第67話 は~るばる来たぜブランディス砦~!
軍役の就任式から3日。
準備を整えた学院の卒業生たちはそれぞれの赴任先に移動していく。
俺も事前に指示された通り、遠征のために必要な物を用意して荷物をまとめ、集合場所にやって来ていた。
残念なことに学院の貴族科出身で俺と同じ赴任場所の奴は誰もおらず、軍務科から数人の平民出身の卒業生が居るだけ。
そのことだけでも今回の割り振りに何らかの意図が働いているのが透けて見える。
まぁ、普通は辺境伯令息なんて身分の人間をいきなり最前線に送り込もうなんて考えるわけがない。
俺が他家とほとんど交流がなく、権力とはほど遠いレスタール辺境伯の人間だってのもあるだろうが、なにより上層部に俺のことを嫌っている王族や高位貴族がいるから嫌がらせだろうな。
軍の人事に介入できそうな人は何人か心当たりがあるし。
ちなみに、当然だが今回ブランディス砦に赴任するのは俺たち学院卒業生だけじゃない。
現在砦に駐屯している部隊の交代要員と、補充の新兵も物資とともに向かうことになっている。
その数3千余名。
敵対国であるファンル王国との国境近くに築かれたブランディス砦には、抑止という理由もあって常時2万ちかい軍が駐留している。
砦周辺を領地とするブルゲスト辺境伯の軍と国軍が共同で運用しており、治安維持を辺境伯軍が、国境警備を国軍が担当しているが、両軍が連携して動くことも少なくないらしい。
通常は指揮系統が異なる軍が同じ場所に居れば諍いが絶えないと思うが、ブルゲスト辺境伯は皇帝陛下からの信任篤く、また彼自身が名高い武人であり卓越した指揮官でもあるため国軍の中にも信奉者が多く、特に大きな問題は起きていないという。
ちなみにこれはカシュエス元帥から聞いた話なので事実なのだろう。
「フォー!」
集合場所である帝都の北門の外側に時間より少し早く到着した俺が、続々と集まってきている兵士をぼんやりと眺めていると不意に名前を呼ばれた。
声のした方を見ると、白を基調とした煌びやかな甲冑に身を包んだリスランテが手を振りながら近づいてきている。
「リス? もしかして見送りに来てくれたのか? というか、お前も軍務じゃないのか?」
彼女の甲冑は近衛騎士の制式装備なわけで、それを身につけているということは今現在勤務中のはずで。
「ああ、大丈夫だよ。僕も今日からだけど集合時間にはまだ余裕があるからね。しばらく会えなくなる親友に挨拶くらいはしておきたいよ」
本当に良い奴だよなぁ。
これで大貴族の令嬢じゃなければなりふり構わず求婚してたかもしれん。……玉砕する未来しか見えんが。
「そりゃどうも。俺もリスと会えなくなるのは淋しいが、年に一度は長期休暇があるって話だから、その時に酒でも飲みに行こうぜ」
帝国では酒に年齢制限なんかはないけど、一応貴族は成人までは控えるように教育される。多分呑まれて大きな失敗をしでかさないようにっていう配慮なんだろう。
そして、学院を卒業した時点で晴れて成人とみなされるから、俺たちはいつでも大手を振って飲むことができるのだ。
まぁ、俺の場合、レスタール領に居る時は結構飲まされてたりするんだけど、さすがに人の目のある帝都では飲みに行くことはできない。
そんな制限のない平民家出身の学院生が連れだって盛り場で楽しんでいるのを羨ましく思っていたのだけど、せっかく成人しても楽しみはもうしばらくお預けだな。
「楽しみにしておくよ。……フォー、気をつけてね」
俺の言葉に笑みを見せていたリスランテだけど、表情を真剣なものにして小声でそう警告してきた。
「まぁ、最前線だからな。十分に気をつけることにするさ。攻撃はいつでも前からなんて決まってない、だろ?」
「赴任先の割り振りにとある高位貴族の介入があったらしいよ。誰が、までは教えてもらえなかったけどね」
誰が望んだのかはある程度推測できるけどな。
「それに、ここ数年ファンル王国にとんでもない奴が出現したって噂もあるし、いくらフォーが強くても限界はあるんだからね」
「そこまで自惚れてないよ。けど、忠告は胸に刻んでおく。ヤバそうだったら命令違反でも逃げることにするさ」
俺がそう言って肩をすくめると、リスはようやくいつもの飄々とした顔を見せた。
それから少しだけ話をして、集合の号令が掛かったことでリスは帝都の中に戻っていった。
リスの後ろ姿を見送っていて遅くなってしまった俺は慌てて整列している兵士たちに紛れ込む。
無理矢理列に割り込む形になったため、ぶつかってしまった人が俺を睨んでくるが、目が合うとすぐに逸らして隙間を空けてくれた。
見たことがある顔だったので、多分学院の軍務科を卒業した人だったのだろう。
ゴメンね。
「遅い! 今はまだ新兵ばかりだから見逃すが、我々の行動は全ての帝国兵を代表するものだと自覚し、常に規律正しくあらねばならん!」
なんだか偉そうな騎士の第一声だ。
言っていることはわからないでもないので大人しく聞いておこう。
「これより我々は国境の城砦都市、ブランディス砦に向けて行軍を開始する。旅程は20日を予定している。脱落者はその場に置いていくから自信のない者は今のうちに言うが良い。行軍の全てが訓練となり、目的地に到着次第、すぐさま通常軍務に従事してもらう」
「この中には竜殺しの英雄殿が居るそうだが、どのような出自、どれほどの功績があろうがこの部隊に配属された以上、一切特別扱いはしない。命令には従ってもらうから覚悟せよ! それでは出発する。隊列を乱さず、一定の速度で行軍せよ!」
……一瞬、俺の方を見た気がするが、気のせいじゃないよな? 竜殺しがどうのとか言ってたし。
別に特別扱いしてほしいとかは思ってないし、爵位とかも気にしてないから別に構わない。
それより、はやいところ気の合う奴を探したいと思ってる。
2年間の軍役だ。少しでも居心地良く過ごしたいものだ。
隊列は先頭が熟練者が中心の交代要員の兵士。その後ろに物資を輸送する輜重隊と新兵の集団が続き、さらに輜重隊と交代要員の兵士という順だ。
冒頭に行軍は訓練だと言われたとおり、移動速度は普通の商隊よりもかなり速く、隊列を維持したままずっと早歩きをしている状態。
半刻(約1時間)に一度の頻度で小休止が取られていたけど、野営地に着いた頃には新兵のほとんどは疲労困憊で、野営準備どころじゃない有様だった。
さすがに軍務科卒の数人は疲れを見せながらもへたり込むほどではないようで、重い身体を引きずりながら自分たちの天幕を組み立てていた。
「……大したものだな。いや、さすがと言うべきか」
俺はというと、この部隊の指揮官に命じられて食事準備の手伝いをしている。
もっとも、食事と言っても行軍中なので焼き固められたブーロという保存食と干し肉のスープという簡素なものだ。
このブーロだけど、穀物を水や獣の乳などで練って焼いた物なんだが、干した果実や木の実、蜂蜜などを混ぜて菓子として売られていたりもするのだけど、軍糧として配給されるものはあくまで非常食。保存のためにカチカチに乾燥していて、わずかな塩味と甘みがあるだけで美味くもなんともない。
掌の半分くらいの大きさの物が2枚で一人分。それを3千人分となると1食分だけでも結構な量だ。
輜重隊の荷車からブーロの入った木箱を抱えて配給場所に運び、野営所に設置されている井戸から水を汲む。
どれもそれなりの重量だが、俺は多少身体は小さめでもレスタールの男だ。力だけはそうそう負けない自信がある。
食事を担当している兵士たちに交じって次から次へと水を運んでいると、熟練と思われる年嵩の兵士が感心したように声を掛けてきた。
「高位貴族の令息で竜殺しの英雄なんてもてはやされてるから、どんないけ好かないボンボンが来るのかと思ってたが、案外素直に指示に従ってくれて助かるよ。それでいて訓練行軍の後でも余裕がありそうな体力だ。正直、高位貴族家の子女なんざ前線じゃ足手まといどころか邪魔でしかないが、君なら仲間になれそうだ」
「あ、はは、ガンバリマス」
ニコニコと人の良さそうな笑顔で毒を吐く熟練兵士。俺に向けたものではないにしろ、高位貴族に相当思うところがあるようだ。
部隊の小隊長ということだし、多分平民出身の兵士でもかなり優秀なのだろうが、それだけに貴族家の令息には嫌な思いをさせられたんだろう。
その後食べた食事はやっぱり美味しくなかった。
「ここで最後の休息を取る。日のある内にブランディスの城壁内に入るから、各自装備の確認をしておくように!」
行軍は想定していたよりも順調に進み、予定よりも3日ほど早く砦まで2刻のところで少し長めの休息を取ることになった。
この周辺は、戦場になることを想定して意図的に木々が伐採された荒野となっていて見晴らしが良い。
ところどころ小さな川が流れていて、水に困ることもないので休憩には最適だろう。ちなみに、そういった木々の伐採などの整備も砦の兵士たちの役目だそうだ。
「はぁ~っ! ようやく固い地面の寝床から解放されるぜ」
「フォーディルトのおかげで遠征とは思えないほど食事は良かったけどな」
行軍の間にすっかり打ち解けた新兵や交代要員の兵士がそう言いながら俺の周りで身体を休める。
初日の小隊長と同じく、他の連中も俺が高位貴族家の人間ってことで警戒していたようだけど、学院の時と同様に気軽に接している内に俺の性格をわかってくれたようで、今では冗談を言い合える程度の関係になることができた。
あと、野営の時に周辺の森や草原で野生の獣とか鳥とかを狩って食事に提供したのが大きかったのかも。
味気ない糧食ばかりじゃ気が滅入るからな。
そんなこんなで行軍を再開してしばらく。
日が傾き始めた頃、ブランディス砦に無事到着することができた。
3千人の、それも武装した軍隊に襲いかかってくるような盗賊なんているわけもなく、当然敵襲もなかったわけで、疲れはあれど負傷者や脱落者も出すことなく辿り着くことができた。
そのブランディス砦だが、名称こそ砦となっているもののこうして見てみると、高さ10リード(約8m)を超える頑丈な城壁に囲まれた大きな街だった。
広さも、周辺の村から避難民を受け入れられるだけの大きさがあり、補給なしでも数ヶ月は耐えられるように備えられているらしい。
率いて来た部隊長が到着を告げると城門が開け放たれる。
城門から奥に真っ直ぐ道があり、建物は石造りで城砦都市らしく質実剛健な感じだ。
俺たちが整列して街に入ると、駐屯していた兵士たちが道の両脇に並んで出迎える。
「……ここが、最前線の街か」
隊列のどこかからそんな声が聞こえてくるが、やはり普通の街とは違う張り詰めた緊迫感のようなものが街全体を覆っているような雰囲気があった。
「第17補充中隊、赴任のため到着しました!」
道の奥側で待ち受けていた壮年の男の前まで進み、部隊長がそう声を張り上げて敬礼し、俺たちもそれに続く。
「ご苦労だった。私は皇帝陛下よりこの砦を含む一帯を治める任を賜るブルゲスト辺境伯である」
そう返礼した男は、いかにも歴戦の武人といった鋭い視線を俺たちに向けた。




