第56話 貴族の宿痾
今回はリスランテ視点でのお話です
Side リスランテ
浅い眠りの中で自分を呼ぶ声に眼を開ける。
ぼんやりしていた意識が少しずつはっきりしてくるが、いつもならすぐに焦点を結ぶ視界がなかなか思うように合わない。
入り口の傍で立っているクレジェスが心配そうにこちらを見ているのに気付いて、小さく溜め息を吐きながら身体を起こす。
強い倦怠感とほんの少しの頭痛。
体調不良というよりただの寝不足だろう。
別にベッドに入った時刻が遅かったわけではないけど、なかなか寝付くことができずにうつらうつらしているうちに朝になってしまったようだ。
「おはよう、クレジェス。手間を掛けてゴメンね」
「いえ、ですがリスランテ様が寝坊されるのは珍しいですね。お体の具合でも?」
「ううん、ただの寝不足だよ。このところ色々ありすぎてるからね」
家の命令で僕の世話係をしているクレジェスだけど、それなりに親愛の情はもってくれているらしく、僕が体調を崩すと献身的に世話を焼いてくれる。
そんな彼女を心配させないように軽く笑ってベッドを降りる。
……本当に最近はいろいろありすぎてその疲れもあるのは嘘じゃないからね。
クレジェスの手を借りつつ手早く制服に着替えて寮の食堂で軽い朝食を摂る。
別に彼女に手伝ってもらわなくても着替えや準備くらいは一人でできる。というか、いい歳して自分の身の回りすらできないようなのは話にならない。けど、全部自分でしようとするとクレジェスが悲しそうな顔をするので仕方なく手伝ってもらっている。
所詮は実家の指示で就いた役割なんだから何もそんなに生真面目にならなくてもと思うけど、性格だから仕方ないと諦めている。
そんなこんなでいつもより少し遅れて学院の校舎に向かって歩く。
貴族科の校舎に繋がる辻を曲がると、30リード(約24m)ほど先を歩く見慣れた後ろ姿が目に入った。
「フォー……」
呼びかけようとした声は途中で尻すぼみになる。
フォーの傍らに、小柄な女性の姿が寄り添うようにしているのが見えたからだ。
エリウィール・クーヴェ・モクモス嬢。
つい先日フォーが成し遂げた火竜討伐の原因となった令嬢で、それ以来領地を救済した礼という名目で彼に秋波を送っているらしい。
熱心にフォーに話しかけているエリウィール嬢を目にして、胸にチクリとした痛みが走る。
僕がフォーと知り合ったのは学院に入学した頃。
実家が帝国随一の名門、フォルス公爵家ということで、幼い頃からひっきりなしに持ち込まれる縁談や、なんとかして親しくなろうと下心満載で近づいてくる貴族令息を相手することに辟易していた僕は、学院に入学する前頃から令嬢らしからぬ男装をして口調も男言葉を話すようになっていた。
まぁ、そのことで近づいてくる貴族令息が減ったかというと、実際の効果は気休め程度といった具合でしかなかったけど。
ただそれでも僕が貴族令息に対して冷淡で、一切縁談にも興味を示さない変わり者という評判は広まったらしく、多少は楽になっていた。
そんな状態だったので、学院に入学した当初はそれなりに慎重に周囲と距離を取っていたのだけど、そんな僕にごく自然体で接してきたのがフォーディルトだった。
最初に会った彼の印象は、人慣れしている野生動物のような男というものだ。
人当たり良く気さくで、穏やかそうに見えるのに決して馴れ合わない。
彼の実家であるレスタール辺境伯家のことは幼い頃から聞いていた。
下級貴族や市井では辺境の蛮族、魔境の野獣や魔獣を狩る人外の力を持つ種族などと言われて恐れられ忌避されているだけだけど、高位貴族の、特に当主たちの認識はそれに留まらない。
わずか千人の狩人が万を超える軍を蹴散らす。
聞いただけで荒唐無稽と笑われるような話が事実であると語り継がれていた。
同時にその危険性も。
レスタール家とその領民は帝国の臣民ではあるけれど、それは服従しているというわけではなく、過去の契約に基づいて従っている。
彼らは帝国の法を尊重しつつも、優先するのは魔境の掟であり、それに反することはたとえ皇帝陛下の命令であっても拒否するし、それが許されている。
それ故に、皇帝以外の者はどれほど高位な貴族であっても過度に干渉してはならないという認識が共有されている。
実はフォーが学院に入学する数年前、現レスタール辺境伯ガリスライ殿と確執、というか内容を聞けばただの逆恨みに過ぎないのだが、それを抱えていた高位貴族のひとりがレスタール家の特別待遇を不服として議会で騒いだことがあったらしい。
隣国との戦争で帝国を救ったというレスタール兵の逸話も遠い過去の話として、同調する高位貴族もそれなりに居たそうなのだけど、3年前、同盟国に侵攻したジェスビア王国の軍勢数万を、まだ学院に入学すらしていないフォーディルトが率いるたった千名の狩人が蹴散らす、のを通り越してジェスビアの王都を急襲して国王や高位貴族を捕縛。侵攻を受けたプリケスク王国の女王の前まで引きずってきたのを知った途端に口を噤むことになった。
事前にその話を父から聞いたいた僕は、イメージしていた印象とまったく違う、男性にしては小柄で人好きするフォーと話をするうちに親しくなり、今に至っている。
接するうちに飾らない人柄というと聞こえは良いけど、実際には嘘がつけず感情がすぐに顔に出るところや、時折見せる落ち込んだ姿、それに怒った時の周囲を圧倒するほどの威圧感やトラブルに見舞われた時の野生の獣のような精悍さに惹かれていった。
異性に心囚われるのは初めてのことで、戸惑ったり胸が苦しくなったけど、それも含めて彼の隣で過ごす日々はかけがえのないものに思える。
フォーは自領ではなく他領の、下級貴族の令嬢と結婚するという目的がある。
少し前にレスタール領に行ってそれは納得した。確かにアレはフォーの性格だと避けたい環境だろうと思う。
叶うならば僕が、と思っているのだけど、そちらは身分的な問題が立ちはだかっている。
辺境伯家と公爵家。
爵位だけで言えば、高位貴族同士の婚姻は周囲、特に皇室が警戒するだろうけど、必ずしも無理な組み合わせではない。
問題なのはレスタール辺境伯家と僕の実家、フォルス公爵家が結びつくことだ。
帝国で特殊な立ち位置を保つレスタール家と、帝国開闢以来の名門にして、唯一代々公爵位を継承することを許されたフォルス家。
皇帝に絶対の忠誠を貫いてきた実績を見れば、強大無比な武力を誇るレスタール辺境伯家との結びつきは皇帝陛下の力が増すことと同義だと言えるけど、反対に、皇帝の代理として権勢を振るう権限があり、他家を圧倒する豊かな領地と長い歴史に裏打ちされた影響力を持つフォルス家が、皇帝陛下にすら御することのできないレスタール家と繋がることで皇室の権力が脅かされるという見方もできる。
これには皇室も高位貴族も簡単に認めるわけにいかないだろう。
今の状況で僕がフォーと結ばれるためにはどちらかが実家と完全に縁を絶つくらいしか方法がない。
僕も高位貴族の家に生まれた者として彼ではなく、別の相応しい立場の相手を選ぶべきだということは理解している。
でもどうしても諦めきれず、フォーに相応しくない言動をする令嬢や、問題になりそうな立場の令嬢をそれとなく誘導したり、彼が距離を縮めようとする令嬢に領地を案内する旅に同行するという恥知らずな真似までした。
そんな僕を見かねた父は、以前は僕の意思に任せるといっていた縁談を持ってくるようになった。
父なりに娘の将来を心配しているのだろう。
もちろん僕も両親を愛しているし、弟妹への愛情もある。それにフォルス家に生まれたことを誇りに思っているし、強い思い入れもある。だから家を捨ててフォーのところに行く覚悟は持てないでいる。
気がつけば足が止まっていたのだろう、フォーの姿はとっくに見えなくなっていて、僕の傍を急ぎ足で追い抜いていく数人の学院生がいるばかりだった。
いつまでも思い悩んでいても仕方がない。
何か良い方法が見つかるまで、可哀想だけどフォーが婚活に失敗することを願いつつ、校舎に向かって足を速めた。
この日の授業が終わり、学院内は賑やかな活気に包まれている。
フォーはこの後、ボーデッツと街に遊びに行くらしく、どことなく気まずそうにしていたのであまり深く突っ込まずに見送った。
彼は彼でエリウィール嬢との距離感が掴めず疲れていたようなので気晴らしが必要だろう。フォーのことだから羽目を外しすぎることもないだろうし、そこはあまり心配していない。
……そんなことができる性格ならとっくに婚活成功させているだろうしね。
なので、僕はのんびりと本を読んで過ごそうと学院内にあるカフェテリアに来ていた。
公爵令嬢という立場のせいで僕に近づこうとする生徒は多いけど、隅の席で本を読んでいるとあまり気付かれないし、気付かれたとしてもさすがに不躾に声を掛けてくる人はほとんどいない。
本なら自室で読んだ方が落ち着けるだろうと以前フォーに言われたことがあるけど、僕は本を読みつつ、見るとはなしに周囲の様子を感じたり、聞こえてくる声や音に耳を傾けるのが気に入っている。
目立ちにくい片隅で本に目を落としていると案外気付かれないもので、思いがけない面白い話を聞くことができたりもするのだ。
「それでは、レスタールの令息と結婚されるの?」
突然聞こえてきた、どこか蔑むような声色が滲む言葉に、思わず項をめくる手が止まる。
「ええ。父はそれを望んでいますので」
「それは、ご愁傷様ですわ。確かにレスタールの若君は火竜退治の英雄などと呼ばれているそうですけれど、嫁ぐのはあの魔境のただ中にある田舎町でしょう? わたくしなら耐えられませんわね」
「住んでいるのは粗暴な蛮族ばかりとも聞きますわね。火竜討伐も功績を独り占めしてせっかくの素材を全て捨ててしまったとか。戦うしか能のない野蛮人と添い遂げるなど恐くありませんの?」
令嬢たちのフォーと彼の故郷を蔑む言葉の数々に、本を持つ手に力が入る。
あの令嬢たちが彼の何を知っているというのか。
そしてレスタール領に暮らす人々の実直で素朴で、それでいて力強い生き様を知りもしない苦労知らずの子供が好き勝手に囀るのに怒りがこみ上げる。
けれど、僕は何とかそれを堪えて、顔を上げないまま令嬢たち、その中の話の中心に居る令嬢を盗み見る。
会話の内容から察した通り、その令嬢はここ最近フォーディルトに接近していたエリウィール嬢だった。
彼女は友人と思われる令嬢たちの言葉を否定することなく、ただ曖昧な笑みを浮かべているだけだった。
「……レスタール辺境伯家は帝国でも特別な地位にある高位貴族ですわ。社交はまったくしないにもかかわらず、皇室すらあの家には配慮しているほどの。作物は取れないそうですけれど魔境で狩られる獣や鉱物は豊富で財政は潤沢のようですの。モクモス子爵家にとってはまたとない縁でしょう」
「確かに、それはそうかもしれませんけど」
「でも、あの魔人卿が夫になるというのは」
「いずれにせよ、婚姻など貴族の家に生まれた以上は家のために必要かどうかだけでしょう」
納得できず顔を見合わせる令嬢たちに、エリウィール嬢は微笑みながらそう締めくくった。
「……僕の大切な友人に好き勝手言ってくれるね。まがりなりにも辺境伯家、第三階位の地位にある家の嫡子に対して言っていいことの区別も付かない令嬢が学院に居るとは思わなかったよ」
「ふ、フォルス公爵令嬢様!?」
「も、申し訳ありません! わ、わたくしたちは、その」
会話が終わるのを見計らって僕が声を掛けると、令嬢たちは途端に慌てだした。
僕がフォーと親しいのは学院の誰もが知っていることだ。
友人を悪く言われて喜ぶような人は居ない。それがよりによって自家より遙か高位の貴族令息を悪し様に蔑んでいたのを公爵令嬢に聞かれていたのだから必死になって弁明するのも無理はないだろう。
フォーが陰で悪口を言われているのは彼自身も知っているし、本人はそれほど気にしていないようだけど、僕としてはとても容認できない。かといって目の届かない場所で言うのを止めさせることなどできるはずもなく、ただ不快な思いを押し殺すことしかできないのがもどかしい。
慌てふためく令嬢たちとは違い、エリウィール嬢は驚いた様子は見せたものの特に動揺することはなかった。
彼女はただ令嬢たちの言葉を聞いていただけで同調したり一緒になって罵っていたわけではないからだろう。
僕からすればフォーを擁護しなかった時点で同罪なのだけどね。
「あの、こ、この後所用がありますので失礼させていただきます。この度のお詫びは後日」
「わ、わたくしたちも失礼します」
顔色を真っ青にして足早に逃げ出していく令嬢たちを冷めた目で見送る。
別に彼女たちにこれ以上何かするつもりはない。
僕に聞かれていたのを知ったというだけで十分に肝が冷えただろうからね。しばらくは眠れない夜を過ごすことになるだろう。
そして彼女たちが見えなくなったところで、僕はエリウィール嬢に向き直る。
「……ずっと聞いておられたのですか?」
眉を寄せて聞いてくる彼女に僕は頷いてみせる。
「友人の名前が出たから気になってね。それはそうと、ひとつ聞いてもいいかい?」
「名門フォルス家のご令嬢からの質問に否やはありません」
皮肉を込めてだろう、ご大層な言い方に苦笑いが出る。
「エリウィール嬢はてっきりフォーディルトに助けてもらったから恩を返すために彼の側に来たのだと思っていたのだけど、違うのかな? さっきの話だと父親からの指示のようだけど」
「恩は感じております。縁も所縁もない私の頼みを聞いて宰相閣下に談判までしてくださったと聞いておりますし、自ら赴いて火竜を討伐してくださったのですから」
曖昧な返答。
僕は内心の苛立ちを表に出さずにさらに言葉を重ねる。
「モクモス子爵家は今難しい立場らしいね。フォーディルトと縁組みすることでレスタール辺境伯家の後ろ盾を得てコーリアス侯爵の歓心を買うという心算かな?」
エリウィール嬢の頬がピクリと動く。
「父の考えることですので、私にはわかりかねますわ」
遠回しの肯定。
事実、火竜によって被害を受けたモクモス子爵領は皇帝陛下の配慮で復興の支援と治安維持のための国軍派遣を受け入れたことで表向きは落ち着いた情勢になっている。
だけどモクモス子爵の寄親は貴族の権限を拡大して皇室の権力を抑制することを主張する貴族派の筆頭コーリアス侯爵だ。
侯爵の援軍があっさりと壊滅させられ、仕方なくどの派閥にも属さずかつ強大な武力を持っているレスタール辺境伯家に助けを求めたところ、結果的にコーリアス侯爵の頭越しに国軍の派遣が決定してしまった。それも皇帝陛下の勅命によってだ。
不仲と噂される宰相、つまり僕の父に借りを作りたくないコーリアス侯爵が手をこまねいているうちに、結果として貴族派ではなく皇室の力で事態が終結したわけで、侯爵としては切っ掛けとなったモクモス子爵に怒りが向いてしまった。
子爵の立場としては理不尽極まりないが、寄子が寄親に文句が言えるわけもない。
ならばと、火竜討伐の実質的な達成者であるレスタール辺境伯家を自陣営に引き入れることで侯爵の歓心を買おうと考えたのだろう。
「火竜討伐では恥を忍んで学院生の面前で頭を下げた君に同情してフォーディルトは宰相閣下のところまで話を通してきた。それは純粋に被害に遭っているモクモス子爵領の領民を助けたいと思ったからだよ。それなのに、君は命懸けで戦った彼を利用しようとするのかい?」
「……私は家のためにするべきことをしただけです。もちろんフォーディルト様と縁を紡ぐことができたら心から支えるつもりです」
「モクモス子爵家のために?」
「それは貴族家に生まれた者として当然では?」
僕の言葉が心底不思議そうに首をかしげるエリウィール嬢。
「うん、そうだね。君は何も間違ったことはしていないよ。家のために尽くす。たとえそれが自分の意思ではなかったとしても、家長が命じればそれに従う。貴族令嬢としてまさにお手本だろうね」
「…………」
実際、彼女の態度こそが貴族令嬢として求められていることだろう。
実家の利益のために全てを犠牲にしたとしても尽くす。
思えば彼女がフォーに向かって地面に頭を擦りつけたのも、そのために身体を差し出してでも願いを聞き届けてもらおうとしたのも、全てはモクモス子爵家のためにしたこと。
でも、だからこそ、フォーの相手として彼女は相応しくない。
「知っているかい? フォーディルトはね、結婚したら馬鹿みたいにイチャイチャして過ごしたいんだって」
「……は!?」
僕の言葉にエリウィール嬢が困惑した表情を浮かべる。
「仕事が終わったらすぐに家に帰って、温かい食事を一緒に囲んで、その日にあったことや感じたこと、愚痴なんかを言い合いながら、笑って一緒に眠る。それが伴侶に求める一番大事なことなんだってさ。貴族らしさの欠片もない望みだと僕も思うけどね」
「そう、なのですか?」
「エリウィール嬢、それが君にできるかい?」
「…………」
エリウィール嬢が黙りこくる。
「皇帝陛下を含め、全ての貴族はレスタール辺境伯家を政治利用してはならない。高位貴族の当主なら誰もが知っていることだよ。あれだけの力を持つ家とその領民が敵に回ればどうなるかなんて誰もわからない」
「それは……」
「それになにより、君ではフォーを幸せにすることも抑えることもできない」
「…………」
「悪いけど、邪魔させてもらうことにするよ。子爵にも僕がそう言っていたと伝えてよ。君では何も決められないだろうからさ」
最後にそれだけを言って、僕は踵を返した。
さぁて、どうやってフォーを慰めようかな。
今回はそこまで入れ込んでたってわけじゃないから、美味しい串焼きの店でも連れて行ってあげたら喜ぶかもね。
というわけで、今回はここまでです
結局、またもやお嫁さん探しの継続が決定してしまいました
しかもフォーディルト君の知らないところでw
少しばかり評判の悪いリスランテですが、少しは違う一面をみせられたかな?
今週も最後まで読んでくださってありがとうございました。
そして感想を寄せてくださった方、心から感謝申し上げます。
数あるWeb小説の、この作品のためにわざわざ感想を書いてくださる。
本当に嬉しく、執筆の励みになっております。
なかなか返信はできませんが、どうかこれからも感想や気づいたこと、気になったことなどをお寄せいただけると嬉しいです。
それではまた次週の更新までお待ちください。




