第59話 逢い引きって危険な響きだよね
なんとか間に合った、か?
ついこの間も話したのだけど、広大な版図を誇る帝国の中心たる帝都は広い。
皇宮を中心に半径25ライド(約20km)ほどで外周は140ライド(約110km)、面積は1800ラウズ(約1440?)にも及ぶ。
実際、帝都で暮らす住民のほとんどは帝都から一度も出ることなく一生を過ごすらしい。
帝都の、それも堀の内側は比較的治安が良いし、必要なものは娯楽も含めて全部揃っている。わざわざ野盗が出没する帝都から出る理由がないのだ。
ちなみに帝都民に農業従事者は居ない。趣味で庭や屋上に菜園を作っている人は居るらしいけど、食料の生産は全て帝都近郊の穀倉地帯や畜産地域で行われていて、必要十分な量と種類が帝都に運び込まれている。
……話が逸れた。
つまり何が言いたいのかというと、帝都に数年住んだくらいじゃ行っていない場所がいくらでもあるということだ。というか、俺が行ったことのある場所はほんの少しでしか無い。
ボーデッツたちと市場に遊びに行った翌週。
俺は再び帝都の繁華街を歩いていた。
「えっと、マーリゥ嬢はこの辺よく来るのか?」
「マーリゥで良いですよ。私が出歩くのは学院の近くくらいです。その、肌の色が目立つので」
俺は隣を歩くマーリゥ嬢、改め、マーリゥさんに訊ねるとそんな答えが返ってきた。
学院に入学してから人の出身地や外見に関心がなかったから知らなかったのだけど、帝国の歴史上比較的近代に入ってから征服された南部の人は肌の色が濃いのもあって差別とかをされやすいらしい。
俺たち狩人や農業従事者も日に焼けて肌の色は濃いけど、やや赤みがかった褐色という感じで、彼女の肌は灰色がかった褐色なので結構印象が異なる。
けど……
「そんなに差別ってされるの?」
その質問に、マーリゥさんは困ったような微妙な笑みを浮かべる。
「そう、ですね。かつてのバルテアの民は嫌われていますから」
別にマーリゥさんのような肌は旧バルテア王国の人だけでなく南方出身者共通の特徴なのだが、やはりその肌の色は旧バルテアを想起させるらしい。
さらに、そのせいで旧バルテア王国以外の南方の人間は不当な差別を受けていると言って、マーリゥさんたちを嫌っているのだとか。
まさに、四方八方敵だらけという状況なのだろう。
帝国と争った当事者たちのほとんどは今では土に帰り、従軍していた年若い連中がわずかに残っている程度。戦争の責任なんかあるわけもない。
それなのにだた旧バルテア王国の出自というだけで忌み嫌われ、憎しみを向けられるのは、俺から見ればただの理不尽でしかない。が、そう切って捨てられるほど人の感情というものは簡単ではないのだろう。
なので、俺からはそれ以上その話題を口にするのは止めておく。
朴念仁で人の機微に鈍い自覚があるので、下手するともの凄く失礼なことを言ってしまうかもしれないし。
「ですから、フォーディルト様とこうして街を歩くのはとても楽しいです!」
「まぁ、俺も帝都は詳しくないんで、友人から聞いた場所ですけどね」
この会話からわかるように、俺とマーリゥさんはふたりで帝都の繁華街を散策するためにやって来ている。
簡易的な屋台が並ぶ市場とは違い、繁華街と呼ばれる場所は通りに面して商店や飲食店が建ち並び、芝居や楽奏を見せる小規模な劇場などある。
そして通りのあちこちでは大道芸を披露する人や、見習い楽士の演奏、絵師などが小さな露店などをしていたりもする。
学院に近い場所の繁華街には何度かリスやボーデッツたちと一緒に来たことがあるが、今日は学院から5ライド(約4km)ほど離れた場所にある繁華街だ。
学院で隔離学級に編入されている彼女は他の学院生と顔を合わせると気まずくて楽しめないだろうということで少し足を伸ばすことにしたのだ。
切っ掛けは俺がマーリゥさんに友達になるのを提案したこと。
彼女は自分たちの置かれた状況を少しでも改善するという下心ありで俺に近づいて来たわけだけど、そのことは別に気にしていない。
そもそも、下心が駄目だって言うなら、色々と条件を付けて婚活に励んでいるのも下心だし、家の都合や、爵位、財産で結婚相手を選ぶのも全部駄目ってことでしょ。
俺がエリウィール嬢を苦手だと思ったのは下心がどうのってことじゃなく、悲壮感すら覚えるほどの必死さでグイグイ来るのが恐かっただけだし。
俺としては下心があろうが、相性がよくて仲良く過ごせそうな相手なら親密になりたいわけだ。
そのためにはマーリゥさんともっと話をしたり、一緒に過ごしたりして為人を知り、同時に俺のことを知ってもらわなきゃいけない。
多少気に掛かっているのが、彼女が帝国で差別的な扱いをされている旧バルテア王国の貴族家ってことだけど、差別的な扱いというのなら、制度的なものは別としてレスタール領も帝国民や貴族連中の意識は似たようなものだ。
もちろん他の領地の下位貴族令嬢と結婚するのに比べれば多少の厄介ごとは増えるかもしれないけど、実際にはそれほど心配していない。
何しろレスタール領と大陸南部はかなり遠いし、他の貴族や皇室への影響力なんてもっていないから、旧バルテア王国の貴族がうちを利用するにも無理がある。そもそも俺ひとりを籠絡したところで狩人たちが思い通りに動くわけがないからな 。
「ふふっ! こんなに楽しいのは久しぶりです」
南方の人たちが強い日差しを避けるために頭に巻く布で顔は見づらいけど、マーリゥさんの声は明るく弾んでいるように聞こえる。
「地元ではあまり出かけたりしないんですか?」
「出かけますよ。というか、貧乏男爵家なので領民と一緒になって畑を耕したりします。ただ、田舎ですし、旧王都に行く機会もなかったので、賑やかになるのは年に一度の収穫祭の時くらいです」
彼女曰く、帝都に来て人の多さに驚き、最初はあちこちを見て回ろうとしたものの周囲の視線の厳しさに諦めたのだそうだ。
そりゃあそんな目で見られていたら女の子が護衛無しに出歩くのは無理だろうから、彼女にとって気を抜けるのは長期休暇で地元に帰った時くらいなのかもしれない。
俺たちはあえて学院の制服姿で来ているのと、明らかに帝国西方の特徴(肌とか髪の色)の俺が一緒に居るせいなのか、多少不躾な視線を向けられる以外は特に嫌な態度を取られることもなく、普通に散策ができている。
ちなみにいつも彼女にくっ付いている護衛のクーレグさんはここには居ない。
マーリゥさんと同じ南方系の特徴を持つ彼が一緒に居たら出自がバレてしまうかもしれないし、帝都内の護衛役くらいなら俺が一緒に居れば十分だという判断だ。
マーリゥさんと小さな屋台で飲み物を買い、石畳に広げられた布の上の小物を覗き、大道芸に歓声を上げる。
……もしかしたら学院生活で一番華やいだ一時を過ごしているような気がする。
マーリゥさんも、時折色々なことが頭をよぎるのか表情が曇ることがあるけど、それも一瞬だけですぐに年相応な明るい笑顔を俺に向けてくれた。
彼女にとって帝都の店は、それがたとえ素人の露店であってもこれまで見たことのない物で溢れているらしく、見慣れない物を見ると俺に質問したりするのだけど、あいにく俺に知識がないせいで答えてくれるのはもっぱら売り子の人だったりする。
名目上は男爵家とはいっても、敗戦国として重税を課された小領の出身では金銭的な余裕はほとんどないのだろう。マーリゥさんは商品に手を触れることはなく、見て楽しんでばかりだった。
「綺麗……」
彼女の目が一点を見つめて止まる。
視線の先にあったのは鮮やかな色の貴石が散りばめられた、鳥を模した髪飾りだ。
台座は銀っぽいけど、はめ込まれた石はそれほど高級な物じゃない。ただ、作りは丁寧で装飾も上品なもので、赤と緋色、半透明な緑色の組み合わせはマーリゥさんによく似合いそうだ。
値段を見てみる。
……素人の露店で売る物としては少々高めだけど、ワリスのおかげで少しばかり懐が潤っているので買えない値段じゃない。
ふと売り子と目が合う。
ニヤリと口元を歪め、素早く指を何本か出したり、マーリゥさんを指差したりしてくる。
しょ、しょうがないな。
商売上手な売り子に負けて、ということで、その髪飾りと、その奥側のイヤリングを差
すと、売り子は手早くそれぞれを小さな木の箱に入れて渡してきた。
入れ替わりに俺は銀貨一枚、1リガットを手渡す。
この一連のやり取りをマーリゥさんが他の物に目移りしている間に完了させる。
「ちょ、お兄さん、これ」
一瞬遅れて握らされたのが銀貨なのに気がついたらしい売り子の男性が驚く。
まぁ1リガットあれば家族の一月分くらいの食費になるから、売値よりかなり多いもんね。でも彼女にバレないように動きを合わせてくれたお礼だ。
「また来てくれよ! たっぷりおまけするからさ!」
マーリゥさんを促して露店を離れた俺の背中に売り子男の嬉しそうな声がぶつかる。
……ちょ~っと格好付けすぎたかも。
この後の買い食いは少し控えよう。
「今日はありがとうございました! すごく楽しかったです」
「ああ、いや、俺も楽しかったです。今度は学院内でも声を掛けさせてもらいますね」
日が傾いた頃、少し早めに俺とマーリゥさんは学院の寮に戻ってきた。
帰り道でも彼女は終始楽しそうで、誘った甲斐があったというものだ。
半日一緒に居て、彼女がとても朗らかで、俺にも気を使ってくれる娘だということはわかった。
多分色々なものを抱えているのだとは思うし、俺に対しても思惑がありそうではあるけど、もう少し親しくなったら色々と話し合ってみたいと感じている。
なので、役にたつのかはわからないけど、今度は学院で、彼女のクラスに顔を出してみようと思う。
「その、よろしいのですか?」
「うん。といっても、俺も学院では変人扱いされているからどこまでマーリゥさんの力になれるかはわからないですけど」
「……ありがとうございます。なんてお礼を言って良いか」
深々と頭を下げるマーリゥさんに首を振り、代わりにポケットから木箱を引っ張り出して彼女に手渡した。露店で買った髪飾りだ。
「これは、そ、そんな、こんなものをいただくわけには!」
「いや、もらってくれないと行き場がないので逆に困ります。もしいらなければ地元に帰る時にお土産にでもしてください」
捨てられてしまうのはさすがに泣くので。俺が。
俺に言葉に、マーリゥさんは髪飾りを胸に抱いてぎこちない笑みを浮かべた。
……髪飾りになりたい。
「そ、それじゃ、おやすみなさい、は、まだ早いか」
「クスッ。そう、ですね。また、学院で」
最後にそう言葉を交わして彼女と別れる。
マーリゥさんに宛がわれている寮は平民向けの場所なので大丈夫だと思うが一応念のため彼女が建物に入るまで見送り、俺も自分の寮に戻る。
そしたら丁度通りかかったらしいリスが俺に気付いて近づいて来た。
「フォー、帰ってきたのかい?」
「おう。リスも出かけてきたのか?」
「今日は皇女様主催のお茶会だよ。疲れたよ」
そう言って本当に疲れた素振りで頭を振るリスランテ。
言われてみればいつもと違いしっかりと化粧まで施されていて、普段とのギャップに違和感がある。
「フォーは、例の旧バルテア王国の令嬢と一緒だったんだろ? どうだったの?」
「楽しかったぞ。まぁ、色々と抱えてそうな感じはあったけどな」
「ふぅ~ん。けど、わかってるとは思うけど、簡単じゃないよ」
難しい顔で忠告するリスに、俺は苦笑いで頷く。
「わかってるよ。どっちにしても彼女が腹を割って話してくれるようになってからだ」
「それもフォーらしいけどね。まぁ、僕も彼女の境遇には同情するし、邪魔はしないよ。応援もしないけど」
そこは応援してくれ。
「なんにしても俺も久々に女の子と出かけて疲れた。軽く身体を動かしたら早めに休むことにするさ」
「久々って、僕とはこの間も出かけたじゃないか」
んなこと言われてもなぁ。
リスとは友達だし、あんまり気を使わないで済むから楽だけど、他の女の子とは緊張するし疲れるのは慣れていないからしょうがないじゃないか。
不機嫌そうに唇を尖らせるリスに苦笑しつつ、彼女に小さな木箱を投げておいた。
「わっ、なに?」
「お土産。公爵令嬢に渡すには相応しくないような安物だけどな」
そう言って、困惑するリスに構わず寮に入った。
というわけで、今回はここまでです
次週は更新できるかわかりません!
ごめんなさい!
今週も最後まで読んでくださってありがとうございました。
そして感想を寄せてくださった方、心から感謝申し上げます。
数あるWeb小説の、この作品のためにわざわざ感想を書いてくださる。
本当に嬉しく、執筆の励みになっております。
なかなか返信はできませんが、どうかこれからも感想や気づいたこと、気になったことなどをお寄せいただけると嬉しいです。
それではまた次回の更新までお待ちください。




