第60話 マーリゥ嬢の事情
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Side マーリゥ
「それじゃあ、今日も頑張って」
「はい。ありがとうございます。フォーディルト様も」
わざわざ遠回りして教室まで送ってくれたフォーディルトにマーリゥは笑顔を返すと、彼は少し照れくさそうに頬を掻きながら踵を返した。
友人になってからフォーディルトはこうして隔離学級に彼女を送ってくれることがある。
問題ある貴族家子女を集めた特殊クラスの生徒という、学院でも蔑まれることの多い立場の教室に、今や学院内で名前を知らない者のない竜討伐の武人にして辺境伯という高位貴族の跡取りであるフォーディルトがやって来たことの衝撃は凄まじく、旧バルテア王国の貴族家ということで、隔離学級の中ですら侮蔑の対象となっていたマーリゥへの態度があからさまに変わることになった。
発端はフォーディルトがマーリゥの状況に同情して、自分と親しくしているのを見せることで少しでも彼女への態度が改善されればと提案したことだ。
それから毎日ではないが、時間のある時にこうしてマーリゥを教室まで送ったり、昼食に誘いに来たりして、フォーディルトが彼女と親しくしていることをアピールしているのだ。
「ね、ねぇ、辺境伯令息様とどうやって知り合ったのか教えてくれない?」
「わ、私をフォーディルト様に紹介してくださらないかしら。その、身勝手なことはわかっているのですが」
フォーディルトと別れてマーリゥが教室に入った途端、数人の令嬢たちに囲まれてそんな風に声を掛けられる。
そんな彼女たちだが、つい最近までは旧バルテア王国の貴族令嬢であるマーリゥに対して散々嫌味を言ったり嫌がらせじみたことをしてきた張本人だったりする。
高位貴族の子女たちが日々熾烈な主導権争いをしているのと対極の場所である隔離学級では、真逆の意味で格付け合戦が苛烈だ。
つまり、普段他の貴族たちから蔑まれているだけに、自分よりも下の立場の人間を探し、虐げることで少しでも自分が優越感に浸りたいという呪いに似た感情を持て余している。
特に、功績や実績次第で汚名返上に望みがある令息よりも、今の立場では良縁に巡り会うことすら望みの薄い令嬢たちは相当に鬱屈した思いを抱えているのだろう。
そんな中で、帝国で平民よりも軽く扱われる旧バルテア王国の貴族令嬢であるマーリゥが、こともあろうに帝国でも特別な地位にいる辺境伯家の、それも火竜を討伐した英雄と突然親しげにし始めたわけだ。
クラス内の立場は完全に逆転し、今ではなんとかしてマーリゥを通じてフォーディルトと近づこうとする令嬢や、話しかける隙を窺う令息、逆に嫉妬心丸出しで敵意を向けてくる者まで居る。
「……フォーディルト様は気さくな方なので直接話しかけた方が良いかと思います。私はあの方に誰かをご紹介できるような立場ではありませんし」
マーリゥが内心の溜め息を押し殺して笑みを見せつつ答えると、令嬢たちは互いの顔を見合わせながら眉根を寄せる。
マーリゥの返答は気に入らないが、内容が間違っていないだけに不満を漏らすこともできない。
そもそもフォーディルト自身、以前までは田舎の野蛮人、魔人卿などと呼ばれて学院内で蔑みの対象とされていたのだ。
隔離学級の生徒たちですら、面と向かって態度に出すわけにはいかずとも内心で軽く見ていた者も少なくない。
それがここ最近では有望と目されていた騎士科の上級生数人を模擬戦で下し、第三皇子と親しく言葉を交わし、テルケル伯爵家からふっかけられた決闘を歯牙にも掛けず、さらには帝国南東部に出現した火竜の討伐と話題に事欠かない。
加えて帝国きっての名門貴族フォルス公爵令嬢とも親しい仲となれば、ただの田舎の蛮族などと軽んじることなどできるはずもない。
となれば、ただでさえ侯爵位と同格の辺境伯という高位貴族にそうそう自分から声を掛けるのは難しいのだろう。
フォーディルト本人は身分などまったく気にする性格ではないのだが。
尚も言い寄ってくる令嬢たちを適当に遇いつつ自分の席に着くマーリゥだが、彼女にはクラスの人間関係以外にも悩み事がある。
それはもちろん自分の家の立場に起因するものだった。
昨夜、久しぶりに会った兄との会話を思い出して、マーリゥは今度こそ深いため息を吐いた。
「聞いたぞ、リゥ! あの魔人卿を籠絡したそうではないか!」
「失礼な言い方をしないでください。フォーディルト様は私の境遇に同情してくださっただけです」
マーリゥが反論するも、兄であるシェリーヴは興奮を隠すこともせずに笑みを見せている。
「レスタール辺境伯家といえば帝国随一の武闘派。その力は皇帝陛下すら配慮しなければならないほどだとか。それほどの家がルージュ家に、いや、バルテア王国の味方についてくれるなら不当に抑圧されている王国の人民を解放することも夢ではないぞ!」
「兄様! 滅多なことは言わないでください! それに、レスタール辺境伯閣下には政治的影響力はほとんどないと聞きました。今は少しでも多くの貴族家と交流を持ちながら人脈を広げるのが肝要かと」
兄の言葉に不穏なものが混じり始めたのを慌てて遮るマーリゥ。
場所が学院の寮なだけに誰が聞いているかわかったものではない。ただでさえ旧バルテア王国の者には監視が付いていると言われているのだ。
そもそも、マーリゥに旧バルテア王国の人民を解放するなどという考えはない。
いくらフォーディルトが彼女たちの境遇に同情したとしても帝国と敵対してまで助けてもらえるなど考えられないし、可能とも思えない。
それほどまでに帝国の力は強大で、自分たちの祖父、曾祖父の世代が何を考えて帝国に弓引いたのか理解できない。
彼女が望んでいるのは自分たちの環境が少しでも改善することと、領地に課されている他領よりも高い税率を引き下げてもらうことだ。
戦勝国の当然の権利とはいえ、直接帝国と戦うことのなかった今の世代からすれば、祖父曾祖父世代のせいで自分たちまでが抑圧され、いつまでも過剰な搾取を受けるのは耐えられない。
せめて他の領地と同等近くまで税が緩和され、帝国の臣民と認められたいだけだ。
だが、兄や両親はそれ以上を望んでいるように思えて、マーリゥはそれが不安に思えて仕方がない。
「だが、このままではいつまでたっても我々は奴隷のような扱いをされ続けるのだ。人脈を広げようにもほとんどの貴族は話すら聞いてくれん」
「それでも! 皇室に睨まれれば今度こそ私たちも旧バルテア王国に暮らす人々も根絶やしにされてしまいます。そもそも、なんの利もないのにレスタール辺境伯の兵士が私たちのために戦ってくれるはずがないでしょう!」
「むぅ、しかしだな」
「兄様は、無謀にも帝国に戦いを挑んで国を滅ぼしたバルテアの王族や高位貴族と同じ道を歩むつもりですか!」
「わ、わかった。わかったから」
シェリーヴもわかってはいるのだ。
二度と反抗できないように全ての武器を取りあげられ、戦闘訓練も許されず、治安維持は帝国の駐留軍任せ。資源や主要産業は中央から派遣された官吏によって抑えられて金は無く、支援してくれる国もない。
そんな状態で仮にレスタール領の援軍で旧バルテア王国を開放したところで維持することなどできるはずもなく、レスタールの兵が自領に戻った途端に再び帝国に占領され、今度こそ全てを失うことになるだろう。
モヤモヤした思いを抱えたままマーリゥは授業を受け、午前最後の授業を行っていた教師が教室を出て行くと室内が途端に騒がしくなる。その光景は他のクラスよりもよほど賑やかだ。
隔離学級の生徒は些細なことでも問題を起こせば学院を退学、つまりは貴族になる道を絶たれることになってしまうため、授業は真面目に受ける者ばかりだ。
その分、授業が終わると途端に気が抜けるのか、貴族子女にもかかわらずまるで街中のような喧噪となる。
「あの、ルージュさんにお客様が」
マーリゥが食事のために立ち上がったタイミングで教室が一瞬静まりかえった。
そして、入り口近くに居た令嬢が慌てた様子でそう声を掛けてくる。
「私に、ですか?」
一瞬フォーディルトが昼食の誘いにでも来たのかと思ったマーリゥだったが、周囲の反応からそれが違うとすぐに理解する。
引き攣った顔ですぐに向かうように促され、教室を出るとそこに居たのはアッシュグレーの髪を短く切りそろえ、鋭く意志の強そうな青い目の男子生徒だった。
「プルバット侯爵家の子息が何故ここに」
「レスタール辺境伯令息と不仲と聞いているから、ルージュ嬢に何か言いに来たのか?」
背後から聞こえてきた言葉にマーリゥが固まる。
会ったことがないので顔は知らなかったが、ガーランドはプルバット侯爵の子息であり、学院でもその優秀さと厳格さで有名だ。
と同時に、たびたびフォーディルトと衝突する不仲さでも知られている。
最近フォーディルトと親しくなったマーリゥとしては何を言われるか恐々としてしまう相手である。
「お、お待たせいたしました。マーリゥ・カ・ルージュと申します」
緊張しながら一礼するマーリゥを冷徹な目が見据える。
「突然呼び出した非礼をお詫びする。ここでは落ち着いて話ができないから場所を変えたい。着いてきてもらおう」
短くそれだけ言うと、ガーランドはマーリゥの返事を聞くことなく踵を返した。
ほとんど命令のような言葉に、マーリゥは大人しく従うしかない。
ただでさえ爵位に開きがある上に、相手は学院内でも確固たる立場を持っている。
学年だけで言えば彼女の方が上だがそんな些細な差が通用すると思えるわけがない。
ガーランドに連れてこられたのは食堂などがある建物の二階にあるサロン。
主に皇族や高位貴族の子女が利用する場所で、教室ほどの広さの個室が並んだ一角だ。
多くの学院生は滅多に利用することはなく、もちろんマーリゥは利用どころか近づいたことすらない。
部屋の中は6人掛けの円卓とソファーなどが置いてあり、壁際には高級そうな調度品が品良く飾られている。
ガーランドは円卓の奥側まで行くと振り返り、入り口側で躊躇するマーリゥを見ると顎で入ってくるように促した。
「……訊きたいことがあったから招いただけだ。危害を加えるつもりはないからそう警戒する必要はない」
そう言われ、マーリゥは躊躇いつつもガーランドの対面に座る。
それを見て小さく頷くと、ガーランドはテーブルに置かれていたベルを鳴らす。
するとそれを待っていたかのように部屋の別の扉が開き、女性が飲み物を持って入って来た。
女性がガーランドとマーリゥの前にカップを置き、琥珀色のお茶を淹れてから一礼して、今度はマーリゥが入って来た扉から出ていく。
「…………」
「…………」
しばらく無言のままふたりは飲み物を口に運ぶ。
そうしてカップの中が半分ほどになった頃、ガーランドがマーリゥに目を向けた。
「まずはこうして急に呼び出したこと、謝罪する」
「い、いえ」
ガーランドが居住まいを正して頭を下げたことにマーリゥが慌てる。
確かに突然隔離学級まで来て有無を言わさずここまで引っ張ってきたのだから無作法と言えるのだろうが、彼は高位貴族の子息でマーリゥは爵位はあれど平民以下の扱いしかされない旧バルテア王国の者だ。ガーランドでなければ形だけでも謝罪などしないだろう。
そのことからも、彼が普段から礼儀作法に厳格な気質であることが察せられる。
「前置きは無意味だから率直に訊ねよう。レスタールに近づいた目的はなんだ?」
「それは……」
ガーランドの質問は予想されたものだ。が、それだけにマーリゥは言いよどむ。
「ルージュ嬢は知らぬかもしれないが、レスタール辺境伯家は特殊な立ち位置の貴族だ。いや、特異と言っても良い。貴族に叙された経緯も、そのあり方もだ。かの家は帝国貴族が持つ特権の多くを行使しない代わりに多くの義務も免除されている。辺境伯という地位は危険な獣に着けた鈴に過ぎない。だから高位貴族はレスタール辺境伯への手出しは慎むようにとされている」
「っ!」
その言葉に絶句するマーリゥ。
彼女としてはそこまで深く考えてフォーディルトに近づいたわけではない。
高位の爵位を持ち、竜討伐の英雄として勇名になった人物。さらには身分に大らかで、平民や下位貴族に対しても気さくで情に篤いという噂を聞いて、少しでも自分たちの置かれた状況が改善されればと考えただけだ。
それに今ではフォーディルトの飾らない人柄や、思いやりと気遣いに溢れた言動を好ましく思っている。
「その、決してフォーディルト様を利用しようとか、何かを企んだわけではなく、た、確かにあの方と親しくなることで今の状況が少しでも良くなればと思っていたのですが」
「……ルージュ嬢の、旧バルテア王国の者に対する帝国の扱いには同情できなくもない。少なくともあの騒乱の時代に生まれてすら居なかった者達にとっては理不尽に思えるのも理解はできる。だが、それを覆すのは働きによってでなければならない。他家を利用したり、他家に頼って少々当たりが少なくなったところで他の貴族も民衆も旧バルテア王国の者達に対する見方が変わることはない」
「…………」
「改めて言っておく。レスタールを利用しようなどとは考えぬことだ。本当に領地の者達のことを思うならな」
ガーランドは幾分口調を柔らかくしてそう言うと、席を立ったのだった。
今週も最後まで読んでくださってありがとうございました。
そして感想を寄せてくださった方、心から感謝申し上げます。
数あるWeb小説の、この作品のためにわざわざ感想を書いてくださる。
本当に嬉しく、執筆の励みになっております。
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それではまた次回の更新までお待ちください。




