第63話 南部の変化とマーリゥの想い
帝国南部。
特徴的な灰色がかった褐色の肌と銀色の髪、まぁ髪の方はやや心細くなっているようだが、壮年よりも少し年嵩の男が緊張のあまり泣きそうにも見える表情で立っている。
服装は白を基調とした伝統的な、というと聞こえは良いが、かつてここがバルテア王国と呼ばれていた頃に貴族が着ていた礼服をどこかから引っ張り出してきたような、時代遅れで草臥れた物なのだが、それしか用意できなかったところに普段の余裕のなさを感じさせる。
男の前には対照的に帝国礼服を美麗に着こなし背筋を伸ばした使者が朗々と書状を読み上げていて、その内容も相まって男の表情は短時間のうちにコロコロと変わっている。
「……以上を元帥閣下及び宰相閣下が決定し、皇帝陛下が承認された。ただし、異議を申し立てることも拒否することも容認されている。返答は10日後に使者、つまり小官が出立するまでにしてもらおう」
使者の言葉に、困惑が収まらないまでも男がおずおずと小さく手を挙げた。
「あの、し、質問をよろしいでしょうか」
「許可しよう」
「その、つまり、ルージュ家が治めている街のひとつに軍の訓練所を作るので、その街の半分と周囲の土地を接収する。その代わりとして、領民が領内を移動する際や職業選択の制限解除、上乗せされている基本税が軽減されるという理解でよろしいのでしょうか」
「概ねその通りだ。無論、ただちに他領と同等の条件まで緩和されることはないが、この地が帝国に編入されてすでに40余年が経過し、紛争の当事者はほとんど代替わりしている。これ以上前世代の負債を引きずらせるのは不憫だという皇帝陛下のご温情である。この上は忠誠と功績によって他領と同じ権利を獲得するために精励せよ」
「は、はいぃ!」
望みはしても自分の代で叶うことがないだろうと諦めていた話に喜ぶが湧き上がると同時に同じだけの不安も湧いてくる。
「その、この措置は我が領だけなのでしょうか」
「ルージュ男爵領と他2領が対象となる。軽減措置は負担に応じたもので一律ではない」
ルージュ男爵家の領地は平地だが、対象となる別の領地は鉱山を擁する山麓や川縁にある場所らしい。
それぞれの場所で市街戦や攻城戦、渡河、陣地構築などの実戦的な訓練をおこなう場所として旧バルテア王国の領地が選ばれたのは、人口が激減して廃墟が多い街や廃城、廃砦などが多く、年月の経過で荒れてはいるものの補修すれば使えそうだからだ。
さらに、戦勝国として当然の措置とはいえ侵攻の当事者の大部分はすでに亡くなり、残っている者もほとんどが老齢となっていて、同じ帝国民でありながら他領と比べてあまりに抑圧された状況への不満が大きくなっている。これを放置すれば叛乱に発展する可能性があると考えたのだろう。
帝国軍の訓練所をいくつかの場所に作り、その領地の住民に限って条件を緩和する。そうすることで帝国に認められれば恩恵が受けられると思わせ、同時に抑圧されたままの領地と緩和された領地の間に溝を作って連帯させないようにする。
ルージュ家当主の男は立ち去っていく使者の背中を見送ると、扉が閉まった途端に大きく息を吐くと、崩れるようにソファーに座り込む。
しばらくして使者を外まで見送った使用人が戻ってきて、心配そうに男に声を掛ける。
「旦那様、どうなさいますか?」
「どうもこうも、受け入れるしかないだろう。領民にとってはようやく長い苦しみから解放、まではまだまだだが、少なくとも今よりずっと楽になる話だ。それに常にではないだろうが、定期的に大規模な訓練がおこなわれるなら商人も来てくれるようになるだろう」
被差別地域である旧バルテア王国の領地は旨味が少なく、皇室直轄の鉱山など以外は訪れてくれる商人が少ない。
移動を禁じられているために人の出入りも少なく、活気からはほど遠い状況なのだ。
騎士団や兵団が来てくれるとなれば大量の物資も必要なため、領外からも多くの商人が来ることになるだろう。
そうなれば兵士たちが金を落とし、領内の経済も活発になる可能性が高い。
「ですが、ダルーク家の要請を無視するわけにも」
「…………」
使用人の指摘にルージュ男爵が苦い顔で黙り込む。
ダルーク男爵家は旧バルテア王国時代は侯爵の地位にあった家柄で、とある事情で当時の国王から疎まれ、国政から遠ざけられていたらしい。
帝国への侵攻に際しても蚊帳の外に置かれていたため、結果的に責任を追及されることなく敗戦国として降爵させられたものの命脈を保つことができた。
同様に侵攻作戦や帝国占領下での徹底抗戦に反対してかろうじて家の存続を許された少数の貴族家の中で、かつての爵位がもっとも高位だったために、半ば盟主のような立場になっていて、少し前から「帝国が混乱した場合、バルテア王国独立のための行動を起こす」と言い出して協力を求めてきていたのだ。
帝国からの監視が厳しい中でそのような計画が上手くいくとは思えなかったが、抑圧された状況で各地の領主は多かれ少なかれ協力し合い、その中でも特にダルーク家には助けられてきた。
「帝国上層部はどこまでこちらの状況を把握しているのかはわからん。ただ、今回の提案で間違いなく旧バルテア王国の領主たちの連帯は崩れることになるだろうな。悪辣とまでは言わんが、やはり帝国は恐ろしいな」
少なくとも、帝国軍が訓練のために駐留する状況では叛乱の準備をすることなどできるはずがない。そしてそれ以上に、ようやく見えてきた雪解けを逆行させるような行動を住民たちが賛同するとは思えない。
諦念がこもった呟きに、使用人の男も頷くしかなかった。
Side フォーディルト
隔離学級という不名誉な名称で呼ばれている特殊クラスの校舎を歩くと、その淀んだ空気や荒んだ様子に気が滅入ってくる。
それは階を上がる、つまり高学年になるほど顕著で、5年次のフロアでは暗い顔をして俯いた学院生が多い。
特殊クラスは問題を起こした生徒や問題のある貴族家の子女が所属することになっているらしいのだけど、1年次や2年次はまだ実家が功績を挙げたり、学院生本人の実績によって普通クラスに移れるかもしれないという希望を持つことができるが、さすがに5年次、最終学年まで特殊クラスから抜け出せなければほぼそのまま卒業することになる。
そうなれば本人に問題があった場合なら卒業しても実家に帰ることはできず、家の問題の場合でも社交界で冷遇されることだろう。
ここはそういった閉塞感と将来への不安で暗く、重苦しい雰囲気が漂っている。
俺がやって来たのはそんな5年次の教室だ。
廊下から部屋を覗き込むと、5人ほどの学院生が居たけど、休憩時間だというのに談笑したりするわけでもなく、それぞれが自分の机で無言のままモソモソとパンなどを口に運んでいた。
「えっと、たしかシェリーヴとかって、あ、いた」
人が少ないこともあって、探し人はすぐに見つかる。
「失礼します。シェリーヴ・カ・ルージュさん、ちょっと良いですか?」
窓の外をぼんやり見ていた男子生徒に声を掛けると、驚いて慌てた様子で振り返る。
「き、君は、レスタール辺境伯家の」
俺の顔を意外そうに見返すシェリーヴさん。
兄妹だけあってマーリゥ嬢によく似た人だ。
「……ここではなんだから、場所を移動しよう」
俺たちに周囲の視線が集まるのを感じてシェリーヴさんがそう提案する。
よほど特殊クラスに高位貴族の令息が来るのが珍しいと思っているらしいが、俺としても見世物になるつもりはないし、周囲に人が居る状況で話す内容でもない。
昼休みはまだ始まったばかりで時間もたっぷりあるということで、俺とシェリーヴさんは校舎を出て中庭に行く。
季節はいつのまにやら霜の月(11月に相当)になっていて、曇り空の今は通り抜ける風が結構冷たい。
南部の暖かい領地出身のシェリーヴさんにとっては少し寒いんじゃないかとおもったけど、特に問題無いということなので中庭にいくつかある四阿のひとつに入る。寒さのせいで周囲に学院生の姿がないので丁度良い。
「……先日は無礼な態度を取って申し訳なかった。妹にも叱られてしまったが、私もルージュ家もただ領民の生活を守りたいという気持ちだけで、皇室に弓引くつもりは無い。どうか許してほしい」
対面に座るなり、そう言って頭を下げるシェリーヴさん。
「いえ、そのことは別に気にしていませんから。それに、旧バルテア王国出身ということで色々と苦労されているのはマーリゥ嬢にも聞いているので」
実際、以前会った時に彼に言われたことはまったく気にしていない。
そもそも俺にレスタール領から遠く離れた南部の領地を守ることも後ろ盾になることもできるわけが無い。
精々、俺と親しい姿をみせることで学院内でのほんの少し風当たりを和らげることができるかもしれないといった程度だ。
それに、重税や移動の制限など、他の領地よりも抑圧された環境では、わずかなチャンスでも掴み取ろうと必死になるのも理解できる。
「実は、ルージュ家や近隣の領地に軍が訓練所を作ることになったんだ。それに伴って、該当する領地の住民に対しての税や移動制限が緩和されると通達された。上手くいけば領民の生活が楽になるかもしれない」
シェリーヴがわずかに顔を綻ばせながらそういった。
どうやらこの間皇太子殿下や元帥閣下に提案したことが採用されたようだ。
一足飛びに税の軽減までするとは思わなかったけど、訓練所を整備するには人手も必要だし、職にあぶれている人も賃金を得ることができるはずで、少しでも改善されるなら提案した甲斐もあったというものだ。
「そうですか」
「それで、今日は私にどのような用があったのだろうか。あ、いや、謝罪の機会をもらえて助かったのは間違いないのだ。私が貴公の教室に行けばまた迷惑を掛けてしまうかと思って悩んでいたので」
「あ、いえ、最近マーリゥ嬢に会えていないので、教室にも行ってみたんですけど、休んでいると聞いて」
俺がそう訊ねると、シェリーヴさんは悩ましげに眉を寄せた。
そう。
俺が皇太子殿下と会って話をしてから、俺はマーリゥ嬢と全然話ができていないのだ。
姿を見かけても遠くから軽く会釈されるだけで、近づこうとすればそそくさと離れていってしまい、ここ数日にいたっては教室に行っても休んでいると聞くばかりだった。
多分シェリーヴさんの懇願が原因だとは思うのだけど、俺としてはとにかく会って心の内を話してほしいと思っているわけだ。
「体調が悪いと言って寮の部屋にこもっているようだ。といっても病気というわけでは無く、領地のことや我々の立場に関して色々と悩んでいたので、その疲れのせいだろう」
「そうですか。その、お見舞いに行っても良いでしょうか」
体調不良と聞いて心配になり、シェリーヴさんにそう言ってみたのだが、彼は困ったように首を左右に振った。
「無礼はお詫びするが、どうかそれは遠慮していただきたい」
あっさり断られてショックを受ける。
「ああ、誤解しないでもらいたいのだが、妹は貴公を嫌っているわけではない。むしろ感謝しているし恩を感じている。ただ、それだけに貴公に迷惑を掛けたくないと思っているのだ」
「迷惑なんて……」
「いや、確実に貴公の負担になる。我々旧バルテア王国の者はそれほど帝国での地位が低いのだ。爵位を賜っていても、帝都の平民にさえ蔑みの目を向けられているのだ。妹は私とは違い優しく思慮深く、そして情が深い。これ以上貴公の側に居ることで嫌な思いをさせることに耐えられないのだろう」
「貴公に受けた恩は、いつか必ずお返しする。だから、今はそっとしておいてもらいたい」
シェリーヴさんはそう言って立ち上がり、俺に深々と頭を下げたのだった。




