表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/48

35 男爵令嬢エルナ①

35と36はエルナ視点です。

何言ってんだこいつ、と思いながら読んでください。

 公爵家主催のパーティーが開かれる日の、午後。

 王都郊外にあるミュラー男爵家の屋敷の一室から、若い女性の悲鳴が上がった。


「ああああああ! 何なの、もう! 本っ当に腹が立つ!」


 帳簿の山を前に絶叫を上げているのは、豊かな銀髪を持つ美しい少女――なのだが、目は血走っており憤怒の形相になっているので、本来持っているはずの美貌が台無しだ。


「なにこの数字! わけ分からない! というか、なんで私がこんなことをしないといけないのよ!?」


 きーっと悲鳴を上げて、少女は帳簿を掴んで投げた。

 宙を飛んだ帳簿は危ういバランスで積まれていた本の山に激突して、山はあっけなく崩れていく。


「ちっ、鬱陶しい! なんで崩れるのよ!?」


 完全に自業自得だが、そんな正当な理由で納得する彼女ではない。


 少女の名は、エルナ・ミュラー。

 自分は誰からも愛され、全ての幸福が自分のもとに集まるべきだと思っている非常に残念な男爵令嬢であった。


 彼女には、長年目の上のたんこぶ状態だった五つ年上の従姉がいた。

 従姉――ディートリンデ・ミュラーは野暮ったくて暗い感じの女で、埃っぽい書物に埋もれてちまちまと仕事をしているのがぴったりだった。


 先代男爵である伯父の娘だかなんだか知らないが、エルナはこの従姉が邪魔で邪魔で仕方がなかった。

 何より腹立たしいのは、自分を差し置いて跡継ぎになることだった。


 この「跡継ぎ」というのはディートリンデが爵位を継ぐのではなく、婿を迎えて男爵夫人になるということだ。

 本来なら現男爵の娘であるエルナが夫人になるべきなのに、父は亡兄に遠慮しているようでディートリンデを優先させた。


 ディートリンデは暗いくせに弁が立つし気は強いので、エルナがからかってもびくともしないどころか、憎たらしく言い返してくる。最初の頃は使用人たちに泣きついていたが、最近では使用人たちもまごまごするばかりで、使えない。


 あの従姉を見返したくて、エルナはディートリンデの婚約者であるクリストフに色気で迫り、あれやこれやなんだかんだを経てその心を掴むに至った。


 クリストフの父親は息子を溺愛しているので、彼が「ディートリンデではなくエルナと結婚して男爵になりたい」と言うことであっさりと同意し、ディートリンデの婚約解消とエルナとの結婚が決まった。


 しかも、である。

 あのディートリンデを脂ぎった中年オヤジが後妻にしたがっていると聞いたときのエルナは、自分の結婚が決まったとき以上に歓喜した。


 従姉が中年オヤジにどんな目に遭わされるかを考えただけで、胸がドキドキしてくる。

 従姉が中年オヤジに生まされた子を抱えて帰ってきたら、それはそれは「可愛がって」あげようと夢見ていた。


 なぜなら、ディートリンデはエルナより下であるべきだから。

 これまでエルナに口うるさく言ってきたディートリンデが屈辱にまみれる姿を見ることが、エルナにとっての何よりの反撃になるのだから。


 だというのに。

 若い貴族の男が、中年オヤジの提示額を遥かに上回る金貨百枚を積んで、従姉に求婚しに来た。

 金に目のない父はあっさりとその貴族に靡き、従姉も同意したことで二人の結婚が決まってしまった。


 ディートリンデの求婚者であるバルタザール・リューガーを初めて見たエルナは、失神するかと思った。

 まさか、あれほどまで男らしくて優美な美丈夫が、あんなに素敵な人が従姉ごときに金貨百枚もの価値を見出すとは思えなかったからだ。


 だが、所詮は金で買われた花嫁。

 バルタザール・リューガーは華やかな色男で社交界でも人気とのことだから、きっとすぐに飽きられてぽいっとされるはず。間もなくディートリンデは泣きながら帰ってきて、エルナに庇護を求めるだろう。


 そんな従姉を足蹴にできるのなら、まあ、悪くはないだろう。


 ひとまずの問題は、今目の前に積まれている帳簿たち、それから――


「……エルナ、そろそろ帳簿の整理はでき――」


 部屋のドアが開き、クリストフが入ってきた。

 エルナと結婚秒読み状態のクリストフは、仕事部屋の惨状を見て一瞬だけ息を呑んだが、すぐに疲れたようなため息をついた。


「……また癇癪を起こしたのか」

「違うわ、クリストフ! これは……そう! メイドたちが雑な積み方をしたのがいけないのよ!」


 エルナにとって、保身の嘘をつくなんて息を吐くように自然なことだ。実際父はこれで騙せていたし、使用人たちもなんだかんだ言ってエルナの命令に従っている。


 だがクリストフは肩を落とし、前髪を掻き上げた。


「見え透いた嘘はやめろって、いつも言っているだろう。それに、帳簿くらいでいつまで時間を掛けてるんだ?」

「だって、だって……!」

「まったく。ディートリンデならこれくらい、ちゃちゃっと終わらせていたのに」


 次にどのような言い訳をしようかと考えていたエルナだが、従姉の名が聞こえた途端、ぷつんときた。


 ……目下、エルナのイライラの原因はこれだ。

 エルナが仕事に手間取っていると、クリストフはすぐにディートリンデの名を出す。


「っ……お姉様と私は違うのよ! だいたい、クリストフだって『誰にでもできる仕事』だって言っていたじゃないの!」

「いや、実際にできるはずなんだよ。ディートリンデでさえさくさくとやったんだから、君にだってできるだろ」

「なっ……!」

「はぁ。ディートリンデがいてくれれば、すぐに楽をさせてくれたのになぁ。エルナも、ディートリンデを見習って頑張れよ」


 わなわな震えるエルナにそれだけ言うと、クリストフはさっさと出て行った。

 手を貸すのでも助言をするのでもなく、エルナが自分の期待通りの働きをしていないと分かると言いたいことだけ言って去っていく。


 ……目の前が、じわじわと潤んでくる。


 どうして、クリストフはディートリンデのことばかり口にするのだろうか。

 ディートリンデがいる頃は、「あんなの、誰でもできる仕事だよ」と笑っていたくせに。

 いつも薄暗い部屋に籠もっているディートリンデではなくて、明るくて可愛くて素直なエルナに愛を囁いてくれたというのに。


 クリストフに媚びを売って、失敗だった。

 どうせなら、あの美しい伯爵家次男の騎士を落としておけばよかった。


「……あの、お嬢様」


 ドアがノックされて、びくびくしたメイドが顔を覗かせた。昔からエルナの我が儘を聞いてくれる古参のメイドだ。


「今夜は、旦那様と一緒にパーティーに行かれるのですよね?」

「え? ……ああ、そうね!」


 メイドに尋ねられたエルナは、それまでの怒りもどこかへ吹っ飛んだ。


 今日、彼女は公爵家が主催するパーティーに招待されていた。十六歳になる公爵家子息の成人記念パーティーらしくて、なんと王城で開催されるとか。


「そう、そうよね! すぐに仕度をしましょう!」

「は、はい。しかし旦那様からは、仕事が一段落ついたら、と……」

「ついたわ」


 本当はこれっぽっちも進んでいないのだが、そんなことよりもパーティーの仕度の方がエルナの中で優先順位が高い。


 今日のパーティーには、貴族だけが呼ばれている。

 つまり、まだエルナの婚約者でしかない平民のクリストフは招待されていなくて……エルナは若い貴公子たちと遊び放題なのだ。


 根暗な従姉と違い、エルナは男性経験も豊富だ。パーティーに行けばすぐに貴公子たちに囲まれて、誰と遊ぼうか困ってしまうくらい。


 従姉の夫は伯爵家子息だが、次男坊なので招待される権利はない。当然従姉もいないから、エルナは羽を伸ばして遊ぶことができる。


「もしかしたら、成人したての公爵家ご子息にダンスに誘われたりするかも……」


 夢見心地でそんなことを言うエルナは、メイドが残念そうなものを見る目で見ていることには気づかない。


 男爵家の経営なんかの手伝いをするのにも、飽きてきた。

 パーティーで素敵な貴公子に見初められたら、悠々自適な貴族の奥様生活を送れるかもしれない。裕福な高位貴族が相手ならクリストフの実家ごとき、ねじ伏せてくれるだろう。


 そうしてエルナは、有頂天で仕度を始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ