15.逃げた先
気づいたら家にいた。
王都のタウンハウスではない。北部ルブラン領にある、ルブラン伯爵家の屋敷に、だ!
「えっ……」
自室の寝台で目覚め、わたしは呆然とした。
見慣れた天蓋付きの寝台は、タウンハウスのものではない。天蓋から垂れるカーテンも色あせておらず、鮮やかな緑色をしている。緑の亜麻布に小さな花模様が刺繍された、わたしのお気に入りのカーテン。
もしかして夢を見ているのだろうか。しかし、体を起こすと自分が学院の制服を着ていることに気づいた。ふたたび寝台に倒れ込むと、ぼすん、と体が沈み込む。部屋の中にいても感じる、足元から忍び寄ってくるような北部特有のこの寒さ。とても夢とは思えない。
わたしは意を決して起き上がり、そろそろと廊下に出た。すると、
「お嬢様……!?」
メイドのアリサが驚愕の声を上げた。
「ど、どうしてこちらに……!? え、お嬢様は今、王都にいらっしゃるはずでは!?」
うん、その認識で合っています。王立学院にいるはずの自分が、どうしてルブラン領にいるのか、自分でも訳がわからないんだよ!
「……アリサ、今、お父様とお母様は屋敷にいらっしゃるのかしら?」
「え、あ……、は、はい、奥様はこの時間、執務室にいらっしゃるはずです。領主様は商人ギルドとの会合がおありで、留守にされていますが」
「では、執務室に参ります。お母様に、緊急の用事でわたしが屋敷に戻っていると伝えてちょうだい」
「わ、わかりました」
アリサは慌てた様子で廊下を駆けていった。……普段は雇い主の前で走るような無作法な真似をする子ではないのだが、気が動転しているようだ。わたしもだよ。
執務室に行くと、扉の前にアリサが立っていた。
「お嬢様、奥様にお嬢様がお屋敷に戻られていることをお伝えしたのですが、信じていただけませんでした。早馬が来た様子もないのに、何を馬鹿げたことを、と」
そりゃそうだよね。王都から一瞬でルブラン領に飛ぶ魔術なんて聞いたこともないし、わたしだって当事者でなければ何を馬鹿なことを、と思っただろう。
アリサがノックすると、「入りなさい」と少し不機嫌そうなお母様の応えがあった。
「失礼いたします、お母様」
執務室に入ると、お母様がわたしに目を向け……、そして、叫び声を上げた。
「マティルド!」
立ち上がり、わたしに駆け寄る。
「マティルド!? 本当にあなたなのですか!? どうして……」
「それが、わたしにもよくわからないんです。魔術の授業を受けていたら、いつの間にかルブラン領の自分の部屋にいて……」
「どういうことです、魔術の事故に巻き込まれたと言うのですか!?」
「いえ、……どういう事なのか、わたしにもよくわからなくて……」
わからないと弱々しくくり返すわたしに、お母様が大きく息を吐いた。
「王立学院では、生徒の安全を何よりも第一に考えると聞いていたのに、こんなことになるなんて。……体は大丈夫ですか? 怪我は?」
「大丈夫です。怪我などは特にしていない……と、思います」
「そう。とりあえず、座りなさい。お茶を運ばせます」
執務室のソファに、お母様と向かい合って座る。
先日、王都行きを伝えられた時みたいだ。あの時はお父様もいたけど。
お母様も同じことを思っていたらしい。
「ついこの間、ここで王立学院に入学するようにとあなたに伝えたばかりだというのに、もうこんな事が起こるなんて。……わたしは王立学院で学ばなかったからわからないのだけど、こういう事故はよくあるのですか? 魔術の授業で、いきなり領地に飛ばされてしまうような、そんなことが」
「わたしも入学したばかりですし、魔術に関してはまだ何も習得していないので確かなことは言えないのですが、でも、王都から北部のルブラン領にいきなり飛ばされるような、そんな魔術は聞いたことがありません」
言いながら、いや、とわたしは考えた。
同じではないかもしれないが、似たような魔術ならある。
魔術史に燦然と輝く金字塔を打ち立てた、大魔術師ドミニク様。
彼女(男性だったという説もある)が編み出したユニーク魔術の一つに『転移』というものがある。術者が一度訪れた場所なら、自由自在に瞬間移動できるという、夢のような魔術だ。
この『転移』を使用できたのはドミニク様お一人だけだから、解明されていない部分も多いのだが、今回のわたしの魔術に非常に近い、ような……。
あの時、わたしはなんて言ったんだろう。体内を巡る魔力の熱と、ガブリエル様やクラスの皆の注目から逃れたくて、それで思わず口をついて出た言葉。声に魔力を乗せて、
「……『逃走』……?」
唱えた瞬間、ふっと体の中心が揺れるような、魔力が身の内を焼くような、不思議な感覚があった。
「マティルド!?」
お母様が大声でわたしを呼んだ。
ぐるりと世界が回り、ねじれて……。
「は!?」
気づいたら、わたしは再び自室の寝台にいた。先ほどと同じように、鮮やかな緑のカーテンが目に入る。そんな馬鹿な!
わたしは起き上がり、急いで部屋を出た。廊下を走って執務室へ向かうと、途中でアリサに「あら、お嬢様? 執務室にいらしたのでは?」と声を掛けられた。
「なんでもないの」
いや、なんでもない訳ないだろう。
『逃走』。
それがわたしのユニーク魔術なんだろうか。まるで『転移』のような……、いや、さすがにそれは言い過ぎか。『転移』は術者の行きたい場所に自由自在に瞬間移動できる魔術だが、わたしの魔術はそれとは明らかに違う。
瞬間移動するのは一緒だが、わたしの魔術では行先を指定できない。少なくとも、今のところは二回とも同じ場所、ルブラン領の自室の寝台の上に移動している。
「失礼します」
お母様の応えを待たずに執務室に入る。
「マティルド!? どういうことなのです!?」
ソファから立ち上がり、お母様は取り乱した様子で叫んだ。珍しい。ルブラン領が大雨被害を受けた時も、沈着冷静に対応していたあのお母様が。
「今、……ついさっきまで、確かにあなたはここにいました。ソファで、わたしの向かいに座っていた。それなのに、いきなり忽然と姿が消えてしまって……、いったいどういうことなのです!? これも魔術のせいなのですか!?」
「お母様」
わたしは息を吸い、落ち着け、と自分に言い聞かせた。
まだ自分自身でも確信は持てないが、それでもわかっていることはある。
「まずはお座りください。……何があったのか、説明しますわ」




