第53話 竜殺し爆誕!
広大な帝国。
南東部のトルス男爵領やモクモス子爵領もだだっ広い平地ばかりというわけではなく、川が流れ、山や谷も森もある。
なので街道はそれらを縫うように比較的平坦な場所を選んで通っているのだけど、その街道から少し外れた場所にある岩だらけの干上がった谷で数千人の兵士が慌ただしく動き回っている。
「順調だな。だが、トルスの街からはかなり離れているが大丈夫なのか?」
兵士たちの動きを高台から見下ろしながらカシュエス元帥が訊いてくる。
「多分? 一応、こっちの準備ができ次第、ウチの連中が誘導してくることになってるから大丈夫だと思いますよ」
元帥の言葉どおり、今居る場所は火竜が最後に襲ったトルス男爵領の領都から西に2日ほど離れた場所だ。街道からも結構離れている。
大昔、それこそ記録にも残っていないくらい昔に噴火した火山の麓に位置するここは、周囲に背の低い灌木と頼りない雑草が点在するだけで、生き物の姿はほとんどない荒涼とした地域だ。
なんでこんな場所に布陣したのかって?
空飛んで火まで吐きまくる火竜を相手するのにだだっ広い平原や、炎に巻かれかねない森なんかを選ぶのは自殺行為でしかないわ。
その意味で、燃え広がるような木がほとんどなく、膨張と噴火、隆起と崩落を繰り返した古い時代の火山地帯で地形に起伏が多く谷間や遮蔽物となる大きな岩がいくつも露出しているこの場所は火竜を迎え撃つには最適なのだ。
さらに加えると、この谷は水の月から陽の月に掛けて帝国南部を中心に連日降る雨が集まり濁流となって流れるところで、その季節を過ぎると完全に干上がって崖に挟まれた道のようになる。
ここでなら火竜が谷底にいる人間を襲うためには一方向からしか来ることができず、しかも地面に降り立ったときは両崖の上から攻撃することができるわけだ。
んで、肝心の火竜をどうやってここに引っ張ってくるかというと、つい先日トルス男爵領の街を火竜に襲わせた犯人どもをとっ捕まえて火竜の子供の死体を確保したので、それを使って誘導する。
具体的には、連中がやっていたようにトルスの街からここまで、レスタールの狩人が子竜の臭いを付けながら移動することにした。
魔獣相手とはいえ、こういう子供をダシにして罠を張るような真似はレスタールの流儀じゃないけど、時間も他の方法も無いので今回ばかりは仕方がない。
ちなみに、あの連中をどうやって追いかけたかというと、ごく単純な方法。レスタールの狩人のひとりが臭いを辿った。
連中は子竜の保存と臭いが漏れるのを防ぐために、中身を冷却する機能のある魔法具に入れて移動していたようだけど、やっぱり多少は臭いが漏れるのは防ぎようがない。
普通の人間や、空を飛んで子竜を探していたであろう火竜が気付けないほど微かな臭いでも、狩人の鋭敏な嗅覚なら追うことができるのである。
……まぁ、それができるのはウチでもほんの数人しか居ないだろうけど。
そうやって追いついた先で何やら不穏な会話を繰り広げていた連中に、俺たち狩人は全力で気配を殺し、移動を始めようとしたところを捕まえることができた。
いや、別に戦ってないよ?
抵抗は、しようとした仕草はあったけど、わざわざ向こうの態勢が整うまで待ってあげる必要は無いのでサクッとぶん殴って縄で縛って引きずって帝国軍に引き渡した。
それから丸一日。
必要な情報を尋問(拷問?)で聞き出し終えた元帥の満足そうな、それでいてものすごい殺気を放出する笑みにビビりながら作戦を立案。
連中の目的がどうであれ、まずは火竜をなんとかしなければならないわけで、仮に子竜の死体をフォーレ山に返したとしても人間に恨みを持った火竜がこの先人間を襲わないという保証がない、というか多分襲う。
なので、原因を作ったのは人間の方で、実に身勝手だとは思うが討伐する方針に変更はないわけだ。
んで、阿呆な連中はどうなっているかというと、眼下の谷底に突き立てられた何本もの杭に、綱で足を繋がれた状態で座り込んでいる。
死んではいないし、多少動ける程度には治療されているが、全身包帯だらけで満身創痍という状態。
当たり前だけど武器の類は全て没収されて、綱を切ることもできず、周囲を数千人の兵士に取り囲まれているので逃げられない。
元々は情報を聞き出した後は処分(!)される予定だったらしいこの連中。まぁ、どうせ捨て駒でしかなく証拠能力としては役にたたないので養ってやる義理はないということらしい。
だから、というわけでもないけど、彼らには自分のしたことのケジメをその身でつけてもらう。
せめて火竜には子供の敵討ちくらいはさせてやらないと浮かばれないだろうからな。
一応お情けとしてある程度は動き回れるよう綱は20リード(約16m)の長さはあるし、木剣(普通の剣だと綱を切って逃げようとするかもしれないし)を渡してあるから少しくらいは抵抗できるだろう。多分?
そうこうしているうちに準備が完了したようなので、いよいよ作戦開始。
事前に打ち合わせた通り、今頃ウチの狩人が子竜の死体が入った箱を開け放った状態でこちらに向かっているはず。
さすがに空を飛ぶ火竜は相当速いはずだけど、まぁ、なんとか追いつかれる前に到着できるだろう。
1刻後。
「来たぞ!」
目の良い狩人の声に、兵士たちが岩陰に隠れたまま弩弓の弦を巻き上げはじめる。
わずかに遅れて一抱え以上ある箱を背負った狩人のひとりが谷に走り込んできて、繋がれた阿呆どものすぐそばに箱を降ろす。
ギュルガァァァ!!
「ひぃっ!!」
「く、来るなぁ!」
「た、助けてくれぇ!」
フォーレ山に侵入して子竜を殺し、親竜が気付く前に死体を回収して撤収するなどという大それたことをしでかした連中にしては、かなり情けない悲鳴を上げながらなんとか逃げようとしている工作員たち。
もちろん地面深く打ち付けられた杭に繋がれた状態で逃げられるはずもなく、怒りの咆吼を上げながら着地した火竜がふたりほど踏み潰す。
グゥキュルルルゥゥ。
着地した火竜は工作員たちに構うことなく箱の中の子竜に鼻を押し当て、悲しげな声を上げる。
ある程度の知能を持った生き物は親や子、仲間の死を悲しむ。長く生きているらしい火竜も同じなのだろう。
ましてや、居なくなった子竜を探してフォーレ山から遠く離れた街を襲うくらいなのだ。その動機は間違いなく子供に対する愛情だ。
そしてそれは子竜の死骸を見てすぐさま怒りに変わる。
ガァァッ!!
「ぎゃあぁっっ!!」
短く、鋭い声を上げて火竜は目の前の数人に前足を振る。
ひとりは悲鳴を上げる間もなく胴体を分断され、ひとりは咄嗟に庇った腕をえぐり取られ、ひとりは逃げようと背を向けた瞬間に肩から上を吹き飛ばされた。
ゴォォォォ!
残りは火竜の吐く炎に巻かれてあっという間に真っ黒焦げ。
まさに瞬殺。
キュォォォォォ。
火竜以外に動く者が居なくなった谷底に子竜に向けた弔いの声が響く。
だがそれはすぐに止まり、代わりに苛立ったような唸り声を上げ始める。
その理由は俺とレスタールの狩人たちが崖のなだらかな場所を駆け下りて火竜の前に立ったからだ。
愛おしげに子竜に擦り寄せていた顔を上げ、鋭い目をこちらに向けてくる。
そして、俺に視線を止めると即座に臨戦態勢に入った。
どうやら街で手傷を負わせた相手が俺だと気付いたようで、油断なく俺たちを睥睨するといつでも飛び立てるように翼を広げる。
「今だ、放て!!」
直後、崖の上からカシュエス元帥の怒号が響き、三人がかりで支えられた弩弓から丸太のような矢が放たれる。
不安定な態勢から射たれた矢の命中率は高くないが、それでも十数本の矢が火竜の翼の皮膜を突き破り、数本が翼の根元に命中して突き立つ。
悲鳴のような火竜の叫び声が響き、破れた翼を羽ばたかせるがわずかに身体を浮き上がらせるのが精一杯のようで飛び上がることはできない。
火竜の翼は大きいとはいえ、巨体を空に舞わせるには明らかに小さい。
研究者によると空を飛ぶ竜種は翼を媒介にして魔法に似た力で飛んでいるらしく、鳥のように身体の割に体重が軽いというわけではなく、巨大で頑丈な身体と見た目どおりの重さで自在に飛び回るという矛盾した存在なのだ。
だがそれでも翼が飛ぶための重要な器官であるあることは間違いないらしく、著しく損傷した翼で飛ぶことはできない。
俺たちがわざわざ火竜の目の前に姿を現して挑発したのはこれが狙いだったわけだ。
予想したとおり、翼やその付け根部分は竜の身体の中でも比較的弱い箇所だったようで、弩弓による攻撃はそれなりのダメージを与えることができたようだ。
それでも致命傷までは到底おぼつかず、火竜は苦痛に身を捩りながらも、敵意をむき出しにしてこちらに向かって炎を噴く。
さすがにいくら頑丈な狩人たちといってもそんなものを食らえばタダではすまない。
俺たちは事前に用意した、取っ手を付けた大きな木の板に泥を分厚く塗りつけた盾で炎を受け止める。
ものすごい熱気が盾越しに伝わってきて周囲の空気で肌がチリチリと焼けてくるのがわかる。
火竜といえどもいつまでも炎を吐けるわけではなく、十を数えたくらいで火炎放射は止まり、その瞬間を狙って俺たちは火竜に向かって走り出す。
げっ!
盾に塗ってた泥が陶器みたいな音を立てて割れてるんだけど、どんだけ火力が強いんだよ。
背筋に冷たいものが流れるが、躊躇している暇なんてあるわけない。
俺たちはでっかい焼き物と化した盾を投げ捨てて、一気に火竜の至近に飛び込むと、思い切り戟を後ろ足に叩きつける。
ドズン!
生き物から出ると思えない鈍い音と共に渾身の力を込めた戟がわずかに食い込み、そして弾かれてしまう。
負わせた傷も流れた血もわずか。
けど、それは攻撃するのが俺だけだった場合だ。
俺の一振りに続いてレスタールの狩人たちが一斉に火竜に攻撃を仕掛ける。
大鉈が、鉞が、戦斧が、大剣が火竜に振り下ろされ、頑丈な鱗に覆われたさすがの火竜も身体にいくつもの傷を負う。
そして、
「第二射、放てぃ!!」
再び崖の上から元帥の号令が響き、弩弓の矢が降り注ぐ。
俺たちが居るのにお構いなしだけど、これも事前に頼んでいたことだ。
相手は数十リードもある巨大で、怒りに燃えた、それも手負いの火竜だ。
定石通り取り囲んで一斉攻撃でも倒せるだろうが、爪や尾の一振りで1数人を一度に薙ぎ払うことのできる怪物相手では尋常じゃないくらいの損害が出ることだろう。
元帥としてはそれは避けたい。
ついでにレスタールの狩人たちは火竜との肉弾戦を望んでいる。
そんな両者の思惑が一致して、近接で戦うのはレスタールの狩人で、帝国軍の兵士は弩弓や投げ槍で崖上からの攻撃をしつつ、怪我人が出たときに治療と離脱援護を行うことになったのだ。
攻城戦や重装騎兵相手を想定した弩弓部隊の攻撃はそれなりに通じるようで、それほど深くではないが火竜の身体に突き刺さり、ダメージを蓄積していく。
「おぉぉ!!」
「せいやぁ!」
「ぐおっ!」
「チィッ!!」
上から降ってくる弩弓の矢を器用に避けながら狩人たちの攻撃が激しさを増し、火竜は負けじと前足と尾を振るう。
そのたびに火竜の身体から血が噴き出し、狩人は攻撃を避けたり吹き飛ばされたりと一進一退の攻防を繰り広げる。
周囲の地面は夥しい火竜の血で赤黒く染まり、避け損なった狩人が負傷して離脱していくが、火竜の動きはいまだ衰えることなく、怒りのまま暴れ続けている、
「くそったれ! キリがねぇ!」
「若、ありゃ駄目だ。このままだと押し切られるぞ」
極度の怒りと興奮でなのか、相当な血を失っているにもかかわらず弱る気配も疲れた素振りも見せない火竜の姿に、ジェスパさんが苦い顔で怒鳴る。
狩人たちも致命的な怪我を負った人は居ないようだけど、深手を負って離脱する人が増えて、すでに半数近く減っている。
かくいう俺も幾度となく火竜の後ろ足に戟を叩きつけて、骨まで露出させているのだが、何度も火竜の尾に吹き飛ばされ、そのたびに仕切り直しという状態が続いている。今も火竜の一撃を避けるために距離を取ったところだ。
「ジェスパさん、右側の崖下に火竜を誘導して。それから少しだけ前側に注意を向けさせてくれ」
「……はいよ。あんま無茶すんなよ」
その台詞は火竜に言ってやってほしい。
心の中だけでツッコミを入れつつ、火竜から離れて崖を登る。
もちろん梯子なんてものはないので岩の出っ張りを手がかり足がかりにしての岩登りだ。
無理矢理腰帯に戟を括りつけたせいでズボンが落ちそうになるのには閉口した。
苦労の末、なんとか崖の上まで登り切ると、何度目かの弩弓斉射が終わったところだった。
だが、打ち終わった弩弓の弦を巻き上げる様子はなく、指揮官らしき男も厳しい顔で崖下を睨みつけている。
多分、弩弓の矢が尽きたのだろう。
元々男の腕ほども太さのある弩弓の矢はそれほど多く持ち運ぶことができない。
そして、その威力から、一度射った矢はほとんどの場合、再利用できないほど損傷してしまう。
投げ槍にも同じことが言えて、射ち尽くし、投げ尽くした後はここの兵士にできることは何も無いのだ。
普通の弓矢ならまだ残っているかもしれないけど、それじゃあ大して意味がないだろうし。
まぁ、どっちにしても俺のやることは変わらない。
指揮官に弓矢を止めるように頼み、崖下を覗き込む。
俺が頼んだとおり、ジェスパさんが中心になって火竜を牽制して注意を引きつける動きに変わっていて、しかも周囲を素早く回るように動き回るせいで火竜が炎を吐く隙を与えていない。
少しでも炎を吐く気配を見せると、すぐさま距離を詰めて顎や喉、胸元に一撃を加えて離脱するのを繰り返している。
そのせいで火竜はかなり苛ついているようで、崖上のことは完全に意識から消えてしまっている。
「レスタール卿、何を?」
俺が慎重に火竜との距離や高さを測っていると、指揮官が声を掛けてくるが無視。申し訳ないけど、今はそれに答えている余裕は無い。
目算が立った丁度そのタイミングでジェスパさんと目が合う。
ベテラン狩人はすぐに俺の意図を理解して小さく頷いたのを見て、俺は崖から十数リード下がり、そして弾かれたように走り出した。
「なぁ!?」
だから声を上げるなって!
気付かれたらどうすんだよ!!
声に出さずに怒鳴りつつ、俺は戟を逆手に持ち替えて思いっきり振りかぶる。
「ここだぁ!!」
崖の高さは30リード(約24m)近い。
落下速度と全身の力を戟の先端に込めて、火竜の首の付け根、脊髄の場所に突き刺した。
骨と骨の継ぎ目、太い何かを断ち切る感触が腕に伝わってくる。
ゴ、ギュァァ!
それまでとは違う、呻くような声を上げる火竜。
その直後、まるで爆発したかのように全身で暴れ回る。
「うわっ!」
慌てて突き刺さったままの戟にしがみつく。
暴れる火竜の上から周囲を見回すと、狩人たちは素早く退避していたらしく誰もこの暴走に巻き込まれていないようだ。
どれほど強い生命力なんだろう。
致命の一撃を首に食らってなお暴れていた火竜も、徐々にその動きが弱くなっていき、やがて力尽きたように動きを止めて崩れ落ちた。
……こりゃあしばらく戟を抜くのは無理だな。
押しても引いても揺らしてもビクともしない、柄の半ばまで食い込んだ戟を抜くのを諦めて火竜の身体を下りる。
地に伏しても見上げるほど大きな頭。
その眼から光は消え、徐々に身体から生気が失われていくのがわかる。
それを見届け、俺は崖上から様子を見ていた兵士たちに大きく手を振った。
直後、数千人もの歓声が谷を震わせたのだった。




