矢吹カイト1
番外編スタートです。
まずはカイト視点の話。本編よりだいぶ前の話です。
おれが、彼女に出会ったのは、5歳の時だった。
この時のおれは子供らしくない可愛げのない5歳児で、常ににこにこと笑顔を浮かべながら、周りを冷めた目で見る、実に嫌な子供だった。
そんなおれに、彼女はにっこりと笑って手を差し出した。
「はじめまして!わたし、りんかっていうの。なかよくしてね?」
無邪気に笑顔を浮かべる彼女に、おれは戸惑いを感じた。
しかし、子供らしくないおれはすぐに愛想笑いを浮かべて、はじめまして、と彼女の手を握り返した。
おれの従妹である菜緒と幼馴染みの彼女とは顔を合わせることが多いだろう。
少しでも気に入ってもらうに越したことはない。
そんな打算を込めて、おれは彼女に優しく接した。
すると案の定、彼女はおれにすぐ懐き、「ねえ、カイ」と言っておれを頼るようになった。
菜緒はどちらかと言うとお姉さん風を吹かせたいタイプでおれを頼ろうとはしないので、そんな彼女が物珍しかった。
最初は打算のみで仲良くしようと考えていたのに、いつの間にか本当に仲良くなってしまい、おれたち3人はいつも一緒にいるようになった。
彼女を見ていると飽きない。
しっかりしているようで、変なところで抜けている彼女を見ているのが楽しくて、ハラハラして、気づけばおれは彼女ばかりを目で追うようになっていた。
これが恋だと気づいたのは、小3の時。
クラスの男子たちが彼女に嫌がらせをしようとしている現場を見かけた時だった。
その嫌がらせはこの頃の男子にありがちな好意の裏返しというやつなのは、彼らの行動を見ていれば丸わかりで、そんな彼らにおれは苛立ちを感じていた。
なぜこんなに苛立つのか、わからなかった。あの時までは。
「これ、神楽木に投げつけてやろうぜ」
「うわあ、カエルだー。きもちわるいー」
「だろー?きっとあいつ、キャアって言うぞ」
帰ろうと学校の中庭を通り、靴箱に向かう途中で、おれはその会話を聞いた。
下品な笑い声を上げる男子たちに、おれの苛立ちが急上昇した。
おれのリンちゃんに嫌がらせをするなんて、許せない。
そう思った時には、おれはもう行動に移していた。
「ねえ、君たち、なにしているの?」
「あっ……げっ。矢吹だ……!」
「なにしているの、って聞いてるんだけど。ねえ、答えてよ」
「べ、別に俺たちはなにも……」
「ふーん。おれ、君たちがリンちゃんになにかしようと企んでいる話が聞こえた気がしたんだけど、気のせいだったのかなぁ?」
「き、きのせいだって!」
じりじりと彼らに迫るおれに、彼らは少しずつ後ずさっていく。
そして、彼らの背に壁が当たったところで、おれはにっこりとする。
「そっか。気のせいなら良かった。気のせいじゃなかったら、おれ、君たちに酷いことしちゃったかもしれないからね。そうだなぁ、例えば……」
おれはダン!と思いっきり彼らの背が当たっている壁を蹴る。
彼らのすぐ横を蹴ったため、彼らは「ひぃっ」と情けない声を出す。
「怒りすぎて、こうして君たちを蹴っちゃうかも」
彼らは腰を抜かしたようで、ズルズルと座り込む。
そんな彼らの様子に満足したおれは、にっこりと笑って彼らに忠告をした。
「だから、リンちゃんに意地悪をしないでね?」
おれの言葉に、彼らは狂った人形のようにコクコクと頷く。
それを確認したおれは彼らを放置し、すたすたと歩き出す。
しばらく歩いたのち、おれの後ろを付けてくる人物に向かって話しかける。
「ユウ。出ておいで」
そう呼びかければ、びくびくとした様子のユウが建物の陰から出てくる。
彼女そっくりの弟は、お姉ちゃんっ子だ。
「か、カイ兄……あの、ぼく……」
「ねえ、ユウ。おれは、ユウがとても大好きだよ。だって、リンちゃんが大好きな弟だからね。だから、おれもユウが好き」
「カイ兄……」
「―――でも、ね?いくらリンちゃんの大好きな弟でも、リンちゃんを傷つけたりおれの邪魔をするなら容赦はしないよ。これからは、ああいう場面を見たらすぐにおれに知らせること。わかった?」
「う、うん」
ユウは素直にコクリと頷く。
しかしその瞳には怯えの色が濃く出ている。
おれは気づいていた。彼らの嫌がらせ現場をじっと見ていたユウの姿に。
止めようとしてはいたのだろう。
しかし、ユウは1つ年下。たった1つ違いでも、先輩である彼らに立ち向かう勇気がなかったに違いない。
おれはユウの怯えに気づかないふりをして、ユウの頭を撫でた。
「あら、カイと悠斗?」
「リンちゃん」
「ねえさま!」
ユウは彼女を見かけると、ダッシュで彼女に駆け寄り抱き付く。
彼女は驚いた顔をしつつも、しっかりとユウを抱きしめた。
そんな光景は見慣れているはずなのに、どうしてだろう。モヤっとする。
「どうしたの、悠斗?カイにいじめられた?」
「ううん、ちがうよ」
「酷いなぁ。おれ、そんなにいじわるじゃないよ。ね、ユウ?」
「う、うん……」
ユウは頷きながらも、更に力を込めてぎゅうっと彼女にしがみつく。
そんな様子のユウに彼女は戸惑いつつ、弟に甘い彼女はユウの頭を優しく撫でる。
「まあ、悠斗ったら甘えん坊ね。赤ちゃんに戻ったの?」
「ちがうもん……」
彼女の胸に顔を埋めるユウの姿に、おれは段々と苛立ちを感じ始めた。
なんでだろう。どうしてこんなことで、こんなにイライラするんだろう。
「ユウ。リンちゃんが困っているよ。もう離れよう?」
おれがそう言って、彼女からユウを引きはがす。
先ほどの脅しが効いているのか、ユウは大人しく彼女から離れた。
彼女から離れたユウはおれをじっと見て、可愛らしく首を傾げておれに言う。
「カイ兄。うらやましいの?」
「なっ……!?」
予想外なユウの台詞に、おれは絶句する。
どうしてそうなる。
ユウとおれのやり取りを見ていた彼女は「まあ」と言って、クスクスと笑う。
「カイも赤ちゃんになりたいの?しょうがないわね」
彼女はそう言っておれに近づき、おれをぎゅっと抱きしめた。
その時にふわり、と香る彼女の甘い匂いに、痺れにも似た何かがおれの中を駆け抜ける。
おれが固まったままでいると、彼女はユウにしたようにおれの頭を撫でる。
それがとても心地よくて、でももっと違うなにかが欲しくて、おれは自分の気持ちに翻弄されそうになる。
しばらくおれの頭を撫でて満足したらしい彼女がおれから離れる。
それがとても名残惜しく感じて、そう感じた自分に戸惑う。
自分の感情に戸惑っていると、彼女はおれを見て柔らかく微笑んだ。
「満足した?」
「え?あ、うん……おかげさまで」
「そう。なら良かったわ」
おれは彼女の微笑みを見て、鼓動が急速に早まるのを感じた。
顔が燃えるように熱い。
おれ、一体どうしちゃったんだろう?
ユウがおれの顔を見て、不思議そうな顔をして言った。
「カイ兄、顔、まっかだよ?おねつあるの?」
「まあ、本当だわ。カイ、大丈夫?」
そう言って彼女はおれの額に触れ、自分の額の熱と比べる。
おれは思わず彼女から一歩退く。
「熱はないみたいだけど……保健室行く?」
「だ、大丈夫だよ、リンちゃん」
「本当に?無理をしてはだめよ?」
「平気だって。あとは車に乗って家に帰るだけだから」
「そう……?」
そこまで言って、ようやく彼女は引き下がる。
それにおれはほっとし、彼女たちに別れを告げ、車まで競歩していく。
車に乗り込むと、おれは顔を押えて、だらしなくシートに寄りかかる。
なに、この気持ち。
ふわふわして、ドキドキして、変な感じ。
それなのに、嫌な感じはしない、不思議なこの気持ち。
おれは彼女が触れた額にそっと触れる。
どうしてだろう。ここだけ、とても熱く感じるのは。
―――知っている。これはよく本とかで出てくるアレ。恋、というやつだ。
知らなった。恋って、こんなに簡単に堕ちるものだなんて。
この時のおれはまだ知らない。
まだ、これ以上に堕ちることがあることを。
恋とは、とても厄介で、人をどこまでも堕落させていくものであるということを。




