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2.現状を確認しよう

「軽い風邪ですって。王都に着いたばかりで疲れていたのね、きっと」

 グレース伯母様がほっとしたように言った。


「リヴィエール侯爵にもお知らせしておくわね。マティルドがいきなり倒れたから、先方も随分心配されたようよ」

「……あの、その件なのですが」

 わたしは居住まいを正して言った。

「わたしがコレット様の、学友として王立学院に通うというお話なのですが……、その、あの、大変申し訳ないのですが、お断りするわけにはいかないでしょうか」


 十二歳になったわたしは、ルブラン領から遠く離れた王都へとやって来た。

 リヴィエール侯爵令嬢コレット様の学友として、王立学院に通うためだ。

 昨日までは、侯爵令嬢であるコレット様に気に入られるよう頑張らなければと思っていたが、前世の記憶を思い出した今、なんとかしてコレット様から逃げなければと焦りがつのる。しかし、


「まあ! 何を言うのマティルド!」

 グレース伯母様は慌てたようにわたしの顔を覗き込んだ。

「どうしてそんなことを言うの? 昨日まではそんなこと、ひと言も言ってなかったじゃないの」

「……そ……、それはそうなのですが……」

 なんと言えばグレース伯母様に納得してもらえるのか、わたしは冷や汗をかきながら必死に考えたが、

「マティルド、これはリヴィエール侯爵からあなたのお父様に……、ルブラン伯爵家当主へ直々に依頼されたことなの。あなたのお父様は、名誉なことと大変お喜びになって、このお話を承知されたわ。それを今さら断るなんてことは……」

 グレース伯母様が困ったように言葉尻を濁した。まあ、うん……。侯爵家からきた話を、格下の貧乏伯爵家が断れるわけないですよね。


 しかし、このままではわたしはコレット様に殺されてしまうのだ!


「マティルド、ひょっとして気後れしてしまったの? 大丈夫よ、そんなに気にすることないわ」

 グレース伯母様はちょっとためらってから、わたしに顔を近づけてささやくように言った。

「コレット様は、正妻のお子ではないの。リヴィエール侯爵夫人の侍女を侯爵が気に入られて、それでお生まれになったのがコレット様よ。あなたがそんなに緊張する必要はないわ」

「……伯母様……」

 グレース伯母様は小さく肩をすくめてみせた。


「リヴィエール侯爵は、入り婿ですしね。奥様が亡くなられて、ようやくコレット様を引き取ることができたから、コレット様にはできるだけのことをしてやりたいとお思いなのでしょう。……ご嫡男のクリストフ様は、コレット様をあまり気にかけていらっしゃらないようだし」


 ああ、そういえばマンガでもそうだった。

 クリストフ様は表立ってはコレット様をいびるようなことはしなかったけど、決してコレット様を自分の妹として認めようとはしなかった。

だからリヴィエール侯爵は、自分が死んだ後のことを考え、コレット様を王立学院に通わせ、彼女の侍女候補としてリヴィエール家と政治的に同じ派閥にいるルブラン家の娘、つまりわたしに白羽の矢を立てたのだ。


コレット様はつい最近、ケルテス辺境伯家のご嫡男と婚約を結ばれたが、ケルテス辺境伯家はルブラン家の寄り親であり、領地も隣り合っている。将来的にコレット様がケルテス家に輿入れする際、ケルテス家の内情に詳しいわたしを侍女として伴いたいという腹積もりもあるのだろう。

その親心は理解できる。


 しかしそれでは『ソランの薔薇』の筋書きどおり、わたしが殺される未来へと繋がってしまうのだ!


「少し休んだほうがいいわ、マティルド。後で夕食を部屋に運ばせるから」

「はい……」

 わたしはしおしおとベッドに横になった。

 思い出したマンガの内容をきちんと考えたかったし、ここでいくら騒いでもコレット様の学友を辞退することはできないだろう。

「少し眠りたいので、メイドを下げてもらえますか?」

「ええ、お休みなさい」


 グレース伯母様とメイドが部屋を出ていく。

 わたしはベッドに横になったまま、黙って天井を見上げた。


 ルブラン領にある屋敷の、見慣れた自室の天井ではない。

 王都にあるルブラン家のタウンハウスは小さく、この部屋も領地の自室に比べればかなり狭くて古びている。

それでもこのタウンハウスの中では一番広くて日当たりのいい部屋だ。リヴィエール侯爵令嬢の学友として、王立学院に通うわたしへの気遣いをひしひしと感じる。


 グレース伯母様は、わたしの父であるルブラン伯爵に、王都におけるわたしの付き添い役を命じられている。

もともと伯母様はわたしと弟ブライアンのガヴァネスだったが、わたしの王立学院進学のため、ともに王都に来てくれたのだ。

父とグレース伯母様の仲は良好だが、だからといって何の働きもないタダ飯食らいを許すほど、父は寛容でも裕福でもない。居候であるグレース伯母様に対して、貴族としての待遇を求めるならそれに見合った働きをしろ、という実にシビアな要求を突きつけているのだ。


 そう考えると、わたしの選択肢もだいぶ限られてくる。


 わたしは目を閉じ、混乱する記憶をまとめようと息を吐いた。

 ……わたしはマティルド・ルブラン。今までルブラン伯爵家の長女として生きてきた十二年分の記憶も、しっかりある。

 しかし、それとはまったく別の記憶もあるのだ。なんと言えばいいのか、勉強した覚えのない記憶がいきなり現れた、みたいな。いや、失った記憶がいきなり蘇ったような。

 WEBマンガ『ソランの薔薇』についての記憶も、ところどころが抜け落ちている。コレット様に殺されるシーンは覚えているが、そもそもどうして殺される羽目になったのか、その部分を覚えていないのだ。コレット様のことだから、婚約者のシモン様がらみのことだと思うけど……。


わたしは前世、今とはまったく違った世界に生きていた。その世界で、わたしは平民だった。というか、国民全員が平民だった。

そんな世界、ありうるの? 貴族なしで秩序を保つことなんて不可能だわ、と今の常識が疑うが、前世の世界は平和だった。少なくとも、わたしが住んでいた国は魔獣の襲撃も他国の侵攻もなく、護衛や侍女を連れずに一人で街を歩いても問題ないくらい治安が良かった。……いや、魔獣自体、存在していない。魔術すら存在しない! そんな世界があるなんて!


 まだ頭の中が混乱していて、思考がまとまらない。落ち着かなければ。

 わたしは深呼吸し、自分の中にある記憶を探った。


わたしは前世、かなり長い期間、学問を修めたようだ。その結果、よくわからないが大きな店? 空に届きそうな高い塔? に就職して自分で自分を養っていた。

すごい! 女性が父親や配偶者に頼らず、自分の稼ぎだけで生きていくのはかなり難しいのに。

しかし前世の世界では、それは特に珍しいことではなかったようだ。わたしと同じ境遇の友達が何人もいた。

友達! わたしは前世、親の命令や家門の事情という理由ではなく、自分自身の意思で友達を選んでいたんだ! そんなことが許されるなんて!


 前世、わたしは働いて自分の住む部屋を借り、自分の着る服や食べる物を買っていた。本も買っていた。なんて贅沢なんだろう。自分のお金で貴重な本を買うなんて!

 それ以外にも……、どういう仕組みかわからないけど、ネット? という魔術のような力を使い、瞬時に欲しい書物や絵物語を楽しむこともしていたようだ。絵物語はWEBマンガ、というらしい。どういう意味なんだろう。よくわからない。


 前世と今わたしがいるこの世界は、まったく違っている。

 記憶を探ってみると、この世界は、前世でいうところの中世ヨーロッパ風世界のようだ。王が絶大な権力を持つ封建制度の世界。

前世、わたしの住んでいた世界には王がいなかった。……いや、遠い異国には存在していたのだろうか。少なくともわたしの国にはいなかった。

なんてことだろう。王も貴族もいないなんて。


前世との違いは他にもある。

この世界の人間――特に貴族の多くは魔力を持っている。魔力があればスキルと呼ばれる特殊な力を発動させることができるし、中には魔術を使える者もいる。前世では眉唾物でしかなかった魔術が、実際に力を持っているのだ。

この世界の人間は剣だけではなく魔術を使い、魔獣と呼ばれる怪物を討伐している。


 わたしはこの世界の地図を思い起こした。

 この世界には大きく分けて三つの大陸があり、わたしが今住んでいるのはその中で一番大きな大陸にある、ソランという王国だ。


今現在のソラン国王はレイモンド陛下、王太子はジェラルド殿下、第二王子はアンリ殿下。名前も容姿もマンガと同じ、それぞれ趣は違うが三人とも金髪碧眼の美貌の持ち主だ。


 このソラン王国の王位を懸けた戦いかあ……。正直、貧乏伯爵令嬢のマティルドの手に余る問題だ。


 とにかく、『ソランの薔薇』でわたしが殺されるのは、コレット様がケルテス辺境伯家に嫁いだ直後。つまり六年後だ。


 それまでに、なんとかしてコレット様から逃げなければならない。

 コレット様の侍女として、ケルテス辺境伯領へ赴く未来を回避しなければならないのだ。



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