矢吹カイト3
「面白いものが撮れましたの」
おれはとある喫茶店でヒメカと会っていた。
彼女は薄ら笑いを浮かべながら、一枚の写真をおれに差し出した。
おれは無言でその写真を受け取り、思わず顔を綻ばせる。
「……へえ。よく撮れているね」
「そうでしょう?ふふ、見張っていた甲斐がありました。せっかく綺麗に撮れたので、一番初めの牽制として、これを使いますわ」
「ふぅん……お手並み拝見といこうかな」
おれはひらひらとその写真を弄びながら、目の前に置かれた紅茶を飲む。
その写真に写っているのは、おれとリンちゃんがキスをしているように見えるものだ。
実際は彼女の目にゴミが入ったのを見てあげていただけだが、まあ、よく撮れているものだ。
「でも、さ。どうやってこれ撮ったの?」
「カイト様があの方と一緒に出掛けられると聞いたので、こっそり後をつけさせて頂きました。なにかあの方たちの心を揺さぶれるようなものが撮れないか、と思いまして」
黙って後をつけて申し訳ありません、と彼女は心にも思っていないだろうことを口にする。
はっきり言って黙って後をつけらえたことは不快だが、まあ、それが役に立ったなら結果オーライとしよう。
「いいよ。そのかわり、しっかりやってよ」
「勿論ですわ」
彼女がしっかり頷いたのを見て、おれは昏い笑みを浮かべる。
さて、どういう反応を彼女たちはするだろうか。
結果として、リンちゃんは多少動揺した程度で、特になにも反応はしなかった。
賢明な判断だ、とおれは思う。
これで騒ぎ立てたり、誰か――例えばハスミなど――に言っていたら、きっとヒメカの思うつぼだっただろう。
だけど、その方がおれにとってはよかった。だからこの結果は不満だった。
不満だと言ってもなにもなかったものは仕方がない。
なら次の作戦に移るだけだ。
だけど、その前に彼の方の反応も見なくては。
おれはヒメカに指定された場所に赴き、建物の陰に隠れる。
少ししたあとヒメカがやって来て、そのすぐあとにハスミもやって来た。
「姫樺、用ってなに」
「実は、奏祐様に見て頂きたいものがありますの……」
ヒメカはそう言うと、ポケットから一枚の紙きれを出してハスミに渡した。
例の写真だ。
「これは……。姫樺、これを一体どこで?」
「友人がたまたま手に入れたそうですわ。私も詳しくは知らないのですけれど、奏祐様には知らせた方が良いかと思いまして」
「……そう。知らせてくれてありがとう」
ハスミはヒメカにお礼を言ったあと、じっと写真を見つめて、そして再度ヒメカを見た。
「だけど、これをどうして俺に?」
「奏祐様ならなんとかしてくださるのではないかと……」
「なんとかって?これが事実なら、俺がなんとかする必要はないだろ?」
「そ、そうですけれど……」
「……姫樺がなにを俺に期待しているのかはわからないけど、俺はこのことに関してどうこうするつもりはないよ。用はこれだけ?」
「あ……は、はい……」
「なら俺は行く。父さんに呼ばれているんだ。じゃあね、姫樺。気を付けて帰って」
「はい……お忙しいところお呼び出しして申し訳ありませんでした……」
ヒメカがしょんぼりと言うと、ハスミは苦笑してヒメカの頭を軽く叩き、立ち去る。
そんなハスミにヒメカはぽっと頬を染め、ハスミを見送った。
ハスミの後ろ姿が見えなくなると、おれは建物の陰から出てヒメカに話しかける。
「しっかりやるんじゃなかった?」
「カイト様……そのつもりだったのですが、申し訳ありません。お二人とも、予想外に動揺されなくて……」
「……そうだね。どちらももう少し動揺すると思ったけど……。また作戦の練り直しだね」
「そうですわね」
おれとヒメカは頷き合い、新たに作戦を考え出す。
おれもヒメカも本当はわかっている。
こんなことは無駄だと。
だけど、やらずにはいられないのだ。
それくらい、好きだから。
おれたちはじわじわとリンちゃんを追い詰める作戦を練った。
ヒメカが高等部に上がってから、リンちゃんを呼び出し、牽制する。
そしてそこからじわじわとリンちゃんを追い詰める。
弱ったリンちゃんにおれが優しく声を掛けて励まし、ハスミからおれへと情が移ってくれればそれもまた良し、移らなければ移らないで、おれは彼女に嫌われるための行動に出るだけだ。
今のまま、彼女に異性として何とも思われていない関係ではいたくない。
おれは彼女の特別になりたいのだ。
それは、ヒメカも同じ。
ハスミがリンちゃんに惹かれているのをヒメカは知っている。
そしてハスミがヒメカのことをただの可愛い妹程度にしか思っていないことを。異性として意識されていないことを。
だけど、自分から告白して玉砕するのはプライドが許さない。
そういう人間なのだ、おれもヒメカも。
だから、遠回しにアピールをするしかない。
―――誰よりも好きだよ、と。
好かれなくてもいい、だけど、なんとも思われないのは嫌だ。
なんとも思われないくらいなら、いっそ、嫌われたい。
自分と言う存在を、刻み込みたい。
ああ、なんて、おれたちは歪んでいるんだろう。
始めは綺麗な想いだったのに、どうしてこんなに歪んでしまったのだろう。
だけど、きっとこれがおれたちの恋の仕方なのだ。
しかし、おれたちのこの作戦もなかなか上手くいかない。
邪魔が入ったのだ。
水無瀬美咲と東條昴の二人により、密かに圧力がかかり、リンちゃんに対しての嫌がらせをしにくくなった。
おれはミクとすばるんの二人がリンちゃんへの嫌がらせを察して行われたものだと考えているが、ヒメカはそうは思わなかったようだ。
ヒメカはリンちゃんとの付き合いが浅く、リンちゃんの人なりというものを知らない。
だから、リンちゃんがミクやすばるんに嫌がらせのことを言って、圧力をかけるようにお願いをしたのだと考える。
だけど、おれはリンちゃんがそんなことを言うとは思えない。
なぜなら、リンちゃんは他人に自分の弱いところを見られるのを嫌うからだ。
だから今回の件は、二人の独断で行われたものだとおれは確信している。
そんなことを裏で行いつつ、おれはリンちゃんの周りの人たちと交流し、仲良くやっていた。
ニックネームで呼んでしまうくらい、仲良くなった。
リンちゃんの周りにいる人たちは、本当にリンちゃんを大切にしてくれる人たちばかりだ。
そのことに安堵を覚えつつ、おれだけがリンちゃんを傷つけることをしていることに罪悪感を覚える。
だけどこれはおれが決めたこと。だから、この罪悪感はおれが背負うべきものだ。
そう思いながら彼らと仲良くするのは、とても苦痛で、だけど楽しかった。
リンちゃんや彼らを裏切っていることがつらい。
でも、彼らと一緒に馬鹿をしたり、笑い合ったりするのは楽しい。
矛盾している。
でも、やめられなかった。
それくらい、リンちゃんへの想いはおれの中では深いものだったのだ。
おれがそんな葛藤を抱え悩んでいた矢先だった。
父さんから連絡が入ったのは。
―――いい加減に戻ってこい。
たった一言。だけど、それには苛立ちが込められていた。
戻って来るようにという父さんの再三の催促を躱すにももう限界がきていた。
おれは覚悟を決めた。
―――最後の賭けに出よう、と。
次でカイト視点の話はおしまいです。




