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10 仕事の相談

 結婚してから数日ほど、私は予想通り暇をもてあました。


 一日だけ、療養地にいる母に会いに行った。母は男爵領にいる頃よりも元気があるようだし、私が結婚したことも祝ってくれた。


 ……当然母には金貨百枚や契約結婚の話はしていない。でもバルトの方も既に母に手紙と見舞いの品を贈っていたそうで、「とても素敵な人ね」と笑顔で言われて――少しだけ、胸が痛かった。


 丸一日掛けて母の見舞いに行った日の夜はバルトも夕食の時間に帰宅したので、母に会えたことや健康そうに過ごせていることの報告、そして礼を言った。

 バルトは「ご母堂が元気になられたのならよかった」と、無表情で言い、それっきり私たちの間に会話はなかった。


 日中は女性使用人たちに編み物を教えてもらったり通いの庭師にフラワーアレンジメントを教えてもらったりしながらまったりと過ごし、バルトの仕事の予定とは無関係に食事をして寝る、という生活を送ること、十日ほど。


 夕食後に帰宅したバルトが、「君の仕事について、提案がある」と申し出た。


「いろいろ考えたんだが、やはり君は事務関係の仕事がしたいそうだし……俺の記憶では、年少者の面倒を見るのも好きだと言っていたな」

「え、ええ、そうね」


 ……バルトは、昔に話したことをよく覚えている。


 物心付く年齢から既に我が儘放題だったエルナはともかく、男爵領にいる子どもたちとはよく一緒に遊んでいたし、バルトと知り合う前のパーティーでは父の知り合いの子どもと遊び、その子たちの面倒を見たこともある。


「小さい子の面倒を見るのは、今でもわりと好きよ。……バルトが年下だったというのもあるかもしれないわね」

「……俺をその括りに入れるな。とにかく今日リンデに提案したいのは……さすがに小さい子、とは言えないけれど、俺やリンデより年下の者にも関係する仕事だ」

「ええ、何? 若い子の話し相手? お守り?」

「……ある意味両方正解になるかもしれないな」


 バルトは、テーブル越しに私をじっと見つめた。


「リンデに、うちの部下たちの世話を含む、職場の事務を依頼したい」

「……バルトの、職場?」

「ああ。リンデは、俺の仕事についてどれくらい知っている?」


 バルトに問われて、私は彼やヘルベルトから聞いている内容を思い出した。


「ええと……バルトは下級士官で役職は教官騎士といって、主に見習いの教育に当たっているのよね。剣術や馬術はもちろん、用兵術や歴史まで広く浅く教える……だったかしら?」

「そんなところだ」


 バルトは頷いた。


 彼は十五歳まで士官学校で過ごし、十六歳で従騎士になった。それから三年間は地方で下積みをして、その実力が認められて十九歳で王都に戻ると同時に下級士官に任命された。


 下級士官の役職にもいろいろある中、バルトに任されたのは部下の指導。

 ヘルベルト曰く、「地味なのであまり人気の役職ではないけれど、高い能力と幅広い知識や統率力を必要とされるので、これに任命されるのは名誉なこと」という、なかなか尖った特徴を持つ役職らしい。


 今バルトの受け持つクラスには、十五人くらいの見習い騎士たちがいる。

 彼らは貴族であるバルトと違い平民なので士官学校には通わず、教官騎士であるバルトの指導のもとで仕事と勉強を行い、従騎士昇格試験に合格すると同時にバルトのもとから卒業するという。


「俺は普段、そいつらを指導しているのだが……どうしても、指導の際に必要な道具や資料の準備、やつらが散らかした部屋の掃除などで時間が掛かる」

「掃除もバルトがするの?」

「……騎士団エリアでも清掃使用人を雇っているが、彼女らは散らかった荷物や私物に触れてはならないということになっている。それに機密の文書も多いから、信頼できない者は執務室に入ってほしくない」

「……なるほど。それで、バルトが騎士団エリアで働くときに事務的な補助をしたり、時には見習い騎士たちの面倒を見たりできる立場の人がほしい、と」

「ああ。俺と同じ役職の同僚も、個人的に補佐役を雇っている。自分の妻を働かせるというのは珍しいが、禁止されているわけではない。むしろ、身内だから安心して任せることができる」

「確かに、よそから雇うよりも信頼できるし、何かあったときにもすぐに連絡が取りあえるものね」


 それに普通の貴族の奥方ならともかく、騎士の妻なら夫と一緒に任地に赴いたり夫の道具の手入れをしたりするものだ。

 バルトは伯爵家子息だけど次男だから、その妻である私も貴族夫人ではなくて騎士の妻の括りに入る。


 ……騎士団での仕事、楽しそうだ。


「分かった。騎士団でのお世話係、やってみるわ」

「いいのか? ……自分から提案しておいて何だが、やんちゃなやつも多いし清潔な場所とは言えない。もちろん、君を困らせるようなやつがいれば俺がげんこつを食らわせるが……」

「そうしてくれると助かるけれど、私だって仕事と割り切るからにはそれなりの対応をするわ」


 人見知りをする方だという自覚はあるけれど、それは社交界で同世代以上の人と話す場合だ。

 昔から年下とは緊張することなく喋れたし、「仕事」だと思えば切り込んでいける自信がある。


 そう言うと、バルトは安心したように少しだけ表情を緩めた。


「それなら、是非とも頼む。……もちろん、働いてくれた分だけ賃金を出す」

「……夫の給金から賃金をもらうのって、変じゃない?」

「いや、君が自由に使える金は持っているべきだ。君の性格からして、俺のおごりだから何でも買ってやる、と言うより自分で貯めた金だから思う存分使う、の方がいいんじゃないか?」

「……そのとおりね」


 本当に、バルトは私のことをよく分かっている。

 ……ちょっとだけ、悔しいくらいに。











 ディートリンデの仕事についての話を終えると、妻は「奥様が働く際の衣装を考えましょう!」と息巻く女性使用人たちに連れられて居間を出て行った。


 部屋には、バルタザールとヘルベルトだけが残される。


「……まさか、メイドまで行ってしまうとは」

「それだけ、奥様が皆に慕われているという証拠ですよ」


 仕方ないので手酌で自分の空いたカップに紅茶を注ぐバルタザールが呟くと、ヘルベルトはにっこりと笑った。


 普通なら、執事たる彼が主人のために茶を淹れてもいいものだ。だがディートリンデがいる前ならともかく、バルタザールしかいないときにはいろいろと緩くなるのがこのヘルベルトという男である。


「奥様は、健気な方ですね。日中にメイドたちとよくお喋りをしていますが、『バルトの邪魔にはなりたくない』とおっしゃっています」

「……そうか」

「ああ……あんなに小さくて、ガラス石でもミミズでも何でも拾ったものをすぐに口に入れようとなさっていた旦那様が、あんなに素敵な奥方を連れて帰る日が来るなんて……」

「やめてくれ……」

「かしこまりました。では言い方を変えて、雨の日に自ら傘も持たずに表に飛び出したくせに『ぬれたーさむいー』と泣きべそをかいてらっしゃった旦那様がこんなに立派になるなんて……」

「おまえ、俺で遊びたいだけだろう」


 じろっと睨むが、執事は悠然と笑うだけだ。


 バルタザールがおしめをしている頃から小姓として伯爵邸で働いていたヘルベルトは、バルタザールにとってもう一人の兄と言ってもいい存在だ。


 ……たまにこうして過去の黒歴史をほじくり返してからかってくることもあるが仕事ぶりは申し分ないし、何よりバルタザールの過去を知っているからこそ主人の複雑な心境にも敏感に気づくことができる。

 伯爵邸からこの屋敷に連れて行く使用人を引き抜く際、真っ先にヘルベルトを選んだのはそのためだ。


「……それにしても。リンデの方から働きたいと申し出てくれて、助かった」


 バルタザールが呟くと、ヘルベルトはそれまでの笑顔を引っ込めて頷いた。


「……騎士団の方でもいろいろ検討されたようですね」

「ああ。これで、リンデにとってよい結果になれば……それでいい」


 どこかぼんやりとした口調で言い紅茶を口元に運ぶ主人を、ヘルベルトは少しだけ寂しそうな目で見つめていた。

「教官騎士」は一応造語です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 領地持ちの貴族であれば領地経営の仕事があるだろうからと思っていたのですが、キーワードの「お仕事」はこの件だったのですね。
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