第62話 皇太子殿下は良い人でした
突き出された槍先を木剣で払い、相手が引くより速く間合いを詰める。
「っと!」
俺が一撃を入れようと振るった木剣は別の位置から割り込んだ騎士によって受け止められ、同時にさらに背後から槍が繰り出されてくる。
咄嗟に身体を捻り躱しつつ、受け止めた騎士の身体を押して先の槍者の攻撃を防ぐ。
「……これでも攻めきれないのか」
仕切り直しで間合いを取ると、相手の騎士達が驚きと呆れが混ざったような呟きを漏らす。結構ギリギリだったけどね。
気を抜く暇もなく、離れた途端に矢が射かけられ、俺はそれを木剣で払いのけながら長剣(訓練用の木剣)の騎士との距離を一気に詰め、槍の騎士が攻撃を躊躇った一瞬の隙を逃さず方向転換。
その騎士の懐に飛び込むと襟を掴んで強引に投げ飛ばした。別の騎士に向かって。
「な!?」
ふたりの騎士がもつれ合いながら転がったのに驚いた騎士の動きが止まる。
当然その隙を逃すわけがなく、騎士の長剣の鍔近くを叩いて剣を落とすと、そちらも脇腹を蹴りとばして別の槍騎士を巻き込む。
「そこまで!」
騎士達の体勢が完全に崩れたことで、制止の声が掛かる。
俺と相対していた騎士達は荒い息を吐きながら整列すると悔しそうに顔を歪めながら一礼して離れていった。
「レスタール卿、どうだった?」
「連携はかなり上手いと思います。ただ、もう少し的を絞らせない動きがあればもっと攪乱できるかと。それと、味方に攻撃するのを躊躇いすぎて狙い目がわかりやすいですね」
俺がそう返すと、それを聞いた厳つい御仁、カシュエス元帥は頷く。
「聞いての通りだ。部隊の強みはなんといっても連携だ。そのことを念頭に練度を上げていくように」
『はっ!』
元帥の言葉に騎士達が威勢良く声を上げ、それぞれ部隊ごとだろうか集まっていった。
「ご苦労だったな」
「俺、一応まだ学院生なんで少しは考慮してくださいよ」
学院の貴重な休みに呼び出されてたらたまらない。
だが俺の不満なんぞどこ吹く風とばかりに元帥は笑い飛ばしてしまう。
「火竜殺しの英雄が居るのに教えを請わぬなどあり得ん。たまにで良いから付き合ってもらうぞ」
なんの躊躇いもなくそう言い切られては溜め息を吐くしかない。
「それより、貴様の目から見て、帝国軍に取り入れた方が良い訓練などはあるか?」
「やっぱりここみたいな練兵場での訓練は限界ありますよ。遠征とまでいかなくても、森の中や市街地での訓練は必要じゃないですかね」
いくら鍛錬しても実際に軍が活動するのは平地ばかりじゃない。森や渓谷、市街地や視界の悪い環境など、本番に近い状況での訓練も積んでおかないと少しでも想定外のことが起こっただけで大きな被害を被ることになりかねない。
「ふむ。確かにそうだが、なかなか適当な場所が見つからないのだ。特に、森や渓谷はともかく街や城となるとそうそう都合の良いところはな」
それはそうだろう。
今日俺がこうして帝城の練兵場まで来ているのは騎士達の訓練のためだ。
といっても本来、軍と軍との戦いは集団戦であり、個人の武勇に偏りすぎている俺やレスタールの狩人たちの戦闘は参考にもならない。
けど、カシュエス元帥の要請は、突出した戦闘力に対して集団で対応する力を身につけるという趣旨らしい。
これは先の火竜討伐においてレスタールの狩人を中心にせざるを得なかった反省を踏まえてのことだろう。
それと、どうも帝国の北側にあるファンル王国にはとんでもなく強い武人が居るそうで、国境付近の小競り合いではわずか数人の手勢と共に縦横無尽に紛争地を駆け回り、数百人規模の部隊を翻弄したという話だ。
帝国を敵国とみなしているファンル王国と接している以上、そういった規格外の武人に対する備えを怠るわけにはいかないのだ。
その事自体は理解できるのだけど、だからといって俺が巻き込まれるのには納得がいかないのよ。
もっとも、この根っからの武人であるカシュエス元帥はまったく聞く耳を持ってくれないのだけど。
そもそも俺としてはあまり帝城とか帝宮には近づきたくない。
城内に借りた部屋で陛下に紹介してもらった事務官がレスタール領の書類作業をしてくれているのだけど、そこに顔を出すたびに色々と巻き込まれるのが常態化してきてるのだ。
「フォーディルト、訓練は終わったんだね」
……言ってる側から嫌な予感がしてきたし。
「クライブ皇子殿下、ご機嫌麗しく」
「そんな嫌そうな顔しなくても良いじゃないか」
顔に出ていたらしい。
不満そうに唇を尖らせるクライブ殿下にカシュエス元帥も頭を下げる。
「殿下はどうしてここへ? 鍛錬する騎士の慰問というわけでは無いでしょう」
「うん。フォーディルトが来てるって聞いたからね。ちょうど会わせたい人が居るから」
嫌な予感がさらにマシマシに。
殿下が会わせようとする人って、普通に会おうとして会えるような立場じゃ無いだろうから精神力がゴリゴリ削られるんだよな。
「ふむ。それでは私もご一緒させていただきたいのですが、よろしいですか」
「元帥が? う~ん、まぁ良いか」
助けを求めるように元帥に目を向けたんだが、それをどう解釈したのか阻止してくれるわけでなく一緒に来ることになってしまった。
はっきりとわかったのは、この場に俺の味方は居ないということだけだ。
楽しそうに鼻歌交じりで先導するクライブ殿下に付いていった先は、予想どおり宮殿の一室。
普段は皇族と選ばれた近衛騎士や侍女しか入ることのできない場所である。
……どういうわけか俺は何度か来たことがあるけど。
部屋の前に到着すると、殿下はノックをすることもなく扉を開ける。
「さぁどうぞ」
「え? ちょ……」
てっきり先に立って中に入ると思いきや、殿下は俺の背中をグイグイと部屋に押し込んでいく。
部屋の中は学院の教室ほどの広さで、調度品と大きなテーブル、質の良さそうなソファーがあり、以外にも派手さを感じさせない落ち着いた感じだった。
そしてそこに居たのは20代前半くらいの男性と、壁際に近衛騎士が数人。
「一応、直接こうして会うのは初めてかな? 遠目ではお互い何度か目にしたことは合ったと思うが」
穏やかそうな笑みを浮かべそう言う男性。
もちろん俺もこの人が誰なのかは知っている。というか知らないはずはない。
一瞬固まってしまったけど、急いで膝をつき頭を下げる。
「初めてお目に掛かります。皇太子殿下におきましては、その」
「公式の場ではないのだから、そんなに形式張る必要はない。今話題の英雄に会いたいと思っていたらクライブが連れてきてくれると言うので待っていただけだからな。頭を上げてくれ」
今のでわかったと思うが、眼前にいるこの方はアグランド帝国の皇太子、ルーベンス・フォル・アグリス殿下である。
皇帝陛下の名代として学院の入学式や式典などで訓示されることもあり、貴族子女ならば見たことのない人は居ない。
なので、社交界とは縁遠い俺でも知っているやんごとないお方だ。
皇帝陛下譲りの輝くような金髪に済んだ緑色の瞳。やや細身ながら225カル(約180cm)の長身で見るからに皇子様という印象を受ける。
ルーベンス殿下の帝国内の評価は高く、母君は高位の侯爵家出身の帝妃(正妃)という血筋というだけでなく、思慮深く聡明で、臣下の話を良く聞き公正だという。
まだ24歳という若さながら、すでにかなりの公務や皇帝陛下の代理としての政務に励んでおられるらしい。
「とにかく座りなよ。元帥も」
「し、失礼します」
「ではご無礼を」
突然の邂逅に緊張しまくっている俺の心情なんて欠片も考慮することのないクライブ殿下の言葉で、俺は渋々ソファーに腰を下ろす。
一方、カシュエス元帥のほうは慣れているのか変わらぬ態度のまま俺の隣に座った。
「クライブが無理を言ったのだろう、申し訳なかったな」
「えぇ~、別に無理は言ってないよ。フォーディルトったら帝城に来たら僕のところにも顔を出すように言ってるのに全然来てくれないんだから、こっちから会いに行くしかないじゃない」
ルーベンス殿下が苦笑しながら俺に詫びると、クライブ殿下はプクッと頬を膨らませて抗議する。
その姿は甘えているようで、聞いていたとおり母親は違うが両殿下の関係は悪くないらしい。
というか、我が儘で気まぐれなクライブ殿下が懐くなんてルーベンス殿下の度量はとてつもなく大きいのだろう。
「そうそう、聞いたよ。フォーディルトって近頃バルテア領の貴族と仲良くしてるんだって?」
相変わらず俺への配慮のないクライブ殿下が早々に答えに詰まる話題をあげてくる。
別に悪いことをしているわけじゃないけど、帝国にとって旧バルテア王国のことはかなり難しい問題を孕んでいるので帝城内で話すには憚られるんだが。
とはいえ嘘をついてもすぐバレるだろうから素直に答えるしかない。
「ええ、まぁ。といっても、知り合った学院生がたまたまそこの出身だったってだけですけど」
当たり障りのないことを言っておく。
実際そこまで親しいという関係にはまだなっていないし、ここ数日にいたっては避けられているみたいでろくに話もできていない。
やっぱりお兄さんと顔を合わせた時のことが影響しているのだろうとは思うけど、俺は気にしていないんだけどなぁ。
なんとかそのことをわかってもらおうと、何度か特殊クラスにも行ってみたのだけど、俺の姿を見るとそそくさと離れて行ってしまったり、友人らしき人と談笑していて声を掛けずらかったりして話ができていない状況だ。
「バルテア領か。その問題もなんとかしないといけないね」
ルーベンス殿下が眉間に皺を寄せて難しい顔をする。
素人考えだけど、帝国にとって旧バルテア王国の今の状況は火種になりかねないんじゃないかと思う。
実際に帝国に戦争を仕掛け、不利になったら民衆まで動員して焦土作戦を実行した当事者たちに対して、他の地域と同じように遇するのは難しかっただろうことは理解できる。
ただ、それも40年以上が経ち、首謀者の王族や高位貴族がことごとく粛正されて、当時のことを覚えている人も減ってきている。
当時はまだ子供だったり、生まれてきてさえいなかった世代の人にしてみれば、今の徹底的に搾取され、多くの権利を制限されている状況には不満がたまる一方だろう。
「私の考えを言えば、バルテア領の過去の行状に対する制裁と見せしめはもう十分だと思っている。将来に禍根を残さないためにも融和と同化へと政策を転換する時期が来ているのは確かだ」
思ってもみなかった言葉に驚いた。
学院の、なんの権限も立場も無い貴族子女が口にするのとは皇太子殿下の言葉は重さが違う。
「そのことは陛下とも話をしているし、バルテア領以外の南部地域の貴族家からも要望が上がってきている」
「容姿が似てるってだけでバルテア領の人だと思われて差別されたりすることが多いらしいからね。南部は資源も多いし頻繁に商人が行き来しているし」
俺が思っていたよりずっとこの方たちはきちんと問題を認識していたようだ。
「ただ、なんの前提もなく制限を解除するわけにはいかない。解除するための理由が必要だし、下手をすれば周辺国から侮られたり、これまでの帝国の処遇が間違っていたからだという誤解を招きかねない」
つまり切っ掛けが必要だと。
「なにか大きな功績を立てるのが一番だけど、南部は紛争地帯からは遠いからね。あとは、例えば新しい鉱山を発見したり、革新的な技術を開発したり、小さな功績をいくつも積み重ねてバルテアの領民が、帝国の一員になるために努力したという形があれば段階的に制限を解除することもできるかもね」
クライブ殿下の言葉に何か手がかりになりそうなものがあるかもしれない。
「あの、カシュエス閣下」
ふと思いついて俺は元帥に向き直る。
「なにかあるのか?」
元帥も今の会話に関わる内容だと思ったのか、片眉を上げて俺に目を向けた。
「旧バルテア王国が滅んだ時、いくつもの街を帝国軍が侵攻しましたよね? その街っていまどうなっているんですか?」
「いくつかは帝国軍が接収して帝国の入植者が移り住んでいるが、打ち捨てられた街もある。だが、わずかに残った住民によって街の一部を復興して住んでいるところもあるな」
「南部地域って石造りの街も多いですよね? 帝国軍は破壊したんですか?」
俺がそこまで訊ねると、カシュエス元帥は言わんとしたことを理解したのか少し考え込んだ。
「数年前に視察した時は廃墟になっている場所も多かったが、建物は比較的原型を留めていたな。貧民街になっているところも多いが、その連中を使えば整備することもできるか」
バルテア王国が最後まで抵抗したことで、王国の住民の数は半数近くまで減ったと聞いている。
最近でこそ多少人も増えたけど、わざわざ被差別地域に移り住もうという奇特な帝国民はほとんどおらず、帝国軍の目が光っているために犯罪者が流れ込んでいるということもない。
つまり減った住民の住んでいた地域は廃墟となっていて、住んでいる人たちは他に行く当てのない貧民が多い。
彼らに荒れた地域を整備させれば、懸案だった街での軍事訓練の場に使えるかもしれないと思ったのだ。
軍の訓練場の整備に旧バルテア王国の住民が従事すれば、ほんの少しだけだが功績と認められるのではないか。
それに、軍の駐屯地兼訓練場が領内にできれば述べ数万人の帝国軍兵士が出入りすることになり、膨大な物資を消費する。
多少なりとも経済も活性化するかもしれない。
「現地調査を行う部隊を派遣しよう。ちょうど駐屯している部隊の交代時期も近い」
「面白い案だね。私の方から議会に話を通しておく。予算案ができ次第提出してくれ」
元帥と皇太子殿下が頷き合う。
これ、マーリゥ嬢と話をする切っ掛けになるかも。




