第68話 ブルゲスト辺境伯
ブルゲスト辺境伯。
帝国北部、帝国と度々紛争を起こしているファンル王国と国境を接する領地を治める帝国でも屈指の高位貴族だ。
独自の武力を保持することを認められた辺境伯で、代々の皇帝陛下からの信頼も篤く、帝国議会への出席が免除されているにもかかわらず中央に対しても一定の影響力を持っている。
……少しはウチの親父も見習ってくれんもんだろうか。
ここ数十年は大規模な戦争にはいたっていないが、それでも国境を挟んだ小競り合いは幾度となく繰り返されていて、そんな領地を治めているブルゲスト領だけに辺境伯一族は揃って武闘派で知られている。
当主であるトージスル・ジール・ブルゲスト辺境伯自身、何度も戦闘に参加していて一度たりとも国境の緩衝地帯を越えられたことのない優秀な指揮官でもある。
そんな御仁がわざわざ新兵の配属と人員交代を見届けるためにブランディス砦に来ているとは思わなかった。
ブルゲスト辺境伯領の都は砦から馬車で2日ほどの距離にあるし、砦は辺境伯の兵だけでなく帝国軍と共同で運用されていて、原則として帝国軍の司令官が通常任務の指揮を執っているはずだ。
「諸君らを歓迎する。このブランディス砦は帝国の最前線と言ってもいい場所であり、一切の甘えは許されない。わずかな気の緩みが自分と仲間の命を奪う。鍛錬は厳しく、娯楽も少ない。諸君らの中に、単に帝国の兵士になれば将来安泰などと軽く考えていた者が居たら、悪いことは言わん、帝都に帰るが良い。まがりなりにも軍に一度は採用されたのだ。下位貴族家の私兵や商会の警備に雇ってもらうこともできよう。3日後に交代の兵が帝都に帰参するから同行するがいい」
辺境伯は新兵たちを睥睨しながら一息にそう言うと踵を返した。
途端に周囲がザワつく。
まぁ到着するなり思いっきり脅されれば動揺するのも仕方ない。
学院の卒業生たちは多少驚いた様子だったが、授業や訓練でここのことは習っているし、道中である程度は覚悟を決めてきたのだろう、落ち着いたものだ。
一方で、帝国の各都市で任用試験を受けて基礎訓練を受けただけの新兵たちは詳しいことはあまり聞いていなかったようで、厳しい現実を突きつけられて不安そうな顔をしている奴が多い。
一般兵の俸給は下級役人より少し多い程度だが、平均的な平民の所得よりも2割ほど多く、基本税も減額されることもあって任用試験は大人気だ。
ただ、帝国は大国だけあって実際に戦争に参加する可能性は高くない。
だから、少しばかり訓練は大変でも安定して収入を得られる兵士になることを望む連中が多く、いざ戦争になった時は真っ先に命を賭けなければならないことが頭にないのだろう。
まぁ、兵士は年齢制限があるから、実際は退役してからの生活に困ることが多いとも聞くけどな。
ともかく、3日後までにどのくらいの新兵が脱落するかはわからない。
その後、国軍の司令官から訓示と、大隊長とかいう騎士から注意事項や明日以降の予定などの説明を受け、兵舎まで案内される。
砦の兵舎は士官と兵士に別れていて、俺には士官用の個室が宛がわれている。
一応貴族家出身の兵は最初から分隊長という階級になり、学院出身者は上級兵で、二人部屋、新兵たちは砦に元々居る一般兵に混じって8人部屋となるらしい。
個室ってのだけは貴族家出身で良かったと思うな。
部屋は小さな机がひとつと椅子、ベッドとクローゼットがあるだけの簡素なもの。というか、他に物を置けるほど広くない。
クローゼットに着替えや荷物を放り込むとそれでいっぱいになってしまったけど、そもそも砦の宿舎なんてそんなものだろう。
俺はそれだけ終わらせると部屋を出る。
残念なことに食事のためとかではなく、司令官に呼ばれているからだ。
多分、明日以降の編成に関してのことだと思う。
先ほども言ったが、貴族家出身者が軍役に就くと、最初に分隊長という階級になる。
これは5~10数名の分隊を指揮する階級になるわけだけど、いくら小部隊とはいえいきなり指揮なんてできるわけがない。いくら学院で兵法を学び、授業で訓練をしていたとしても所詮は机上の理論とままごとのような模擬戦に過ぎない。
なので副官にベテランの上級兵を付けて補佐させ、大きな失敗をしないように配慮するらしい。
ただ、俺の場合はどうなることやら。
そもそもが軍人志望でもない貴族子女が前線の砦に送られるなんてこと自体が異例なことだからな。
「フォーディルト・アル・レスタールです。お呼びと聞き参りました」
「入れ!」
兵士たちの寝泊まりする建物から少し離れた場所にある本部棟に入ってすぐにある司令官の執務室に着き、扉を叩いてから名乗るとすぐに返事があった。
部屋に入ると、そこに居たのは司令官殿とブルゲスト辺境伯、書記官らしい文官の男性と、騎士服の……女性?
「ご苦労。到着したばかりで呼び出してすまんな。改めて名乗るが、第8兵団長ブランディス砦駐屯軍司令官のジグリット・クリエ・ボーグだ」
ボーグ司令官、確か東方の子爵家出身で、冷静沈着な作戦立案と合理的な指揮能力を買われて兵団で異例の若さで将軍位に抜擢された俊英、って習った。
辺境伯軍と合同で運用されるブランディス砦という特殊性から、下位貴族出身で辺境伯よりも若いという部分でバランスを取ったという見方もできるか。
なんにしても、上司は有能な人が良いに決まってる。
俺は基本どおりの敬礼をして、促された椅子に座った。のだけど、ブルゲスト辺境伯のニヤニヤ笑いが非常に気になる。
「陛下から話には聞いていたが、本当にガリスライの息子とは思えんな。それとも擬態か? だとしたら大したものだが、どちらにしても帝国きっての悪童の系譜らしくないが」
確かブルゲスト辺境伯は親父のひとつかふたつ年上のはず。この世代の人たちが口を揃えるって、本気でなにしでかしたんだ? あのクソ親父は。
渋い顔をした俺の表情で考えていることがわかったのか、辺境伯閣下はクックックと笑い声を上げた。
「態度はともかく、敵を作る才能は親譲りのようだがな。なかなか面倒な相手に嫌われたものだ」
「いや、別に敵を作るつもりなんてまったくないんですけど」
辺境伯閣下が言っているのは今回の人事のことだろう。
しょうもない嫌がらせに利用される側としてはさぞ面白くなかろうと思っていたのだけど、閣下は特に気にする様子はなくむしろ楽しそうにすら見える。
「事情はどうあれ、ここに配属された以上はしっかりと働いてもらう。それが高位貴族の嫡男で竜殺しの英雄だとしてもだ」
「それは承知しています。軍役は義務ですから文句を言うつもりはありません。それに、安全な場所で訓練だけしているのは退屈そうですから」
ボーグ司令官が鹿爪らしく釘を刺してくるが、俺は素直に頷いてからそう返した。
実際、俺としては今回の人事にそこまで不満を持っているわけじゃない。
まぁ、婚活に不向きな最前線の任地ってのは絶望したが、聞けば砦詰めの兵士は小部隊ごとに月に一度6日ほどの休暇がもらえるらしく、皆その時に辺境伯の領都に行って羽を伸ばすことにしているという。
帝都から見ればブルゲスト領は辺境だけど、川を利用した水運や、近隣の領地に鉱山が多くあって街道も整備されているため領都は結構栄えている。確か人口も10万人近かったはず。
俺なら走れば砦から領都まで1日で行けるし、チャンスは少ないが女の子と知り合う事も不可能じゃない。……はずだ。
なにより、中央からもレスタール領からも遠いからそこまで悪評も広まっていないと思うから、貴族令嬢にこだわらずに探せばレスタール領に来てくれる女性が居るかもしれないからな。
俺がそんなことをつらつらと考えていると、司令官殿と辺境伯閣下が呆れたように見ていることに気がついた。
「え、えっと、とにかく頑張ります。実家の爵位などは考慮せず命令してください」
「……もとよりそのつもりだ。ただ、帝都からのつまらない口出しを聞くつもりもないからそこは安心してもらおう」
閣下は中立。
うん、それはありがたい。
中立、だよね?
親父が恨みを買っていないことを祈ろう。
「貴公はすでに実戦の経験があり、指揮官の任もこなしていると聞いているが、こちらの状況はよくわからないだろう。だから慣例に従い副官を付ける」
「カルーファ・ジール・オーリンドです。当分の間、補佐を務めさせていただきます」
司令官殿がそう言うと、騎士服姿の女性が折り目正しく敬礼をしてくれた。
凜とした感じの姿勢の良い若い女性だけど、口調は固く厳しそうな印象だ。
まぁ、女性の身で騎士として働いているのだから不思議じゃないのかも。
氏族名を名乗るってことは貴族家出身なのだろう。
「階級は貴公と同じだ。助言をよく聞き、任務をおこなってくれ」
「承知しました。オーリンドさん、よろしく」
「……よろしくおねがいします」
俺が挨拶すると、何故か彼女は睨むような目つきで見返してきて、すぐにフンッと顔を背けた。
……初対面、だよな?
「話は以上だ。早速明日から訓練に参加してもらう。詳細はカルーファから聞いておくように」
ボーグ司令官に退出を促され、俺とオーリンドさんは敬礼して部屋を出た。
「…………」
き、気まずい。
一言も口を開かないし、こちらを見ようともしない。
とはいえ、予定なんかを聞いておかなきゃどうしようもない。
建物を出たところで、俺は意を決して声を掛けてみることにした。
「あの、明日の集合場所と時間は……」
「一の刻に起床の鐘が鳴りますので、それから四半刻(約30分)以内に砦西側にある修練場に集合してください。レスタール卿が指揮する分隊を紹介します。その後1刻(約2時間)基礎鍛錬をしてから食事。通常はそれから任務に関する打ち合わせと割り当てられた任務をおこないますが、しばらくは集団戦や連携の訓練をする予定です」
「あ、はい」
一息にそれだけ言われ、反射的に首を縦に振る。
口調は平坦で視線は凍り付くような冷たさです。恐いです。
「それから」
「な、なんでございましょう」
「私に話しかけるのは任務に関連する最小限だけにしてください。私は貴重な学院生活で女性の尻を追いかけてばかりの方と親しくなりたいとは思っていませんので」
オーリンドさんが俺を嫌う理由がわかった。
けど、どうしよう。
反論の言葉がないんですけど。




