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恵比寿青年の百日願掛け失敗

「ちょっと、恵比寿さん、起きて起きて。私の家に泊めるって、真琴ちゃんは良いけど恵比寿さんはダメだよ」


 七海が慌ててテーブルの上に突っ伏している恵比寿青年の揺さぶっても、まったく起きる気配はない。

 日々の社長業と小さいおじさんのおさんどんで過労気味の恵比寿青年は、目の下にうっすらと隈が浮き出ていた。


「最近恵比寿はとても忙しそうで疲れが溜まっていたのだ。娘よ、ワシも眠たくなってきたぞ」

「私も庭の草刈りを頼んだし、恵比寿さんが忙しいのは分かるけど、小さいおじさんは毎日食っちゃ寝で全然疲れないじゃない」


 既に時計は午後十時を回り、話を聞いていた高校生の真琴も目をしょぼつかせて大あくびをする。

 一人焦る七海に、テーブルの上の酒瓶を片付けていた居酒屋店長が声をかけてきた。


「七海、今日は早めにバイトを終わってもいいぞ。恵比寿社長に酒を勧めた俺が悪かった。タクシー呼ぶから、恵比寿社長と妹さんを七海の家に泊めてくれ」


 ばつの悪そうな顔をした店長に頼まれたら、七海は断り切れない。


「絶対に恵比寿さんは家に泊めないと決めていたのに。でも今回はアクシデントだから、仕方ないよね」


 七海は自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 バイトを早く切り上げて、二人を家に泊めることになったが、タクシーに乗せても泥酔したまま起きない恵比寿青年を運転手と三人がかりで家に運ぶ。

 リフォームしたばかりの仏間なら、恵比寿青年と真琴を泊めるのに充分な広さがある。

 背が高く細マッチョの恵比寿青年を畳の上に転がすと、ジャケットだけ引っぱがしてハンガーに掛けた。

 これ以上動かせないので、恵比寿青年は畳の上にザコ寝だ。

 七海より小柄な真琴は、自分の普段着を寝間着代わりに着てもらう。


「真琴ちゃんは小さいおじさん用の寝具に寝てね。これは恵比寿さんがわざわざ小さいおじさんのために買ってきた羽毛布団なの」

「わーい、わーい。ワシは可愛い弁財天と一緒に寝るぞ」

「小さいおじさんは真琴ちゃんにイタズラしそうだから、私と一緒に寝るよ」


 真琴のお布団に入り込もうとする小さいおじさんを、七海はわしずかみにする。


「一緒に寝るなら、若い女子のほうが良いではないか。ああっ、娘よ、腕を引っ張るな、暴力反対!!」

「真琴ちゃんから聞いたけど、恵比寿さんのグラスにお酒を入れたのは小さいおじさんでしょ。ワガママ言うなら恵比寿さんと一緒に畳の上でザコ寝だよ。それじゃあ真琴ちゃん、おやすみなさい」


 福の神の大黒天を子猫のように扱う七海に真琴は目を丸くすると、ふたりはドタバタと仏間を出て行った。

 静まりかえった仏間に、恵比寿青年の寝息だけが響き渡る。

 真琴はこの家全体が大いなる力で守られた聖域のような、清らかな気を感じた。

 

「天願七海、あの人は何者なの?」


 南の島の神人かみんちゅの血筋を持つ真琴でも神に直接触れることはできないのに、見た目平凡な七海は力づくで大黒天を支配下に置いている。

 自分たちと七海では、霊能者としての格が違うのだ。

 明日、にーにが起きたら七海の話を詳しく聞こうと思いながら、真琴はふわふわの羽根布団に潜り込んだ。



 ***



 障子越しに差し込む明るい光が辛くて、恵比寿青年はうめき声を上げながら身じろぎをした。

 堅い畳の上で寝たせいで手足がきしみ、二日酔いの頭がズキズキと痛む。


「おはよう桂一 にーに。もうお昼だよ」


 重たいまぶたを無理矢理こじ開けると、真新しい畳の香りと見覚えのある仏間、そして従妹の姿があった。


「ううっ、頭が痛い。あれ、真琴、なんで僕は寝ているんだ。それに大黒天様と……」

にーに、昨日のこと覚えてないの? 居酒屋で酔いつぶれて帰れないから、七海さん家に泊めてもらったんだよ。七海さんと大黒天様は仕事に出かけたよ」

「しまった、今何時だ!! これは一生の不覚」


 壁の柱時計を見た恵比寿青年は、頭を抱えるとうめき声を上げた。

 真琴は慌てて、コンビニで買ったペットボトルの水を従兄に差し出す。


にーに、お水を飲んで。二日酔いが酷いみたい」

「こ、これは二日酔いじゃない。僕は大黒天様の昨日の夕食と今日の朝食を作れなかった。せっかく続いていた百日願掛けが、七十五日で途切れてしまった」

にーにが仕事の合間に大黒天様のご飯を作っていたのは、その願掛けのためだったの?」


 今日は土曜で学校が休みの真琴は、朝近所のコンビニで着替えの下着と食べ物を買ってきて、七海はそのまま仕事に出かけた。

 そのとき恵比寿青年が家の合い鍵を持っていると言われ、真琴はますますふたりの関係を詳しく聞く必要があった。


「七海さんが大黒天様を拾った話は聞いたけど……普通の人なら、桂一 にーにが本気で頼めば拒むことはできない。なのにどうして大黒天様は、にーにの所に来てくれないの?」

「勘のいい真琴なら、もう気付いているだろう。天願七海は人並み外れた高位の霊能力者だ」


 恵比寿青年はちらりと仏壇の方に目を向けると、渡されたペットボトルの水を一気に飲み干した。


「僕は自分の力を過信していた。彼女の力に太刀打ちするには、百日願掛けでも足りないかもしれない」


 それから恵比寿青年は、この家が汚屋敷だったことと七海が騙されて多額の借金を抱えている話をする。


「彼女は見た目平凡なフリーターだが、とてもがさつで騙されやすく、何をしでかすか分からない人物なんだ」

「うん分かる、七海さんは初対面の私をあっさり家に泊めるようなお人好しだもの。霊能力が強すぎる人って変なところで不器用で、ずる賢い人に騙されやすくて人間界の方が生き辛いみたい」 

「そのおかげで、今僕は彼女にさんざん振り回されているよ。今は大黒天様がそばにいるから、彼女の運気は良いが……」


 そう呟いた従兄は、真琴がこれまで見たことのない、まるで普通の人間のような柔らかい笑みを浮かべた。


「もしかしてにーには……ううん、なんでもない。あのね昨日の夜から喉が痛くないし、一度も咳をしていない。ここは東京と空気が違うのかもしれない」


 真琴は、顔半分を覆っていたマスクを外す。

 声は相変わらずしゃがれているが、生気が無く白かった頬にほんのりと赤みが差している。 


「病院から貰った薬は全然効かなかったのに、今は喉が苦しくない。ここは空気が美味しくてリラックスできる」

「そういえば、真琴のぜんそくの発作がおさまっている。それなら大黒天様が元の力を取り戻せば、きっと真琴の声も元に戻る」


 従兄弟の言葉に明るい顔で頷いた彼女は、縁側から雑草生い茂る庭に出ると家の周囲を散策始めた。

 

「僕は再び百日祈願のやり直しだ。もう二度とこんなヘマはしない」


 昼過ぎにふたりは天願家を出ると、居酒屋に預けていた黒いハイブリット車で都心に帰る。

 車内で真琴は一言も話をせずに、何か考えてこんでいる様子だった。




 夕方、七海は仕事を終えて家に帰るとテーブルの上にメモと夕食が置かれ、冷凍庫の中に作り置き食材が準備されていた。


「明日の朝は来れないから、準備した食材をレンチンするようにって、恵比寿さんの主婦力がパワーアップしている!!」

「弁財天も帰ったのか、つまらんのう。せっかく若くて可愛い娘と仲良くなれるチャンスだったのに」

「小さいおじさんったら、ここにも若くて可愛い娘がいるじゃない。恵比寿さんに頼めば、真琴ちゃんも時々遊びに来てくれかもしれないよ」


 天涯孤独の七海は、従兄妹同士支え合う恵比寿青年と真琴がとても羨ましく思った。



 しかし、それから二日後の夕方。

 駅前ディスカウントショップに、再び美少女JKが現れた。

 しかも今回は大きなリュックサックを背負い、ピンク色のキャリーバッグを重たそうに引いて、見るからに家出をしてきた風貌だ。


「えっと真琴ちゃん、その荷物はどうしたの? もう私と恵比寿さんの誤解は解けたはずだけど」

「七海さん、私東京じゃダメ。声が出ないのに、ダンスグループで……わぁああぁん」

 

 目を真っ赤にした真琴は、堪えきれない様子で大泣きしながら七海にしがみついた。


「喉が痛くて息も苦しいのに、この声で歌えって言うの。しゃがれたデズボイスの美少女で売り出した方が受けるって」

「なにそれ、真琴ちゃんは一生懸命喉の治療をしているのに、無理に声を出したら状態が悪化するだけじゃない!!」

「それに都会では息が苦しくて……でもここに来ると、声はしゃがれたままだけど喉の痛みが治まるの」

「ここは千葉の少し田舎だから都会より緑が多いし、空気は綺麗だと思うよ」

「それだけじゃない、七海さんのお家は大黒天様がいるおかげで聖域になっている。聖域で私の魂は浄化されて、少し声が出るようになったの」


 透き通った黒い瞳を涙で潤ませながら、超絶美少女の真琴はすがるような眼差しで七海を見つめる。


「私の声を元に戻すには、この方法しかないの。お願いします、私を七海さんのお家に住まわせてください」

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