弁財天の魂(マブイ)2
【魂抜ぎ】
南の島のいい伝えで、危険なことに遭ったり大きなショックを受けて、魂の一部が抜け出してしまうこと。
恵比寿青年の従妹 江島真琴の声が出なくなったのは、飛行機トラブルに巻き込まれた時の恐怖心が原因だった。
真琴の魂の一部は福岡周辺の、白い砂浜にある。
「原因は分かったけど、下調べも無くいきなり福岡に行けって言われても困るよ」
「僕は明日の午前中に仕事を片付けて、午後には福岡へ向かう。真琴の魂を探すには、天願さんの霊力が必要なんだ」
普段は七海をぞんざいに扱う恵比寿青年が、真剣に頼み事をしている。
自分のような貧困フリーター女子でも力を必要としてくれる人がいると考えると、七海はこれまでと違う感情が湧いてきた。
「分かったわ、私が責任を持って、真琴ちゃんの魂を探してあげる!!」
それから恵比寿青年は仕事を片付けてくると会社に戻り、真琴は七海の家に泊まって、翌日朝イチで成田空港に向かう。
電車の中で、真琴は七海が重たそうに引きずる大きなスーツケースを指さした。
「ちょっと七海さん、一泊二日の九州旅行なのに、そんな大荷物抱えて何処に行つもり?」
「だって私枕が変わると眠れないし、飛行機の中で積み本を何冊か読みたいし、急に天気が悪くなったら折りたたみ傘も必要だし」
小さなリュックひとつの身軽な真琴と、大きなスーツケースに荷物をパンパンに詰め込んだ七海。
「どうしよう、最初から不安だよ。七海さんって全然旅行に慣れてないのね」
「そういえば私って小中高と大学、バイト先も地元。あんずさんの付き添いで団体旅行と修学旅行。最近の遠出は恵比寿さんの会社に行ったぐらいかな?」
「あの時は1時間近く道に迷って疲れたのぉ」
「兄の会社って地下鉄駅目の前じゃない。どうして迷ったりするの?」
真琴が不思議そうに首をかしげているが、七海の方は逆に、知らない場所に外泊するのに小さなリュックに荷物がおさまるのが不思議だ。
「真琴ちゃんこそ、リュックひとつで着替えは足りるの?」
「夜寝る時の着替えはホテルのガウンで充分だし、翌日の着替えは薄手のシャツとズボンだよ」
「もし洋服が汚れたら大変だよ。予備の服を二,三枚持っておかないと」
「着替えが無ければコインランドリーで洗濯すればいいし、下着はコンビニで売っている。もしかして七海さん、シャンプーやリンスや洗面器まで持ってきたの?」
「ちゃんとドライヤーも忘れず持ってきたよ」
「七海さん、ホテルにドライヤーが完備されているって知らないの?」
まさかと思いながらたずねると、七海はバツが悪そうな顔で頷く。
これではどっちが年上か分からない。
成田空港に到着しても、七海は別の飛行機にチェックインしそうになり、真琴の手をわずらわせる。
「私、飛行機に乗るの二度目だからワクワクしちゃう。ねぇ真琴ちゃん、窓際の席に座ってもいい」
「私は南の島の移動、いつも飛行機だから慣れちゃった。福岡に到着するまで寝てるね」
「キャビンアテンダントはいい匂いがするのぉ。娘よ、ワシちょっと席を外してもいいか?」
まるで遠足に出かけるように浮かれた七海と小さいおじさん。
深刻さが微塵もない三人とは逆に、恵比寿青年は真琴が心配で仕事を早く片付けようと鬼のように働いていた。
千葉成田から一時間四十分、七海たちはお昼前に福岡空港へ降り立つ。
***
「窓の外眺めながら音楽聴いていたら、あっという間に福岡ついちゃった。でもここは真琴ちゃんが怖い思いをして、魂を落とした場所ね」
「私はあの後何回も飛行機に乗っているから、別に怖いと思わないよ。でもどうして私の魂はここで抜け落ちたんだろう?」
「真琴ちゃんの魂は海の近くにあるけど、九州の海は広いよね」
七海がスマホのマップを見ながら首をかしげると、真琴が思い出したように呟いた。
「飛行機が揺れたのは福岡に到着する直前だったから、魂が落ちたのは福岡と大分と佐賀、長崎かな」
「飛行機は大分の上空は通らないし、到着直前なら福岡か佐賀の海ね。とりあえず博多駅でお昼食べてから考えよう」
「娘よ、そろそろワシはお腹が空いたぞ、豚骨ラーメン、豚骨ラーメン」
七海は大荷物なので、小さいおじさんは真琴のリュックの中にいる。
おしゃべりしながらのんびりと空港ロビーを歩いていた真琴が急にたちどまると、周囲を見回す。
「どうしたの、真琴ちゃん」
「なんだろう、小さすぎて聞き取れないけど。私誰かに、呼ばれたみたい……」
「空港は人が多すぎて真琴ちゃんの魂の気配が探れないのね。とにかく早く海に行かなくちゃ!!」
七海はスマホのマップを航空写真に切り替えて白い砂浜を探すと、福岡空港から地下鉄で繋がるJR筑肥線が海岸線を走っている。
「この電車に乗れば、もしかして真琴ちゃんの魂が落ちた砂浜に行けるかもしれない。気配が消える前に、早く電車に乗ろう」
「ええっ、ふたりともご飯を食べないのか? ワシはお供えがないと神通力が使えないぞ」
「小さいおじさん、少し我慢して。海に着いたら九州の海の幸をたらふく食べさせたあげるから」
お腹を空かせた小さいおじさんをなだめながら、七海と真琴は電車に駆け込む。
福岡空港から走る地下鉄は、博多天神まで外の景色が見えない。
天神の駅を過ぎると乗客が少なくなり、七海と真琴は並んで席に座る。
地下では魂の気配が感じ取れなくて、真琴はしきりに首をかしげていた。
「私、福岡は修学旅行で一度来ただけなのに、どうしてここで魂を落としたの?」
「もしかして真琴ちゃんは魂を落としたんじゃなくて、魂が逃げ出したかもしれない」
「七海さん、それってどういう意味ですか」
「私、祖母のあんずさんを病気で亡くして多額の借金を抱えて、現実逃避で家を汚屋敷にしちゃったんだけど、真琴ちゃんも故郷を離れて、東京で辛いことがあったのかなぁと思って」
「私は別に辛い事なんて、歌さえ歌えれば……」
真琴は何度か口ごもりながら、しゃがれ声で答えた。
七海は電車の乗客がチラチラとこちらを見ているのに気づく。
超絶美少女の真琴は、そこにいるだけで人目を引くスター性を持っているのに、デスボイスで売り出すなんて可哀想だ。
電車の乗っている間、小さいおじさんがしきりにお腹空いたというので、お菓子を与えて我慢させる。
地下鉄が地上に出てしばらくすると、車窓の景色は黄金色の稲穂が実る田んぼが現れる。
電車の乗客は、いつの間にか七海と真琴と小さいおじさんだけだった。
真琴はスマホのゲームに集中して、小さいおじさんは退屈で居眠りをして、七海だけが遠足気分でソワソワと窓の外を眺めていた。
「今どの辺を走っているのだろう。あっ、海が見えた」
秋晴れの青空に穏やかな海の景色が目に飛び込む。
七海は興奮してゲーム中の真琴の肩を揺さぶったが、海が見えましたか。と呟くだけだった。
「なんで真琴ちゃん、感動薄っ。成田から飛行機に乗って、やっと海にたどり着いたのに」
「娘よ、南の島生まれの弁財天にとって、海は見慣れたモノで全然珍しくないのだ」
「私、ちゃんと海を見るのは三年ぶりかなあ。近くの千葉の海より全然綺麗だよ。ほら、車内放送で雰囲気の良い音楽も流れているし」
「なにを言っているの七海さん、車内放送の音楽なんて聞こえないよ」
「昭和歌謡曲みたいな女の人の歌声が聞こえるよ。真琴ちゃんには聞こえないの?」
霊能力の高い七海に聞こえるなら、歌と踊りの神である弁財天にも聞こえるはずだが、真琴は不思議そうに首をかしげる。
「ワシにも歌声が聞こえるぞ。なるほど、弁財天の声が出ない理由が分かった。欠けた魂は何かを知らせようとしているのだ」
「大黒天様、どうして私だけ歌が聞こえないの?」
「弁財天よ、本当に歌を歌いたいのならひっぷほっぷでも構わないだろう。しかし弁財天の魂の一部がそれを拒んだ」
「それじゃあ今聞こえているのは、真琴ちゃんの魂が本当に歌いたい歌なのね。あっ、窓の外の海と砂浜の景色、真琴ちゃんの魂が落ちた場所と似ている」
七海は窓枠に手をかけて前のめりになり、外の景色を見つめる。
周囲に民家はなく、深い木々の間から白い砂浜と青い海が見える。
「私は歌は聞こえないけど、でも体が磁石みたいに引き寄せられる。きっと私の魂は近くにいる」
「やっと目的地にたどり着いたか。それでは次の駅で降りて腹ごしらえしたら、弁財天の魂を探しに行こう」
しかし七海達が降り立ったのは福岡から1時間あまり、深い緑に囲まれた無人駅で、周囲には民家もない。
駅を出ると海側へ伸びる細い道と、線路沿いを五十メートルほど歩き、踏切を越えた先に住宅街がある。
スマホのアプリで現在位置を確認すると、福岡を通り過ぎて佐賀に入っていた。
「娘よ、ワシはもう限界だ。豚骨ラーメンと辛子明太子と、ついでにイカ刺しと佐賀牛が食べたいぞ」
「そんなこと言っても駅前にキヨスクもコンビニもないし、福岡から1時間で無人駅になるなんて予想できないよ。あっ、ちょっと待って真琴ちゃん!!」
七海と小さいおじさんが揉めている間に、待ちきれなくなった真琴は海へ続く道を駆けだしていた。




