弁財天の魂(マブイ)
「弁財天よ、また遊びに来てくれたのか。ワシは嬉しいぞ」
七海のエプロンの中から小さいおじさんが顔を出したが、現在の状況がよく分からない様子だ。
「小さいおじさん、真琴ちゃんは遊びに来たんじゃなくて、私の家に住みたいって言うの」
「なんだ、弁財天は恵比寿と一緒に暮らしているんだろ。恵比寿と喧嘩でもしたのか?」
「私と兄は一緒に住んでないよ。桂一 兄はアメリカ暮らしだったし、私はお父さん方の叔母さんの家にお世話になっているの」
独身でキャリアウーマンの叔母は仕事が忙しく、真琴の通院は恵比寿青年や会社の人が病院まで送迎してくれるらしい。
「でも私の家から東京上野まで1時間近くかかるし、そこから乗り換えて学校や病院や、ダンスのレッスンに通うなんて大変じゃない?」
「しばらくダンスレッスンは休みます。それに学校は兄の会社の駅から地下鉄一本で行けるし、電車も山手線ほど混んでいなから運良ければ座れるよ」
今さっきまで泣いていた真琴が理路整然と答えるのを見て、彼女の本気度が伝わる。
「分かったわ真琴ちゃん。私の仕事はあと一時間で終わるから、どこかで時間を潰していて。それからちゃんと恵比寿さんにも連絡してね」
「ありがとう七海さん。私、駅前のサイクルショップで自転車買ってくる」
真琴をきびすを返すと、大きなボストンバックを引きずりながら駅方向に走って行った。
七海の家から駅までは自転車で十五分、徒歩だと四十分近くかかる。
真琴が自転車を買うということは、本気で七海の家に居候するつもりだ。
「恵比寿さんが保護者として責任持つなら、真琴ちゃんの気が済むまで我が家でお泊まりさせてもいいよ」
七海自身、ダブルワークで家に帰って寝るだけの状態だ。
忙しい夜の居酒屋バイトの時は小さいおじさんの相手ができないので、真琴と小さいおじさんを家で留守番させればいい。
「弁財天は可愛いのぉ。なんとかしてあの子の声を元に戻してやりたい」
小さいおじさんの呟きに、七海もそうだねと頷いた。
そして一時間後、仕事を終えた七海は駅前のサイクルショップで真琴と待ち合わせる。
真琴が買ったピンクのフレームが可愛い電動アシスト付き自転車は、帰り道の心臓破りの坂を楽々とのぼってゆく。
「ちょっと、真琴ちゃん待って。ううっ、私の愛用しているママチャリと比べたら、自転車で経済格差を見せつけられたよ」
***
帰宅後、七海はスマホの画面をチェックすると、仏間で小さいおじさんと遊んでいる真琴に声をかける。
「恵比寿さんは七時頃来るらしいよ。暇ならテレビつけようか、真琴ちゃんが好きな歌手ってジニーズ、それともエザイル?」
しかしテレビにアイドルのバラエティ番組が映ると、真琴はチャンネルをお堅いニュース番組に替えてしまう。
「私アイドルとか興味なくて、ジニーズのメンバーも、あまり名前が分からないの」
「えっ、でも真琴ちゃんはアイドルを目指しているんでしょ?」
気まずそうに答える真琴に七海は首をかしげながら、仏壇の枯れた花を取り替えようと花瓶に手を伸ばす。
あんずさんの仏壇には、野球のニチローグッツや歌舞伎俳優プロマイド、あんずさんの趣味だったモノが騒然と飾られている。
「ニチローグッズが花粉で汚れちゃった。あれ、こんな所にCDがある」
金色の箔押しがされたCDケースを無造作にぞうきんで拭こうとした七海を見て、真琴が大声を上げる
「七海さん、それって大空サクラがゴールドディスク賞を取った、二十周年記念リサイタルCD!!」
真琴は大慌てでCDを奪い取ると、瞳をキラキラと輝かせながら、大切そうに洋服の裾で埃を落とした。
「このCDが出た時、私まだ小学生で値段が高くて買えなかったの」
「でも大空サクラって演歌歌手だよ。真琴ちゃんはヒップホップのアイドルグループでしょ」
七海は不思議に思ってたずねると、真琴は思いつめた表情で持っていたスマホを目の前に突きつけた。
スマホ画面は田舎の公民館らしき場所を映し出し、陽気なカラオケの音楽が流れている。
のど自慢大会と書かれた垂れ幕と舞台で歌い終わった年配の女の人が舞台袖に下がり、続いておかっぱ頭にセーラー服姿の絶世の美少女、真琴がマイクの前に立つと客席から期待の拍手と歓声が起こる。
哀愁のあるアコーディオンの演奏が流れ、真琴はマイクから随分と離れた位置で客席を見据えながら歌いだす。
「えっ、この女の子って真琴ちゃん。しかも演歌? す、凄い、声に張りがあってコブシのきいた歌声。とても中学生の女の子が歌っていると思えない、情感のこもった演歌だよ」
「でも今時、演歌を歌いたいなんて可笑しいって笑われたの」
スマホの小さなスピーカーから、真琴の迫力ある歌声が部屋中に響き渡る。
「私あんずさんと一緒に大空サクラのコンサートで生歌聞いたけど、真琴ちゃんの歌は負けずとも劣らない、聞いてて鳥肌が立つほどの凄い歌唱力だよ」
「これは弁財天の、ぐすん、女神の歌声だ。ワシは感動で涙が止まらないぞ」
歌が終わると、七海は小さいおじさんはスマホに向かって手が痛くなるくらい拍手する。
「大黒天様のおっしゃるとおり、真琴は千年にひとりの逸材と言われていました」
七海と小さいおじさんが盛り上がっていると、廊下から買い物袋を両手に提げた恵比寿青年が顔を出す。
真琴の素晴らしく歌声に聞き入っていたので、恵比寿青年が家に来たことに気づかなかった。
「恵比寿さん、真琴ちゃんの歌声凄いよ。大空サクラの後継者、ううん、もしかして真琴ちゃんの方が歌うまいかもしれない」
興奮状態で恵比寿青年に話しかける七海を見て、真琴はため息をつくとしゃがれた声で呟いた。
「それならどうして弁財天様は、私を見捨てて何処にいったの?」
「えっ、真琴ちゃんは弁財天だから、自分を捨てられるわけないよ」
七海の一言に、真琴と恵比寿は驚きの声をあげる。
「真琴は弁財天様の加護を失ったせいで、歌を歌えなくなったんじゃないのか?」
「恵比寿さん、分からないの? なんて説明したら良いんだろう。小さいおじさんも真琴ちゃんを弁財天って神様の名前で呼んでいるし、真琴ちゃんの魂は歌と踊りの神様、弁財天だよ」
「私が弁財天なら、どうして声が出ないの? とてもとても歌いたいのに」
七海は首をかしげると、真琴の瞳の中をのぞき込む仕草をする。
それは七海が竜神を視るときと同じで、恵比寿青年は霊視だと小声で呟いた。
「真琴ちゃんから磯の香りがする。でもこの辺の……東京湾とか外房の海じゃない」
「それってやっぱり、私は南の島に帰った方がいいの?」
「ここより暖かい海だけど、南の島の青い空と白い砂浜じゃない。どうして真琴ちゃんの魂は、そんな場所にいるの?」
「天願さんは真琴の魂を視ることが出来るのか。もしかしてそれは『魂抜ぎ』だ」
「恵比寿さん、マブイってなに?」
真琴の住んでいた南の島では、生きている人の魂をマブイといい、激しいショックを受けると魂の一部が抜け出してしまう。
七海が真琴を通して見た海は、抜け出した魂が見せた光景だ。
伝承では抜けた魂の隙間に悪霊が入り込むと言われ、早めに落とした魂を元に戻さなくてはならない。
「真琴の魂の一部が、別の場所に置き去りにされているなんて、今まで誰も気づかなかった」
「恵比寿よ、お前たちの神に近い魂は、娘ほどの格上の霊能力者でなくては視ることができないのだ」
「でも暖かい海ってどこ? 私上京してまだ半年だし、地元と東京以外出かけたことないよ」
戸惑う真琴に、腕組みして考えるこんだ恵比寿青年が、何か思いついたように顔を上げる。
「南の島から東京までの移動は飛行機を使う。真琴はもしかして移動中のアクシデントで、魂を落としたかもしれない」
「桂一 兄、そういえばゴールデンウィークで帰省したとき、飛行機が福岡に緊急着陸したの。飛行機が揺れてとても怖くて、あれで私は魂を落としたかもしれない」
「ゴールデンウィーク、確かに5月の初旬から真琴の声が出なくなった」
真琴の声を戻すために、恵比寿青年はこれまで散々暗中模索していた。
しかし七海は真琴と会って数日で、霊視でいとも簡単に原因を突き止めたのだ。
「しかし福岡空港から一番近い海ってどこだ? 九州の海は広すぎて、真琴の魂が何処に落ちたのか探すのは大変だ」
「福岡かぁ、居酒屋のお客さんからお土産で貰った辛子明太子がとても美味しかったよ」
「博多の豚骨ラーメン食べたいのぉ。九州の温泉にも入りたいぞ」
恵比寿青年は心配げな表情の真琴の肩を抱きながら、スマホで福岡のグルメ情報を検索する七海と小さいおじさんに声をかける
「そういえば天願さんのディスカウントストアは、明日火曜休みだったね」
「明日のお休みは何をしよう。新しい靴を買いに、松戸の駅ビルに行こうかな」
「それじゃあ天願さん、明日朝九時に成田福岡行きの便を予約したから、真琴をよろしく。夜の居酒屋バイトは、僕から店長に休みの電話を入れておく」
「ええっ飛行機、しかも福岡!! ちょっと恵比寿さん、私全く土地勘ないよ」




