第52話 火竜襲来の理由
絶対に許さないとばかりにこちらを見ながら咆哮して飛び去る火竜を為す術なく見送って、俺は大きく溜め息を吐いた。
動きが制限される街の中というこちらに有利な場所ならもう少しダメージを負わせたかったけど、やっぱりひとりでは追い払うのが精一杯だった。
火竜に与えることができた怪我なんて顎にちょっとした切り傷と投げ槍が一本刺さった程度。切り落とした爪なんかすぐに生えてくるだろうし。
どれだけ多く見積もっても数日もあれば回復してしまう程度のものでしかない。
とはいえ、今は考えてもどうしようもない。
改めて街の広場を見回すと、火竜のしでかしやがった惨状が目に入った。
焼け落ちた屋根や破壊された家屋、焼かれ、潰され、引き裂かれた多くの亡骸。
多くは普通の市民たちのようだが、軽鎧の警備兵と思われる姿もある。火竜相手になんとか撃退しようと頑張ったのだろう。
俺は胸に手を当てて黙祷を捧げる。狩人の流儀が通用するかはわからないが、勇敢な戦士に最低限敬意を表しておきたい。
とはいえ、優先しなきゃならない事は他にある。火竜に襲われた人が全員死んだわけじゃないからな。
丁度良いタイミングで広場に入ってきた避難誘導係の騎士たちに手伝わせて、広場周辺に倒れていたまだ息のある人の応急処置を行っている。
すでに手遅れの人も少なくないが、失血死寸前だった数人を何とか助けることができたし、裂傷や火傷、骨折などを迅速に治療できたので無駄ではなかったと思いたい。
「酷い有様だな」
半刻(約1時間)ほどして広場に到着したカシュエス元帥が街の惨状に眉を顰めている。
なにしろたった一匹の火蜥蜴のせいで街は半壊状態、死者も怪我人も大勢。
運良く避難できた住民たちも家を失ったり、混乱で怪我をしたり家族を失ったりしたのだ。中には略奪にあった人だって居ることだろう。
元帥は到着するやすぐさま兵士たちを街の消火と復旧に当たらせ、衛生部隊が怪我人の治療、騎士達は避難した住民を街に呼び戻すために駆け回っている。
「そういえば、この街の領主か代官は?」
領主のトルス男爵かその跡取りがこの街に居るはずなんだけど、一向に姿を見せない。
本来なら真っ先に陣頭指揮を執って対応に当たらなければならないはずなんだけど。領主なわけだし。
俺の質問に、カシュエス元帥は苦虫を何匹も噛みつぶしたような顔で舌打ちしてみせた。
「火竜が飛来した直後から領主館に引きこもっているらしい。街の警備兵半数と共にな」
「……ちょっと引っ張り出してきて住民たちの前に転がして良いですか?」
「良いわけないだろう。気持ちはわかるがな」
苦笑いを浮かべながら咎める。
まぁ、間違いなく住民たちに嬲り殺されるだろうからな。
いくら領主相手とはいえ、家族が友人が殺された人は少なくない。処罰を覚悟で激発することは容易に想像できる。
実際にトルス男爵が警備兵全員を引き連れて対処しようとしても結果はほとんど変わらなかっただろうけど、こういうことは理屈じゃないからな。
「だが、よくやってくれた。貴様がおらねばもっと被害は大きかっただろう」
「いえ、俺ひとりじゃ仕留められませんでしたから」
結果だけ見れば俺の奮闘で火竜を追い払うことができたわけだけど、ことはそう簡単なものでもない。
俺がここに到着したとき、火竜は広場の地面に降り立った状態で、広さに対して大きすぎる身体が災いして自由に身動きできなかった。にもかかわらず負わせられたのは掠り傷程度。
話によると火竜は数百年生きているという。
当然それなりの狡猾さはもっているだろうし、見たところしっかりと知性を感じさせていた。
それに、魔獣だろうが猛獣だろうが、手負いの獣は手強いってのは狩人なら誰でも知っている常識だ。
次に会った時は今回よりももっと難しい対応を迫られるだろう。
「報告します! レスタール領の狩人を名乗る者達が街に到着しました」
俺が先のことを考えて難しい顔をしていたら、街の外で警戒にあたっていた軽装騎兵が伝令に来た。
「すぐに中に入れてやってください」
俺が言うと、元帥も頷いてくれる。
それからほどなく、広場に姿を現したのは一見して野盗にしか見えないむくつけき狩人たち。
「若、来ましたぜ」
「ジェスパさん、助かるよ」
「なに、火竜相手と聞けばどこだって来るさ。まぁ、希望者が多すぎて絞るのに苦労したが」
相変わらずの狩人たちだ。
血の気が多いったらないな。
「着いてそうそう悪いけど、火竜がこの街を襲った理由を探したいんだ。頼める?」
「フォーディルト、どういうことだ?」
俺がジェスパさんに頼んだ言葉を聞いてカシュエス元帥が割り込んでくる。
「普通に考えて、これまでフォーレ山から出てこなかった火竜がいきなり人の街を襲うってのはなにか理由があるはずです。それに、ここはモクモス子爵領と隣接しているといってもそれなりに距離もある」
魔獣を含め、獣が他の生き物を襲うにはそれなりの理由がある。
食料を得るための狩り、縄張り争い、群れや子供を守るためなど、自然の営みの中で行われる必要な争いだ。
俺は竜種の生態に詳しいわけじゃないけど、生き物で無意味に争うことをするのは人間くらいなもので、かなり知能が高い獣でも理由も無くわざわざ生息地から離れて襲うなんてことは滅多にない。
まぁ、例外がないわけじゃないけど。
あの火竜は街を襲ったし、中には食いちぎられた人間も居る。けど、それは攻撃するために噛みついただけで、食われたような形跡は見られなかった。
だとしたら、火竜がこの街に来たのはそれなりの理由があるはずだ。
そんなようなことを俺が説明すると、元帥は納得したように何度も頷いた。
「まぁ、そうだろうな。というか、だいたい目星はついてるぞ。若、帝都暮らしで鈍ってるんじゃねぇか?」
ジェスパさんに言われて周囲を探ってみる。
視覚だけでなく聴覚や嗅覚にも意識を割いていると、人の生活臭や広場のあちこちから立ち上る血臭とは違う、別の、もっと野性味があって嗅ぎ慣れない臭いに気がついた。
「あったぞ!」
「こっちにもだ!」
ジェスパさんの指示を受けて広場や路地を探っていた狩人たちが声を上げる。
得たりとばかりにニヤリと笑うジェスパさんについて行く。元帥も一緒に来るらしい。
場所は広場のすぐ脇にある路地。
日陰で目立たない場所の壁に赤黒い染みのような汚れが付いている。
「血、みたいだな」
「臭いから間違いないだろう。こっちは見た目だとわかりづらいが、身体を擦りつけた跡のようだ」
別の狩人が指差した場所は一見してなにも無いように思えたが、よく見ると微かになにかを押しつけて擦りつけたような形跡があった。そしてわずかに残る腐敗臭も。
「なるほどね。元帥閣下、やっぱり今回の火竜襲撃は人為的なもののようです」
「成竜を殺したとは思えないし、あの火竜の子供だろう。その臭いをつけることで街に誘導したんじゃねぇか?」
先に挙げた自然の営み以外の理由で、獣が人を襲うことはある。
それは復讐のためだ。
人間ほど複雑な考えを持たない魔獣でも、人と同じように感情があり、恩や恨みといった想いで行動することがある。
知能が高い獣の場合は特にそれが顕著で、かなり長く生きていると思われる火竜ならば自分の子供、あるいは群れの子供を攫われたり殺されればその相手に復讐するため住み処を遠く離れて襲うことは十分に考えられる。
「最初にモクモス子爵領の村が襲われてからひと月以上経っているが、魔法や魔法道具を使えば血や死体を保存することもできるか。狙いは帝国を混乱させることだろうが、舐められたものだ」
カシュエス元帥が不快そうに吐き捨てる。
確かに火竜は巨大で強く、街や村にとっては十分すぎるほどの脅威だろう。
とはいえ、広大な国土と10万人もの兵力を誇る帝国の屋台骨を揺るがすほどとはとても思えない。
もちろん民衆は動揺するだろうし、ある程度の混乱は避けられないだろうけど、その程度で他国に隙を見せるほど帝国は脆弱ではない。はずだ。
他に考えられるといえば帝国内の権力争いだろうけど……。
「だがいずれにせよ、火竜を討たねば被害が広がるばかりだ。モクモス子爵領以外にまで火竜が出没したと広まれば民衆も動揺する。とはいえ、今回のことで火竜は傷を負った。警戒して住み処に帰るとは考えられんか?」
顎に手を当てて思案する元帥の声に答えたのはジェスパさんだ。
「それは無いでしょうな。子供を奪われて激情に駆られた奴が、襲った先で思わぬ反撃を受けた。火に油を注いだようなものでしょう。必ずまたやって来ますよ」
そう。
最後に俺に向けた咆吼は、怯んで逃げ帰るというものじゃなかった。
態勢を立て直し、傷が癒えるのを待つことすらせずにまた街や村に襲いかかるのは間違いない。
「問題は、火竜が次にどこに向かうのか、それともまたこの街に来るのかがわからないってことだけど」
「そうだな。だったら、地形も気にせず空を飛び回る竜を探すより、別のものを探した方が早いぞ。……辿れるか?」
ジェスパさんが訊ねると、血や死骸の痕跡を調べていた狩人のひとりはニヤリと凶悪そうな笑みを浮かべて頷いた。
Side???
トルス男爵領の街から北に1日の距離にある森の中。
20人ほどの男たちが車座になって干し肉や焼き固めたパンを口に放り込んでいる。
「では、火竜は軍に追い払われたのか?」
「交戦したのかまではわからん。暴れた後に火竜が飛び去ったのは確かだが」
「軍が近づいてきて逃げたのか? 火竜も存外だらしないな。期待外れもいいところだ」
つまらなそうに言い合う男たち。
「別に構わん。所詮は嫌がらせと時間稼ぎが目的だからな。帝国の目と兵力を南側に引きつけることができれば上出来だ」
「次はもう少し帝都に近い街を襲わせよう。移動してきたばかりの軍の疲労が抜けきらないうちにさらに別の街まで動かせばそれなりの被害を与えることができるはずだ」
1万近い軍勢が移動するとなればそれだけで大仕事だ。
せっかく辿り着いた街の近郊で陣を敷いた直後、別の街が襲撃されればすぐにそちらに向かうことになる。
休む間もない行軍は兵士や騎馬に大きな負担となり、そんな状態で火竜と戦えばそうとうな被害を覚悟しなければならない。
「チッ! 次は俺たちが目印をつける番かよ。そろそろ臭いがキツくなってきたから嫌なんだよな」
「そう言うな。次はもっと大きな街を狙う。領主の館にでも放り込んでおけば大騒ぎになるだろう」
「ってことは次で最後か?」
「ああ。あまり長居して俺たちの動きを気取られたくないからな」
その言葉に、他の面々はホッとしたような顔をみせる。
「さぁ、そうと決まれば移動するぞ。日のあるうちに街道まで出ておきたいからな」
男がそう言って立ち上がる。
そして他の男たちも移動の準備を始めたその時、すぐそばから掛けられた声に固まった。
「そんなこと言わずにもうちょっと話をしてくれよ」
いつの間にか男たちは、見上げるような大男十数人と、小柄な青年に囲まれていた。




