちが通じ合い、成り行きのような形で俺たちは婚約をした。

 婚約に関しては彼女も納得済みだったし、そもそもそれが両親との約束だった。


 だけど、ずっと引っかかっていた。

 俺は彼女にきちんと許しを乞うべきなのではないか、と。

 実質もう婚約してしまっているのだから、それはただ体裁をとるための、言わば儀式のようなものかもしれない。

 しかし、形ばかりのものでも、やらないよりは良いのではないだろうか。少なくとも思い出にはなるし、きちんと言葉にするということは大切なことのはずだ。


 きちんと彼女に許しを乞おう。

 ───俺と結婚してください、と。


 そう決断してから、まずは指輪を探すところから始めた。

 婚約を済ませておきながら、俺は彼女に婚約指輪を贈っていなかった。

 いくつものジュエリーショップを回り、様々なデザインの指輪を見た。彼女はどれがいいだろうかと考えれば考えるほどわからなくなり、結局選んだのはシンプルなデザインのものだった。

 これは彼女好みというよりも、自分の好みに近い。敢えて俺らしいものをつけていれば、周りの男共への牽制にもなるのではないだろうか、という計算もあった。


 そうして動く傍ら、昴と共に免許の教習所にも通った。

 免許を取れば移動がずっと楽になるし、身分証明書にもなる。

 それに男なら免許を持っているべきだろうとも思った。いざという時運転できないというのは、とてもダサい。

 教習所では仮免も本免も特に躓くことなく、すんなりと取れた。昴も同様だった。


 免許を取ってから何回か練習をしてから彼女に免許を取ったことを告げた。

 きっとすごいと褒めてくれるか、いつの間にと驚くかのどちらかの反応をするだろうと予測していたのだが、彼女は一瞬だけ驚いたあと、拗ねた。

 予想外の反応に正直戸惑った。

 きっと喜んでくれると、良かったと言ってくれると思っていたのに、まさか機嫌を損ねるとは。

 彼女は本当に読めない。そこが彼女を気に入った理由でもあるのだけど。


 その後、なんとか彼女の機嫌を取り、日曜日に出掛ける約束を取り付けた。

 出掛ける先は決めていた。水族館だ。


 彼女に初めて告白をした場所が、水族館だった。

 あの時、俺は彼女に返事はいらないと告げた。

 あの時の彼女は俺のことなんてなんとも思っていないことはわかっていた。せいぜい友人くらいにしか思っていないと。だからこそ、返事はいらないと逃げたのだ。

 彼女を振り向かせる自信なんて正直なかった。だが、可能性はゼロではないのなら、それに賭けてみようと思ったのと、拒絶されるのが怖かった、というのが返事はいらないと告げた理由だ。


 しかし、どこかでそれを後悔している自分がいた。例えあのとき彼女に拒絶されても、諦めるつもりはないと、そう言えば良かった、と。

 そっちの方がずっと格好いいような気がしてならなかった。


 だから、そのリベンジをしようと思いついた。

 リベンジとは言っても、彼女の答えはほぼ決まっているのだが。

 あの時聞けなかった返事を、今度はきちんとその場で聞きたい。そう、思ったのだ。


 約束の日曜日に彼女を車で迎えに行くと、彼女は俺の車を見て震え出した。

 笑うのを堪えているのだろう。

 なにがそんなにおかしいのかと問えば、俺に初心者マークが似合わな過ぎておかしいのだという答えが返ってきた。

 初心者マークが似合わないとはどういうことなのか。

 少し納得できないものがあったが、それを飲み込み、彼女を車内へ促した。


 最初、彼女は物珍しそうに車内を見渡し、車が動き出すと外の景色を眺めて楽しんでいるようだった。

 あそこのお店にお昼を食べに行っただとか、そこのケーキが美味しかっただとか、ここの通りの奥に隠れ家的な名店があるらしいだとか。

 一人で楽しそうにずっと喋っている彼女の話に耳を傾けながら、運転をする。

 隣に人を乗せて運転するのは緊張する。まだ免許を取って日が浅いのだから、なおさらだ。

 これが彼女ではなく昴だったなら緊張なんてほとんどしないのだろうが、彼女の前で無様な姿は見せられないと思うと、余計に気を張ってしまう。


 ようやく目的地である水族館につき、俺は内心ほっとした。

 しかし、ここで気を緩むわけにはいかない。ここからが本番なのだ。

 興奮した様子の彼女に手を差し出し、彼女をエスコートする。


 水族館内に入ると、彼女は目を輝かせて水槽を眺めた。


「わあ!クロマグロ!とっても美味しそう…!」


 優雅に水槽内を泳ぐマグロを目にして彼女が言った台詞がこれだった。

 水族館の魚を見て美味しそうだと言う人がいるだろうか。いや、ここにいるけど。


「あのさ…」

「なんですか?」

「…いや、なんでもない。すごく君らしいな、と思っただけ」

「はい?」


 彼女は不思議そうに首を傾げた。

 どうやら無自覚で言ったらしい。それがまた何とも彼女らしく、とても残念だと思う。


 その後も彼女は食卓に並ぶような魚を見るたびに「美味しそう」と呟いた。

 彼女の頭の中には食べることしかないのだろうか。

 そんな彼女に呆れつつも、それ以外の海の生物たちについては普通の会話をして、館内をゆっくりと回った。


 そしてクラゲの展示ルームに入った。

 いつかの時と同じように、彼女はうっとりとクラゲを見つめていた。

 そんな彼女の姿に、あの時の彼女の姿が被り、思わず懐かしいと呟く。

 すると彼女も俺と同じようにあの時のことを思い出していたらしく、にっこりと笑った。


 彼女とあの時の思い出話に一通り花を咲かせ、少し沈黙する。

 話が途切れた今がチャンスだと、俺は緊張を誤魔化し、彼女の名を呼ぶ。


「凛花」


 クラゲへ視線を戻していた彼女が、再び不思議そうな顔をして俺を見る。


「俺はあの時、ここと同じクラゲの展示ルームで君に好きだと言った」

「…はい」

「その時、俺は君に返事はいらないと言った。…覚えている?」

「忘れられるはずがありませんわ」

「今日はそのリベンジをしようと思っているんだけど」

「…はい?」


 リベンジをしたいと突然言い出した俺に、彼女はきょとんとした顔をする。

 それが物の見事な間抜け顔で、吹き出しそうになるのを堪えて、苦笑程度に止め、俺はポケットから指輪の入った小箱を取り出し、言うと決めていた台詞を告げた。


「君が好きだ。2年前よりもずっと。だから──俺と結婚してください」


 プロポーズをした俺に、彼女は呆然とした顔をする。

 そんな彼女に俺は更に言葉を重ねた。


「ずっと…成り行きで婚約することになったことを気にしていた。女性はこういうことはちゃんと言った方が嬉しいんじゃないかって。それに…指輪も贈ってなかったし」


 台詞の途中で、彼女は表情を歪ませた。

 泣くのを堪えて失敗したような、そんな表情だった。

 きっと彼女の中で様々な感情が混ざり合って言葉にならないのだろう。

 だったら、返事をしやすいようにすればいい。


「それで凛花……返事は?」


 そう問いかけた俺に彼女は一瞬だけ俯き、顔を上げた時には綺麗な笑みを浮かべていた。


「とても…嬉しいです…よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた彼女に俺は肩の荷が下りたような心地になりながら、彼女の左手の薬指に指輪をはめる。

 指輪のサイズはちょうどぴったりだったようだ。まあ、調べたのだからぴったりで当たり前だが。

 彼女の薬指に輝く指輪に俺は満足する。これで彼女を性懲りもなく狙う輩に対する牽制になるだろう。それに、彼女は俺のものだと周りにアピールもでき、一石二鳥だ。


「まだ結婚は先になるけど…もう離さないから、覚悟して」


 そう言って笑うと、彼女は、


「そんな覚悟、もうとっくに出来てます」


 と、不敵に笑った。

 その笑みに、彼女には敵わない、と改めて俺は思ったのだった。




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