再び動き出す物語4
それから私は蓮見と仲良しですよ、アピールをさりげなくし続けた。
けれど、蓮見とヒロインちゃんが一緒に入るところを最近ではよく目にするようになった。これも漫画の力なのだろか…と私は一人こっそりとため息をつく。
ヒロインちゃんと一緒にいる時の蓮見の表情はとても柔らかくて、他の女の子と接するのは明らかに態度が違っていた。
本当なら私がガツンと聞いてしまえばいいのだろうけれど、そんな勇気は私にはとてもない。だって、もしそれで「彼女を好きになってしまったから別れて欲しい」なんて言われたら私は一体どうすればいいのだろう。
婚約しているとはいえ、まだ結婚はしていないのだ。婚約を解消することは不可能じゃない。
「浮かない顔ね、凛花?」
美咲様が心配そうに私の顔を覗く。
私はいけない、と背筋を伸ばす。今は美咲様とスイーツを食べに来ているのだ。せっかく美咲様と一緒にいるのに、私はなんて顔を…!ごめんなさい、と美咲様に謝る。
「謝る必要はないけれど…なにか、悩み事でも?」
「……ええ。とは言ってもたいしたことではないの」
「とてもたいしたことでないような顔じゃないけれど…良かったら話してほしいわ。私で力になれるかもしれないし…」
「…ありがとう」
美咲様の気遣いが嬉しくて、自然と笑顔になる。
私は少し悩んだすえ、美咲様に話すことにした。
「実は……」
私の話を聞き終わった美咲様は「ああ、そういうこと…」とやたらと納得したように頷いていた。
「凛花が心配しているようなことはないと思うけれど…そうね。奏祐も奏祐ね。きちんと凛花に…ああでもそうすると…」
美咲様はぶつぶつと小声で何かを呟いたあと、にっこりと笑顔を浮かべた。
「凛花、私に任せてくれる?」
「はい?」
「奏祐に上手く話しておくわ。だから、ね?」
美咲様はそうっと私に耳打ちをする。
私は美咲様の言葉に顔を赤くして「ええ!?」と思わず叫んだ。
そんな私を、美咲様は悪戯な笑顔で見つめた。
すーはーと深呼吸を繰り返す。
そして鏡を取り出して身だしなみを確認する。
髪よし、化粧よし、服装よし!
確認をしたあと、もう一度だけ深呼吸をしてインターホンを押す。
蓮見の「開いているから入って」という声をインターホン越しに聞き、私は蓮見の部屋までゆっくりと歩く。そして部屋に入ると蓮見が出迎えてくれた。
すっかり慣れてしまったこの光景も、今日だけは違って見える。
これから私は恐らく蓮見からヒロインちゃんについての話をされるはずなのだ。
もし、別れ話をされたら。
そう考えると恐ろしくて仕方ない。だから、私は美咲様に言われたことを実践するのだ。
「……凛花?」
部屋の中に通されて座った私を蓮見は怪訝そうに見つめる。
私はどきどきしながら「なんですか?」と笑ってみせる。
それに蓮見は少し戸惑った顔をしながらも「……やっぱりなんでもない」と言う。
「今日は君に話したいことがある」
「…はい」
ヒロインちゃんの話だ。嫌だ、捨てられたくない。
ヒロインちゃんと一緒に入る蓮見の様子を見て、わかる。きっと蓮見はヒロインちゃんを好いている。それがどういう種類のものかはわからないけれど、彼女に好意を持っていることは間違いない。
だから、私は…。
「美咲から聞いたんだけ……ど?」
蓮見の声が不自然に途切れた。目を大きく見開いて蓮見は私を見つめた。
「………凛花?」
「お話の続きをどうぞ?」
「続きをどうぞって……この態勢で?」
戸惑った顔をして蓮見は私を見下ろした。
私はしっかりと蓮見をホールドしていた。
蓮見の顔は私の顔のすぐそこにある。そのことにどきどきするけれど、私はなりふり構っていられない。これで少しでも蓮見を繋ぎ止められる可能性が上がるなら、どんなに恥ずかしいことでもやると決めたのだ。
美咲様に言われたこと。それは、蓮見にくっついて誘惑をしてみる、ということだった。
くっつくだけで誘惑になるのかどうか甚だ疑問だけど、やるだけやってみようと思ったのだ。
「どうぞ、私のことはお構いなく、話を続けてください」
「お構いなくって…俺が構うんだけど…」
なにこれ、拷問?と蓮見が小さく呟く。
私がくっつくのが拷問になるほど辛い、ということなのか。ちょっと……いや、かなりショックだ。
「凛花、少し離れようか。こんなに近いと話し辛いし…」
「…私が近くにいるは、嫌なのですか?」
「嫌じゃない…むしろ嬉しいくらいだけど…でも、近いと話し辛いだろ?」
「私は構いません。それに今日は、こうしていたい気分ですし…」
どんな気分だよ、と自分でツッコミたい。
いや、でもそういう時ってあるよね?うん、あるとも。いやあるに違いない。
少しの間、蓮見と「離れよう」「嫌です」の押し問答を繰り広げると、とうとう蓮見の何かがブチンと切れた。確かにそんな音が聞こえたような気がした。
「…あの、奏祐…さん…?」
恐る恐る蓮見を見上げると、蓮見の瞳はゆらゆらと何かが揺らめいていた。
まるで炎のような…そんな感情が瞳から伺える。
「……色々我慢してたけど、やめた」
「え…?」
蓮見から不穏な台詞を聞いて戸惑っていると、いつの間にか私はソファーに仰向けになって寝ていて、蓮見が私の腕をしっかりと掴んで私の上に乗りかかっていた。
……あれ?これって…もしかして、私押し倒されている…!?
どうしてこうなった、と焦りそうになって、ふと思い至る。
…これは、私の誘惑が成功したってこと?
「……ねえ、今俺がどんな気持ちか、わかる?」
「えっと……」
すみません、わかりません。
私が口ごもっていると、蓮見はとても艶やかに微笑む。
「わからない?じゃあ、教えてあげようか。今、俺はご馳走を目の前にして食べるのを我慢させられている気分なんだ」
「は、はあ…」
「我慢してたけど、もうやめることにする。君の気持ちを優先させようと思ったけど…」
「私の…気持ち?」
なんのこと言っているんだろう、と不思議に思っていると、蓮見は苦笑を漏らす。
「君は本当に鈍いな」
「鈍い……!?」
再度言われた鈍いの一言に私は懲りずにショックを受ける。
いったい私はどうすれば鈍いという汚名を返上できるのだろうか…。
「こんなに俺を夢中にさせて……君は俺をどうしたいの?」
そう言った蓮見の瞳には私しか映っていなくて、その瞳が私を欲しいと訴えているようで、私の胸はきゅぅうんと疼いた。
初めて、私は蓮見を愛おしいと感じた。好きだと思うことは多々あったけれど、愛おしいと思うのは初めてだった。
「私は……奏祐さんを私でいっぱいにしたいです……他の人が入り込む余地がないくらいに」
勝手に口から零れ出た言葉。だけどそれは紛れもなく私の本心だった。
蓮見が息を飲む。
「……そんな煽るようなこと言って…どうなっても知らないよ」
「……いいですよ」
私は微笑んで答える。
だって、私は蓮見を誘惑しようと思って来たのだから。だから、覚悟はできている。
蓮見が私の名前を呼び、蓮見の顔が近づいてくる。
私は自然と目を閉じてその瞬間を待った――――
ピンポーン、と不意にインターホンが鳴った。
私は目を開くとすぐそこに蓮見の整った顔があって、忌々しそうな顔をしていた。
しかし蓮見はインターホンを取りに行く気配はない。
「…あの、奏祐さん?」
「…なに」
「鳴ってますけど…」
「気のせいじゃない」
「いえ、確実に気のせいじゃないと思います…」
こうしている間にもピンポンピンポンとインターホンのなる音が響く。
少ししつこいくらいに鳴っている。いったい誰だろう。
鳴りやまないインターホンに蓮見は舌打ちをしてインターホンを取りに向かう。
私はゆっくりと起き上がり、軽く髪の毛を整える。
そしてほんの少しだけ、あともう少しだったのに…と残念に思った。
やがて蓮見は一人の人を連れて不機嫌そうな顔のまま戻って来た。
「悠斗…?」
「姉さん」
蓮見が連れてきたのはなんと、弟だった。
あんなにしつこくインターホンを鳴らしていたのは弟だったのだ。なんか意外だ。
でもおかしいなあ。弟はインターホンをあんなにしつこく鳴らすことなんてなかったはずだけど…。
「すみません、蓮見さん。お邪魔しちゃって」
「……わざとだろ」
「なんのことですか?」
にこにこと悠斗は笑っている。
だがその笑顔は父譲りの黒い笑みなような気がするのは私だけだろうか。
「あの…どうして悠斗がここに…?」
「俺が呼んだんだよ。悠斗にも事情を説明して貰った方が納得してもらえると思って」
「事情…?」
「ごめんね、姉さん。姉さんの悩み事の原因を作っていたのは、オレなんだ」
「……どういうこと?」
私が首を傾げて聞くと、弟が事情を説明しだした。
次でスピンオフヒロインの話は終わりです。
一向に出てこないヒロインちゃんの名前も、ヒロインちゃん自身も次の話ではきちんと出てきます。
と、一応この話でリクエストを消化できたと思うのですが…。
はすみんに「……君は俺をどうしたいの?」って言わせてみたい!ってリクエスト頂いて…私も激しく言わせたくなったのを、ようやく言わせることができました…ふう。




