矢吹カイト2
日に日に強くなっていく彼女への恋情に、おれは歪んだ想いを抱くようになった。
彼女を独り占めしたい。おれのものにしたい。
誰にも触れさせたくない。
そんな独占欲がどんどん強くなっていく。
そんな矢先だった。おれの引っ越しが決まったのは。
突然のことで驚いたが、まあ、仕方ないか、とも思った。
長く向こうにいるわけではない。すぐに戻って来れると言った父さんの言葉を信じたおれは、楽天的に考えていた。
ただ一つ気になったのは、彼女の事。
おれが日本から離れている間に、彼女はおれの事を忘れてしまうんじゃないか。
忘れられないように細めに手紙を出したり、日本に帰って来なくては、とおれが必死で彼女の心を繋ぎ止める手段を考えていた時に、彼女はおれに言った。
「私……カイが好きなのっ」
顔を真っ赤にして、今にも泣きそうな顔をして言う彼女は、今まで見た中で一番可愛かった。
驚きと喜びで、なんて反応したらいいのか、わからない。
混乱した頭を落ち着かせて、おれが思いついたアイデアは、酷い事だった。
―――敢えて返事をせずにいれば、リンちゃんはおれのことを逆に忘れられなくなるんじゃないか。
今にして思えば、なんて酷い考えだろう、と思う。
だけど、あの時のおれにはそれが名案だと思った。
どうせすぐに帰って来られる。
帰って来たときにサプライズで登場して、彼女を驚かせて、それから返事をしよう。
―――おれもリンちゃんが好きだよって。
彼女に告白されて、浮かれていたのだと思う。
おれはただ彼女に「ありがとう」と言うだけに留めた。
まだイタリアに行ってすらないのに、日本に帰って来るのが楽しみだった。
浮かれていたおれには、彼女の心がおれから離れる、という可能性が見えていなかったのだ。
結局、日本に帰って来れたのは、それから5年後だった。
それもなんとか父さんを説得し続けて、やっと日本に帰ることを許されたのだ。
期限付きだったけれど、そんなことおれにはどうでも良かった。
彼女に会えるのが楽しみだった。
きっと彼女は綺麗になっているだろう。
彼女を驚かすために内緒で桜丘学園の編入試験を受け、彼女のクラスに入れるように頼みんだ。
おれを見て驚くかな?
ああ、早く彼女の顔が見たい。
「えーと、初めまして。イタリアからやってきた、矢吹カイトです。中学に上がる前までは日本にいたので、日本語は大丈夫です。あ、あとこの髪は地毛です。父がイタリア人なので、そのせいです。よろしくお願いします」
おれは頭をぺこりと下げたあと、クラスを見回し、彼女を探す。
そして、見つけた。
「あー!リンちゃん!リンちゃんだ!!変わってないなぁ。久しぶり!おれだよ、わかる?」
何故かおれから目線を逸らしていた彼女に、おれは空気を読まずに話しかけた。
久しぶりに見た彼女はやっぱり綺麗になっていて、でも雰囲気は昔と変わらない。
彼女がゆっくりとおれに視線を向け、彼女と視線が交わる。
久しぶりに胸が高鳴る。ああ、おれはやっぱり彼女が好きだ。
「カイ……久しぶりね」
そう言って小さく微笑んだ彼女に、おれは体が勝手動いて、彼女をぎゅうっと抱きしめた。
彼女の温かさと、懐かしい匂い。
彼女を抱きしめておれは改めて、日本に帰って来たんだなぁ、と実感した。
「久しぶりだね!会いたかったよ、リンちゃん!」
おれは挨拶のキスを彼女の頬にする。
彼女は驚いた顔をして頬を押さえ、おれからバッと離れる。
日本では挨拶にキスをしないとわかっているけど、彼女の反応が見たくておれはついついキスをしてしまう。
昔と変わらない彼女の反応がとても嬉しかった。
彼女に会えたことで浮かれていたおれは気づかなかった。
いや、気づきたくなかったのかもしれない。
彼女は昔のままの彼女ではない、ということに。
それに気づいたのは、彼女と文化祭の話をしている時だった。
クラスの男子生徒が彼女に話かけてきた。
おれが彼女と話をしていたのに、と思っておれは少し不機嫌に、でも表情は笑顔のままで、彼を見た。
彼はかなり整った顔立ちをしていて、クラスの女子たちからうっとりとした視線を常に浴びている存在だ。名前は確か、蓮見奏祐、といった気がする。
そんな彼が親しげに彼女に話しかけている。
それだけなら良かった。
だけど、ほんの少しだけ、彼女の態度が他の生徒に対するものと違った。
よく見ていないとわからないくらいの差だったが、おれにはわかった。
なぜなら、転校してからずっと彼女を観察していたから。
「ねぇ、リンちゃん。それ、誰?リンちゃんとどんな関係?」
おれは笑顔を作るのを忘れて、彼女に問いかけた。
彼女はおれを見て戸惑った顔をしている。
「俺は、蓮見奏祐。君と同じクラスなんだけど?」
ハスミが表情を変えずに言った。
おれは、そうだっけ、とハスミに謝ったあと、改めて彼女との関係を聞く。
「クラスメイトで生徒会役員で、友人」
ハスミがさらりとそう答える。
だけどおれは気づいていた。
友人、と言い切るのに少し間が空いたことを。
その間こそが、彼が少なからず彼女に好意を抱いている証拠なのではないか、と感じた。
とても手ごわい相手が現れた。
面白いじゃないか。
おれは作り物ではない笑みを浮かべる。
想いの強さなら、負けない自信がある。
おれは彼が彼女に出会う前から好きだった。
だから突然現れたハスミには、負けない。
負けるつもりは、なかった。
だけど、ハスミと彼女が一緒にいる場面を見て、彼女がとても楽しそうに彼と話しているところを何回も見て、そんな彼女に柔らかい笑みを浮かべる蓮見を見て、おれは悟った。
―――遅すぎたのだと。
日本に帰って来るのが、遅すぎた。
彼女はもう、おれを好きだった昔のままの彼女ではないのだ。
そう気づいた時、おれの中で何かが壊れる音がした。
そして、悪魔の囁きのような声がおれの中から聞こえた。
手に入らないものならいっそ、
―――壊してしまおうか。
ああ、そうだ。
どうせ手に入らないのなら、壊れてしまえばいい。
壊れて、狂って、おれだけしか目に入らなくなればいい。
嫉妬という昏い感情に取り憑かれたおれが、最初に目を付けたのが、彼の幼馴染みである橘姫樺だった。
クリスマスパーティーで彼女と接触をしてみれば、姫樺もおれと同じ穴の狢であるとわかった。
だから、おれは姫樺にとある提案を持ちかけた。
姫樺は一瞬驚いたような顔をして、すぐにとても綺麗な笑みを浮かべた。
そしておれの提案に乗ってくれたのだ。
今振り返っても、おれはこの提案をヒメカにしたことを後悔はしていない。
この提案をしたからこそ、おれは今、前を向いて進めるようになったのだから。




