気になるあの子(後編)
「な、ななななんで…!?え?え?なんで…?あ、もしかしてこれは夢…?うん、そうに違いないわ。でも一応試して……あれっ?い、痛い…?!」
彼女は一人漫才のように自分の頬をつねって痛いと叫んだ。
そして少し涙目になりながらつねった頬を押さえて、再び私たちを見つめると、彼女は両手を胸の前で組んで呟いた。
「ああ…この痛み…夢じゃない…まさか、こんな事があるだなんて……私、今まで生きてて良かった…!神様、ありがとうございます…正直、今まであなたの存在なんて信じていませんでしたが、今日からはあなたの存在を信じ、毎日祈りを捧げます…!神様ありがとうございますありがとうございます…!!」
ひたすらありがとうございますと繰り返す彼女に私はなんて声を掛けたらいいのか戸惑う。
どうしよう…と隣の蓮見を盗み見ると、蓮見は呆れた顔をして彼女を見たあと、チラリと私を見た。
…ん?なに、その視線は?
「…君がもう一人いるみたい…」
ぼそりと呟いた蓮見に私はムッとする。
私ってこんな風に見られているってこと?あ、いや、彼女を悪く言うわけじゃないんだけど…だけど私、こんなに一人で暴走しないと思うんだ。
「そう思うのは君だけって自覚しなよ…」
「えっ?私、声に出してました?」
「声に出てはないけど、顔に思いっきり出てた」
うっそぉ?!ちょっとショックだ…。
あ、うん…ショックを受けている場合じゃないよね。まずは彼女が目的の人物であるか確認しないと。
「ねえ、あなた」
「は、はい…っ?!」
私が声を掛かると、彼女はびくりと体を震わせた。
そんなに驚かなくても…と思いながらも、私はできるだけ親しみやすい笑みを浮かべて彼女に話し掛ける。
「失礼だけど…あなたのお名前は葛葉栞さんで合っているかしら?」
「は、はい…私が葛葉栞です…」
顔を赤く染めてもじもじと名乗った彼女に、ビンゴ!と私は内心でニヤリと笑いながらも、これまでのお嬢様スキルを活かして綺麗に微笑む。
「まあ、やっぱり。申し遅れました。私は神楽木凛花と申します。ご存知かしら。神楽木悠斗の姉なのだけれど…」
「し、知ってます!」
「まあ。知っていて貰えて嬉しいわ。あ、こちらは蓮見奏祐様。私の婚約者ですわ」
「初めまして、葛葉さん」
「は、はじめまして…」
彼女は顔を赤く染めて私たちを交互に見た。
ぼうっとした様子の彼女に、彼女は蓮見のファンなのだろうかと思った。それはそれで少し複雑だけど、蓮見はこの通り、顔がいいからそれは仕方のないことだと、最近では諦めている。
私は改めて彼女の顔を観察した。
彼女はこれといって特別可愛いわけでも美人なわけでもない、ごくごく普通の女の子、という感じだ。
癖のない黒髪は肩よりも下まで長さで、ぱっちりとした目は大きく、どちらかと言えば幼い印象だ。
だけどこの子、磨けばすごく綺麗になるんじゃないだろうか。あまり自分の外見に頓着していないのか、身だしなみは見苦しくない態度に整えられているだけで、特に手入れをしているわけではなさそうだ。
もったいないなぁ。化粧をしてきちんとすれば綺麗になるのに。
まあ、私がどうこう言えることではないから言わないけど。今は、ね。
「あ、あの…お二人はなぜ高等部に…?かぐら…悠斗様にご用ですか?」
しばらくぼうっとしていた様子の葛葉さんも、私と蓮見が高等部にいることに疑問を感じたらしく、戸惑った様子で問いかけた。
そんな彼女に私がにっこりと微笑むと、なぜか彼女は顔をさらに赤くした。
「別に、悠斗に用があるわけではないの」
「え…?なら、どうしてこちらに…?」
「少し気になることがあってね」
蓮見はいつもよりも愛想よく彼女の質問に答えた。
それなのに彼女は私の時みたいに顔を赤めることはせずに、ただ戸惑った表情をしていた。
あれ…?彼女は蓮見のファンじゃなかったのだろうか?
内心で首を傾げていると、蓮見がにこやかに彼女に質問をしていった。
「君はよくここに来るの?」
「え、ええ…ここは人目につきにくくてゆっくり出来るので…。あ、ここは蓮見様も高等部に通っていらした時に使っていた場所なんですよね?」
「そうだけど…それは誰から?」
「かぐ…悠斗様からです」
「へえ…君は悠斗と仲が良いんだね」
「いえ、そんな…仲が良いというほどでは…」
「仲が良くない相手に悠斗がそんなことを話すなんて俺には想像がつかないけど」
「…そう、かもしれませんね。私は、その……悠斗様にはよく気に掛けて頂いていますので…そのよしみで…」
しどろもどろに蓮見の質問に答える彼女は視線を思いっきり彷徨わせていた。
…うん、彼女が嘘をつくのが苦手な人だってことがよくわかった。私でもこんなあからさまな態度は出さない。
そんな彼女だから、悠斗は気に掛けているのかな。裏表のない人だってわかるから、悠斗も安心して付き合えるのかもしれない。
悠斗は一見、誰にでも優しくて平等だ。だけど、それは人に執着しないから出来ることでもある。人がどうなろうと自分には関係ないって割り切っているから優しくできるし誰にでも平等に接することができる。
その分、自分が認めた相手にはとても厳しいことも言うし、辛辣にもなれる。だけど決してその相手を裏切らない。悠斗はそういう子だ。
きっと悠斗は葛葉さんのことを認めているんだと思う。じゃなきゃ、この場所が蓮見のお気に入りの場所だったなんて情報、教えないと思うし。
まあ、それはともかくとして、彼女がなんで嘘をついているのかが気になるところだ。
私たちに言いにくい事情でもあるんだろうか。それが悠斗にも関係ある?
だとしたらぜひとも教えて貰いたいところだけど…なんとなく、彼女はすごく頑固なような気がする。だから簡単には口を割らないだろうと私は予測した。
「まあ、そうなの。弟がお世話になっているようで」
「お、お世話だなんて、そんなこと!むしろ、私の方がお世話になっているんです」
「そうなの?」
「はい」
ブンブンと彼女は勢いよく首を縦に振った。
そんなに勢いよく首を振って首が痛くならないかちょっと心配になるくらいの勢いだ。
「あ、あの…調べ事があって高等部の方に来られたんですよね?私なんかと話をしていても大丈夫なのですか…?」
「そうね……なにか問題がありますか、奏祐さん?」
「いや。特に何もない」
「…ということなので、気にしなくても大丈夫」
「は、はあ…」
「それとも…こうして私たちとお喋りをするのは迷惑だったかしら…?」
悲しげに視線を落として言えば、彼女は大慌てで否定してくる。
ああ、本当に素直な子。この子なら、悠斗を任せられるかもしれない。そう思えただけでもここへ来て正解だったかな。
ちらりと蓮見の方を見ると、蓮見は私の方を見て頷いた。だからきっと、蓮見も同じような気持ちなんだと思う。
「迷惑だなんて、とんでもありません!私、凛花様たちにすごく憧れていて…だからこうしてお話しできて、とても嬉しいです」
私に憧れ?ええっ、そんな…!
私が驚いて落としていた視線を上げて葛葉さんを見ると、彼女の目はきらきらとしていて、私をまっすぐに見ていた。その目は嘘をついているようには思えないほど澄んでいた。
そんな彼女に視線に今度は私が顔を赤らめてしまう。
こんな風に純粋に憧れられることなんて今までなかった。だからすごく嬉しいし、なんだかこそばゆくて、どう反応すればいいのかわからない。
私は蚊の鳴くような声で「ありがとう…」と言うので精いっぱいだった。
そんな私を蓮見は呆れたような、なんとも言えない顔をして見ていて、なんだか変な空気に包まれた。
「……姉さんと蓮見さん…!?」
この空気どうしよう、と私が悩んでいると、背後から悠斗の声がして、正直私は助かったと思った。だけどすぐにやばい、とも思った。
絶対怒られる…!こんな、私に憧れているという貴重な子の前で弟に怒られるなんてみっともない姿を見せるわけにはいかない。それは私のあるようなないような微妙なプライドが許さない。
「なんで二人がここに…?」
「えっと…こ、こんにちは?」
「…こんにちはって…何を企んでいるの、姉さん」
「あ、あはは…」
ジト目で私を見てくる弟に私は笑って見せた。
しかし残念なことに、笑って誤魔化されてくれるような可愛い弟ではない。
「姉さん…」
「や、やだ…ゆうくん、怒らないで?」
「ふーん…オレが怒るようなことをしている自覚が姉さんにはあるんだね?」
「ぎっくう…」
にっこり笑顔を浮かべているのに目が笑っていない悠斗に私の笑顔がひきつる。
助けを求めるように蓮見を見たけど、蓮見はすっと私から視線を逸らした。
こ、この裏切者…!ここに来ようって言い出したのは蓮見なのに!
「姉さん…オレが怒りだす前にここに来た理由、吐きなよ」
「や、やだ、悠斗ったら…ちょっと高校時代が懐かしくなっただけなんだって…」
「へえーそうなんだ。……って、オレが誤魔化されるとでも思ってるの?」
「誤魔化すだなんて…本当のことだもの…私を信じて?」
「……」
なんとか誤魔化そうと必死の私を悠斗は疑わしそうな目で見つめる。
やっぱり悠斗に嘘は通用しなさそう…伊達に私の弟を十数年やっているわけじゃないってことか。
どうしよう、と私が必死に頭を回していると、近くから「……いい」という呟き声が聞こえた。
その声に誰よりも早く反応したのは悠斗だった。
「葛葉さ……」
「イイ!とっても素敵!怒れる悠斗様を必死に宥める凛花様の図!!やだもう、写真撮りたい…生で神楽木姉弟のこんな姿を見られるなんて……ッ!私、今日一生分の幸運を使い果たしちゃったのかしら…いいえっ!それでもかまわない!!だって私、こんなに幸せなんだものッ!!!」
「………はぁ、遅かったか…」
頭痛を堪えるように額に手を当てて呟いた悠斗に対し、私と蓮見は呆然としていた。
…ごめん、私は頭では彼女が何を言っているのかまったく理解できなかった。
頭が真っ白になっている私に対し、蓮見はため息を堪えるように「そういうこと…」と小さく呟いた。だけど私はなにが〝そういうこと〟なのかさっぱりわからない。
興奮して何かを言い続ける葛葉さんを悠斗は必死に「ねえ、本当に頼むから、今だけは落ち着いて…いや本当にお願い」と頼んでいる。
その様子からして、彼女のこの状態は悠斗にとっては見慣れた光景なのだとわかる。
そんな二人の姿を見て、私は悠斗の様子がおかしかった原因は彼女にあるのだと確信した。
悠斗は必死に彼女を宥めているけど、でもその表情はなんだかとても楽しそう。本当に困っているわけではないのだと、私にはわかる。
葛葉さんが何を言っているのかはちょっと理解できないけど…でも、悠斗の姉として彼女に私は一言、言わなくちゃならない。
なんとか落ち着いたらしい葛葉さんに、私は声を掛けた。
「葛葉さん」
「あ…は、はい!も、申しわけありません、見苦しいところをお見せしてしまい…」
「あ、あはは…うん、気にしないでいいわ。気にしてないから」
「本当にすみません…ありがとうございます」
「いいのよ。それよりも……」
私は彼女──栞ちゃんを見てにっこりと微笑む。
「私の弟を…悠斗をこれからもよろしくお願いね、栞ちゃん」
「えっ…!? こ、こちらこそ…?」
戸惑った様子ながらも栞ちゃんはそう返事をした。
その答えに満足した私は、黙って成り行きを見守っていた蓮見に目配せをした。すると蓮見は小さく頷いてくれる。
「ちょ、ちょっと姉さん…?」
「悠斗と栞ちゃんの様子を見れて満足したわ。私たちはもう帰るね」
「はあ…?ちょ、ちょっと待ってよ、姉さん…!」
「小言なら家に帰って聞くから。それじゃあ、ごきげんよう、栞ちゃん」
「ご、ごきげんよう、凛花様…」
ぎこちなく一礼をした栞ちゃんの姿を見てから、私と蓮見は揃って高等部をあとにした。
後ろからは悠斗の叫び声が聞こえた気がしたけど、聞こえないふりをする。
家に帰ったらちょっと怖いけど…まあ、学校での悠斗の様子が見れただけで満足したから、甘んじてお説教を受けようじゃないか。
「君の悩み事は解決した?」
「はい。ふふ…きっと悠斗はこれらから苦労をしますね」
「だろうね…昔の自分を思い出すな」
「…それってどういう意味です?」
「さあ?君の想像にお任せする」
「……意地悪な奏祐さん」
二人で歩きながらそんないつも通りの会話をしていると、蓮見がふと思い出したような顔をして立ち止まった。
そんな蓮見の様子に私も足を止めて、蓮見を見上げる。
「どうかしましたか?」
「ねえ、そういえば…あの時の質問の答え、聞いてないんだけど」
「質問の答え?それって、栞ちゃんに会う前の質問のことですか?」
「そう。〝君は俺をなんだと思っているの?〟」
「それはもちろん…」
私は内緒話をするように背伸びをして、蓮見の耳元に口を寄せて小さく囁いた。
「───〝私の自慢の恋人〟ですよ」
新しく悠斗の話を投稿したので、凛花視点での悠斗の様子を書いてみました。
よろしかったら悠斗の話も読んでみてください。
悠斗の話はシリーズからも行けます。
「だから妄想は止められない!」N8126DT




