第54話 騒動の顛末とモクモス子爵令嬢
ザワザワザワ……
街道を進む帝国軍を近くの街から集まった民衆がざわめきながら見送っている。
彼等の表情は一様に驚き、戦き、安堵と畏怖がない交ぜになった複雑なものを浮かべて視線を一点に注いでいる。
隊列の半ば、見るからに即興で作られたとわかる幾本もの丸太を組み合わせた巨大な橇、その上に載せられているのは少し離れた位置からでも見上げるほど巨大な火竜の亡骸だ。
つい先日まで領内のいくつもの村や街が襲われ、その恐怖に眠れぬ日々を過ごすことになった対象であり、まさしく天災としか思えない人の手には余る恐ろしい存在が、帝国軍によって討伐され、こうして無残な姿を晒している。
その事で、民衆は帝国軍の精強さと、それを擁する帝国の臣民であるという誇らしさを同時に感じることが出来ているようだ。
時折悲鳴じみた歓声を浴びながら火竜を載せた橇は街道を東へと向かっていく。
そう。帝都ではなく火竜山の方向である。
荒涼とした谷に誘い込むことで何とか最小限の被害で火竜を倒すことが出来たカシュエス元帥率いる帝国軍とレスタールの狩人たち。
近接で戦っていた狩人たちを中心に骨折を含む怪我人はそれなりに居たけど、犠牲者は火竜を使って村や街を襲わせていた連中だけで済んだのは僥倖だった。
俺を毛嫌いしていた騎士達もさすがにレスタールの狩人の力を認めざるを得なかったのだろう、随分と受け答えが丁寧になってくれた。この調子でやたらと睨んでくるのが改善されるのを願うばかりだ。
まぁ、それはともかく、今回の火竜討伐で俺たちの果たした役割は大きく、元帥閣下からは皇帝陛下に褒美を奏上してくれるとの言葉をいただいたので、ダメ元で火竜とその子供の亡骸をフォーレ山に帰してやりたいと頼んだのだ。
村や街を襲って多くの人を殺したとはいえ、その原因を作ったのは子竜を攫った連中だ。火竜はそれに怒って子竜を探しながら報復していたに過ぎない。
だから、討伐したのはやむを得ないとしてもせめて生まれ育ったフォーレ山で眠らせてやりたい。
それに、火竜はフォーレ山近隣の住民からは信仰の対象にもなっていると聞いている。それらの人心を落ち着かせるためにもその方が良いのではないか。万が一、他の火竜が仲間意識で帝国に復讐することも防がなければならない。
そんなことを力説すると、カシュエス元帥は少し考えた上で認めてくれたというわけだ。
軍としては何の利もない国内の軍事行動の経費を、希少な竜の素材で補填できなくなるわけで、襲われた街の復興費用だって必要だ。
にもかかわらず、元帥は他の報償を放棄するという条件付きながら了承してくれたのだから感謝しかない。
怪我をした狩人がごねるかもと思ったが、そっちはそっちで好き好んで遠く離れた領地までやってきて火竜と戦えたのが満足だったのと、やはり火竜が哀れに思えたとのことで賛同してくれたというわけだ。……どいつもこいつも戦闘狂ばかりかよ。
んで、一番の功績のある俺たちが、自分の利益を取らずに火竜をフォーレ山に帰すというのに兵士達は文句を言うわけにもいかず、それどころか積極的に手伝ってくれて、巨大な火竜を即席の橇に乗せ、引っ張ってくれている。
こういうのを見ると、殺伐とした兵士達も同じ人間なのだと思えるよな。
そんなこんなで5日ほど掛けて火竜山の麓に到着した俺たちは、少しばかり開けた見晴らしの良い場所に大きな穴を掘り、火竜とその子供を並べて埋葬した。
ただ、討伐の証明として、火竜の片手と顎の一部、首の鱗を採って、狩人流に弔った後に持ち帰ることになる。
こうして一連の火竜襲撃騒動を終えることになった。
帝都、皇宮、謁見の間……
屋内にもかかわらず練兵にも使えそうなくらい広い場所は数百人は居そうな貴族たちが整然と並び、最奥の玉座に向かって頭を下げている。
……俺も。
いや、なんで?
火竜の埋葬を終えた俺は、軍と共に帝都に帰ってきた。
フォーレ山を出て10日ほど。帝都を出立してからは、はやひと月が経過している。
その間、公務扱いになっているとはいえ学院を休んでいたので学業の遅れが心配で仕方がない。
これまでそれなりに真面目に勉強をしてきているので致命的な遅れじゃないとは思っているけど、しばらくは夜遅くまで勉強しなきゃならないのは間違いないだろう。
陛下の厚意で優秀な文官を回してもらえてなかったら過労で倒れてしまうところだった。
ああ、言い忘れていたけど、陛下が紹介してくれた文官さんはまだ20代半ばで平民出身ながら帝国高等学院の政務科を超優秀な成績で卒業した秀才らしい。
ただ、忖度とか上位者に阿るとかをまったくしない堅物で、それでいてとんでもなく仕事ができるものだから他の文官との軋轢がすごかったのだと。
当然、高位貴族や同僚からの嫌がらせや妨害は日常茶飯事で、それをことごとく回避しながら業務をこなしていたというのだから尊敬する。
結局、部署の上司が持て余していたところをウチに転籍する話をして、快諾してもらえたのだ。
もちろん俺が学院を卒業した時点でレスタール領に引っ越すということも決まっている。一度もらった優秀な文官は本人の意思で以外は絶対に返しませんよ。
なので、彼の給金はちゃんとレスタール辺境伯が支払うことになっている。
その条件を提示したらかなり驚かれた。帝都の文官の3倍くらいの給金だからね。その他、領都には家も用意することになっているし、働きによってはさらに割り増しだってする約束だ。
脳筋揃いのレスタール領において優秀な文官というのはそれだけ貴重で厚遇する価値のある存在なのだ。
……それだけの条件を提示しても来てくれる文官が居なかったのは、どれほどレスタール領が嫌われてるんだって話だけど。
ともかく、今では帝都での俺の事務仕事の大部分を処理してくれるのでものすごく助かっているのよ。確かに頑固で融通が効かないところがあるけど、大雑把でいい加減な連中ばかりのレスタールでは逆にありがたい。
彼の方も嫌味や誤魔化しとは縁遠いレスタールの気質を気に入ってくれたみたいだし。
話を戻そう。
そんなわけで帝都に戻った俺たち。
第3騎士団と第4兵団は元の駐屯場所に帰り、カシュエス元帥と俺はその足で宰相府に報告するために皇宮へ。
ちなみにレスタールの狩人たちは現地解散で、今頃レスタール領で土産話に花を咲かせているはずだ。怪我をした連中は少々揶揄われているだろうけど。
で、子竜を使って騒動を起こしていた連中に関してはカシュエス元帥に一任していたので、宰相閣下には状況の説明と火竜討伐の完了を報告して終わり。
の、はずだったのだけど。
皇宮に到着するなり政務官の指示で謁見の間に連れてこられ、沢山の貴族たちの視線を浴びながら何故か最前列へ。報告相手のはずの宰相閣下も玉座の隣でいつもの堅苦しい顔で突っ立っていらっしゃる。
これが今の状況なわけで、確かに火竜が帝国の街を襲ったというのは一大事と言えるけど、皇帝陛下がわざわざ出てくる必要があるとは思えないんだが。
それとも他になにか理由があるんだろうか。
チラリと俺と同じく連れてこられたカシュエス元帥の顔を見るが、さすがの元帥閣下は表情ひとつ変えることなく鹿爪らしい顔で泰然としていらっしゃるわ。
そんなふうにとりとめもなく思考を巡らせていると、儀仗兵の声が響き、皇帝ライフゼン・フォル・レント・アグリス陛下が謁見の間に入って来た。
この場にいる全員が一糸乱れぬ姿で頭を垂れるなか、皇帝陛下はゆっくりと貴族たちの前を通過し、玉座の前に立ったのが気配でわかった。
「楽にせよ」
その言葉でようやく頭を上げる。
もちろん言葉どおり気楽な姿勢なんかすれば大顰蹙なので顔をあげるだけだ。陛下ならただ笑って済ませるような気もするけど。
「さて、皆もすでに聞いているだろうが、カシュエス元帥を司令官として第3期師団及び第4兵団、第9兵団の奮闘により、帝国南東部の村や街を襲っていた火竜を見事討伐せしめたこと、誇りに思う。カシュエス、ご苦労だった」
「ありがとうございます。これも陛下の薫陶あればこそ。優秀な騎士と兵士、それから……」
元帥が言葉を途中で止めて意味ありげに俺に視線を向ける。
すっげぇ嫌な予感。
「今回は頼りになる助っ人が居りましたからな。まぁ頼もしすぎて我々は大して活躍もできず火竜が討伐されてしまったわけですが」
余計な事は言わないでほしい。
「ククク、レスタールの狩人たちを我々の尺度で測ることなどできないだろうよ。ガリスライで貴様も思い知っているであろうが」
「お互い散々振り回されましたからな。後始末も教師からの説教も全部押しつけて逃げたことは今でも恨んでおりますよ。それでいて誰よりも強かったので反省させることもできませんでしたから。陛下と私、オズワルト(フォルス公爵)の3人でやけ酒を喰らっていたのを思い出しますな」
……お父ん。勘弁してくれ。
「ともかく、功には賞で報いねばならん。軍を率いた元帥には勲一等と東部直轄領から爵位に見合う領地、それと子爵位の推薦権を与える。従軍した者達には一律に報賞金を支給する。フォーディルトとレスタールの狩人たちの報酬は火竜の亡骸を火竜山に埋葬するという形で支払われたと聞いているが、それだけでは淋しかろう。財務府に命じてあるから受け取っておけ」
「ありがとうございます」
これは素直に嬉しい。次回の帰省の時のお土産代にしよう。
カシュエス元帥は元は領地を持たない軍閥貴族だったのが、領主貴族となった。官位に変更はないが事実上の昇進だ。以前から軍での功績によって拝領されるだろうとは聞いていたけど、今回のことが決め手となったのだろう。
高位貴族を含めた大勢の貴族たちの目の前で楽しげな皇帝陛下と、君主と臣下の分を弁えながらも気安く言葉を交わすカシュエス元帥。
会話だけ聞いていると実にほのぼのしたものなのだけど、謁見の間の雰囲気はそれとはほど遠い緊張したものを維持したままだ。
その理由は、ひとしきり恩賞の話を終えた皇帝陛下が改めて貴族たちを見下ろしながら発した言葉ですぐに明らかになる。
「無辜の民を襲った火竜が誅されたことは誠に喜ばしく、それをなした者が帝国の臣民であることは実に誇らしい」
陛下はそこまででいったん言葉を切る。
「だが、残念なことに、領地を預かりながら責務を果たさず、火竜が現れても穴蔵にこもって震えていただけの者が居たという。トルス男爵。言い訳があるのなら言ってみるがいい」
その言葉に、謁見の間の隅っこで小さくなっていた小太りの男がビクリと肩を震わせた。
貴族たちの視線が男に集中する中、小突かれるように押し出されてヨタヨタを前に出てくる。
「お、恐れながら、わ、私は火竜に対応するために衛兵を集めて協議していただけで、けっして務めをおろそかにしていたわけでは……」
真っ青な顔で声を震わせながら必死に言い訳をする男。考えるまでもなく、街が火竜に襲われているのに住民の避難誘導もせずに衛兵の半数以上に護衛させながら領主館に引きこもっていたトルス男爵だろう。
もちろんそんな言い分が通用するわけもなく、陛下とカシュエス元帥から睨みつけられ、だんだん言葉が尻すぼみになる。
「職務を全うし命を落とした衛兵50余名を含め、トルスの街の住民が200名以上虐殺された。あの日に軍が到着することは事前に通知されていたはずだ。貴様が適切な対応を執っていれば軍の到着まで時間を稼ぎ、住民の多くが避難できた可能性が高いだろう」
「そ、それは……」
トルス男爵に同情できる部分がないわけではない。
人知を超えた力を持つ火竜を相手に、最低限しか居ない衛兵に命を捨てて戦えとは酷なことだろう。
だがそれでも普段領民から税を徴収し、数多くの特権を享受する貴族という立場で逃げることは許されない。
もちろん家の存続のために跡取りや家族を避難させるのは問題無いが、領主自身は陣頭に立って住民を守る責任がある。仮にそれが形骸化されていたとしても、建前を守ろうとする気概くらいは必要なのだ。
それすらせずに引きこもっていたとなれば領主として不的確と判断せざるを得ないだろう。
……レスタールだったら逆に全部の責務を放り出して領主自ら嬉々として火竜に突撃しそうなので、それはそれで領主失格のような気もするけど。
「トルス男爵の領地は皇室預かりとし、代官を派遣する。再び領主として認めるかは代替わりの際に審査の上決定する」
陛下がそう言うと、トルス男爵は膝から崩れ落ち、悄然とした表情のまま項垂れた。
爵位はかろうじて維持されるが領地に関する権限は全て剥奪され、当主が交代するまではそれが覆ることはないという宣告は、実質的に貴族として終わったということだ。
跡取りがよほど優秀でなければ次代には平民落ちとなるだろう。
「さて、次だ」
「っ!」
どうやら今のは前哨戦のようなもののようで、陛下の言葉に貴族たちからピリッとした空気と、息を呑むような音が微かに聞こえた。
「この度の火竜の襲撃は人為的に誘導されたものだということが判明した。そうだな? カシュエス元帥」
「はっ。火竜の子供を保存の魔法が込められた箱に入れ、襲撃させようとする街に運んで臭いを付けて回っていた者どもを捕らえました。尋問の結果、西南部から流れてきた傭兵たちだということと、今回の件が帝国内の混乱を企図した騒動であることはわかりましたが、残念なことに、使い捨てのつもりだったようで命令した者に関する情報は得られませんでした」
淡々と語る元帥の言葉に、貴族たちからわずかに弛緩した吐息が漏れる。
……アイツか。
いまだ緊張の糸が張ったままの貴族たちの中で、不自然なタイミングで息を吐いた貴族の顔を覚えておく。
けど、顔を見ても誰だかまではわからない。
貴族づきあいが極端に少ないせいなのだけど、役にたたないな、俺。
「ふん。このようなつまらぬ嫌がらせをしてくる者などわかりきったものだ。それに協力している獅子身中の虫もあらかた目星はついているぞ」
そう言って不敵な笑みを見せる皇帝陛下の言葉がどこまで本当かはわからない。
帝国に敵意を向けている国はいくつもあるし、帝国の混乱や衰退を望む個人や組織なんてそれこそ数え切れないほどだろう。
貴族たちだって一枚岩とはほど遠く、貴族派や皇帝派などの主要なものだけでなくいくつもの派閥が複雑に絡み合っている状況らしい。
計画を立てたのがどこの国なのかは別としても、少なくとも帝国内の貴族の協力がなければ火竜を使って混乱を起こすなんてことはできないはずだ。
陛下が口に出すことで裏切り者の動揺を誘い、シッポを出すのを狙っているのかもしれないな。
まぁ、正直言って貴族たちの権力争いも、事件の犯人捜しも俺たちには関係の無い話だ。
どこか良いタイミングで退出できないものか。
いい加減面倒になってきた俺は、そんなことを考えつつ宮廷の駆け引きが終わるのを待っていたのだけど、またもや陛下が俺に目を向けてきたので姿勢を正す。
「つまらぬ話はここまでにしよう。この度、火竜の被害を一番受けたモクモス子爵には復興の支援をおこなう必要があろう。衛兵にも相当数の被害があったと聞く。人員の補充と訓練が終わるまでは第9兵団から三個大隊を派遣し、復旧作業と治安維持にあたらせる」
陛下がそう言うと、一人の壮年の男性と若い女性が歩み出て膝をついた。
「陛下のご温情に感謝の言葉もありません。この御恩は我が一族が末代まで忠誠を尽くすことでお返ししていきたいと存じます」
「うむ。貴公が実直に領地を治め、帝国に貢献しているのを余は高く評価している。この度の措置はそれに報いるという意味もある。これからも帝国の、ひいては帝室のために励んでもらおう」
モクモス子爵の言葉に満足そうに頷きながら陛下が告げると、子爵はさらに平伏しながら何度も感謝の言葉を口にした。
「だが子爵よ。感謝するべきは余だけではあるまい」
「は、はい。レスタール辺境伯令息フォーディルト様には、娘と学院が同じというだけの繋がりにもかかわらず無理な願いを聞き届けてくださいました。名高い辺境伯領の狩人の方々を率いての救援、なんとお礼を言えばいいのか。さらに、悪意ある策謀によって我が領の民を襲ったとはいえ、火竜は長らく尊崇の念を集めていた神獣。その亡骸を辱めることなくフォーレ山に埋葬し供養してくれたと聞き、慈悲深く高潔な志に心から感服しております。今はまだ難しいですが、いずれ改めてお礼をさせていただければと存じます。さしあたって、我が娘エリウィールがフォーディルト様の学院生活の手伝いを申し出ておりますので何でもお申し付けください」
…………はい?
モクモス子爵のなにやら含みをたっぷり持たせた言葉と、その隣で頬を染めている令嬢に、俺の思考が止まってしまった。




