七海と美少女JK
恵比寿青年は思案顔で、荒れ果てた庭を眺める。
「そこにBBQコンロを設置して、風水で包囲を調べて池と滝を……」
「恵比寿さん、滝って言った? やっぱりこの庭を作り替えるつもりね」
恵比寿青年は小さいおじさんの為といって、家の仏間の畳と障子を張り替えさせ、台所に最新の調理器具を持ち込んでいる。
「まぁ、木さえ切らなければいいか。私は二階の掃除が残っているし、庭は恵比寿さんにお任せします」
「そういえばワシは二階に上がったことがない。今度娘の部屋を見せてくれ」
「ダメよ、小さいおじさんと恵比寿さんも二階には来ないで!!」
「僕は君の部屋には興味が無いのでご安心を。それより大黒天様、ここにベンチを置けば中秋の名月が眺められます」
恵比寿青年の相変わらずの態度に七海は肩をすくめると、くるりときびすを返して雑草が生い茂る庭に入っていった。
「さて、日没までの短い間だけど、草刈りをしよう」
「投光器を準備して人工照明を設置すれば、暗くても作業できる」
「恵比寿さんに草刈りを頼んだら、本格的な造園工事になりそう……」
恵比寿青年は忙しい社長業の合間に時間をやりくりして、小さいおじさんに会いに来るが、そのあおりを喰らって約束をすっぽかされた彼の身内が、七海に詰め寄るまであと数日。
***
打ち出の小槌のご利益は、普段は客のまばらなディスカウントストアまで影響を及ぼす。
奥さんの妊娠に気をよくした店長がベビー用品を大特価で販売すると、大勢の買い物客が店に押しかける。
しかも産休中の店長の奥さんがSNSでセール情報を拡散したので、噂を聞きつけた主婦でレジ前は長蛇の列だ。
「打ちでの小槌のご利益、商売繁盛千客万来。これから子供も生まれるし、店長も張り切っているな」
「でも小さいおじさん、ベビー用品の粉ミルクとか紙おむつは重たいしかさばるから搬入も大変だし、奥さんがいないから人手も足りないっ!!」
奥さんから店を任せられた七海は、客が増えた店内を走り回り、その日の特価品が完売して客足がひいたのは夕方近く。
「ご利益の千客万来で、荷物搬入とレジとお客様対応でずっと立ちっぱなし。ドーピングしないと夜まで体力がもたないよ」
ディスカウントストアの仕事を終えた七海は、腰に手をあてて栄養ドリンクを一気飲みする。
これから深夜十二時まで居酒屋バイトだ。
小さいおじさん入りのリュックを自転車の買い物かごに乗せて、次のバイト先に向かおうと自転車のペダルに足をかける。
すると突然自転車の前を、顔にマスクで覆った制服姿の女子に塞がれた。
七海は慌ててブレーキを握ると、自転車がバランスを崩して右に大きく傾く。
「急に自転車の前に飛び出して、危ないじゃない!!」
「ねぇ、あなたが兄の恋人、天願七海?」
「えっ、天願は私だけど『にーに』って誰? そんな人知らないよ」
長い黒髪をポニーテールにした少女は、風邪をひいたようなしゃがれ声で七海に詰め寄った。
制服から覗く手足は透き通るように白く、大きなマスクで顔半分を隠しているが、弓なりの綺麗な眉にくっきりとした二重まぶた、こぼれ落ちそうな大きな瞳の美少女JKだ。
「しらばっくれないでよ。兄は仕事も私との約束もほったらかして、恋人のあなたの家に通っているじゃない」
「私の家にって、もしかして『にーに』って恵比寿さんのこと?」
怒りで美少女JKの眉はつり上がり、目尻が赤く染まっている。どうやら彼女は恵比寿青年の身内らしい。
しかし恵比寿青年と七海が恋人なんて、とんでもない勘違いだ。
「確かに恵比寿さんは、毎日朝と夜にご飯を作りに来て庭の草刈りをしているけど、私と恵比寿さんが恋人なんてあり得ないから」
「あなたが兄の会社に押しかけてイチャイチャしてたって、話を聞いているわ」
「それは私じゃない。恵比寿さんがイチャイチャしているのは、小さいおじさんだよ」
「なんで兄が、おじさんとイチャイチャするの? 意味分かんない」
美少女JKは涙ぐみながら、七海に訴える。
夕方の商店街駐輪場は駅を利用する帰宅客が多く、ふたりの言い争いは人目を引いた。
リュックから顔を出してその様子を眺めていた小さいおじさんは、七海を諌めるように声をかける。
「コラ、娘よ。小さい子供をいじめるでない。ほぉ、その子は弁天ではないか」
「いじめてなんかいないよ。彼女は私を恵比寿さんの恋人と勘違いして、突っかかってきたの」
「えっ、小さい人間が見える。この霊気はもしかして兄がいつも話している……大黒天、ゲホゲホッ」
「貴女、まさか小さいおじさんが見えるの?」
大声を出したせいで喉を痛めたのか、美少女JKは咳き込みながら小さいおじさんに手を伸ばす。
しかし彼女の指先は小さいおじさんを触れることができず、すり抜けてしまう。
「かみさまお願いします、私の声を……元に戻してください。私は歌を、うたいたいの」
「貴女は恵比寿さんの妹? それなら恵比寿さんは、貴女の声を治すために小さいおじさんを欲しがっているの」
「うむぅ、この子供は芸事の神弁財天の加護を授かっている。そして声を封じられておる」
「確か弁財天って、綺麗な衣を着て琵琶を弾く女神様でしょ。小さいおじさんは大黒天で、恵比寿さんは名前の通り恵比寿神だから、三人とも七福神つながりなのね」
「しかしワシは商売繁盛の神で、芸事はあまり詳しくないのだ」
「大黒天様も、桂一 兄も、歌えない私なんて……興味ないんだぁ」
堪えきれず美少女JKの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちると、しゃがれた声で泣き出した。
通りすがりのサラリーマンに責めるような視線で見られた七海は、大きなため息をつくと美少女JKの腕を掴む。
「私これから居酒屋バイトだから、貴女もバイト先に連れて行く。店に恵比寿さんを呼び出すから、ちゃんと兄妹で話し合って」
自転車にまたがり走り出そうとする七海に、美少女JKは泣きじゃくりながら自転車の後ろに乗ると背中にしがみついた。
「そういえばまだ貴女の名前を聞いていなかったね」
「私の名前は江島真琴。私のお母さんは桂一 兄のお母さんと双子なの」
「それじゃあマコちゃんって呼んでいい。貴女と恵比寿さん、とても顔が似ているから兄妹と思ったけど、親が双子なのね」
それから一時間後、七海のバイト先の居酒屋に恵比寿青年は現れた。
お客さんの地元マダムやバイト女子大生は、突然現れた超イケメンに目を奪われる。
「いらっしゃいませ、恵比寿さん。真琴ちゃんが奥の個室で待っているよ」
「どうして真琴がここに? 大黒天様、説明してください」
「小さいおじさんなら、真琴ちゃんと一緒に個室で食事をしている。今日のおすすめメニューは、金目鯛のブイヤベースだよ」
焦った表情で店に飛び込んできた恵比寿青年を、七海は個室に案内すると、中からさっきまで泣きじゃくっていた美少女JKの笑い声が聞こえる。
「恵比寿め、こんな可愛い子供をワシに内緒にしていたとはずるいぞ」
「ねぇ、大黒天様。兄の会社でスカートめくりしていた竜神を、福袋で捕まえて祭壇に封じ込めたって本当の話?」
「小さいおじさんは福袋を持つだけで、広場を駆けずり回って竜神を捕まえたのは私よ。なのに竜神のご利益は缶ジュース当たり一本なんだから」
個室に入ってきた七海の顔を見た真琴は、口元を押さえて肩をふるわせて笑いをこらえる。
きっと小さいおじさんが、七海の失敗談を面白おかしく聞かせたのだろう。
恵比寿青年は小さいおじさんと従妹の少女が笑い合っている様子を見て、安堵のため息を漏らす。
「真琴、最近は仕事がとても忙しくて、お前をほったらかしにしてすまない」
「恵比寿さん、そんなに忙しいなら、無理してご飯を作りに来なくても良いのに」
「僕が大黒天様の食事を作るのはお百度参りと同じ、一種の願掛けだ」
七海にきっぱりと言い切った恵比寿青年は、普段より感情を顔に出してどこか疲れた顔をしている。
「僕の母方の故郷で南の小さな島に暮らしていた真琴は、女神の歌声と呼ばれるほど美しい声をしていた」
「でも島を出たら……弁財天様の加護が消えて、私の声が出なくなったの。病院で色々検査したけど、都会の空気が悪いとかストレスって言われて、沢山薬を飲んだけど声は治らないの」
「僕もアメリカにいたので、まさか真琴の声がこれほど悪くなっているとは知らなかった」
「それなら彼女は、島に戻った方が良いんじゃない?」
「真琴の住んでいた島には高校がないから、進学のために東京に出てきたんだ」
島から上京した真琴は、美しい容姿と歌の才能をかわれ芸能プロダクションにスカウトされるが、突然喉を壊す。
「どんなに治療しても原因が分からない、もうこれは神仏の力に、大黒天様にすがるしか無いと思っています」
真剣な表情の恵比寿青年を見て、七海はこれまでの出来事に納得がゆく。
恵比寿青年はあんずさんを助けたかった七海と同じ。
だから、あれほど親身になって借金問題をアドバイスしたのだ。
「しかし弁天の娘が持つ歌や踊りの才覚は、大黒天のワシでは取り戻せない。せめて声が出なくなった原因が分かればいいが」




