第61話 亡国の怨霊
旧バルテア王国の歴史、特に王都であったバクーは有史以前より人が暮らしていたと言われている。
かつて大陸南部の広域を支配した国があり、その中心だったというその都市は、最盛期には20万人もの人口を擁する南部最大の規模を誇った。
しかし、時の流れは残酷なもので、その大国も徐々に衰退し、いくつもの国に分裂。その後は勃興を繰り返すことになる。
そんな中でもバルテア王国は、王都を中心にある程度の国力を維持し続けることができていた。
裕福とはまではいかないが、温暖な気候といくつかの鉱山を持っていたことがその理由だったのだが、それは皮肉にも根拠の無い傲慢さを育む苗床になった。
何代にもわたって領土の拡大を続けていたアグランド帝国は大陸の南東部までその版図を広げていたわけだが、際限の無い拡張政策がいつまでも続くわけも無く、現在の皇帝陛下の数代前には出征が少なくなり、先代が即位した頃には帝国は内政重視に転換を行っていた。
そんな中、バルテア王国はかつての国土復興を旗印に度々兵を挙げて帝国の国境を侵した。
当初は国境警備の部隊との小競り合いからだったが、徐々に動員される兵は増え続け、帝都との距離から柔軟な対応が取れなかった帝国側の隙を突く形で中規模の街をバルテア王国が占領したことで、帝国は本格的な征伐を決定。
元々兵力差は十数倍の勝てる見込みなどまったくない争いは、当然のように帝国の圧勝で終わり、バルテア王国は地図から消えることになった。
それから40年。
バルテア王国の名前は今や帝国において過去のものとなっているが、その疵痕は今なお血を流し続けている。
旧バルテア王国の住民は領外どころか領内の移動すら制限され、武器類の所有はもちろん、農具であっても武器に転用できる物を持って5人以上が集まることも禁止されている。
税率も他領より高く、就ける職業すら限定される。
ただ、法の適用に関しては領民だけでなく帝都から派遣されている役人や他領から来ている商人に対しても等しく厳格に行われ、それを外れて理不尽な要求をしたり暴力を振るえば帝都の役人であっても処罰される。
結果生まれたのはバルテア王国であった頃に生まれた世代と、帝国に併合された後に生まれた世代との世代間対立だ。
どちらも帝国に対する不満はある。
だが、前世代がかつての栄華を懐かしみ帝国への恨み辛みを募らせるばかりなのに対し、次世代は勝てるわけのない戦争を吹っかけた挙げ句、負けてもなお執拗に抵抗したせいで自分たちが辛い立場に立たされることになったと、帝国よりもむしろ祖父、曾祖父への怒りが強い。
特に庶民はその傾向が強く、前世代の者達は肩身の狭い思いをしているのだが、それでもやはり例外は居るもので。
一部の貴族やかつての大貴族の傍系の家は、失ったものの大きさを嘆き、帝国への怨嗟を次世代に吹き込み続けたのだった。
「つまり、帝国の動乱に併せて決起すれば貴国がバルテア王国の独立を支援してくれる。と、そういうことですな」
「そうだ。ただし、決起と言うからには少人数が騒ぎ立てる程度では話にならない。最低限、駐留している軍が増援を求める規模でなければ意味が無い」
向かい合った男たちの表情は真剣そのもので、それでいて傍から見るとどこか滑稽に思えるのは、その場所が大きさだけは立派な、ろくな調度品も無く年代物の家具があるだけの寂れた部屋だったからだろうか。
部屋の中に居るのは3人。
すでに70歳は超えていそうな老人と、40歳くらいの中年男性。
その対面に座っているのが30代くらいに見える精悍な印象の男だ。
「……なにもすぐに実行しろというわけではない。いずれにせよ帝国が揺れるのはまだ数年は先の話だ」
老人が難しい顔をしたのを見て取って、精悍な男はわずかに苦笑を浮かべて言う。
現実に今の旧バルテア王国で本気で独立ができると思っている者などほとんど居ない。それほどまでに徹底的に叩き潰され、弾圧され続けてきたのだ。
「帝国軍は我々を抑圧して満足しているのか衛兵と守備兵の数は以前よりもかなり減っている。それに、帝国内にも我々の境遇に同情してくれる貴族もいるのだから時間をかければ……」
「帝国によって全てを奪われ、我等のように辛酸をなめている者は大勢居ます。その者達を糾合すれば……」
老人と中年男が語り合う姿を見る男の目は冷徹で、その口元は微かに歪んでいた。
Side フォーディルト
「何かありましたか?」
「え!? あ、いえ、なにも」
最近恒例になっているマーリゥ嬢の教室への送り迎え。
旧バルテア王国の貴族という学院でも蔑まれることの多い立場に立たされている彼女が、不本意ながら竜殺しなどというご大層な称号を得ることになったしまった俺と親しくしているところを見せることで少しでも周囲の態度が変わればと思って提案した。
悪名轟くレスタール辺境伯が逆にマーリゥ嬢の立場を悪くしないか不安だったけど、今のところ良い感じに変化しているようなので安心している。
俺の友人たちも学院内で彼女と会えば気さくに挨拶したり会話したりしてくれている。ほとんどは下級貴族と平民だけど、柵の少なさは偏見の少なさでもあるから、それも旧バルテア王国の人たちに対する態度の緩和に役立つんじゃないだろうか。
そんな風に自画自賛、ではないけど少なくない手応えを感じていたのだけど、ここ数日、マーリゥ嬢の態度がおかしい。
いや、おかしいというか、どこか俺に対する態度がぎこちなく、遠慮気味で距離を感じるようになった。
割と良い距離感で、笑顔も見せてくれていたのに、時々困ったような悩みがあるような表情をしている。
自他共に認めるほど鈍感な俺が気付くくらいなんだから間違いなく何かあったんだと思うけど。
「あの、フォーディルト様」
校舎内の廊下を歩き、建物の出入口が見えてきた時、それまで黙っていたマーリゥ嬢が足を止めた。
ちなみに彼女が所属する特殊クラス(俗称:隔離学級)は校舎の一番奥にあって遠い上に不便だ。こんなところにまで格差が存在することにうんざりする。
それはさておき、俺は足を止めたマーリゥ嬢を振り返ると、彼女は思い詰めたような表情で少し俯いている。まるで俺の目を見ないようにしているみたいだ。
「どうしました?」
俺はできるだけ穏やかに聞こえるように訊ねる。
悩みを打ち明けてくれるのか、それともさらに距離を置こうとしているのかはわからない。
ただ、それを受け取る側の俺が聞くかどうかは別の話だけどな。
「その、フォーディルト様のおかげで同級生の私への態度はずいぶん良くなって、学院での扱いも改善されました」
「大したことはできてないけどね。こういう偏見とか差別って解消するには時間が掛かるだろうし」
これは俺の本心。
俺が一緒に居る程度で人の認識が簡単に変わるなら、レスタールの人間が蛮族だとかレスタール辺境伯家は魔獣の血を引いているだとかレスタール領に行ったら生きて帰れないなんて事実無根な噂はとっくに風化しているだろう。
……最初のはちょっと、いや、少しくらいは当たっているところがあるのかもしれないけど。
なので、変わったとしてもほんのわずか。それも、俺の火竜討伐が話題になっている間だけで、時間が経てば元に戻ってしまうくらいのものでしかない。
「いえ! そんなことはありません! あっ、その、フォーディルト様のご友人の方々にも良くしていただいて、本当に感謝しています。ですけど、いつまでもフォーディルト様にご負担をお掛けしてばかりでは心苦しくて」
う~ん、多分これは誰かに何か言われたな。
旧バルテアの下級貴族が辺境伯令息に気に入られて調子に乗るなとか、高位貴族を利用しているとかだろうか。
もちろん否定するのは簡単だけど、俺がつきまとってマーリゥ嬢が虐められでもしたら意味ないし、どうしたもんか。
そんなふうにどう返したら良いのか考え込んでいると、彼女がさらに言葉を続けようとした。が、それは唐突に割り込んできた声に遮られる。
「ですので、私としてはこれ以上……」
「マーリゥ! ここに居たのか!」
声をかけてきたのは俺よりも少し年上に見える男。
肌の色からマーリゥ嬢と同じ南方出身のようで、どことなく顔が似ているようにも見える。
「に、兄様!?」
どうやら本当に兄妹らしい。
マーリゥ嬢が慌てて声を上げるが、それと同時に男が俺に気付いたようだ。
「貴公は、もしかしてレスタール辺境伯令息フォーディルト殿だろうか」
「あ、はい。マーリゥ嬢とは最近知り合って仲良くさせてもらっています」
先手必勝。
彼女が紹介してくれるのを待ってたら遠慮して誤魔化そうとするかもしれないからな。
先のことはどうなるかわからないけど、マーリゥ嬢のご家族には少しくらいアピールしておいた方が良さそうだ。
「そうですか! 申し遅れました、私はマーリゥの兄でシェリーヴ・カ・ルージュです。ルージュ男爵の長子として学院に在籍しております!」
俺の言葉に男、シェリーヴさんは嬉しそうに俺が差し出した手を握ってブンブンと振る。
ってか、声がデカい。
「妹からはフォーディルト殿が我々旧バルテア王国出身の学院生のために色々と便宜を図ってくださっていると聞いています。おかげでルージュ家や他の家の学院生に対する言われ無き差別や蔑視が少し和らいでいて過ごしやすくなりました」
「はぁ、そう、ですか」
一気に捲し立てられ、その勢いに押されて俺は曖昧な返事しかできない。
「兄様、止めてください」
「何を言う。このような機会は滅多にないのだ。少しでも我々のおかれた立場を理解してもらわなければ」
マーリゥ嬢が血相を変えてシェリーヴさんを止めようとするが、笑みを浮かべながら、それでいて真剣な目で彼女の言葉を否定する。
「フォーディルト殿、どうか我々に力を貸していただけないだろうか。火竜討伐を成し遂げた希代の英雄である貴公が旧バルテア王国の後ろ盾になっていただければ……」
「やめて!!」
さらに言葉を重ねようとするシェリーヴさんを、悲鳴のようなマーリゥ嬢の声が止めた。
「お願い、もうやめて。バルテアの人たちの立場を改善させるのは私たち自身がやらなきゃいけないの。これ以上フォーディルト様に頼っちゃ駄目なのよ」
「ま、マーリゥ」
泣きそうな、いや、すでに涙の滲んだ目で睨まれてシェリーヴさんが困惑を露わに彼女を見返している。
「申し訳ありません、フォーディルト様。兄が言ったことは気にしないでください。それと、やはり私は立場を弁えるべきでした。もう私たちを気遣っていただかなくても大丈夫です。これまで本当にありがとうございました」
「え? あの、ちょ」
「行きましょう、兄様」
俺が何かを言う前にマーリゥ嬢は一礼すると、シェリーヴさんの手を引いて校舎から出て行ってしまう。
「え、えーと、これはどうするのが正解なんだ?」
彼女たちの背中を見送りながら、俺はそんなことを呟くことしかできなかった。




