再び動き出す物語5
「数ヶ月前に、学校の近くで拾い物をしたんだ」
弟は口初めにそう言った。
「可愛らしいピンク色の財布を拾って、持ち主がわかるかと思って中を確認したら、うちの学園の大学部の人だってわかったから、届けに行ったんだ」
財布を拾って届けてあげたのか。
我が弟ながらなんて良い子なのだろう…!お姉ちゃんは鼻が高い。
「そしたらちょうどその人も財布を落としたことに気付いたみたいで、慌てた様子で問い合わせをしていたんだ。それで探している財布はこれですか、と聞いたらそうだって言うから返した。お礼をするって言われたけど、大したことじゃないし、いいって辞退したんだよ」
なるほどなるほど。
私の弟が良い子だってことしかわからないけど、それと私の悩みになんの関係があるのだろう?
まあ、それも説明してくれるのだろうけれど、話の先がまったく読めなくてもどかしく思ってしまう。
「それが、綾崎日和―――君が気にしているっていう彼女なんだ」
「へ?」
綾崎日和……うん、確かにスピンオフのヒロインちゃんはそんな名前だったような気がする。
ふーん、弟はその日和ちゃんの財布を拾ってあげたのか。なんていい子なの…!
「凛花と悠斗は似ているだろ?俺は凛花とよく一緒にいるから、それを見かけた綾崎が『蓮見くんとよく一緒にいる可愛い子はなんていうお名前なんですか?』と聞いてきたから君の名前を教えてあげた。そしたら『神楽木さんに弟くんがいたりとか…しませんか?』と言ってきたんだ。だからいるけど、と答えたら財布を拾って貰ったことを教えてくれたんだ」
「はあ…そうなのですか」
「悠斗にお礼がしたい、と言われて、悠斗がいいって言ったんだから気にしなくていいんじゃないかと言ったんだけどそれじゃ気が済まないからって下がってくれなくて、仕方なく悠斗に連絡を取ってあげたんだ。彼女とはその時に少し話をしただけだし、最近よく綾崎と一緒にいるのは、悠斗との間を取り持っていたからなんだ」
「……え」
ちょっと待って……じゃあ、私の今までの悩みって、ただの思い込みってこと?
そうか…ここはもう漫画と切り離された世界なんだ。高校を卒業した時点で、漫画の世界は終わった。そうわかっていたはずだった。
だけどスピンオフのヒロインを見かけて、もしかしたらって疑ってしまった。
前世の記憶があるって良い事ばかりじゃないな…だって前世の記憶があったせいで、私はとんでもない勘違いをしてしまったのだから。
「誤解は解けた?」とにやりと笑う蓮見の顔が見れない。
恥ずかしい…!一人で勝手に誤解して、空回って、焼きもちと嫉妬をして……穴があったら入りたい。そしてそのまま埋めて欲しい…。
私は両手で顔を覆い、俯いた。
ああ、もう恥ずかしすぎる…!顔から火が出そう。
「凛花?」
「……私、馬鹿みたいです…一人で空回って、嫉妬して……恥ずかしい…」
手で顔を覆ったまま私がそう呟くと、蓮見が「…ああ、もう」と呟いて私をぎゅっと抱きしめた。蓮見の香りが私をふわっと包む。この香りを嗅ぐと、とても安心する。
「そんな可愛いこと言って……君は俺を狂わせたいの?」
「そ、そんなつもりじゃ…!」
「……不謹慎かもしれないけど、凄く嬉しいな」
「え?」
「凛花が嫉妬してくれて、嬉しい。いつも俺ばかり嫉妬しているみたいだったから」
そう呟いた蓮見に、私は顔を覆っていた手を退かし、蓮見の顔を見上げた。
蓮見は本当にうれしそうな顔をしていて、その表情に胸が高鳴った。
「奏祐さんが、嫉妬を…?嘘だわ。そんな風には見えないもの」
「隠しているだけだよ。君に心の狭い男だと思われたくないから」
「奏祐さん……」
「……二人とも、オレがいるの忘れてません…?」
地を這うような弟の声に、私と蓮見は同時に弟を見つめた。
弟は恨みがましい表情を浮かべて私たちを睨んでいた。
「身内のラブシーンとか、ただの拷問でしかないんだけど…?」
「や、やだわ、悠斗。ラブシーンだなんて、そんな…!」
「姉さん、そこ照れるところじゃないから……」
はぁ、と呆れたようにため息を吐く弟に私はきょとんとした。
あれ。今照れるところじゃなかったの?
「……これで、姉さんの悩み事は解決したんでしょ。さあ、帰ろう、姉さん」
そう言って弟が蓮見の腕の中から私を奪った。
そして私を引っ張り、まっすぐと玄関へ向かって歩き出す。
私はいつになく強引な態度の弟に戸惑って、後ろを振り返って蓮見を見た。
蓮見は余裕な笑みを浮かべていた。
「悠斗」
「…なんですか、蓮見さん」
「凛花は今日、うちに泊まることになっている」
「は?」
「え!?」
ちょっと待って!そんな話聞いていない!
弟は険しい表情で蓮見を睨み、「冗談はやめてください」と言う。
「第一に父さんがそんなこと許す訳が…」
「お義父さんには許可を貰っていないけれど、お義母さんには貰っている」
「なっ…!?」
弟は目を見開き、呆然として蓮見を見つめる。
私も弟と同じ状態だ。いつの間に許可を取ったんだ、蓮見は。
その時、弟の携帯がピロンとタイミングよく鳴った。
弟は我に返り携帯を取り出してちらっと見ると、忌々しそうに舌打ちし、私を掴んでいた手を離した。
「……悠斗?」
「はぁ…。姉さん、これ見て」
そう言って弟は自分のスマホの画面を私に見せた。
そこには母からのメールで『今日、凛花は奏祐くんの家にお泊りするんですって。悠斗、邪魔をしてはダメよ』と釘をさすような文章が書かれていた。
お母様…!
「母さんには逆らえない…オレは大人しく帰るよ。姉さん、がんばって」
「が、がんばるってなにを…」
「いろいろ。じゃ、姉さん、また明日。蓮見さん、姉さんをよろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げた弟は逃げるように去っていった。
あ…!私を置いていかないで…!
弟の去った方を呆然と見つめる私の肩に、蓮見がポン、と手を置いた。
「そ、奏祐さん…」
「我慢していたのをやめるって言っただろ?―――もう、逃がさないから」
そう耳元で囁く蓮見の声は低く、とても甘く響いて聞こえた。
私はその声にぞくりとして、観念したように目を閉じた。
翌日、とても上機嫌な蓮見と一緒に私は大学へ向かった。
いつも無表情がデフォルトな蓮見だけど、今日は傍から見ても機嫌が良いとすぐわかるくらいに表情が柔らかくなっていた。
……なんでかって?そんな野暮なことは聞かないお約束ですよ奥さん…。
ご機嫌な蓮見とは反対に、私は少しげっそりとして歩いていると、「蓮見くん!」と可愛らしい声が蓮見を呼び止めた。
私と蓮見が同時に立ち止まると、声の主がタッタッとこちらへ走って来た。
「綾崎」
「おはよう、蓮見くん!今度の休みに悠斗くんにお礼をする約束を取り付けられたよ。これも蓮見くんのお蔭だね。本当にありがとう」
「いや。別に俺は大したことしてないし…」
「でも助かったのは本当だから。あ!蓮見くんの彼女さん。神楽木さんだよね?初めまして、綾崎日和です」
「初めまして、綾崎さん。神楽木凛花です」
私はにっこりと微笑んで挨拶をすると、日和ちゃんがぎゅっと唇を噛みしめた。
まるで何かを我慢するような顔だ。
……なにを我慢しているんだろう?
「ああ、やっぱりだめ!我慢できない!!」
日和ちゃんはそう叫んだ。
我慢できない…?もしかして、日和ちゃんは蓮見の事が好きで、私が蓮見の隣にいることが我慢できないってこと?
でも、私は蓮見の隣を譲る気はない。蓮見のヒロインは私なのだ。それだけは、譲れない。
私は踏ん張るように足に力を込めた。
「神楽木さん、可愛いい!!!」
ぎゅっと日和ちゃんが私を抱きしめた。
……え?なにがどうしてこうなった…?
「ああ、もう…!遠くから見ているだけで我慢していたけど、近くで見るとやっぱりもっと可愛い!可愛いは正義だよね!あー蓮見くんが羨ましいー!私と変わってよ!」
「断る」
「ケチ!」
だから君を凛花に近づけたくなかったんだ、と先ほどの上機嫌さを消し去って、とても不機嫌そうに蓮見は呟いた。
そして私にくっついて離れない日和ちゃんを「いい加減離れろ」と言って引き離す。
「……えっと…あの、これは一体どういう状況なのでしょうか…?」
「私ね、神楽木さんのファンなの!」
……ファン?
ファンってあれですよね…ストーブとかに使われている…。
いや違うってわかってますよ。ただ少し現実を直視できなくて…。
「私、一昨年の桜丘学園高等部の文化祭に行ってね、そこでいばら姫を観たの。そのいばら姫のお姫様役の女の子がとっても可愛くて忘れられなかったから、ここの大学に入学したんだ。目論見通りに神楽木さんに出会えて良かった!入学した甲斐があったなあ」
にこにこと、とても嬉しそうに話す日和ちゃん。
私に会うために大学選んだの…?ただ、それだけの理由で?
そう問えば、「それも大きな理由の一つだけど、それだけで選んだわけじゃないよ」と苦笑が返ってきてほっとする。
「私ね、洋服を作ることが好きだから、デザイナーになりたいの。文化祭のいばら姫を演じている神楽木さんを見てビビっときたんだよね。私の作りたい服のイメージにぴったりだって。だから、知り合ったばかりでこんなこと頼むのもおかしいのかもしれないけれど、良かったら、今度私の作る服のモデルになってくれないかな…?」
「え…?私が…?」
「うんそう。お願い!神楽木さんを見ていると、色んな服のデザインが溢れてくるの。その服を神楽木さんに着てもらえたら、すごく嬉しい」
そう言った日和ちゃんの目は真剣そのもので、夢を追う人の目だと思った。
きらきらと輝く瞳。思わず応援したくなっちゃうような瞳だった。
「……私でいいのなら、喜んで」
「本当?やったあ!あ、じゃあ早速、連絡先交換しよう?」
私と日和ちゃんは連絡先を交換し合い、何やら用事があるらしい日和ちゃんが元気に「じゃあ、またね、神楽木さん、蓮見くん!」と手を振って去っていくのを見送った。
日和ちゃんの背中が見えなくなると、蓮見がはぁ、とため息を漏らした。
「……こうなることが目に見えているから、凛花にバレないようにしていたのに…」
「…もしかして、嫉妬してくれているんですか?」
そう茶目っ気に問いかければ「そうだけど、文句ある?」と蓮見が逆ギレして睨んできた。
そんなに睨まなくても…。
私はふと思いついて、素早くさっと辺りを見渡す。
よし、誰も見ていない。
不貞腐れてそっぽを向いている蓮見の名を呼び、蓮見がゆっくりと振り返った隙をついて私は思いっきり背伸びをしてキスをした。
突然の私の行動に蓮見は目を丸くしていた。先ほどの不機嫌さはどこかへ消えてしまったようで、私の目論見通りだ。
……ちょっと恥ずかしかったけれど。
「……嬉しいです、嫉妬してくれて。でも、安心してください。私は奏祐さんしか、見えてませんから」
そう言って微笑むと、蓮見は珍しく動揺して顔を赤く染めた。
赤くなった顔を隠すように私から顔を逸らした蓮見が、とても可愛い、と思った。
「今のは反則だ…」と小さく呟いた蓮見に私はふふ、と笑いを零す。
私の言葉一つで動揺する蓮見を見ることができて、嬉しい。
きっと私たちは時にはすれ違いながら、こうして誤解を解いていくのだろう。
そしてそのたびに、互いの新しい一面を見て、またひとつ“好き”を増やしていく。
そんな日々が、これからもずっと続いていくのだろう。
そして私は今と同じように、ずっと蓮見の隣に立ち続けているに違ない。
これにてスピンオフヒロイン編終了です。
後日談はあともう少しだけ、続けます。
あと2~3話だけお付き合い頂けたらと思います。




