橘姫樺2
カイト様は、私によく似ている。
性格や外見はまったく似通ったところはないが、その恋の在り方が私に似ている。
「手に入らないならいっそ壊してしまえ、って思わない?」
静かな喫茶店で向かい合い、目の前に入った紅茶をかき混ぜながら、カイト様はとんでもないことを言った。
カイト様は人好きのする笑顔を浮かべたまま、私に問いかける。
その笑顔が作り物であると、私は気づいている。
にこにこと笑う裏で、とんでもない企みを考えるのだ。
だけど、私はそういう人は嫌いではない。
「そうですわね……そう、思いますわ」
とんでもないことだ。だけど、気持ちはわかる。
手に入らないのなら、どう頑張っても振り向いてもらえないのなら、いっそとことん嫌われてしまいたい。そして自分という存在を、相手に刻み込みたい。
そういう気持ちは、痛いほどよくわかる。
だけどそう思えるのは、諦めているからだ。
私はまだ奏祐様を諦めることはできない。
だから、そんな風にはまだ思えないのだ。
「ヒメカはまだ諦められないんだね」
「諦められるなら……こんなことしていません」
「それもそっか」
カイト様はあっさりと納得する。
いい加減に諦めろ、くらい言われると思っていただけに、少し拍子抜けした
「今のところ、順調みたいだね。この調子で頑張って、って伝えといて」
「わかりました」
私が頷くと、カイト様が立ち上がり、「じゃあ、帰ろうか」と言う。
私もカイト様に倣い立ち上がり、レジに向かいお金を出そうとすると、いつも「いいから」と言ってカイト様が支払いを済ませる。
毎回毎回会合を重ねるたびにカイト様が支払ってくれる。
私は申し訳ないと思いつつ、こういうところはスマートな人だな、といつも思う。
なんにしても、さりげなく気遣ってくれるのだ。
悪ぶってるくせに、優しい。
順調にいっていた神楽木さんに対する嫌がらせは、美咲様と昴様の介入によりなかなか難しいものとなっていった。
神楽木さんの周りには必ず誰か、美咲様か昴様の手の者が付き、神楽木さんの備品が置かれている場所にも必ずと言っていいほど、誰か人がいた。
これではなにもできない。
嫌がらせの件を彼女が美咲様と昴様に言ったに違いない。
私は唇を噛みしめ、なにか他の手を、と必死に考えていた時だった。
修学旅行から帰ってこられた奏祐様が、私にお土産を私に来てくださったのだ。
「これ、お土産」
「まあ……わざわざ私のために買ってきてくださったの?嬉しいです……」
奏祐様から手渡された物は少し重かった。
「開けてもいいですか?」と尋ねれば奏祐様は少し照れくさそうに頷き、私はわくわくしながら包みを開ける。
包みの中から出てきたのは、懐かしい形をしたオルゴールだった。
「奏祐様、これ……」
「昔、よくこれで遊んでいただろう?懐かしくて、買ってきたんだ」
「そうなのですか……ふふ。懐かしいですわ。これに色々入れましたね」
「ああ、そうだったね」
「ありがとうございます、奏祐様。大切にしますわ」
私はそう言って、オルゴールを胸に抱えた。
そんな私を奏祐様は目を細めて、優しく微笑んで見た。
「喜んでもらえて良かった。……神楽木のアドバイス通りにして正解だったな」
私は最後の一言で、すっと気持ちが下がるのを感じた。
「神楽木さん……ですか?」
「ああ。神楽木と一緒にオルゴールの店に入って、懐かしい形のオルゴールを見かけて見ていたら、神楽木がお土産にしたらどうですか、と言ってきて……」
私は最後まで話を聞けなかった。
なに、それ。
私は泣きそうになった。だけど、泣くのは惨めだ。だから、涙を堪えた。
「……姫樺?どうした?」
「ごめんなさい、奏祐様……ちょっと具合が悪くなってしまったみたいです……」
「ごめん、無理をさせて」
奏祐様は申し訳なさそうな顔をして私に謝る。
私はゆっくりと首を横に振る。
謝らないで。優しくしないで。これ以上、私の心を惑わせないで。
私はなんとか奏祐様を見送ると、すぐに私室に戻り、座り込む。
手には奏祐様から貰ったオルゴール。
―――こんなものっ……!
そう思って床に落とそうとしたけれど、できなかった。
だって、これは奏祐様が私のために買ってきてくれたものだから。
例え、彼女の意見を聞き入れたものであっても。
なんて、なんて惨めなんだろう。
奏祐様に会って話をするたびに、学校で奏祐様と彼女の姿を見かけるたびに、叫びたくなる。
私の奏祐様に近寄らないで、と。
だけどそんなことを大声で叫ぶのは、私の矜持が許さない。
つらい、くるしい。
だけど、捨てられない。この気持ちを捨てることができない。
報われない恋だって、わかっているのに、捨てられないのだ。
私は醜く彼女に嫉妬し、嫌がらせをせずにはいられない。
―――誰か、終わらせて。
この恋を、終わらせてほしい。
私は一人、膝を抱えて涙を零した。
終わりは、唐突に訪れた。
カイト様に呼び出された場所に向かう途中、私は彼女が私の手の者たちに囲まれているのを目撃した。
そして、気づいたら私は彼女に手を上げようとしていた。
勢いよく彼女の頬に手を振り下ろしたその直後、私の手が誰かに掴まれた。
私が振り返ると、そこには冷たい目で私を見つめる奏祐様が立っていた。
「なにをしているの、姫樺」
そんな目で見られたことのなかった私は、頭が真っ白になって何も答えられない。
「なにをしているの、って聞いているんだけど」
「奏祐様……」
いつもの声よりも低く、冷たい。
ああ、私は奏祐様を本気で怒らせたのだと、やっと理解した。
それと同時に、少しほっとしている自分も感じる。
―――ああ、ようやくこの恋を終わらせられる、と。
安心からか、恐怖からか、私の体はぶるぶると震えた。
そして、謝れという奏祐様に私の想いの丈をぶつける。
「嫌です。私は、謝りません」
「姫樺」
咎めるように私の名を呼ぶ奏祐様を無視して、私は続ける。
「奏祐様はなにもわかってらっしゃらない……私の気持ちを。私は、こんなにも奏祐様をお慕いしているのに……!奏祐様は少しもわかろうとしてくださらない」
「姫樺……?」
今度は戸惑ったように奏祐様が私の名を呼ぶ。
ほら。ここまで言ってもあなたはわかってくれない。
私の気持ちを。私の恋心を。
「私は、あなたが、神楽木さんが嫌いだわ。奏祐様の心を奪った、あなたが憎い。あなたなんていなくなってしまえばいいんだわ!」
私は彼女を睨み、思うがままに彼女を傷つける言葉を言う。
傷つけばいいと思った。
私ばかりこんな惨めな想いをして、彼女は奏祐様の隣で呑気に笑っているなんて、不公平だ。
「姫樺!」
奏祐様が鋭く私の名を呼び、手を振りあげる。
信じられなかった。優しい奏祐様が私を叩こうとするだなんて。
私は思わず固まり、ただ奏祐様を見つめた。
その時、するりと誰かが私を庇うように、私の前に出た。
そして、バシンと乾いた音が響く。
私は目を大きく見開き、目の前の人物を見つめた。
それは奏祐様も同じだったようで、呆然と彼女を見つめて言った。
「神楽木……どうして」
彼女が――神楽木さんが私を庇ったのだ。
どうして?私はあなたに、あれほど酷い事を言ったのに。
彼女は赤くなった頬をそのままにして、にっこりと綺麗に微笑んだ。
「いけませんわ、蓮見様。女の子に、それも大切な幼馴染みに手を上げたりしては」
「………神楽木……」
「……どうして!なぜ私を庇ったの!?」
私はたまらず彼女に向かって叫ぶ。
同情をしたの?あなたに、同情なんてされたくない。
これ以上、私を惨めにさせないで。
「別に、あなたを庇ったつもりはありません。あなたを叩いたら蓮見様がとても後悔しそうだと思ったら、体が勝手に動いただけです」
彼女はなんの感情も込めずに私にそう言った。
そして、少し目を伏せて、囁く。
「それに、橘さんの気持ちも、少しはわかりますから」
そう言ったあと、私を見て微笑んだ彼女は、とても切なげだった。
そんな彼女の様子を見て、私はわかってしまった。
―――彼女も、同じなのだと。
私ばかり彼女に嫉妬しているのだと思っていた。
だけど、違ったのだ。彼女も、確かに私に嫉妬をしていたのだ。
それが、恋だから。




