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私がヒロインだけど、その役は譲ります  作者: 増田みりん
番外編 初恋の終わり
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矢吹カイト4

 おれはヒメカにわからないように、こっそりと“終わらせる”算段を整えていった。

 ミクの手の者たちを上手く誘導し、ヒメカたちの動きを封じる。

 そして最後に、ヒメカの手の者たちに暗示をかける。

『神楽木凛花を目の敵にせよ』と。

 昔、父さんの書斎で見つけた催眠術の本。なぜそんなものが父さんの書斎にあったのかは知らないし、知りたくないと思う。

 しかし、当時のおれが興味本位で試したら本当にみんな暗示にかかってしまい、ちょっとした騒ぎになって以来、おれは暗示を使わなかった。

 なんでもおれの意のままに操ることができる暗示というものが、おれは怖かった。だから、暗示を封印していた。

 だけど、その封印も今回だけは解く。

 なによりも、おれのために。


 そのあとは、おれの予想通りの展開となった。

 ヒメカの手の者たちがリンちゃんを連れ去ったのを確認したあと、おれはさりげなくヒメカを彼女たちのもとへ向かわせ、そしてはすみんとミクやすばるんにも伝える。

 おれは事の成り行きを陰からそっと見守り、終わった、とほっと息を吐く。

 あとは、彼女にすべてを知ってもらうだけだ。

 彼女が一連の黒幕がおれであるとわかるように、布石をあちこちにばら撒いておいた。

 賢い彼女のことだ。きっとおれにたどり着くだろう。

 おれはそう信じて、誰もいない教室で一人、彼女が来るのを待った。



 予想通り、彼女は教室にやって来た。

 そしておれを見て、悲しそうに瞳を揺らす。

 おれはただ、作り物の笑みを浮かべて彼女を見つめる。

 覚悟はできている。

 これから彼女から向けられるであろう、嫌悪に耐える覚悟は。


 おれはできるだけ悪く見えるような台詞を選んで彼女に告げる。

 傷ついた表情を浮かべる彼女に胸が痛むが、これはおれの選んだ道だと自分に言い聞かせた。

 そして最後にとても悪く見えるように笑みを浮かべ、彼女に言った。


「おれを取りなよ」


 戸惑った顔をして、彼女は考え込んでいるようだった。

 おれを取れと言ってはみたけど、彼女はおれを取らないことはわかっている。

 例え今おれの手を取っても、きっと彼女はおれへの罪悪感から最終的にはおれから離れていくだろう。

 だから、ここでキッパリと振ってほしい。

 それか、はっきりと見損なった、と憎悪のこもった瞳で告げてほしい。

 歪んでいる。だけど、これがおれの恋だから。

 やがて彼女は決意をした目をしておれを見て、告げた。


「ねえ、カイ。嘘は、やめて」


 予想外の台詞に、今度はおれが戸惑う。


「カイはとても賢いもの。だから、こんな風に終わるだなんて思わなかった、というのは、嘘でしょう?本当は、わかっていたんでしょう?カイは、この結末を望んでいた。私に、カイが主犯だとわかるように、手がかりをきちんと残して」


 彼女のその言葉に、おれは言葉を失う。

 そして確かな喜びを感じた。

 ああ、彼女はちゃんとおれを見てくれていたのだと。

 望んでいたものではないけれど、彼女にとっておれは確かに“特別”な存在なのだと。

 でも、だからこそ、おれはとんでもないことをしでかした、という後悔に襲われる。


「…………参ったな。やっぱりリンちゃんには敵わないや……」


 おれはそう言って、彼女に本音を告げた。

 それがおれにできる彼女へのせめてもの罪滅ぼしだと思ったから。

 おれの告白を聞いて、彼女はポツリと告げた。


「……正直、カイのこと、許せない、って思うわ」

「そっか」


 おれは彼女に言われた、許せない、の一言に胸がとても痛むのを感じた。

 だけど、これはおれがやったことの酬いだ。

 甘んじて受けるべき痛みだ。


「でも、でも、ね。私、カイのこと、嫌いになれないの」

「え……?」


 その次に言われた彼女の言葉におれは戸惑う。


「最低だって思うし、軽蔑もしてる。でも嫌いじゃないの。だって、カイは私の大切な幼馴染みだもの……簡単に嫌いになれるような絆ではないでしょう?」


 そう告げた彼女の瞳が潤む。

 不覚にも、おれも泣きそうになってしまう。


 ―――甘い。なんて、彼女は甘いのだろう。


 おれは最後に彼女の気持ちを確かめるべく、質問をする。


「もし、リンちゃんが告白をしてくれたあの時、おれも返事をしていたら……そうしたら、リンちゃんは今でもおれを好きでいてくれた?」

「……そうね……。もしものことなんて、わからないわ。でも、ひとつだけ言えるのは、それでもきっと私は蓮見様に惹かれていた。きっと、蓮見様に恋をすると思うの……」


 彼女はおれの望んだ答えを返してくれた。

 だけどやっぱり胸は痛くて。

 おれはその痛みを我慢して、へにゃりと笑う。


「あーあ……はすみんにリンちゃんとられちゃったなぁ……悔しいけど、仕方ないよね」


 そうおれが言うと、彼女が泣きそうな顔をする。

 おれのために泣くのを堪える彼女がやっぱり愛おしくて。

 おれは最後にイタリア語で彼女に別れを告げ、そして彼女の頬にキスをして教室を出る。


 泣くな。泣くな。泣くな。

 おれは家に着くまで泣くのを堪え、家のドアを閉めてすぐ、ずるずると崩れ落ちる。

 覚悟はしていた。

 だけど、やっぱり辛いものは辛い。

 おれはせめて声だけは堪えて、静かに涙を流す。

 おれの初恋だった。初めて、好きになった人だった。

 この想いはもう叶わないものだから、涙ですべて流してしまおう。

 次に、彼女に会った時は笑顔で話せるように。


 おれを心配して来てくれた菜緒の優しさにまた泣いて、今日はおれ泣いてばかりだ、と思う。

 泣くのなんて、いつぶりだろう。

 だけど、お蔭で幾らかはスッキリした。

 おれは少ない荷物を持ち、イタリアに帰るべく今まで住んでいた家をあとにする。

 空港に着き、もうすぐフライトの時間になる、という時におれに声が掛かる。

 ここにいるはずのない人物がそこに立っていた。


「見送りに来て差し上げましたわ」


 振り向くとそこにいたのは、黒い巻き毛がトレードマークの彼女だった。


「ヒメカ……どうして」

「お世話になりましたので、挨拶くらいするのが当然でしょう?」

「学校は?」

「休みました」

「いいの?」

「よくなければここにいません」


 ツンとした態度で彼女は答える。

 彼女らしいとおれは苦笑しながらも、ちょうどよかった、と思った。

 彼女に言いたかったことがあったのだ。



「ヒメカ、ごめん」


 おれはヒメカに頭を下げる。

 おれは、ヒメカに謝りたかった。

 おれの勝手な事情で巻き込んでしまったことを。

 日本を離れる前に謝れてよかった。


「謝らないでください」


 ヒメカの台詞におれは頭をあげる。

 ヒメカは、怒っていた。

 でも、どうして?


「私を、見くびらないでくださいな。私がしたことは全て私が決めて行動したことですわ。貴方が謝る必要はありません。私はむしろ、貴方を利用したのです。その結果がこのザマですわ」

「でも」

「貴方が私に声を掛けなくても、私はきっと神楽木さんに嫌がらせをしていたでしょう。私は、それほど奏祐様が好きだった。いいえ、今でも好きですわ。周りが見えなくなるくらい、あの方に夢中なのです。だから、遅かれ早かれ、私はきっと同じ道を歩んでいた。それに、私は神楽木さんに嫌がらせをしたことを後悔していませんわ。あれは、私にとっては必要なことだったのです。だから、貴方が謝る必要はありません。むしろ謝ることは私にとって侮辱です」

「そっか……ヒメカらしい自論だね」

「それが私ですもの。今更変えられませんわ」

「そうだね。変えられていたら、お互いにこんなことにはならなかったかもしれない」

「ええ。貴方は、後悔してらっしゃるの?」


 ヒメカに問われて、おれは少し考え込む。

 そしていつもの笑顔を浮かべた。


「―――後悔は、してない。おれは、リンちゃんに嫌われても良かった。なんとも思われていないよりも、嫌われても彼女の心の中にいられることをおれは望んだ。結局、その望みは叶わなかったけど、後悔はしてないよ」

「そうですか。それは、良かったですわ」


 ヒメカはそう言って微笑んだ。

 その時、アナウンスが流れる。

 もう時間だ。


「……お別れ、ですね」

「そうだね……でもまた日本に来るから、そしたらその時に、ヒメカの出した道を教えてよ」

「……貴方は、本当にずるい人ですわ。そんなことを言われたら、私も答えを出さざるをえないじゃないですか」

「そうなんだ。おれはずるいんだよ」

「開き直らないでくださいな。……わかりました。貴方が戻るまでには、私もちゃんと答えを出して、そして貴方に報告しますわ」

「うん、約束だよ」

「ええ」


 おれとヒメカはお互いに頷き合う。


「それじゃあ、またね、ヒメカ」

「ええ、また」


 おれはヒメカに手を振り歩き出す。

 後ろは振り向かない。振り向いてはいけない気がした。

 おれが飛行機に乗り込み、少し落ち着いたところで、携帯が音を鳴らす。

 それは、リンちゃんからのメールだった。

 ただ一言、「ありがとう」とだけの簡潔なメール。

 だけど、ただそれだけだけど、心が温かくなった。

 返信をしようとして、おれは途中でやめて携帯の電源を落とす。

 メールではなく、手紙を出そう。

 いろいろと落ち着いてから手紙を書こう。

 そう決めた。



 少しして出した手紙に、彼女からの返事が届いた。

 それには最近あった出来事、そしてなによりヒメカが前を向きだしたことが書かれていて、おれは思わず頬が緩む。

 良かった、と心から思う。

 ヒメカはおれとの約束通りに答えを出したのだ。

 今度会った時に、頑張ったね、と褒めてあげよう、と思った。





 数か月後、おれはまた日本に戻って来た。

 戻って来たとは言ってもまたすぐにイタリアに帰られなくてはいけないのだが。

 今日は桜丘学園の卒業式。

 手紙に書いた約束通りにおれは卒業式に合わせてスケジュールを調整し、なんとか日本に戻って来れることができた。

 あらかじめ用意させておいた大きな花束を抱えて、懐かしい桜丘学園の門をくぐる。

 そして校門のすぐ近くで彼女たちを見つけた。

 おれは自然に顔を綻ばせて、大きい声で彼女の名を呼ぶ。


「―――リンちゃん!」


 彼女たちが一斉におれの方を振り返り、驚いた顔をする。

 おれは作り物ではない、本物の笑顔を浮かべて彼女たちに近づき、大きな花束を彼女に手渡す。


「卒業おめでとう」

「カイ……ありがとう」


 彼女はおれからの花束を受け取るととても嬉しそうに顔を綻ばせた。

 そんな彼女を、おれはなんの痛みも感じることもなく、笑顔で見ることができる。

 彼女の隣にははすみんの姿もあって、とても優しい笑みを浮かべて彼女を見ていた。

 そして彼女もはすみんを見て、微笑み合う。

 そんな二人の様子に、おれはピンときた。

 ようやくこの二人も、結ばれたのだと。

 よくよく見れば、彼女たちのすぐ近くに幸せオーラ全開なすばるんとミクの姿もあって、ああすべて丸く収まったのだな、とおれは思った。

 もっと胸が痛むかと思ったけれど、不思議とおれの心は穏やかだ。

 本当に良かった、と心から思う。



 そして、おれはやっとこの拗れた初恋を終わらせることができたのだ、と実感した。






カイト視点これでおしまいです。

次からは姫樺視点の話です。

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